夢の続きをくれたのは、あなただけだったよ
【夢の続きをくれたのは、あなただけだったよ】
如何にして、人は夢を見るのだろうか。
伝説的な初代が建国したブランカ。軍人や非戦闘員が勤務する王城から続く、王族直系の住まう宮廷。
短い夏を楽しむように青々と生い茂り、熱され温くなった風が木々を揺らしている。
建物内は上質な絨毯が敷かれ、豪華というよりゴシックな印象を受ける観音開きの扉の向こうは、この国の王子の私室だった。
「チェック」
車椅子に座る、四十代前半に見える女性は、チェスボード上で白いナイトの駒を動かした。放つ一言はとてもクリアで聞き取りやすい。
「容赦ないですね、アオイ先生」
対戦するダークグレイの髪を掻き上げた少年は、困ったように笑みながら自身の駒である黒いクイーンでナイトを取った。しかし形勢逆転したという風ではない。明らかに負けを認めていた。
「らしくないわね、アーサー。『宮廷人形』とまで言われた優秀なあなたが?」
黒いクイーンをビショップで刺す。チェックメイト、王手だ。
しかし宮廷人形と称された王子・アーサーは、チェスで負けたことよりもその名で呼ばれたことに不満があるらしい。人形の名の通り、恐ろしく綺麗に整った顔を不機嫌に歪ませる。
「名誉ある呼び方でも、その名は嫌いです」
「相変わらずね」
喉の奥で笑いつつ駒を片づけ始めたアオイに倣い、座っていた椅子から立ち上がり、元のガラスケース内の位置に戻したアーサーだったが、未だ機嫌が直らないようだ。
細い体躯をワイシャツとスラックスが包んでいるだけのアーサーには作り物に近い無機質さがある。本人は嫌っているが、的確すぎるあだ名だ。
「それにしても相当久し振りじゃない? あなたが負けるなんて」
手の中に残ったままになっていたチェスの駒を彼に手渡しながら、アオイは軽口程度に話しかけた。茶化されても問題ないほどの話題だったので、この言葉を本気にした本気の返答があるなど思っても見なかった。
「……先生は、」
しかしアーサーはそうでもなかったようだ。
髪と同じ色をした瞳が動揺で落ち着いていない。ややたれ目がちで穏やかに見える表情も、先ほどまでの困ったような様子は消えていた。
自動走行機能の付いた車椅子を細かく操作し、アーサーの前まで移動したアオイは、右手を伸ばし彼の頬を撫でる。
アーサーは両親の愛を知らない。二人とも健在で、同じ宮廷内で生活し、毎日のように顔を合わせるにも関わらず、両親、特に母親はアーサーに心を動かすことはない。
実の母親よりも関心を示してくれるアオイは、アーサーにとって先生以上の存在だ。
「先生は、夢を見ますか」
「え?」
唐突な質問に、アオイは意味を計りかねる。指摘しようと思い浮かんだが、それは今すべきではないようだ。アーサーは真面目に質問をしている。
未だ彷徨く瞳を固定させようと右手だけではなく両手で頬を包み込んだ。
「どういう意味かしら」
「俺は……欲しい人がいます」
「へえ?」
正直、知っていた。幼少期の心情の変化から感じてはいたのだ。
だが普通はここで『好きな人』などと可愛らしい表現を使うだろう。あえて避けたことに、そんな表現では収まりきれない暗い感情が渦巻いているようだ。
手だけで指示し、チェスゲーム中に座っていた椅子に戻る。対戦するわけではないので隣まで移動し、言葉の続きを求める。
「夢にまで見て、その後は?」
「…………」
言葉を閉ざしたアーサーに、アオイはぐっと堪えた。
幼少期に比べたら大した進歩だ。自分の意見など持たず、笑わず、王族直系として最低と言われたあの頃に比べたら、彼は優秀になった。
愛情の欠落と金銭的余裕、欲する人間への過度な執着から鑑みるに、彼が歪んだ性癖を持つようになるのは目に見えている。
しかしアオイはそれを掣肘しない。ここでその道を塞ぐのは教育者として正解かもしれないが。
「言えません」
「そう」
もし、だ。夢の内容を否定すれば、親より大事な人間に否定されたことになるのだろう。
アオイは、アーサーの綺麗な見た目と比例して、同じように綺麗なものだけしか存在しないような世界を見せる気はなかった。
アーサーはいつかこの国の王となる人間だ。
清濁併せ持ち、人形と言われた幼少期に戻るのではなく、人間らしくあってほしいのだ。
「夢を見なければ、欲しくならないのでしょうか」
今度の瞳は虚ろだった。
目は口ほどにものを言う。並んで座る彼の表情は困り揺らぎ彷徨くが、ついに深淵にたどり着いたようだった。
無欲は美徳だが理想ではない。
「人は夢がないと、生きられないわ」
「目標がないから?」
「そんな単純かしらね。少なくともあなたは、夢の続きを欲しがっている」
アオイの翡翠の瞳が、アーサーのダークグレイを射抜いた。同情も慰めも安っぽく廉価で、夢を殺してしまう『妥協』の鍵だ。
やっと向き合ったアーサーに対して、にこりと笑んだアオイは、つい先ほどまで優しく添えていた右手でアーサーの頬を張り飛ばした。
美形だと持て囃される顔が物理的に赤く染まり、じんじんと熱を持った。
「夢の続きは、現実なのよ」
目が覚めましたと呟いたアーサーの瞳は、痛みでなのか、じわりと涙を浮かべていた。
end.
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アーサー→(←)オフィーリア。