人の傘を勝手に使ってはいけません(ゆうちゃんの傘も)
「すいません」
大量の傘が乱雑に突っ込まれた傘立ての脇で濡れた傘を振っていると、女の子の声がした。
学内で一番人間の集まる棟の出入口は、俺と同じようにレジ袋をさげてコンビニから戻った奴らや、これから昼飯を食いに行くか調達しに行くかの連中で、ごった返していた。
誰から誰に向けて発された言葉か最早判別不能の為、特に気にも留めず、手にしていた白いビニール傘をでかい傘立ての奥の方に突っ込んだ。
ホールに足を向けたその時、傘の柄から離れたばかりの俺の手首が何か柔らかいひんやりしたものに捕まった。
立ち止まって自分の手を見下ろすと、小さな女の手が俺の手首をぎゅっと掴んでいた。
「え、何」
俺の手に繋がった華奢な腕を目で辿りその小さな手の持ち主を見上げると、見た事のない女の子だった。
顔はいたって普通だが前髪が長く、黒縁眼鏡のレンズに突き刺さっていた。
「何ですか?」
自他ともに認める女の子に優しい俺は、何故か俺を睨んでいるその子に丁寧に尋ねた。
細いせいか、スカートも袖の短いブラウスも何となくぶかぶかで、デザインはシンプルで悪くないのに全体的にもっさりした印象の子だ。
「何ですかじゃないです!こんな大雨の日に他人の傘を勝手に持ち出さないでください!迷惑です!窃盗ですよ!犯罪です!」
地味な見た目から想像もつかない元気な声で叫んだその子の反対側の手は、白いビニール傘に繋がっていた。
捕り物だ。犯人確保だ。現行犯逮捕だ!
俺を見上げて激昂する彼女の顔がやけに面白く、必死に笑いを堪えた。
取り敢えず、ここでは邪魔だ。傘立ての真ん前で手を繋いでいる様な状態の俺らは、傘を手にした奴らにどかんどかんぶつかられていた。
女の子も真っ直ぐ立っていられず揺ら揺らしている。
手を引っ張って、と言うより手首を掴まれたままなので、勝手にひっついて来たような状態だったが、彼女と一緒に広いホールの中に入った。
どしゃ降りの雨の音が遠くなり、かわりに所々に据えつけられたテーブルで昼飯を食う奴らのざわめきが響いていた。
俺の身柄は未だ拘束中だ。
「ごめんね。勝手に使っちゃって。でもほら、ビニール傘だよ?君のじゃないかも知れないよね?俺のだったりして」
嘲りと侮蔑を顕にした目で見つめられた。
「ごめんなさい。確かに俺のじゃないけど、ほら、奥の方放置傘置き場になってるでしょ?俺のじゃないからって、君のってことには」
目の前に勢いよく傘の柄が付き出された。
思わず仰け反ろうとしたが、未だ低い位置で手首を掴まれていたので危うく眉間に大打撃を受けるところだった。
「危ないよ。何?」
「私のです。ほら」
少し引かれた傘の柄の部分を良く見ると、細めの黒い線で小さいクマの顔が描かれていた。その隣に、更に小さいピンクのハート。
あまりの衝撃に耐えきれず噴き出してしまった。
続けて笑い出してしまわぬよう、口元に力を入れて必死に耐える。ここで笑ったら失礼だろ。
でも、似合わん!この子に可愛いクマさんとハート!
「ほんとだ。印付けてたんなら間違いないね。見張ってたしね。ごめん。もうしません。リユースだと思って放置傘の中から選んだつもりだったんだけどな」
結構奥の方のボロ傘エリアから取ったのにな。
「自分の傘が見つけやすい様に奥に入れてるんです。骨が折れて、びっりびりに破れて、何年放置してあるんだってくらい錆びてる様なものを拝借するならまだしも、新品同様のこれを選んでる時点で恩赦の余地なしです」
確かに。
「ごもっともです。すみませんでした。もうしません」
真面目に頭を下げると、ようやく手首が解放された。
「実際何度同じような事をしてるのか知りませんけど、私の傘では初犯なので今回は見逃します。次は覚悟してください」
全く見逃された気はしないが、真剣に怒っている顔は、物凄く面白い上になかなか可愛かった。
ふいと俺に背を向けた彼女は、ビニール傘を手に、振り返ることもなくどしゃ降りの屋外へと出て行った。
ぶっ。
正真正銘自分の傘を傘立てに突き刺そうとして、思わず噴いた。
あの時窃盗と言われたことが結構ショックだった様で、人の傘を簡単に拝借することは出来なくなった。
ここ何処。小学校?
笑いたい。爆笑したい。
なんとか爆笑は免れたが、生憎近くに事情を尋ねてくれる知った奴もおらず、一人ぼっちで笑う痛い奴になってしまった。
自分の傘を持っていない方の手で、白いビニール傘を引き抜く。
(・㉨・)(・㉨・)(・㉨・) こばやし ゆう (・㉨・)♡(・㉨・)
柄の部分には、クマとハートに並び太いペンででかでかとフルネームが書かれていた。
クマ4匹増えてるし。
痛いし、痛さを前面に押し出して公共の傘立てに突っ込んでいる事が笑える。
ウケ狙いではなく、真剣に自分の傘を死守したいのだと知っているからこそ笑える。
引き続きにやけそうになるのを懸命に堪え、バッグからA3用紙を引っ張り出した。
「すいません。誰か太い油性ペンとテープ持ってない?」
近くにいた見知らぬ奴らにそう声をかけると、デザイン系ぽい出で立ちの奴のバッグからすぐに出て来た。
「ありがと。すぐ返すんで」
傘立てのすぐ上、外壁の濡れていない部分に紙を広げて貼り、でっかい字で書き始めた。
ゆうちゃんへ
傘借ります
昼休みに返すから
ここに来てください♡
(・㉨・)天野瑛太(・㉨・)
傘立てに用のあるやつらから邪魔にされていたが、書き終えて振り返ると、俺の手に掴まれた2本の傘を見て笑う奴が数人いた。
笑い返してから自分の傘だけを傘立てに戻し、離れた場所で俺を笑っていたさっきの奴にテープとマジックを返して、2時限目の講義室に向かった。
いつになく浮かれた楽しい気分で、ビニール傘片手に小学生並みのスキップを披露し、周りを引かせた。
「あー!盗っ人!」
2時限終了後、こばやしゆうちゃんは先にホールに来ていた。
俺を指差す手には、丸められたコピー用紙が握られている。反対の手には財布。
「こんにちはー、ゆうちゃん。1週間ぶりくらい?」
「知らん!でかでかと人の名前張り出さないでよ!」
今日も黒い前髪が黒縁眼鏡に突き刺さっている。
「どうなってた?」
ゆうちゃんの手からぐしゃぐしゃの紙を取りあげて開く。
案の定、寄せ書きのような状態になっていた。
「もうしないって言ったでしょ!嘘つき!ぜんっぜん反省してないじゃない!」
「反省したよ。今日は勝手に使ったんじゃないよ。ちゃんと借りるねって書いた」
振って見せた紙にはたくさんの走り書きが加わり、なかには知った名前付での冷やかしや応援もあった。
クマも異様に増えていた。
「書いてたって意味ないでしょ!使えなくて迷惑するのは一緒なんだから!」
自分のフルネームを書いておいたのは、ちょこちょこ通るだろう知り合いにこの大きな手紙が守って貰えるかなと思ってのことだったが、望み通りちゃんとゆうちゃんの目に入るまで壁に張り付いてくれていた様だ。良かった。
ポケットにそれを突っ込んで、怒り心頭のゆうちゃんを見下ろした。
「そうかー、ごめんね。今度から借りる前に電話するね。番号教えて?」
「は!はあ?」
強気なゆうちゃんが一瞬ひるんだ。
外見で判断するのは良くないけど、きっと男に言われ慣れない言葉なのだろう。
「何言ってんの?」
すぐに全力で眉を寄せたゆうちゃんに傘を返す。ゆうちゃんがそれを受け取った。
「昼飯買いに行くんでしょ?一緒に行こうよ」
そんで無理矢理一緒に食べようっと。
眉を寄せたまま、物凄く理不尽で不可解だと言う面白い顔をしたゆうちゃんは、俺と並んで外に出た。
傘を開こうとしたゆうちゃんが、傘立てから傘を引っ張りだした俺を睨む。
「いや、これ俺の。今日は本当に。命かけて良い」
「だったらなんで私の傘取ったのよ!」
開く途中の傘を両手で突き出したまま怒り始めた隙に、ゆうちゃんの長い前髪をさっと片側に流して押さえた。これで顔がよく見える。顔は、やっぱり普通だ。
「さわんないで!そう言えば!大体なんで中から出て来たのよ!」
男に髪を押さえられたまま、傘を振り回して怒り続ける姿はこの上なく面白い。
ヘアピン男子から奪って来たシンプルな髪留めを、パチッとゆうちゃんのおでこの端で留めた。
「痛!痛いわよ!下手っぴ!」
か、・・・・・可愛い。
男に免疫がないのか、俺が完全に対象外なのか、さわられる事自体は特にどうでも良いらしい。
でこを押さえ、俺の非常識さより、髪を留めるのが下手くそだと言う件で俺を睨んでいる、どこかずれたゆうちゃんがとても可愛かった。
形は地味だけど、毛先だけちょっと跳ねた黒髪は艶々だ。
滅茶苦茶無駄吠えする、前髪長いヨークシャーテリアみたい。
今度小さいリボンが付いたゴム二つ持って来て顔全開にしてみて良いかな。
怒って面白そう。
勝手に付けられた髪留めはほったらかしで、俺を睨みながら傘を開くゆうちゃんが、可愛くて、面白くて、締まりなく緩む顔を堪えられなかった。
これから俺と仲良くなろうね、ゆうちゃん ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡(・㉨・)。
お終い
Convert様との傘に関するやりとりから、傘の無断借用は良くないなと思って書きました。
最初にどの部分を思いついたのかが思い出せませんが、もう少ししっとりした話だったような?
書きあがってみればクマとハートでした。
でも楽しかったです。
読んで下さった皆様の梅雨時の憂さが少しでも晴れますように。
お知らせです。
iPhoneで記号部分が文字化けしているそうです。windows8では見られていますので、大丈夫な方は大丈夫。と言うことでこのままにしてしまいます。すみません。
目障りかも知れませんが、文章から何の記号かの想像もつくと思います。
機会があればパソコンででも見られてみてください。大したことのない全貌が分かります(^-^)
読んで下さってありがとうございます。