2/―Ⅰ
冷たい風が吹きぬけ、眠気に勝てずうつらうつらとしていた僕は思わず身を震わせて縮こまった。僕の体温で温まったのか、それともそんな特性を持っているのかもしれない、ベッド代わりに敷いていた仄かに温かい藁がカサリと乾いた音を立てる。
――――僕達がこの世界、コリーンに来てから今日で丁度二ヶ月が経った。
「常識を教えてくれ」とは言ったけれど、最低限のものだけ覚えて早々に叉名を探しに向かうつもりで居た。だから二週間ほどお世話になって、出て行こうとした僕はガイジに呆れたような「そんなんで出て行ってどうするつもりだァ? 常世の国に旅立つってんなら納得だな」という辛辣なお言葉を頂き、「放っといて死なれんのも後味悪ィだろうが」と、半強制的に荷物を取り上げられ二ヶ月ばかり知識やサバイバルを詰め込まれたのである、まる。…あ、常世の国とはどうやらあの世のことみたいです。
結構甘く考えていたのだが、どうやらこの世界は僕達の世界に比べて大分物騒らしく、奴隷売買とかも普通にはこびっているらしい。権力者の反感を買えば斬り捨て御免、その日の食事を得るために盗みはするわ殺しはするわ。“人狩り”と呼ばれる集団があるおかげで、それらを避けようともある日いきなり捕まって売り飛ばされました、なんてこともざらにある。
ガイジに着いて街に滞在しているうちに、買い物の途中でそれらの現場を目撃しても『あぁ、またか』と呆れたように半眼で見てしまう辺り、どうやら長いとも言い切れないこの期間で僕はそんな日常に慣れてしまったらしい。正義感に満ち溢れているわけでは無いとは自覚していたのだが、曲がったことや非人道的なことは嫌いだったはずだ。それなのにこうして淡々と受け流すことが出来る自分に、僕としては自身の感情に意外さを感じずにはいられない。
……まぁ詰まるところ、人間自分が一番大切なんですよ。あれに巻き込まれると思えば大抵のことは無視できます。男の身体とはいえ良いように使われるのは腹が立って殴りたくなるので、事なかれ主義の僕でも面倒の根源はキッチリ除去します。ダメ、絶対。
身体を返したときに指名手配受けてたりしたら……ね、流石に他人の身体だし自重しますよ。
そんな訳で今現在。
僕こと布旗皙は、約二ヶ月越しの旅立ち(という名の観光)を始めたのである。…と言ってもまず最初に王都へ向かうとガイジに告げたら丁度用事があるとかで連れて行ってくれるらしく、こうして荷台にて自ら荷物と化しているのだが。
それにしても春に突入したからか、暖かい太陽が心地よい。日向ぼっことか日光浴とかいうものと同じなのかはわからないが、女子の身体でない分日焼けも気にしないで済むし、叉名様々であるな。流石に真っ黒になるまで焼いたりはしないけれど。……夏が来てもこの身体のままだったら、日焼け対策するべきだろうか。結局は今から考えても仕方の無いことなのだが。
「なァ、坊主」
ふと荷台の前の方から、荷台を引く馬を操っている筈のガイジが声を掛けてきた。うとうとし始めてきた思考を振り払って、僕は身体を起こす。
「うん、何?」
少しだけ首を回してこちらを見るガイジの顔。それが心なしか何時もより真面目なものに見えて、僕は思わず呆けた。
「確か坊主は人探してんだよなァ。えーっと、坊主と同じ黒髪の幼い娘だったか。…妹か?」
「あ……いや、」
思わず、ガイジの言葉を否定した。本当は妹だと肯定したほうが必死になってくれるのではないだろうかとは思うが、恩人にそんなつまらない事で変な嘘なんて憑きたくは無かった。
でもいざ答えようとすると、何と言えばいいのか解らなくて、一瞬戸惑う。どうやって答えようか、と考え込む前に僕の口は返事を紡いでいた。
「――――――僕の、半身のようなものかな」
欠けてはならない、僕自身にとって大切な、僕という人間を構成する一部。言ってしまってからではあるが、確かにその通りだと内心深く頷いた。
「ふーん、半身…なァ」
僕の返事に、どこか意味深にそう呟いたガイジは、口角を上げてニヤリと笑い、見せ付けるように小指を立てて言った。
「もしかして、坊主のコレかよ」
ハハァン、なるほど坊主の年齢だったらそりゃ一人や二人位いるよなァ。と聞いたくせに自己完結して、腕を組み頷くガイジに僕は怒鳴る。
「オヤジかアンタはっ!!」
思ったよりも出た声は全力だった。
近所のオッサンのようなことを唐突に言い出すガイジに呆れたため息を吐きつつ、気力の無くなった僕は藁の上に倒れこんだ。
そしてそのまま答える。
「違うよ、ただ単に幼馴染み。ずっと一緒に成長してきたからか互いに離れられなくて……そうだな、感覚的には兄妹に一番近いのかもしれない」
目を瞑ってみれば、二人でやってきた様々なことを思い出す。
…物心ついた頃には、既に僕達は一緒に居ることが当然だった。別に世界には僕達しか居ないわけじゃないのに、周りには沢山の友人がいたとしても、僕達は何時まで経っても二人きりのまんまだった。
他人が苦手だったわけでもない。
集団が嫌いだったわけじゃない。
誰かと接することが怖いわけでもない。
でもやっぱり心にポッカリと虚ろな穴が開いているような気がして、そんな時僕達はまた、二人で背中合わせに座り込んだ。
……その時だけ、その虚ろな穴が埋まっているような、そんな温かさを感じていたから。
僕達は何時も一緒だった。
高校に入ってからは流石に殆ど無いけれど、一緒に眠ることもあった。
家族同士の繋がりもあるからそこまでおかしい様には映らなかったようだが、でも確かに僕達は、異常なほどずっと離れなかった。
―――――兄妹、なんて兄や弟、姉、妹というものを僕達は持ったことがないから定義とか普通を良く知らないけど。でも、僕達を表すのなら、多分それが一番妥当な気がする。
「あいつは……ぼく、の…」
瞼が重い。話しながらどうやら眠気に負けてしまったようで、口を動かすことさえ億劫になる。
「ぼく、に、とって……」
舌が上手く回らない。無理矢理話そうとするも舌足らずに正しい音を発さないのを耳に届いて、僕は早々に諦めた。
ぼんやりとした視界に霞がかかって、空が歪む。まともに働かない思考に抵抗もせず、瞼が完全に閉じたとき、僕の意識も、落ちた。