1/―Ⅱ
「―――――が、……なの?」
「間違いない。しかし、―――――とは、おかしい。やっぱり魔方陣が――――――」
「な訳無かろう、わしの記憶じゃと―――――」
ぼんやりとした思考に、数人の誰かが話しているような声が刷り込まれる。
…ここは、何処?
薄く開いた瞼の隙間から覗いて見えるのは、全く見覚えの無い、何処を見ても豪華絢爛な装飾ばかりの部屋。肌に触れるシーツは雪のような真白で、そう思った瞬間雪の白さを表す名前を持った、幼馴染のことを思い出した。
「――――――――っ!?」
ガバッと起き上がれば、視界が暗くなって一瞬立ちくらみのようなものが俺を襲う。その気持ち悪さに手で口を押さえて、治まると同時に、寝かされていたらしいこれまた豪華な寝台から薄いカーテンを手で払いつつ、飛び降りる。
着地、は出来なかった。視界とか、視線の位置とか、バランス感覚が掴みきれなくて、毛の長い赤い絨毯の上に無様に転がった。
頭を抑えながら、上体を起こす。何時もより身体が小さく感じるが、長く眠っていたような感覚からして、錯覚のようなものでも起こっているのだろう。そんなことには構わず、周囲を見回して幼馴染みの小さな身体を捜す。
誰かが居る、ということは分かっているが、まずは自分の目で探したかった。けれど、何処を見回しても彼女の姿は見えなくて、焦りが俺の胸のうちを支配する。そして戸惑っていた四人の男女の内の一人が俺に話しかけようとするのを遮って、俺は叫ぶように問うた。
「皙は何処ですか!?」
つい、名前で責めるように聞いてしまったが、いきなりそう問いかけられても分かるわけが無い。それも責めるように言うなんて間違っている、と少し冷静になった頭がそう判断し、俺は「…ごめんなさい、いきなり」と謝って、混乱したままの頭で皙の特徴を纏めながら質問をし直す。
「えっと……黒くて腰より長い髪の、見た目12歳前後くらいの女の子を見ませんでしたか? 足元に魔方陣? が、出て。足が引きずられたから、一緒に居た彼女も巻き込まれている、と思うんですけど…」
……って、あれ?
今自分、何て言った?
魔方陣…皙に見せてもらった漫画に載っていたものに少し似たそれに足が沈んでいって、助けてって気持ちで皙を見上げたら、振り返った皙が階段から落ちてきて。…俺も良く判らないことになっているのに、助けようとしたんだ。でも、互いに手を掴もうとしたせいで掴み損ねて………ぶつかった?
気分が悪くなって何も分からなくなったんだ。それで、多分……2人して魔方陣に沈み込んだ、筈。
考え込んでいる俺に、さっき話しかけようとした女性が、再び話しかけてくる。
「その特徴を持っている少女、となるとあなた様以外には浮かびませんわ。…お役に立てなくて申し訳ありません」
「そう、ですか……」
やけに丁寧に話す人だな、という感想を持ちながら、俺は皙が見つかっていないということにショックを受ける。落胆したのが分かったのか心配されるが、とりあえず一人にして欲しいところだ。
…ん、あれ? さっきの女性の言葉の中に聞き流したらいけない言葉が無かったか?
『ソノ特徴ヲ持ッテイル少女トナルトアナタ様以外ニハ浮カビマセン』
…あなた様以外?
俺の姿は黒髪ではあれど長くはないし、身長も皙に縮めと事有るごとに言われるくらい無駄に高い。そもそも俺、女じゃないし。
ふっと、目線を下に向け、自分の身体を確認する。…あれ、おっかしーなぁ、女物のトレンチコートと我が校の女子制服を着ているぞー? 身体も何故か小さいし、俺女装趣味とかないのになー。しかも見覚えのある着こなしだなぁ、そう、この適当感溢れるネクタイの結び方なんてモロ幼馴染みみたいじゃないかー……
はい、どんなに誤魔化しても皙の身体ですよね、ごめんなさい。
気づいてしまえば声だって聞きなれたものじゃないか。俺の口調だから生き生きとしているが、淡々と話せばこの可愛らしい声も幼馴染みの言葉そのものに近くなるに違いない。
……しかし、皙の身体とは…。
「問題起こしたら殺されるな、間違いなく…」
うん、その光景が目に浮かぶようだ。きっと今の俺の目は、絶望に満ちた遠い目をしているに違いない。
そんな、傍から見たらシュールな雰囲気を醸し出しているだろう俺を見て、女性を含めた男女は視線を交し合ったり意味ありげに頷いて、俺には到底分からない無言の会話を繰り広げる。そしてそれが一段落すると、一番年を重ねているだろうと思われる男性から順に、膝を突き、俺に向かって頭を垂れた。
「え、なっ…何ですか…?」
訳がわからず戸惑っている俺に、老年の男性が恭しく口を開く。その口から吐き出された重厚な声が言った言葉は、俺にとって余りにも意外すぎることだった。
「ようこそお越し下さいました……魔王陛下」
しばらく、思考が停止していた。頭がその事実についていけていなかった。何度かぱちくりと瞬きを繰り返し、首を傾げ、指を自分に向けて問い返す。
「俺、マオウサマ?」
返されるのは四つとも綺麗に揃った頷き。それは面白い光景であれどこの状況では変に恐怖しか生まず、自然身体に力が入る。
今度は分厚いカーペットの敷かれた赤い床を指差し、問いを続ける。
「ここ、どこ?」
「魔王領の首都、ベアリーゼに有ります魔王城で御座います」
…マオウリョウ…マオウジョウ…? 魔王領の魔王城?
何だそれ、何処の小説設定ですか。いくら今の俺の状況を異世界トリップだと仮定しても、幼馴染みと中身が入れ替わったうえに魔王だとか、意味わかんねぇ。…こんな時、皙が居れば色々整理してくれたのだろうか。あいつは神経図太いし、何だかんだで上手くやり遂げる。特に順応性なんて俺が取り残されてしまうくらいだ。…本当に皙は何処へ行ってしまったのだろうか。
…いやいや、頼りすぎちゃ駄目だ。俺が出来ることは俺がやらないと。…皙のことだ、何処へ行ってもその時出来ることを必ずやる。俺は今俺に起こったことを理解して、把握して、皙を探すのはそれからだ。
だから今は、やれるべき事を。
「えーっと、それじゃあ…貴方達の名前を教えて貰っても?」
幼馴染みとの再会を目指して、今はただ。