1/―Ⅰ
もうそろそろ春が来る。そう思った男は、朝から鋤を手に持って森へ遣って来ていた。何てことは無い、春が来るなら動物や植物を見つけられるのではないかという、ただそれだけの理由である。あわよくば、ベアーやふきのとうを発見できればな、という事を考えつつ、奥へ奥へと進む。
「―――――そんで、見つけたものがコレと」
白髪の混じり始めた髪を手で撫で付け、男はひとりそう呟く。皮肉とも冗談ともとれる言葉であったが、誰も聞く相手が居ないので、そんなことは意味を成さない。
男が見つけたのは、やけに良い身なりであるが、ここらでは見かけることの無い衣類を着た少年。うつ伏せに倒れたまま半身が雪に埋もれ、辛うじて息をしているのが分かるものの、このまま放置すれば確実に死に絶えるであろうと思われる。
どうするべきか、とは考えるまでも無かった。
鋤を木に立てかけ、細い…けれど意外と筋肉質な少年の身体を背負う。そして鋤を引きずるようにして運びながら、男の家である小屋を目指し、歩みを進めた。
◆
パチパチッ、と薪で火を燃やしているような音を拾って、徐々に意識が覚醒してきた。長時間閉じすぎたのかいきなりは目が開かなくて、耳や感覚で周囲の状況を探る。
どうやら、僕の身体は寒さのせいで硬直状態にあるらしい。座った体制の冷え切った身体が感じ取るのは間近で燃やされた火の温かさで、硬直状態が緩和するのと共に、ゆっくりと僕は目を開く。
最初に目に入ったのは、暖炉のような中にある火のついた薪が爆ぜる所だった。「おおぅ…」とついに口に出して驚いてしまったのは仕方が無い。
一瞬、声が変だったが、これだけ体が冷えているのだ。風邪をひいていてもおかしくないだろう。
…それにしても、と僕は思う。
おかしい。こんな暖炉、僕は見覚えがない。
確かに、僕の家にもアンティーク染みた暖炉があるが、飾り同然なので使うことはない。叉名の家にもあるが、あれはおばさんがパイを焼いたり出来るようにオーブンをつけたり改造しまくっているので、目の前にあるこれのように暖房としての機能性を重視した造りにはなっていないのだ。
だったらこの家は、一体何処だと言うのだろう。
病院? ありえない。ここが病院だったら速攻親が迎えに来る。なら、倒れている僕達を見つけた誰かの家? …だとしたら―――――…
意識がその瞬間、一気に浮上して覚醒した。掛けられていた毛布を剥ぎ、縺れる足も変に揺らぐ視界も構わず暴れるようにして無理矢理起き上がり、叉名の姿を探した。
…いない。
誰も居ない、大きいとは決して言えない小屋らしき室内。生活用品が色々と転がっているだけで、見慣れたあの幼馴染みの姿が、見当たらない。
僕はへたり込んだ。
気絶する前に見たあの光景が本当のことなのか、判別も付かず、本当のことだとしてもここは何処なのか、叉名は何処に居るのか、尽きない疑問が頭の中で繰り返され、不安と恐怖感で押しつぶされそうになった。
このままだと泣いてしまいそうで、でもこんな知らない場所で泣くなんて事はしたくなくて、手で強く腕を握る。それでも堪えきらない熱いものが溢れそうになって、その時。
「お、目ェ覚めたか」
いきなり掛けられた声に驚いて、僕は思わず泣いてしまいそうになっていたことを忘れ、扉を開けて入ってきた一人の男を振り返った。
中年、といっても何処か精悍な感じの残る、健康的で嫌悪感の感じない男。色黒で畑仕事でもしていたのか泥まみれだが、ボサボサの髪をかき上げて屈託のない笑顔を浮かべる男に正直唖然として、僕は何も答えられず沈黙する。
「腹減っただろ。ちょっと待ってな、土洗い流して直ぐ作っから」
「え……あ、あのっ!」
暖簾の掛かった向こう側に消えようとした男を、思わず呼び止めた。『何だ?』と言外に問いかけてくる言葉に、多少どもりながら僕は聞く。
「…どなた、ですか?」
男は一瞬、キョトンとした表情だったが、「あぁ、名乗って無いよなぁ」と笑って、「俺はガイジ、商人さぁ。ここはビリード村っつー王都から程近いトコにある村でなぁ、森で坊主発見してここまで連れて来たんだよ。ま、安心しな。何があったか知らねェが、この村は安全だしよ」と安心させるようにニヤリとしてから、今度こそ暖簾を潜って消えた。
「…ぼうず?」
先ほどの言葉の、疑問に思ったことを反復するように呟いて、首を傾げる。おかしい、といえばどれもこれもおかしいことだらけであったが、一番不思議だったのがそれだった。
可愛いとは言わないが、だからと言って僕に男と間違えられるような要素は無い。…もしかしてここ、異世界と仮定したとしてこの世界では、男は髪が長いのが一般的なのだろうか。いや、でもあのガイジと名乗った男は短髪であったし、それは無いだろうとすぐさま否定する。
次に、『まさかぁ』と冗談的なノリで自分の身体を確認する。
「え……?」
そこにあるのは、確かに見覚えがあるしある意味なじんで入るのだけれど、想像していたものとは全く違う身体。
ひょろりと長く、細い身体。しかし腕も胴も足も程よい筋肉がついていて、顔と性格さえ良ければ相当もてるのではないかと思われる。しかしそれも僕の想像通りならどちらもそれなりに良い筈で……僕が見たのは男の……それも長年見慣れた幼馴染みの身体。そこには慣れ親しんだ僕の、小さい少女の身体の名残は何処にも無くて。
取り合えず僕は、脳で処理しきれないその事態にどうにか冷静になろうとして、頭を抱える。そして何が原因か、結局冷静になりきれない頭で考えてそして直前の出来事を思い出した。
「……あれか、」
映像のように脳裏で再生するのは、互いに手を掴もうとして空を切った手。そしてそのまま直撃すれば確実に頭同士をぶつけるであろうと確信できる。
…頭同士をぶつけて入れ替わるって、漫画や小説だけの話じゃあ無かったんだね。『ありえないし』なことを2つ続けて経験して、もうそうやって馬鹿にするのは止めようと思った瞬間だった。
…それにしても。じゃあ僕の身体の方には叉名が入っているのだろうか。…あまり僕の身体で騒ぎとか、起こして欲しくは無いのだが。
あ、一回心配すると余計心配になってきた。…うわ、やだなぁ。漸く身体が返って来ても、叉名のせいであちこちお尋ね者とか。…えぇ、早く見つけて返してもらわないと不安で不安で仕方ないんですけど。
まぁ、取り合えず。
不安の種が移り変わったからか落ち着いた思考は、僕が今何をするべきか、何が出来るだろうかという方向に働き始める。
まずはガイジにお礼をするべきだろう、助けてもらったのだし。幸い僕の身体は叉名の…男のものであるし、女性ならではの心配は余所において置いて構わない。叉名の方は大変かもしれないが、守っておいてくれるだろうと思っておくことにする。そうでないと何も手につかない。
男だから、肉体労働でも構わないかもしれない。そしてそれを終えたら現状確認と、叉名の探索。そして同時進行で帰る方法を模索する、と。
……帰れるかなー…。いや、帰らないと。おばさまの鍋も食いっぱぐれているのである。帰ったら絶対作ってもらって食べなければ。なんて事を考えていると、『皙はホント花より団子だよね』なんて叉名に言われそうであるが、無視無視。
はらり、と暖簾を捲って現れたガイジを確認すると、僕は日本人らしく正座をして頭を下げた。そして妙に慌てるガイジへ向かって、口を開く。
「―――――まず最初に、助けて頂いて有難うございました。僕の名前はセキ、セキ・ヌノバタと言います。幼馴染みを探して、旅をしているところです。…お礼をしようにも僕は何も持っていないので、肉体労働しかできませんが、少しの間、僕をもう暫くここにおいて置いては頂けないでしょうか。…もちろん、その間も働きます。そしてこの国の常識を、僕に教えてください――――」
嗚呼。僕の声調子で、僕の口調で、僕の動かした口から聞きなれた幼馴染みの声がするなんて、変な気持ちだ。