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後編


 「と、いうわけでちょくちょく行ったり来たりすると思うので心配はしないで下さい。」

 お役目を得た事により向こうとこちらを行き来する事を二人に説明した。

 「わかりました。」

 「でも出来るだけ知らせて行ってね。急な時はしょうがないけどさ。」

 「うん。それで、今日はまた向こうに戻るね。姉さん達が待っていると思うから。」

 「じゃあご飯はいらないよね?」

 鈴に聞かれて少し悩む。

 「多分・・・。」

 幻夜さんにももっと聞きたい事が在るし、今日中には戻って来られないだろう。

 「儂らも未だ良くわかっておらぬ故に暫くは面倒をかけるかもしれぬ。」

 自分が答えを悩んでいる間に円が鈴に答えた。

 「そうだね。今後どうなるか落ち着くまではどうしたら良いのかわからないや。それも含めて考えておくよ。」

 「私達も辻さん等に聞いておきましょうか?」

 それまで静かに聞いていた太夫がそんな提案をしてきた。

 「どうなのだろう。」

 役目を皆にばらして良いものか・・。

 「それも考えておきます。」

 どんどんと宿題が増える。

 「そうですか。お帰りを待っております。お気をつけて下さい。」

 「ちゃんと帰ってきてね。」

 二人が帰る事を納得した様子を見て円が煙草を差し出してくれた。

 「ほれ。」

 「はい。お兄ちゃん。」

 真夜がすかさず火をつけてくれ、煙草を吸う。最後に灰を捨てると居間のソファーに戻ってきていた。


 「おかえりー。」

 姉さんが台所から顔を出す。

 「ただいま。幻夜さんは?」

 「なんか用事があるとかで帰ったよ。それ手紙ね。」

 言われて見るとテーブルに紙が一枚。

 「逃げたな。」

 「逃げたの?」

 「うむ。今度会ったら再び懲らしめてやらねばいけぬな。ふふふ。」

 「真夜も手伝うね。」

 不敵に笑う円を真似して真夜も同じ様な顔をする。

 (このままじゃ真夜もイイ性格になってしまいそうだな・・。)

 それにはあえて突っ込まず(面倒な事になりそうだから)、手紙を手に取る。

 「どんなに急いで帰って来てもこちらでは一時間あちらでは一日経ちますが、それ以上の法則性は今の所ありません。また、こちらに戻って来た時は向こうに行った時の場所に戻ってきますので安全な場所から行くのをお勧めします。(道路とか人ごみとかは注意が必要です。)向こうで出る場所ですが、話した通り僕等は送った人の近くに出ますが、それがお役目固定の事かもしれないので何とも言えません。刀也さんなりに法則性を見つけてみて下さい。僕もお役目の傍ら色々と情報を集めてみます。ともあれ、刀也さんの思った様に動くのが一番だと思います。幻夜。」

 「僕たち居なくなってどれくらいかわかる?」

 確認がてら姉さんに聞いてみる。

 「もうすぐご飯が炊けるから一時間ちょっとかな。幻夜さんが帰った後に作り始めたし。」

 良い臭いがする台所から答えが返って来る。

 向こうでは長くても二十分程しか話してないはずだから、幻夜さんの言っている事はおそらく会っているのだろう。

 「お姉ちゃんご飯なに?」

 手紙は気にせず真夜は台所に入って行く。どうやら姉さんのことは気に入った様だ。

 「今日は鶏肉を焼いてそこにキノコを乗っけるのよ。それにサラダと肉じゃが。」

 「真夜、お肉好きー。」

 「そう。真夜ちゃんって言うのね。私は刀也のお姉ちゃんで美羽って言うのよ。」

 「美羽お姉ちゃん。よろしくお願いします。」

 ほのぼのとそんな会話をしている二人を気にしながら、円が読み終わった手紙を手に取る。

 「やはりたいした事は知らなかったのじゃな。」

 一瞥してそう結論付ける。

 「儂も姉上殿に挨拶をしておかねば。」

 手紙を僕に返し、台所に入って行く円。

 そこで裏にも何か書いてある事に気付いた。

 「PS,二人の相手(特に円さん。)も大変だと思いますが、頑張って下さい。」

 二人に蹴られていたシーンを思い出して思わず笑った。

 「どうした?」

 音に反応したのか台所から顔だけ覗かせて円が聞いてきた。

 「いや、なんでもない。」

 幻夜さんの身の為に手紙の裏の事は伏せておく。

 「そうか。」

 あまり気にした様子も無く台所へと戻って行くと、手にグラスを持って戻って来る。

 「夕食が出来たとのことじゃ。」

 円の後ろからお盆にご飯と箸を乗せた真夜がゆっくりと近づいて来る。

 「はい。どうぞ。」

 テーブルに置くと丁寧に並べて行く。

 「お兄ちゃんは座っていていいからね。」

 一生懸命な姿がまた可愛い。次にサラダを持ってきてくれ、その間に姉さんと円が他の物を運び準備が整う。

 「じゃあ食べましょう。いただきます。」

 「「「いただきます。」」」

 姉さんの音頭で食事が始まる。普段二人だけだと別々に食事をしたり、揃っていても「いただきます。」なんて暫く言ってないので、なんか新鮮な気持ちだ。

 「おいしい?」

 「うん。」

 「よかった。」

 姉さんは真夜の隣に座ってかいがいしく世話を焼いている。もうメロメロだ。

 「私、弟じゃなくて妹が欲しかったのよねぇ。」

 ついにはそんな事を言う始末。

 (まぁ真夜も嬉しそうなので、放っておこう。)

 円も箸を動かし続けている。

 「円さんも普通のご飯で良かったのね。妖怪って聞いていたからどうしたら良いのか考えちゃったわ。」

 煙を吸ってはいたけれど、何も言わず食べている所を見ると食事もとれる様だ。しかし、座ってご飯を食べている所を見ると二人共妖怪には見えず、ただの人間に見える。

 「む、挨拶を忘れておった。」

 おもむろに箸を置き背筋を伸ばす。忘れていたと言う事は台所に行った時には挨拶していなかったのかな。

 「いえいえ、さっきは手伝ってくれてありがとうね。」

 手伝いをしていて忘れていたらしい。

 「儂は煙羅煙羅と呼ばれる妖怪の円。縁あって刀也殿と出会った。姉君におかれましてもよろしくお願いしたい。」

 座ったまま頭を下げる円。

 「こちらこそ刀也共々よろしくね。」

 姉さんも箸を置いて頭を下げる。

 「でも煙羅煙羅って聞いた事が無かったわ。ごめんなさい。」

 「儂も儂以外に会った事は無いし、謝られる事は無い。おそらく少ないのじゃろう。特徴を挙げるとすれば、煙の妖怪の為、重さは略無いし浮く事も出来る。」

 そう言って座った格好のまま浮いてみせる。

 「刀也には言ったが、食事は煙を取ることで済ます事も出来る。勿論こうして食べる事も出来るがな。あとはこれくらいじゃな。」

 宙に浮いた姿から霧の様な薄い煙が漂い部屋中に広がって行く。姿が薄くなるにつれ煙は濃くなる。その後煙は消えた。

 「何所に行っちゃったのかしら?」

 姉さんに聞かれるがわかる訳も無く、ただ首を振る。

 声が呼び水になったのか、再び煙が漂うと姉さんの隣に円が現れた。現れたときには既に煙は無い。

 「こうして、移動が可能じゃ。」

 そう言うと、いつの間にか持っていた布巾で真夜の口を拭ってやる。

 「台所から持って来たの?」

 「うむ。あまり大きい物や重い物は無理じゃが、布くらいはな。」

 「真夜はねー。一人が寂しくて泣いていたらお兄ちゃんが見つけてくれたの。」

 口元を拭いてもらって綺麗になった真夜が話し始める。

 「ちょっと待ってね。」

 手元にあったグラスを手に取って真剣な顔で見ている。

 「はい。」

 姉さんが前におかれたグラスに手を伸ばす。

 「冷たいわ・・。それにこれは氷かしら?」

 グラスに入れられた水の表面に丸く凍りが張っている。

 「うん。真夜が冷たくしたの。出来るのはこれくらいだけど・・。」

 「おそらくじゃが、真夜は雪女じゃと考えておる。雪童子かもしれんが雪入道ではないじゃろう。雪入道は片目片足と聞くからのう。」

 「雪入道って一本ダタラのことでしょう。真夜ちゃんこんなに可愛いのにあんなに怖い物の分けないじゃない。」

 姉さんのその言葉で確かに違うと思った。何故一本ダタラを知っているかというと、父さんの数多い土産物の中に一本ダタラこけしがあったからだ。ちなみに他のよくわからない置物と共に廊下に飾られており、初めて泊まりにきた友人等は夜トイレに行くのが怖い状況を作り出している。

 「それに山で吹雪を巻き起こしていた所を見ると、雪女としか思えないのじゃが、わからんか?」

 「うん・・。真夜は気付いたらひとりぼっちで、泣いていたら一緒に居てくれる人に会えるよって言われたからあの山で待っていたの。」

 「力が強くなればわかるのかのぅ。今度幻夜にあったら聞いてみるとしても、力の使い方を学べば雪を振らす事くらいできそうじゃが。まぁよいか。」

 その一言で真夜は食事に戻り円も席へと戻る。

 やがて大人組が先に食べ終わり手が止まった。

 「それで今後どうするの?」

 飽きずに真夜の世話を焼きながら姉さんが聞いてきた。どうするか決めてはいないけれど一応考えてはいたので、その考えを口にする。

 「とりあえず向こうの世界を回ってみようかなと思っているよ。何処かが鍵になって他の世界と繋がるとするならば、その場所を知らないと行けないだろうし。そうだね地図を作ってみるのも良いかもしれない。」

 話しながら地図を作るのは良いのではないかと思った。

 「それも良いかもしれぬなぁ。儂も六百年程向こうに居たが全てを見た訳でもないし、そもそも他の世界に行く方法がわからぬ以上一カ所だけでも把握しておくのは良いかもしれぬ。」

 「地図作りか。楽しそうねぇ。」

 姉さんの求める冒険とは違うかもしれないが、旅行っぽく自分でも楽しそうだと思う。

 「じゃああまり帰って来ないのかしら。」

 「そうなるのかな?」

 向こうとこちらの時間のずれが把握できていない以上断言はできないけれど、暫くは向こうにいる事になりそうだ。

 「向こうに待ち人が居る以上、向こうに重点を置いた方が良いかもしれぬな。」

 待ち人とは太夫と鈴の事だろうけど何故なのだろう。

 疑問に思っている事がわかったのか、元々話すつもりだったのか円の言葉は続く。

 「幻夜も言っていた時間のずれが把握できていないのは確かじゃが、少ない時間でもこちらでは一時間あちらでは一日経つ事を考えると向こうの時間の進みの方が早いと考えられるじゃろう。」

 言われてみてようやく気付いた。

 「じゃあ早く戻った方が良いのかな。」

 「かもしれん。」

 「えー。真夜ちゃんとお風呂入ろうと思っていたのに〜。」

 雪女をお風呂に入れて良い物だろうか。

 「真夜もお姉ちゃんと入りたかったぁ。」

 本人も言っているのだし大丈夫なのだろう。

 「お風呂入ったらにしようか。」

 「うん。」

 真夜が食べ終わり、真夜は姉さんと二人で風呂へ。その間に自分の部屋へ。着替えなんかを持って行く事にした。

 「後は何がいるかなぁ。」

 着替えに、寝袋、懐中電灯と小鍋にミニコンロ。結局いつものツーリングセットからラジオなんかの電子機器とテントを覗いたセットになった。ラジオは入らないだろうし、テントは一人用だったから役に立ちそうも無いからね。

 「これは良いのか?」

 部屋まで着いてきた円が手に持っているのは一本のナイフ。

 「要るかな。」

 「用心の為に持って行くと良い。」

 向こうの世界じゃ持っているだけで警察に捕まる事もないだろうしと考え持って行くことにする。あれば何かと便利だし。

 パンパンになった鞄を持って降りると風呂から上がった二人が待っていた。

 「これも持って行きなさい。」

 渡されたのは菓子折りとお守り。

 「ありがとう。」

 お守りには旅路安全と刺繍がしてある。形のいびつさから手作りの物と一目で分かった。

 「本当は父さん達に渡そうと思っていたのだけれど。」

 そういう姉さんだけれど、裏にはバイクが縫われている。

 「ありがとう。」

 靴を履きながら再びお礼を言っておく。

 「気をつけて行ってらっしゃい。真夜ちゃんもまたおいでね。円さんよろしくお願いしますね。」

 玄関まで見送ってくれた姉さんの声を聞きながら、灰を落とす。

 「またねー。」

 「うむ。」

 二人の返事と共に世界は変わり囲炉裏の前に立っていた。

 「うわっ。」

 鈴が驚いた様子で立ち上がる。

 「ただいま。」

 そういえば囲炉裏の前から移動したなと思いだしながら、履いたばかりの靴を脱ぐ。

 「おかえりなさいませ。」

 太夫も驚いたのだろうけれど鈴程のリアクションはなく座ったまま出迎えてくれた。

 「あれからは?」

 「八日程たちました。」

 もしや一時間が一日かと思ったけれど、どうも違うらしい。向こうにいたのは三〜四時間。多くても五時間程だ。

 「ご飯食べ終わっちゃったよ。」

 「僕たちも食べてきたから大丈夫。」

 「美羽お姉ちゃんと食べたんだ。」

 夕食を食べ終わった後と言う事は時間自体は大きくずれてはいないらしい。

 「美羽と言うのは僕の姉さんのことね。」

 「お姉様がいらっしゃったのですか。挨拶がしたいものですけれども・・。」

 太夫はそう言ってくれるがそれは中々難しいだろう。

 「これは姉さんからのお土産ね。」

 姉さんに渡された菓子折りを鈴に渡す。

 「なに?」

 「お菓子だと思うよ。」

 真夜が覗き込む中鈴が開ける。中身はチョコレートだ。

 「これなに?」

 「まっくろ。」

 二人が不思議そうに見て来る。

 「チョコっていうお菓子だね。こっちにはない?」

 「見た事ありません。」

 気になった太夫が答えてくれた。

 「甘いお菓子だよ。」

 毒味ではないけれど、一つとって食べる。食べた事あるこの味はおそらく姉さんのお気に入りのゴ○ィバだろう。自分用に買っていたものを持たせてくれたのだと思う。

 おそるおそるといった様子で手を伸ばす鈴と臆さず手を伸ばす真夜。食べた顔を見るに気に入ってくれた様だ。二人の様子を見て大人の二人も手を伸ばす。

 「全部食べても良いけれど、食べたら歯磨きした方が良いよ。」

 言いながら着替えを引っ張り出す。

 「僕はお風呂入って来るね。」

 「私達は済ませましたのでごゆっくりどうぞ。」

 チョコに夢中の鈴に代わって太夫が答えてくれる。

 大爺様の居た後から湧いた温泉を一部引き込み、露天風呂にしてある。いずれは内風呂にも引く予定だ。窓からは月が覗いているので露天風呂に入る事にする。

 一応と懐中電灯を持ってきたが、月は明るく必要なかった。

 「ふぅ。」

 何時でも温泉に入れるのは幸せだ。

 「明日からはどうするかね。」

 「まずは端を回ってみるのはどうじゃ。」

 何となく出た独り言に返事があって驚く。声のした方を見ると円が歩いて来た。手には盆を頭には手拭いを乗せ、服は来てない。

 「な、なんで。」

 「儂も風呂に入ろうと思うてな。ほれ月見酒じゃ。」

 湯に盆を浮かべ酒を注いだ猪口を渡してくれる。

 「儂は甘いものよりこちらじゃな。」

 固まっている僕を放って手酌で猪口を空けていく。

 「こっちでは混浴が普通なの?」

 あまりに堂々としたその姿に聞いてみた。

 「さぁ?儂は町中で風呂に入った事が無いしのぅ。そうそう、あの山に良い温泉があるのじゃが、今もあるのかのぅ。」

 指差すのは北。新しく接続された方向だ。

 「そこも訪ねてみようか。」

 「その時は儂が案内しよう。」

 そのうちに恥ずかしがっている自分がおかしい気がしてきて、猪口を空ける。

 「良い月じゃな。」

 空いた杯に酒を注いでくれる。

 「うん。」

 満月ではないけれど妙に明るい。欠けつつある月というのもまた良いものだ。

 酒が空き、円が先に出た後も暫く月を見ていた。

 部屋に戻ると鈴が詰め寄って来る。

 「円さんとお風呂入っていたのですか。」

 「後から円が入ってきたのだけど。」

 円は囲炉裏の側で燗をつけながら酒を飲んでいる。真夜の姿は無い。

 「真夜は?」

 「寝ました。それよりもなんで一緒に入ったのですか。」

 「何でも言われても・・。やっぱりこちらでも男女は別に入るの?」

 「そうです。一緒に入るのは夫婦とかだけです。」

 こちらも変わらないらしい。

 「儂は気にせんぞ。」

 「そうゆうことではないのですけど・・。まぁ何かあった訳ではないのですね。」

 「なにか?」

 首をひねって鈴に訪ねる。とたん顔を赤くする。

 「つまり男女のですね・・。」

 言葉を濁し、小さくなって行くが理解した。

 「ないよ。月を見ていただけ。そもそも円は妖怪でしょ?」

 ほっとした様子で鈴が太夫に声をかける。

 「良かったですね太夫。」

 「いえ、私はそんな事きにしていません・・。」

 その美しい首に朱を登らせる。

 「なんじゃ惚れたのか。」

 「そんなことは。」

 円に絡まれつつも冷静を装う太夫。

 「ならば、今度試してみるか。」

 「試す?」

 「妖怪と人間で子が出来るかをな。」

 太夫の質問に意地の悪い顔で答えつつ酒を飲む円。

 「なっ。」

 鈴が詰め寄って行く姿を見て、一つ決めた。

 「じゃ僕お先に寝ますね。」

 君子危うきに近寄らず。女三人寄れば姦しい。

 巻き込まれたら長そうだ。何か言う鈴の声を後ろに聞きつつ部屋を後にする。部屋の布団には真夜が潜り込んでいたけれど、その寝顔を見てわざわざ部屋を移動させる気も起きず、布団の反対端に滑り込んだ。疲れていたのか、風呂で体が温まっているせいか、あっという間に夢へと落ちていった。


 「おはよぉー。」

 お腹に冷たいものを感じて飛び起きた。

 「起きた?」

 真夜が服に手を突っ込んで笑っている。道理で冷たい訳だ。

 「おはよう。」

 「もうご飯も出来るよ。」

 二度寝の誘惑に駆られるが、手を抜いた真夜が見張っているので諦めて布団から出る事にした。顔を洗って着替え、居間へ真夜と向かう。

 「おはよう。」

 「おはようございます。」

 昨夜は僕より寝るのが遅かったはずの鈴と太夫がすでに立ち働いていて挨拶を交わす。

 「おはよう。」

 「真夜ちゃん起こしてくれたのね。円さんもいい?」

 「わかった。」

 鈴の頼みに真夜が飛び出して行く。

 「昨日はそんなに遅く無かったの?」

 「結構遅くまで話していましたよ。色々とお話をしていましたから。」

 それにしては二人とも眠そうな気配すらない。

 「久々に二人きりじゃないので張り切っちゃいました。」

 早速鈴が食事を運んで来た。太夫も加わり瞬くまに並べられて行く。

 ほうれん草の胡麻和えから始まり、卵焼き、茄子の浅漬け、小アジの南蛮漬け、筑前煮、きんぴらごぼう、温泉卵、ヒジキの煮物、焼き海苔、大根おろしと筋子、焼いた塩鮭、切られたオレンジ、最後に蕪の味噌汁と白米が運ばれてテーブルは一杯だ。

 「真夜の目覚ましは聞くのう。」

 真夜に手を引かれて円がやって来た。文字通り体を宙に浮かして引っ張られてではあるけれど・・。

 「「「「「いただきます。」」」」」

 皆が揃って食事が始まり僕は味噌汁から手をつける。一口飲むと蕪の優しい甘さから胃も動きだし徐々に食欲が出てきた。食欲のままに色々と手を伸ばしていると太夫に話しかけられて顔を向ける。

 「今日からまたお出かけになられるそうで。」

 昨夜、円から聞いたのだろう。

 「うん。暫くこちらの世界を回って自分なりの地図を作ってみようと思って。まずは各端に行ってみようと思っているよ。」

 「昨夜円さんから聞いたからお弁当も作っておいたよ。後で渡すね。」

 鮭の身を真夜にほぐしながら鈴が言う。

 「ありがとう。向こうに行くのとは違ってたびたび此処に戻って来るとは思うけど、数日は出かけると思います。」

 「真夜も行くの〜?」

 「儂は行くぞ。」

 円は行く気だけど、真夜の様な小さな子を連れて行くのは止めた方が良いかもしれない。

 「じゃあ真夜も行く。お兄ちゃんと離れたくないし。」

 「儂もそのような感じはする。もしかしたらそう離れられぬかもしれぬ。」

 昨夜飲み過ぎたのかあまり箸が進んでいない円がそんな事を言い始めた。

 「そうなの?」

 「仮定の段階じゃ。なんとなくそんな感じがするだけなのじゃが、まぁあとで確かめてみれ場よいじゃろう。それで目的地は決めておるか?」

 「特に決めてないけれど、東の辻さんの所へ行ってその後に南、西、と回ろうかな。辻さんの所に報告しておきたいし。」

 それだけでなく狸の頭領へも挨拶をしておこうと思う。

 「外を回ってから内を埋めて行くのは良いじゃろうな。」

 円が言うのは地図作製の事だ。

 「そういえば、こちらに地図はあるの?」

 太夫と鈴に聞いてみる。

 「地図ですか・・。見た事無いですね。」

 「何処かに案内してもらう時は書いてもらったりするけれど・・。」

 元々街は四カ所しか無かった上に、街と街は一日で移動できる距離にある。迷う様な道もないし地図か必要なかったのだろう。


 バイクの後ろに鞄をくくり付け、真夜を座らせる。

 「なんか建てているね。」

 「温泉がわいたし少し人が増えるみたいよ。」

 今まであった建物を囲む様に何箇所かで工事をしている。

 「その温泉の件で相談もあったのだけど忘れていた。まぁ次帰ってきた時で良いか。」

 「相談って僕に?」

 「そうだよ。この山は刀也さんの管轄下なんだって。」

 知らないうちにそんな事が決まっていたらしい。

 「初耳だよ。」

 「私達も住んでいて良いとは聞いていたけれど、初耳だもん。」

 「相談と言うのは温泉の利用についてです。」

 「入りに来ると言う事?」

 「いえ、下ってきた温泉を使いたいと。」

 「それなら好きにすればいいと思うけど・・。」

 家の前に人がたむろするのなら嫌だけど、山の外に出た分についてまでどうこう言うつもりは無い。

 「わかりました。そう言っておきます。」

 太夫が引き受けてくれたのでこの件は大丈夫だろう。

 真夜にヘルメットをかぶせると円が鞄の上へ腰掛ける。

 「大丈夫なの?」

 「これが動いている所は見たし、大丈夫じゃ。」

 少し不安もあるけれど本人が大丈夫という以上とやかく言わずにエンジンをかける。

 「お気をつけて。」

 「辻さんによろしくー。」

 二人の声に見送られて出発する。最初はゆっくりと。円の様子を見るが問題はなさそう。徐々にスピードを上げる。それでも円は大丈夫そうなのでその後は気にせず一路、東の町を目指す。

 三十分程走った所でエンジンが徐々に静かになって行く。しまったと思ったけれどもう遅い。速度を落としたバイクは止まってしまった。

 「休憩か?」

 「いえ、ガス欠です。忘れていました。」

 前回リザーブに入れていたのをすっかり忘れていた。

 「こっちじゃガソリンなんて売ってないだろうしなぁ。」

 とりあえずスタンドを立てて停車。真夜を降ろす。

 「ガス欠?」

 「ガソリン。つまりこれの燃料切れですね。」

 「ガソリンとな。聞いた事が無いのぅ。」

 車が走っていない所を見れば予想はついたが、やはりこちらには無いのだろう。

 「どうゆうものじゃ。何かで代替は出来ぬのか?」

 「難しいかと。」

 ハイオク車では無いけれどまさかお酒で走るとは思えない。壊れるのが関の山だ。

 「何か燃している様じゃが薪と言う訳にはいかんのか。」

 「確かに燃してはいるのですけど薪とちょっと。」

 不思議そうな円にうろ覚えの知識を披露する。

 「ガソリンという液体は激しく燃えるのです。」

 「うむ。」

 「そのガソリンと空気を混ぜ燃やし、激しく燃えた事により生じた圧でこの中のピストンと言う物をまわしているのです。だから薪ではその力は得られないのですね。」

 「ふむ。ピストンとはどのような物じゃ?」

 「こんな感じです。」

 落ちていた枝で地面に書く。

 「確認した。つまり空気を押せば良いのじゃな。」

 「そうなりますね。」

 「こうか。」

 不意に後輪が動きバイクが倒れる。

 「おぉすまん。」

 「どうやって?」

 バイクが倒れたのも心配だけど、それよりも動いた驚きの方が上だ。

 「中に入って回しただけじゃ。」

 忘れていたけれど円は煙の妖怪だった。

 「ほれまたがれ。」

 真夜をその場においたままバイクを起こし跨がる。

 「行くぞ。」

 言葉の後動き出すが遅すぎてバランスを取るのが難しい。

 「もうちょっと早く出来ますか?」

 聞こえているかわからないけれど言ってみると速度が上がる。何回か確認し合いなんとか走れる様になった。

 「もう良いの?」

 真夜を迎えに行くと一人で地面に絵を描いていた。

 「お待たせ。」

 真夜をピックアップして再び東へと走る。速度は先程よりも少々遅いけれども歩くよりも格段に早いし、もし押して歩く事になっていたら最悪だった。

 暫く走ると円から休憩を求められ、木陰にバイクを止める。

 「お昼も近いしお弁当にしようか。」

 「うん。」

 真夜もお腹が減っていた様で嬉しそうだ。

 鈴が作ってくれたお弁当を各々開く。おにぎりと沢庵それに卵焼きだ。

 「円は大丈夫?」

 「うむ。」

 そうは言うけれど少し疲れている気がする。

 「じゃが少々補給がしたいな。」

 すでに二つ目となるおにぎりを頬張りながらそう言った。

 「これも食べる?」

 自分のおにぎりを差し出すがそれは断られる。

 「いや、それは刀也が食べよ。出発した直後はガソリンの煙を吸っておったからまだ余力はあるが、まだ先の事を考えると何処かで補給したいだけじゃからな。」

 「じゃあ何処か茶店でもあったら休憩しようか。」

 「茶店でなくても焚火でも起こせば済む話しじゃがな。」

 「これじゃ駄目なの?」

 真夜が煙管を指差す。

 「煙草でも良いがこれを吸うと向こうに戻ってしまうじゃろ。」

 「そうだったぁ。」

 「煙なら何でも良いの?」

 「何でもと言う訳ではないのじゃが・・。例えば煙とは言っても水煙は力にならぬし、ただ焚火するよりは煮炊きの煙の方が何故か力になる。そういう意味では刀也が吸った煙が一番良いのじゃが。」

 一概に煙と言っても色々あるらしい。それでも三人とも食べ終わった後に枝葉を集めコンロで火を起こす。小鍋に水筒から水を注ぎお湯が沸いたらコップにインスタントの粉とお湯を注いでコーヒーのできあがり。

 「それはなに?」

 真夜が気になる様子なのでコップを渡すが直に戻ってきた。

 「にがぁい。」

 真夜の口に合わなかった様。円は特に苦いとも言わずに予備のコップでコーヒーをすすっている。その間も全ての煙は円に吸い込まれて行く。

 「なんか変なの。」

 真夜が口で反対に煙を吹いてもやがて円に吸い込まれて行く。

 コーヒーを飲み終わる頃には火も消え小さな煙が漂うだけになっていた。余ったお湯でコップを濯ぎ、さらに火に掛け完全に消火する。

 「それでは行くかのう。」

 「しゅっぱつしんこー。」

 真夜のかけ声で再びバイクが走り出す。

 途中真夜が寝てしまい紐で結びつけるという事があったけれど、順調に進み暗くなる前には街を過ぎ辻さんの所へ着いた。

 「元気だったかい。」

 店の前に着くと直に気付き出てきてくれる。

 「はい。」

 「今日は泊まっていくのだろ?」

 すでに鞄を降ろしている。

 「いいですか?」

 「勿論。坊主も喜ぶだろう。」

 未だ待ち人と会えて無いらしい。バイクを裏へと止め、店へと入るとそこには狸の頭領が居た。

 「おう。」

 円はすでに頭領の前に座って一杯始めている。真夜は子供と頭領の腹を叩いて遊んでいる。音が鳴り震えるのが楽しいらしい。

 「ご無沙汰しています。」

 自分としては一日ぶりくらいだけれど、頭領としてはもう十日程立っているはずだ。

 「会えた様で何よりだ。しかし探し人が円さんだったとはな。」

 「お知り合いでしたか?」

 「以前話した狐達とこちらに来た際の話しだが、こちらでも喧嘩になりかけてな。」

 「そこを儂が仲裁したのじゃよ。」

 勝手に頭領の酒とツマミに手を伸ばしながらそんな事を言っている。

 「あれは仲裁というか、脅しでしたよ。」

 話しを聞くと、こんな所だ。

 頭領達がこちらに来た頃はまだ大爺様の所と南の町しかなかったようで、同じ所に住めるかともめたらしい。そのうち町中で喧嘩するのは他の人に迷惑になると考えて、大爺様の山の反対側で決着をつける事になった。お互いに一族を連れて激突するその時、辺り一面が煙に覆われて一寸先も見えなくなり、大声が響いた。「うるさい!小僧ども!!」お互いに身構えているとあっという間に蔦で縛られ転がされてしまった。頭領達にとって蔦はそれほど脅威ではなかったけれども、煙が晴れた後に立っていた円の一言で考え直す事になったらしい。その一言とは「次は縛る出なく刺すぞ。」との台詞だった。その手には出刃と酒ビン。とても怖かったそうだ。

 「あの迫力の前に我らも彼奴等も大人しくするしかなくてな。訳を聞いた円さんの別のとこに住めば良かろうという言葉に従ってそれぞれ東と西に分かれたんだよ。」

 さも面白かったというように喉の奥で笑いながら話してくれた。

 「あの頃はいくら待っても待ち人は来ないし、折角貰った鯛を捌いて酒を飲んで居たのに五月蝿いわでイライラしていたのじゃよ。」

 「ともかく見付かって良かったですわ。」

 頭領が円に酒を注ぐ。

 「うむ。」

 「面白い話ですね。」

 追加の料理と酒を持ってきた辻さんも席に加わる。

 「お店は良いのですか?」

 「滅多に客は来ないし、問題ないさ。今日頭領が来なけりゃもう五日程客は無いよ。」

 辻さんは何杯か飲むと暖簾も降ろしてしまう。

 「それで、今日は何の用事なんだい?」

 お役目とその為に色々と回って地図を作ろうということと、まずは各淵から回ろうと思っている事を伝える。

 「それも良いかもね。でも海はどうするんだい?」

 それは考えていなかった。

 素直にそう言うと教えてくれた。

 「明日試してみれば良いけれど、此処から更に東に行こうとしても峠の辺りでこちらへ反転しちゃうんだよ。それと同じ様に海もある程度行くと、そうなる場所があるみたいなんだ。確かめるには船が要るだろうけど・・。」

 辻さんは円を見る。

 「紹介いる?」

 「大丈夫じゃろうが一応頼もうかのう。もう居ない可能性もあるしな。」

 「りょーかい。」

 こちらに長く居たのならそれなりに知り合いが居るのかな。

 「俺の方も話しておくから、力が欲しい時は狸に声をかけてみな。」

 「ありがとうございます。」

 その後も話しは尽きず真夜達が寝た後も酒盛りは続いて行く。


 朝、テーブルに突っ伏して寝ている三人は放っておいて真夜と子供と散歩がてら峠まで歩いて行く。

 「多分ここら辺に最初来たのだよな。」

 あの時は暗くてわからなかったけど辺り一面草で少し離れて木が点在している。これまで見てきた道と大きく違う所もなく、ありふれた道なのだろうと思う。

 「僕も此処に居たんだ。そこで泣いていたら辻さんが見つけてくれたの。」

 指差す先には草に隠れて地蔵がある。

 「えっと。」

 未だに子供の名前を知らなかった事に気付いた。

 「名前を教えてくれるかな?」

 「勇気っていいます。刀也さんと真夜ちゃんですよね?」

 向こうはこちらの名前を知っていた。

 「勇気君も何も知らないでこちらに来たの?」

 「ううん。黒い服を来たお姉ちゃんに「お母さんに会いたいか?」って聞かれて、「うん」って言ったらこっちに来ていたの。」

 地蔵を撫でながら教えてくれる。

 「お父さん心配しているかなぁ。」

 その声は涙声だ。顔も見ず抱きしめる。お腹の辺りが濡れている気がするが気にしない。

 くぐもった声が納まったのを見計らって放す。

 「あっ。」

 シャツから鼻水が伸びているが、まぁいいだろう。

 真夜が渡してくれた手拭いで顔とシャツを拭う。

 「僕はもうちょっとだけ行ってみるけれど、二人は待っている?」

 昨日聞いた話しを試してみようと思う。

 「真夜は何か面白そうだから行く。」

 「僕も。いつの間にか向きがわかるなんて不思議だもん。」

 二人共辻さんの話しを覚えている様で乗り気だ。

 「じゃあ一緒に行こうか。」

 一応三人で手をつなぎ、峠を下る。

 十歩も進む前に異変が起きた。

 「痛っ。」

 声がした後ろを見ると地蔵の前で円が潰れている。

 「なんじゃこの仕打ちは。」

 のそのそと立ち上がる円。機嫌は悪そうだ。

 「とりあえず水でもないか。」

 酒が残っているのかそんなことを言うけど、散歩に来ただけなので持っている訳もない。

 「ないよー。」

 「では儂は先に戻るぞ。」

 真夜の返事でそくささと戻る円。けれども直に戻って来る。

 「どうかした?」

 「むぅ。」

 再び戻るけど、直に帰って来る。

 「戻れん。」

 地蔵の辺りでこちらに戻ってきてしまうみたいだ。

 「もしかして・・。」

 「その可能性は高いのぅ。」

 別の世界に来てしまったようだ。

 「地蔵が鍵なのじゃろうが戻れない所を見ると、まだ繋がってはいない様じゃな。」

 「そうだね。とりあえず向こうに行こうか。」

 「それしかないのう。」

 不安そうな真夜と勇気の手を引いて峠を下って行く。辻さんの所ようなお店はなく道は林へと続いて行く。

 「山まで何も無いとかやめて欲しいがのぅ。」

 林に入る前。林の向こうには山があった。

 途中休憩を挟んで一時間程歩くとようやく町らしき物が見えた。町らしきというのは、道の先に門があり、他は柵に囲まれていて中が見えないからだ。

 「誰だ。」

 門の前まで行くと上から声がかけられた。

 「そこで止まれ。」

 いわれた通りにすると門が開き武器を持った男達が出て来る。さすがに武器を突きつけられはしなかったけど、囲まれたまま中へ入ると後ろで門が閉まる。

 「何処から来た。」

 「向こうの峠からじゃ。」

 椅子に座った男が聞いた質問に円が答える。

 「峠だと。」

 「うむ。儂らは旅人じゃ。」

 それで少しは納得したのか男は少し考えて次の行動に出る。

 「一応確認させてくれ。まずは此処に住所と名前を。」

 渡された紙に向こうでの住所と皆の名前を書く。その紙を持って男の一人が奥へと消えて行く。

 「家族連れの旅人なんぞ初めて聞いたが。」

 ジロジロと見て来る男達。

 「なんなのじゃ。」

 少しいらついた声で円が話しかける。真夜も勇気もおびえており、あまり威嚇しないで欲しい。

 「お前さん達のいた所にはいなかったかもしれないが、ここいらには盗賊が出ていて、今この街は狙われている。まして普段人の出入りの無い西門から来たんじゃ・・。」

 先程奥へ言った男が戻って来て紙を返す。

 「すまなかったな。確認が取れた。」

 その言葉で周りの男達は離れて行く。

 「確認?」

 「本当に向こうにある住所かどうかだな。盗賊は向こうの住所を知らぬはずだからな。まぁ子連れの時点で違う気はしていたがこれも役目なので勘弁してくれ。」

 申し訳なさそうに頭を下げる男。そんなに怖い人間ではなさそうだ。

 「それで旅人ならまずは世話人の所へ案内するか。そうだ武器とかはもっていないよな?」

 男が立ち上がり聞いてきた。

 「持っています。」

 隠してもしょうがないのでナイフを取り出す。

 「まぁそれくらいなら良いだろう。」

 一目見てそう判断された。

 「良いのですか?」

 「武器としては小さいし、それくらいの大きさなら、此処で預かってもそこらの家で包丁を手に入れたら変わらんからな。」

 確かに男達の持つ槍や剣、斧と比べたら武器とはいえないだろうけれども、刺す事ぐらいなら出来るのに。

 「それに暫くは注目の的だと思うぞ。新入りは珍しいからな。」

 詰め所から通りへ出ると活気のある町が出迎えてくれる。

 「うわっ。」

 人の多さに真夜は驚き、喧噪に勇気が目を開く。

 「今は朝市の時間だからな。」

 男の後に続いて通りを東へ。町の中心にある一際大きな建物へと入って行く。受付を済ますと直に二階へと案内された。

 「入るぜ。」

 ノックをすると返事を待たずに入って行く男。

 「まったく貴方は変わりませんね。」

 中に一人の女性。五十代から六十代だろうか。頭は白く染まりつつあるが背筋は伸びていて眼鏡と相まり、やり手女社長といった感じだ。

 「それで貴方達が旅人さんですか・・。」

 一人一人の顔を順番に見る。

 「そうだ。住所も確認できたし問題なと思う。後は頼む。」

 それだけ言うと男はきびすを返すが、

 「嘘ですね。」

 女性のその声で動きが止まった。

 「何故そう思う。」

 「他の方はわかりませんが、この方は妖怪です。」

 円を指差しそう断言する。

 「盗賊の仲間か!」

 腰の刀に手を添える男。

 「それも違います。」

 「久しぶりじゃな春。」

 「おわかりになりましたか。」

 「大分年を取った様じゃが、生きていてないよりじゃ。」

 「貴女はその美しさもお変わりなく。」

 二人の会話に不穏な空気は薄れていく。

 「お知り合いでしたか。」

 「えぇ。昔こちらに来る前にお世話になった方なの。」

 「そうでしたか。それでは失礼します。」

 安心した男は部屋を出て行く。

 「話しを聞いても良いか?」

 「勿論です。お座りになって下さい。」

 「水でも貰えるか。出来れば食物もな。」

 円は親しい間なのか遠慮なく注文する。

 「はい。」

 部屋から出て行くと直にグラスと水差しを持ってやってきた。

 「食事は頼んでおきました。それで何処から放しましょうか。」

 「儂と離れてからで良い。確かあれは二百年程前だったかな。」

 「私の中では五十年程ですけれど・・。」

 「ふむ。」

 「とにかくあの後一年程した時ですね。晴れていた日でしたが、突然に大波が立ち船は転覆。他の人はわかりませんけど、気付いたらこちらの海へ流れ着いていたらしく、こちらの町に運ばれました。目が覚めたら知らない町。過ごすうちに知っているどの町とも違うとわかりましたけれど、言葉は通じますし、なんとか過ごすうちに好きな人もでき、また子供もできました。旦那は亡くなりましたけど、今は孫もいるのですよ。」

 嬉しそうに話す。

 「子どころか孫までもか。」

 「えぇ。こちらに来て普通の人間の様に年を取る様になりましたけど、それ以上に子供を得られたのは嬉しい事でした。」

 「向こうでは普通の人間の十倍程かけて年を取って行くものな。」

 辻さんの言っていた普通じゃない年の取り方とは、そういうことを指していたのか。そして子供が出来ないのは初めて知った。

 「当初は小さな町でしたけど、山で鉱物が採れる事がわかりまして。旦那と仲間が集まって鍛冶を行ううちに徐々に人も集まり、そうすると商店も増え町は大きくなって行きました。今は弟子や子に引き継がれていますけど、そんな分け合って町の世話役を務めているのですよ。」

 「そうか。色々あったようじゃが、幸せそうでなによりじゃな。」

 「えぇ。」

 そこまで話したところで、ドアがノックされる。

 「どうぞ。」

 「失礼します。」

 女性がカートを押して入って来る。

 「ぐぅ・・。」

 カート共に流れてきた匂いに誘われてお腹が鳴った。

 テーブルに並べられたのは人数分の炒飯にスープ。それとエビチリや回鍋肉などの中華系。

 「どうぞ。」

 「「「いただきます。」」」

 円は先に手をつけていたけれど、春さんに進められて僕たち三人も手をつける。

 「おいしー。」

 「うん。」

 子供達も僕も大満足の美味しさだ。

 「この子達は円さんの子供ですか?そうするとこちらの方は旦那様?」

 美味しそうに食べている二人をみて春さんが聞いてきた。

 「ぶっ。」

 円がスープを吹いた。汚い。

 「いや、刀也は旅人で儂の待ち人じゃ。」

 箸を止めて挨拶をする。

 「初めまして白山刀也です。よろしくお願いします。」

 「こっちは真夜。こいつも妖怪で刀也の待ち人。」

 「真夜です。これ美味しいです。」

 エビチリが気に入った様で口の周りを赤くして言う。

 「それと勇気。人間じゃが探し人は見付かっておらん。」

 「どうやら母親みたいなのですけれど此処にはいませんかね。」

 駄目元で聞いてみる。

 「どうでしょう。特徴とかはおわかりになられますか?」

 聞かれてもわからない。そもそも母を捜しているのもさっき知ったばかりだ。

 「お母さんはどんな人かな。」

 わからない僕に変わって春さんが勇気に聞く。

 「髪はこのくらいで、背はお姉ちゃんくらい。あとここに黒子があるよ。」

 身振りで示す勇気によると、髪はショートで身長は150センチくらい首と口元に黒子があるらしい。

 素早く紙に書き取ると食事を持ってきてくれた女性に渡す。

 「この街にいれば良いのですけど・・。」

 「ここは他にも町があるのか?」

 「此処程大きくはないですが、海の方に一つあります。この街に住んでいる人であれば直に連絡が行くので今日中にわかると思います。」

 「駄目だったらもう一つの方に行くとして、今日は此処に泊まるか。」

 「それでしたら、家へどうぞ。大きくはないですけど、旦那も子供達もいなくなってしまい一人では持て余していますから。」

 「それでは言葉に甘えるかのぅ。」

 円がこちら見て確認して来る。

 「それに久々に円さんとも話したいですから。」

 その言葉でお世話になる事に決めた。

 

 「もう少し仕事がありますので。」

 そういう春さんは先に鍵を渡してくれようとしたけれど、少し町中をぶらついて待つ事にした。

 「金は同じ用じゃのう。」

 数件の店を眺めて円がそんな事に気付いた。

 「何か買う?」

 「いや、特に欲しい物は無い。」

 それでも通りをうろつくうちに真夜と勇気はお菓子、円は酒を手に入れた。

 「刀也のそれは?」

 「お香だけど、バイクの時につけたら円の力になるかなぁと思って。」

 「それは良いかもしれぬな。」

 そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、春さんの元へと戻る時間になった。

 戻ると再び先程の部屋に通される。

 「お母さん!」

 勇気が飛び出して行く先には一人の女性。

 「勇気!」

 抱き合う二人。勇気も勇気のお母さんも泣いている。

 二人が泣き止むのを待って春さんの家へと移動する。道中、今までしっかりしていた反動かずっと離れない勇気。

 春さんの家に着き、夕食の支度をしている間も二人でずっと話していた。その光景を誰も邪魔する事はなかったけれど、真夜は少し寂しかったのか僕の手を離す事はなかった。

 夕食を並べ始めると呼び鈴が鳴る。

 「はーい。」

 春さんが玄関へ。直に一人の黒いスカートと黒い上着を着た女性を連れて戻ってきた。

 真っすぐに二人の元へ近寄ると、母親に自分持っていた時計を握らせる。

 「わかっているとは思いますけど、一日です。」

 頷く母を見てこちらに戻って来る。

 「二人を会わせてくれたのですね。ありがとう。」

 迷わず僕の前に来て頭を下げる。

 「それではまた。」

 部屋を出て行こうとするけれど、引き止めたのは円。

 「説明する時間くらいあるじゃろう。」

 「時間はありますけれど、これから御夕飯なのでは?」

 変わった人だけれど気を使っての事だったらしい。

 「一緒にとればよかろう。」

 「いいのですか?」

 春さんの同意を得て席に着く。勇気親子は夕食もとらずに別室で話している。

 「「いただきます。」」

 食事を取り始めると早速話しが始まる。

 「私の名前は京子。人と人を繋ぐ旅人です。勇気君もお母さんも私がこちらに送りました。」

 京子さんの年は姉さんくらいで二十四才くらい。姉さんと違うのは表情は乏しく、胸が大きい所。

 「二人同じ場所に遅れなかったの?」

 そうすれば探す時間はいらなかったのに。

 「それはできません。私は送る場所を選べません。またそれは試練と考えられます。」

 「試練じゃと?」

 「はい。まず私のお役目ですが生者と死者を会わせる事です。」

 つまり、あの二人のどちらかは死んでいると言う事だ。その事にショックを受けたのは僕だけではなかった様で誰も言葉を発せず、かちゃかちゃと食器の触れる音だけがする。

 「正確には死ぬ寸前の人間の会いたい人に会わせることです。今回の件は勇気君の母である多恵さんの望みでした。二人は交通事故に会い、多恵さんが庇ったおかげで勇気君は助かりましたが、多恵さんは亡くなりました。」

 京子さんは感情の起伏なく淡々と話して行く。

 「死ぬ寸前の多恵さんは勇気君の無事を願い、事故の後に無事だったのか確認したいと望みました。そこでまず多恵さんをこちらに送ります。その際に傷等の死因は取り除かれて。」

 「その対価が試練じゃと言う訳か。」

 「私はそう考えています。また出会った後にもこちらで生活をしなければならない場合もあるらしく、それも試練ではないかと考えています。原理はわかりませんが、対価なくして奇跡は起きない様です。」

 「奇跡・・・。」

 確かに死の寸前から蘇るなんて奇跡としか言えないだろう。

 「先程の時計は?」

 今度は春さんが聞く。

 「出会ってから一日がタイムリミットです。」

 「一日・・。資料を見ましたが彼女は四十年以上もここで働き子供を待っていました。それでも一日なのですか。」

 「おそらくそうでしょう。私が今まで見てきた百三十二回のケースは一日でした。あの時計が一周回ると終わりです。正確には出会ってからかはわかりません。時計が私の元に現れて、私がこちらに飛ばされると既に時計の針は進み始めていますから。」

 「四十年で一日か、もう少しなんとかならんのか・・。」

 ため息をつく様に円が言った言葉を受けて京子さんがさらに言葉を紡ぐ。

 「短いと思いますか?それでも四十年は短い方です。長い人だと三百年以上も待つことがあります。そもそも最後に会いたい人に会える事。死ぬ前に子供の成長を確認できる事。愛する人の無事を確かめられる事。心残りを託せる事。それらがどれだけ希有で凄い事か、わかりますか?」

 徐々に声が大きくなってきた。

「私にはわかりません。考える事はありますけど死んだ事はないですし、子供だけでなく親兄弟もいませんから。」

 声が大きくなるにつれ目には涙が溜まって行く。

「私も一日だけでなくもっと会わせてあげたいですし、何年も待たずに会わせてあげたいです。だけど駄目なんです。一度送ったら二人が会うときまで私は彼らに会えませんし、こちらに飛ばされて来た後わざと会わない様にしても時計の針は進んで行きます。」

 彼女は感情の起伏がなかったのではなくて押さえていたのだろう。そうなるのも仕方が無い事なのかもしれない。彼女のお役目がある所には必ず死が待っているのだから。

 「なにより悲しいのは、最後に皆「ありがとう」と言うのです。何年も一日の為に待ち続け、その後にも何年も続くかもしれないのに。」

 ぼろぼろと涙を流しながら話し続ける。

 「だから邪魔しない様に感情は抑えて直に立ち去ろうと決めていたのに・・・。」

 「すまん。軽率じゃった。」

 「いえ・・。」

 席を降りて近づいていた真夜が手拭いを渡す。

 「お姉ちゃんは優しいんだね。」

 その言葉で涙は再び決壊。真夜を抱きしめ、声を殺して泣いている。

 「ありがとう。」

 たっぷり十分程泣いて真夜を話す。鼻も目も赤い。

 「皆さんもごめんなさいね。お食事を続けましょう。」

 その言葉で食事を再開するけど、口数は少なく空気は重い。それでも食事が終わった頃円が口を開いた。

 「ええい。儂が蒔いた種とはいえ辛気くさい。春よ。この辺に気分の晴れる良い所は無いのか。」

 「酒屋さんとかですか?」

 「何でも良い。」

 少し考えた後に春さんが一軒の名前を挙げる。

 「炎鍛屋が良いでしょう。」

 「よし。そこへ行くぞ。」

 春さんが二人に明日まで家を好きにして良いと声をかけて、五人で移動をする。

 「夜も随分と明るいのじゃなぁ。」

 電気は無いけれど、通りは提灯が掲げられ明るい。夜開いているお店も多い様だ。

 「ここらは遅くまでやっていますよ。鍛冶場が近くに集中していますし。」

 耳を踏ませば人の喧噪にまぎれて鉄を叩く音もする。

 「此処の人間は火事を怖がらんのか。」

 「もちろん鍛冶で大きくなった街ですから最大限気を付けていますけれど、あの火山には勝てませんから。」

 山からは小さく煙が立ち上がっていて、休眠していない事を臭わせる。

 「ここです。」

 春さんの家から更に山へと近づいた所、山の麓にその店はあった。

 「飲み屋か?」

 「それよりも宿っぽいですけど。」

 「二人共正解です。」

 正面カウンターで春さんが受付をしている間に周りを見てみると、左右にもカウンターがあり、それぞれのテーブルに陣取った主に男達が、話し笑いながら酒を飲んでいる。

 受付から案内されて店の奥へと付いて行くと、今度は湯上がりっぽい浴衣を人間とすれ違い、宿のイメージを強くする。

 暫く奥へと案内される。一番奥の庭まで来ると今度は離れへ。

 「こりゃぁ。」

 円が言葉を失うのも無理は無い。離れと言っても一軒程の家の大きさはあり、ドアを開けると中には部屋と露天風呂が。屋根の中心は空いていてそこから星空が見える。

 「元々鉱石堀や鍛冶で汚れた人が汗を流す為に作ったのですけど、お湯が沢山出ましたのでそれだけじゃもったいないと言う事になって、このようなお店になったのですよ。。」

 話している間にタオルや浴衣、それにお酒と料理が運ばれてくる。

 「離れが空いていて良かったです。」

 なんでも普通の大浴場とは別で離れは貸し切りらしい。

 「酒も良いがまずは風呂じゃな。」

 言うや否や、あっと言う間に裸になり風呂へと飛び込む。それにつられて真夜も脱いで飛び込む。

 「刀也さんがいるのにねぇ。」

 春さんがたしなめるけれど、どこ吹く風だ。

 「儂は気にせんぞ。既に同じ風呂には言っておるしのぅ。」

 「真夜も気にせんぞ。」

 「ほれ酒を持って刀也も来い。」

 そう言われても真夜はともかく、春さんも京子さんの目もあり恥ずかしい。

 「これをどうぞ。」

 春さんが渡してくれたのは浴衣の様な物。

 「着たまま入れますので。」

 湯着という物らしい。お互いに物陰に隠れて着替えて風呂へと入る。

 春さんから円さんには酒を、僕からは真夜にはジュースを渡す。

 「ありがとう。」

 お礼を言ってくぴくぴとジュースを飲む真夜。

 「なんじゃ無粋な物を着て。風呂は裸じゃろう。」

 ぶつぶつ言いながら酒を飲む円。

 文句を言っていたのは最初だけで、酒が進むに連れて春さんと思い出話に花が咲いている。長風呂の二人は置いておいて、僕は真夜と出たり入ったりし、時に料理を摘む。

 京子さんは最初はお湯につけたタオルを顔に当てていたけど、進められたお酒の所為もあってか段々と話しをする様になった。主に昔の話しで盛り上がっている二人ではなくて僕たちに付合ってくれて、お互いのお役目の事なんかも話した。濡れた湯着が京子さんの体に密着し、少しドキドキしたのは内緒だ。

 翌日、春さんはそこから仕事へと行き、僕たちは町中をうろついて時間をつぶす。鍛冶の町らしく武器屋も何軒かあって少し興味はあったけれど、真夜もいて危ないし、使い道も無いので眺めるだけで特に買う事はなかった。

 昼になり約束していた春さんと合流する。これから娘さんに会いに行くのだ。主役は円で僕たちはおまけだったけれど特に文句もなく付いて行く。そもそも他に明確な目的がある訳じゃないのだ。案内されて一軒の家に着く。

 「おーい。いるー?」

 中から鎚打つ音が聞こえるけど、それにも負けない大きな声で春さんが呼びかける。一瞬音が止まったあと再開し女性が出てきた。

 「来るなら来ると連絡してくれれば良いのに。」

 「ごめんごめん。会わせたい人が居てね。」

 「この人達の事?」

 「うん。特にこの人は円さんです。」

 春さんが円の隣に立って紹介をする。

 「それでこれが娘の鉄子です。」

 「お話は何度も聞いています。母がお世話になったと。」

 「春の子供がこれほど大きいとはのぅ。」

 三人が話している間特にやる事もなく中を眺める。鍛冶は奥でやる様で土間の他は小座敷が一つ。奥には刀がかけられている。

 (見てみたいが勝手に触るのも悪いし・・)

 そんな事を考えている間、暇な真夜は春さんに買ってもらったお菓子を食べている。

 「あっ。」

 袋を落としてしまって幾つかのお菓子が零れる。京子さんと三人で拾って袋に戻す。

 「ごめんなさい・・。」

 小分けしてあったお菓子は問題ないけれど、空いていた菓子の零れた所は汚れてしまっている。

 「あぁ、そんな事はいいのだけど。」

 気のせいでなければこちらを見ている気がする。

 「母さん。こちらの人達は。」

 「刀也さんに京子さんと真夜ちゃん。刀也さんと京子さんは旅人で真夜ちゃんは妖怪なんですって。」

 「旅人か・・。」

 「あの何か?」

 じっと見られている事に落ち着かず、訪ねる。

 「その腰の見せてもらえないかい?」

 指差す先はナイフ。

 「どうぞ。」

 「ふむ。これは合金かな。」

 真剣な目でナイフを見て、時に軽く叩いている。

 冒険の訓練として初めて山に行った時に父が買ってくれたナイフではある。あの頃は凄い宝物の様に思ったけれど、そこまで凄いナイフではない。

 「これを使った事は?」

 「魚をさばいたり、ロープを切ったりくらいなら・・。」

 「実用もできるのか。」

 「この娘は私より旦那の血を濃く引いたみたいで、ちょっとした刃物マニアね。」

 押され気味の僕に春さんが補足してくれる。

 持っていたナイフは西洋ナイフだし、刀が主流そうなこちらに取っては珍しいのかも。

 「削っているのかな。でもこの色は・・。」

 完全に自分の世界に入っている。

 「もう。ほら刀也さんい返しなさい。」

 春さんに揺すられてようやく我に返ったみたい。

 「あぁごめん。つい・・。」

 それでも目は手の中のナイフに向けられている。

 「これは向こうでは珍しい物なのか?」

 「いえ、そこら辺で売っている物では無いですけれど、ちょっと探せばお店で買えますよ。」

 専門店に行けばもっと高い物も沢山あるだろう。

 「父さんが買ってくれた物なので正確な値段はわかりませんけど・・。」

 安いナイフではないだろうけれどそれでも一万か二万と言った所だろう。

 「良ければ譲ってもらえないだろうか。」

 「えっと。」

 多少の思い出があって少し惜しい気もするけれど、真剣な様子を見てまぁいいかなと思う。

 「いいですよ。」

 その言葉で今日一番の笑顔を見せる。

 「いくらだろうか。」

 こちらのナイフの相場はわからないのだけど。

 「差し上げますよ。昨日から春さんにはお世話になっていますし。」

 勇気の事もそうだけれど、昨夜の支払いも全て春さんがしてくれた。

 「そんな事気にしないで良いのですよ。あれは私から円さんへのお礼なのですから。」

 「でも相場とかもわからないし・・。」

 鞘もベルトから外して鉄子さんに渡す。

 「私は母さんとは違ってそんなにお金がある訳じゃないんだが・・。」

 「じゃあナイフ。いや小さな刃物を譲って下さい。」

 なんだかんだであると便利だし。

 「そうだ。」

 言うと奥へと入って行く。

 「これを貰ってくれないか。」

 持ってきたのは一振りの脇差し。

 「さすがにこれは。」

 「駄目か?」

 少し表情を曇らせる。

 「私が打った物だけど悪くないと思っている。まぁ父さんの物には全然勝てないけど。」

 誤解を与えてしまった様だ。

 「そうゆう事ではなくてですね、僕のいた所では明らかにこちらの方が高くてですね・・。」

 日本刀なんて十数万円から何百万とするものじゃないのかな。

 「そう言われてしまうと、この短刀はこちらでは手に入らないからもっと高くなければ駄目だと私は思うのだけど。」

 「良いではないか。お互いが得したと思っているのじゃから貰っておけば。」

 「そうそう。それよりもお昼に行きましょう。」

 当事者二人以外にはどうでも良い事らしく、早くしろオーラが言葉を発した二人から感じられる。

 「ありがたく受け取ります。」

 昔ナイフをもらったときの様なドキドキを感じながら脇差しを受け取る。

 「よかった。」

 鉄子さんに教えられながらベルトに差す。

 「何か工夫した方が傷付けなくて良さそうだなぁ。」

 最後までそんな事を言っていたけど、他の皆はそれ以上聞かずにお昼ご飯を食べに行った。

 ゆっくりと昼食をとった後は、街を取りまとめている一人という春さんの息子さんに会い、もしお役目が完了したあかつきには世界が広がるかもしれないと伝え、再び街を散策した後に皆で休憩がてらお茶にする。

 「お役目というが、どうしたら繋がるのかのう。」

 これは団子を頬張りながら円。

 「手がかりも無いですね。」

 お茶をすすりながら春さん。

 「勇気君を会わせる為だったんじゃ。」

 少し考えて京子さん。

 「これ苦い。」

 抹茶を嘗めて真夜。

 抹茶を受け取り代わりに飲んでいたほうじ茶を渡してあげる。

 「勇気君の後に確かめてもし駄目だったらもう一つの街に行ってみましょうか。」

 「帰らないで居てくれれば何時でも会えますのに。」

 春さんがぼやく。

 「繋がっても何時でも会える様になるぞ。」

 円の言う通りだ。

 とりあえず勇気が帰った後に確かめて、駄目だったら何かを探す事に決めた。

 日が暮れる頃、春さんの家に帰ると二人が居間で待っていた。

 「ありがとうございました。」

 穏やかな顔で出迎えて来る。

 「もう。僕は泣かないのだから。」

 勇気は精一杯強がってみせる。

 「もう良いの?」

 少し声を固くして京子さんが聞く。

 「はい。沢山お話ししましたし、手紙も。」

 「お父さんと将来の僕にだって。」

 「よかったでしょうか?」

 「駄目だと聞いた事は無いけど、向こうに行ってこちらの事を忘れてしまう人もいる。」

 今までもそういう人はいたのだろう。もし忘れてしまっていたら手紙は分けのわからない物として処分されてしまうかもしれない。

 「かまいません。」

 全てを理解した上で手紙を託す。

 「僕は忘れないのだから。」

 強がったままだけど目には涙が溜まっている。

 「元気でね。」

 最後に強く抱きしめて、勇気を京子さんに託す。

 「よろしくお願いします。」

 「無事に家まで送り届けるから。」

 「はい。」

 京子さんが勇気の手を握り、多恵さんの持っている時計が鳴る。

 時計が鳴り始めると徐々に二人の姿は見えなくなり、鳴り終わった時には時計と共にその姿を消した。

 最後まで微笑んでいた多恵さんは二人が消えると涙をこぼした。


 夕食をとりながら多恵さんの話しを聞くと、京子さんの行っていた事とほとんど同じだった。違っていたのは、無事であった確認をしたかったのではなく、ただもう一目だけでも会いたかったという深い愛情。

 「昨夜は話せませんでしたけど、勇気を連れてきてくれてありがとうございました。」

 最後に皆に頭を下げてお礼を言った。

 「いずれ辻さんにもお礼を言いに行きたいと思います。」

 世界が繋がればそれも可能だろう。

 疲れたという多恵さんには先に休んでもらい、皆で片付け食後のお茶を飲む。

 「そろそろ確認しに行くかのぅ。」

 「そうですね。」

 峠まで行って確認してこないと。

 「夜はやめた方が良いと思います。盗賊に出くわしたら、円さんはともかく刀也さんも真夜ちゃんも危ないですから。」

 「人間の盗賊くらい儂にかかれば問題ないがのぅ。」

 狸と狐をまとめて相手に出来た円には可能かもしれないけれど、僕はともかく真夜を危ない目には遭わせたくない。

 「それに、夜は用心のため門を開けない事にしています。」

 その言葉で諦めて、酒を飲み始める円。春さんは律儀に付合っていたけれど僕と真夜は早々に寝てしまった。

 翌朝、春さんが門まで見送ってくれ、馬の手配もしてくれていた。しかし、用意された馬になんとか跨がる事は出来たけれども、走らせる事は出来なくて結局歩いて行く事になった。申し訳ない。

 林の中を抜け峠まで来ると先に円が飛んで行く。

 「駄目じゃ。」

 報告を受けたけど、ここまで来たので一応と地蔵の所まで登る。

 「駄目だね。」

 地蔵を撫でてみたりもしたが、特に変わりは無し。

 元来た道をたどり、再び街へ。門番は直に通してくれ、春さんに報告。今度は港の町を目指すと言うと、商隊に話しをしてくれて一緒に行く事になった。ついでに馬車に乗せてもらえたのは助かった。盗賊対策の一環として、護衛をつけた商隊を作って行き来するのが今のスタンダードなのだとか。

 同じ様な林の道を進む一行。街が見えなくなり乗せてもらった馬車の商人と話していると笛が鳴り響く。

 「くそっ。」

 護衛が飛び降りて笛の方へと走って行く。

 「盗賊だ。」

 商人は飛び出て何時でも逃げられる様に馬車の馬を外している。

 「なんとかなりそうじゃぞ。」

 体を飛ばして様子を見に行ってくれた円が報告してくれた。

 「あぁっ!」

 商人の声がして商人は後ろへと逃げて行く。

 「真ん中からも湧いたか。」

 後ろで見張っていた護衛が真ん中へと突っ込んで行く。

 先頭は囮で真ん中から急襲、挟み撃ちを狙っていたのか。

 「挟み撃ちか。」

 円も同じ考えらしい。

 「逃げられる様に準備をしておかねば。」

 「ぎゃあぁ。」

 商人が逃げた後ろから悲鳴がした。

 「後ろにも居ると。」

 「林の中に逃げるしか無いかもしれぬが、いずれ追いつかれるであろう。」

 林の中こそ彼らの縄張りだろう。

 先頭で戦っていた何人かが戻り中央で戦っているけれど、後ろから来る敵には対応しきれていない。

 「仕方が無い。二人は隠れておれ。」

 円が文字通り飛び出て行く。

 「気をつけて。」

 そんな事しか言えない自分が情けない。

 「なに、刃物で儂は傷つけられぬよ。」

 そうはいっても不安だ。

 「なんだ!」

 後ろに白い煙が充満し、時折その中から悲鳴が聞こえる。

 「くそっ。護衛に妖怪が居たか。」

 声からすると円が優勢に思える。

 「やれ!」

 声と共に一陣の風が吹き、煙が晴れる。

 現れたのは倒れた男達と、同じだけの武器を持った男達。何をしたのかわからないけれど円は追い払われてしまったようだ。

 「二人だけか。」

 荷台に隠れていたつもりだったけれど直に見付かってしまう。

 「おいっ。」

 男達が近づいて来るのを見て荷台から降り、昨日貰った脇差しを抜いて構えるが、自分でも弱そうだと思う。それでも振り回すと一定の距離からは近づいて来ない。

 「あぶねぇなぁ。」

 しかしその声に恐怖は無く、捕まるのは時間の問題だろう。近づいてきた男の一人に切り掛かる。それは腕を浅く斬っただけで返って相手を怒らせただけだった。

 「短いのでは斬りにくいから刺すんだよ。」

 相手の持つ刃が光る。

 「こうやってな。」

 その言葉で同時に二人が突き刺して来る。一人目の攻撃はなんとか脇差しで受けるが足をもつれさせて転んでしまった。もう一人の攻撃も転んだ所為で避ける事が出来、相手の刃は荷台へと突き刺さる。

 「なにやっているんだ。」

 立ち上がった所で男の一人に羽交い締めされる。もがくけれども外れない。

 「これで終わりだ。」

 突き出される刃。

 「だめっ!」

 真夜の声が響くが、刃は止まらない。

 思わず目をつぶる。

 しかし痛みはやって来ない。おそるおそる目を開けると目の前の男が止まっている。

 「なんで・・。」

 羽交い締めにしている男が呟くが、やがて力が抜けて戒めから解かれる。

 音が止み、動いている人間は僕の他に居ない。

 その状況を作り出した真夜は泣いている。

 「良かったぁ。」

 「ありがとう。もういいよ。」

 真夜が周りを凍らせてくれたのがわかる。真夜を中心に雪が舞い、馬車の荷台からは氷柱が足れている。

 「うん。だけどどうやって止めたら良いのかわからないの。」

 困った顔で泣いている。

 止まらない冷気に大きくなった氷柱が落ちる。

 「危ない。」

 真夜を抱いて伏せる。

 氷柱は馬車の外に落ちて砕けた。

 「温かい。」

 そう言って顔を埋めて来る。腕の中に居る真夜は以前とは違いほんのり暖かい。

 「真夜も温かいよ。」

 雪が振る様な気温の中、少しの暖かさでも充分に感じられる。

 「えへへ。無事で良かった。」

 真夜が笑うと雪も止んだ。

 「無事であったか。」

 少しして戻ってきた円と動けなくなった盗賊を縛りあげる。円はある程度飛ばされた所で止まりそこから急いで戻ってきてくれたとのことだった。

 「やはりお主とはある程度の距離から離れられぬのであろう。おそらくこの世界に来たときも同じことが起きたのだと思うが。」

 話しながら手早く縛り上げ、次いで怪我をした護衛と商人の手当をする。傷口も凍ったおかげで失血は防ぐ事は出来たけれど、それでも護衛の二人と後ろに逃げた商人は助からなかった。

 動ける様になった護衛が縛り上げた盗賊を馬車の一台に摘む。一旦街へと戻る事にしたのだ。

帰り道盗賊から武器を取り上げていると変わった物があった。

 「これは?」

 葉っぱの様な団扇だ。

 「このせいで儂は飛ばされたのじゃな。これは天狗の団扇じゃ。扇げば大風を起こすという。」

 「大風と言うまりには馬車も倒れなくて良かったよ。」

 「それは儂が受けたせいもあるし、こやつ等が天狗でない事もあるのじゃろう。」

 そんなものかと軽く扇いで見ると樹々が揺れ、葉が舞う。

 「それ以上強く扇ぐなよ。」

 円の忠告は大人しく聞いておく事にした。

 舞う葉も無くなり、街が見えてきた時、激しい地震が起きた。

 馬がいななく。

 「噴火か!?」

 護衛の一人の声で山を見るけど、特に変わりはない。

 「あっちじゃ。」

 火山と反対側で光の柱が立っている。

 直感的に世界が繋がったのだと思う。

 「お兄ちゃん。」

 「うん。」

 地震が止まり街へ着く。一刻もはやく峠へ行きたいけれど、警備の人や役人からの質問攻めだ。地震の影響もあってか手際が悪い。

 そこで聞きつけた春さんと護衛達に後は任せてこっそりと西門から抜け出す。西門は光の柱の所為で混乱の中だった。

 誰よりも早く峠まで着く。着くまでに光の柱は消えていたけれど、地蔵の側に一人の男が立っている。

 「来ると思っていた。」

 二メートルはゆうに越えるその男は高下駄を履き、更にその身長を高くしている。手には錫杖を持ち山伏の様な格好をしている。

 「天狗か。」

 円が身構える。

 「天狗ってこれの?」

 持ってきてしまった団扇を出す。

 「おぉそれだ。それを返してもらえないだろうか。」

 「本当にお主のものか?」

 「うむ。以前人間達と知りあった際に酒をたらふく飲んでな。不覚にも寝てしまった。起きた時には既に人間達の姿はなく、また団扇も無かったのじゃ。」

 何処か偉そうな態度でそう答える大男。

 「その態度と言い、姿と言い天狗なんじゃろうな。」

 円が納得した様なので団扇を渡す。

 「どうぞ。」

 「かたじけない。」

 「団扇は盗賊に盗られておりおそらく街の者に迷惑をかけておったぞ。」

 「それも謝ればならんな。」

 あくまでも偉そうだ、

 「いずれお主達にも礼をせねばならん。今度儂の山まで来てくれ。あそこじゃ。」

 天狗が指差すのは、僕たちが来た方向でもその先でもない第三の方向。道なき林の先の山だ。

 「それではまたな。」

 返事も聞かず団扇を扇ぐと風に乗り山へと飛んで行く。みるみる小さくなるその姿を追っていると隣で円がぼそりと言った。

 「あくまでも尊大で見事に自己完結しておる。まさしく天狗じゃな。」

 偉そうなのも天狗の習性なのかもしれない。

 姿が見えなくなるまで見送ると、先へと進む。

 予想通り反転する事も無く峠を越える。

 「まずは辻の所で休憩じゃな。」

 「勇気君のことも知らせないとね。」

 「私もお団子食べたい!」

 三人揃ってわいわいと峠を下る。

 茶店には辻さんの他に頭領も心配して待っていてくれた。心配させるなと言われたけれど、それはしょうがない。自分だって行く気はなかったのだから。

 勇気の報告をしている時に来客があった。春さんとその息子を代表とした街の代表者たちだ。世界が繋がるかもと話しておいたおかげで大した混乱も無く、代表を派遣する事になったらしく辻さんと頭領を含め今後の話し合いについて話して帰った。

 帰って行く春さん達と頭領を見送って、ふと月が出ている事に気付いた。

 「どうした?」

 中へ入らない僕を見つけて円が聞く。

 「こっちに来た日もこうして月を見たなと思ってね。」

 月を見て家でない事を把握したのだった。

 「風呂でも見たな。」

 円も月を眺める。

 「私と会った時も月が見えたよ。」

 一緒に月を見ているのだろう真夜の声もする。



 それぞれの時と同じ月を見ているのに、月の欠け方は異なる。


 その事に気付いて、この数日の事を一気に思い出した。


 あちらとこちらを行ったり来たりし、目まぐるしく変わって行く世界を見ていて実感していなかったけど、まだこちらの世界を知って数日。


 一ヶ月も立たないうちに三つの世界が繋がり世界はどんどんと広がって行く。


 この先も全てを把握できない程世界は広がって行くだろう。


 それに増して出会いや困難、冒険が待っているかもしれないけれど、この二人とならまたこうして月を見る事が出来る。


 三人で月を見ていて、そんな気がした。


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