表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

出発 2



少し明るめの服を買った。といってチノパンにTシャツ、アッパーに半袖のチェックのシャツといった学生の時のようなスタイルだった。これから暖かくなるし、それ以上のものは必要ないような気がしたし、その代り替えのTシャツ、下着と靴下もそろえた。一緒に買ったナップザックに詰め込んで、脱いだ服は紙バッグに入れた。靴はワークシューズだったけれど、新しいし柔らかな革だったのでズックと交互に履くことにした。あるいは予備に持っていくことにした。それにメッシュのキャップ、唯一のオシャレかな、日が強くなるし。

紙袋を持って、ランドリーに入った。それが着ていた服の行き先だった。とりあえず洗濯して保管してもらう。いつまでかはわからない、それが考え付いた解決法だった。必要なら控えを持って引き取りに行ける。戻れなくても仕方がない。そう考えるととすっきりして、そのことを忘れられた。そんな風に一つ一つ物事を処理していくのだ。


どこに行こうか、とその時初めて次の行動への問いかけが浮かんだ。

今まではただ逃げてきたみたいだったけれど、これからはどこかへ向かわなくてはならない。

この場所は留まるところではなかった。

海かな、と感じた。港に行けば、南に行く船があるに違いなかった。

調べてみると、名古屋からは北海道に行く船はあったが、南に行く船がなかった。

阪神から沖縄へのフェリーがやはり夜出発で翌朝8時半着というのがあることが分かった。電話で予約して、夜までに大阪南港に着けばよかった。

いつか、はるかと話していて、何がしたいのかと訊かれてバックパッカーと答えたことがあった。大した意味はなかったのだが、なにかその行動に憧れていた。結局、放浪することはなく安価なバス旅行やパック旅行をはるかと何度かしただけだった。それはそれで楽しかったのだったけれど、就職後は二人で出かけることもなくなってしまった。

宿を決めたりどこかへたどり着いたり、旅行は不便さを味あうものだった。目的は移動することでの変化だった。どこへ行っても人が住んでいることがとても不思議に感じたことがあった。移動することは人間の本質の中に組み込まれているものなのだろうか。

次の問題は、大阪までどう行くかだった。

基本の方針はできるだけ節約して移動するということだった。学生ではないからある程度の貯えはあったが贅沢するつもりはなかった。バスか電車かなら普通で行く限り電車がよさそうだった。観光の時間もとれたかもしれないが気持ちに余裕がなかった。


普通の通勤電車のようで、実際そうなのかもしれないが、下りになるので車内は空いていた。急行ということではあったが、乗換地点まで知らない駅名のアナウンスを何度か聞いた。

桜井は鉄道ファンで何度かその撮影旅行の話を聞いたことがある。車両が現れるポイントを決めて、その走っている姿を写真に収めて、コレクションを増やしていくということだ。いろんな車両があって、それが何線に使われているのか調べて、遠出するのだった。休みになると、ふらっと出かけてみたくなるらしい。鉄橋を走る電車を想像するだけで、それを見ている自分を含めて興奮してくるらしかった。この地方の電車にしたって一度は出かけてきて写真に収めたいのだろうなと思う。


弘樹が興味を持っていることはなんだろうか。

たとえば、この電車には興味がない。電車は場所から場所へ移動をしてくれる。もちろん線路があって、送電線があり運転手もいなくては動いてはくれない。運転手にとっては、ひどく日常的なことでも、弘樹には目新しいことで、その風景にしても珍しくて心地よい刺激を与えてくれる。

初夏の昼下がり、のんびりと車窓を眺めている自分が気に入っているのだろうか。

それは多くの記憶を引き出してもくれる。

かなり緊張した日常を強いられていたとは思える。「企業戦士」とまで言われる社会は、過酷な「戦場」であるのかもしれない。そこから得られる報酬に弘樹はあまり興味がなかった。何度か飛び込む、あるいは飛び込もうとしたのだけれど、はじき出されてしまったのだろうか。

そこにあるから山に登るような冒険は理解できた。それはその人の自由に属していた。弘樹にとっての冒険はなんなのだろう。

ラブ・アドベンチャーは漫画やゲームの中でしかなかった。そんなことは30歳に近づいて来れば分かっていることだ。まじめに考えることさえ気恥ずかしいことだった。でも、と思う。それに近いことをしようとしているのではないだろうか。つまらない浪費に違いなかった。

やっておかなくてはいけないんだ、どんなつまらなく見えることでも、そう思った時にしておかないと後悔する。一歩進めてみるのだ。

のんびりした昼下がりの電車の中で、向かいの親子連れを眺めながら弘樹はぼんやりとそんなことを考えていた。



はるかが行きたいといっていた沖縄に来ていた。

学生時代に一度、本島の観光をしたことがあった。はるかは何か感じるものがあるようで、ふるさととに来たような感じがすると言っていた。

ひめゆりの塔で、はるかは息苦しくなり倒れこんでしまった。

その時も今と同じような初夏で、強い日差しの中、影がさらに深く、熱暑が土や草のにおいを持ち上げて、頭がくらくらすることも事実だったが、それ以外にもひどい霊気を感じたそうだ。黒い手に羽交い絞めされるようで怖かったと言っていた。だから中に入ることもなく、そのときはそこを後にした。

いまそこに弘樹は立っている。

確かに悲惨な状況だった。そのさまざまな怨念がこの塔によっては解消できていないような感じがした。あるいは増幅して保存しているのかもしれない、とまで思わせた。

ひめゆりの塔から奥には慰霊碑が建てられていて、さらに、その先に生存者の手記や従軍の様子などを展示した資料館がある。ひどく暗く、亡くなられた生徒の写真に照明が当たっているのが不気味だった。

弘樹は行ったことはないが、中国の戦争資料館にもこのような怨念が込められているような気がした。教育というようなものではないもの、殺戮の歴史から何を学ぶのだろうか。戦争を否定し平和を目指すようなきれいごとではすまないもの。


そのあとグスク(城)を巡り、ウタキ(御嶽)に行った。

ニライカナイは遥か遠い東(辰巳の方角)の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異世界で、豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。

後生(ぐそー、あの世であるニライカナイは、祖霊神が生まれる場所でもあった。久高島には死んだ人の墓はあるが、あまり人は近づかない。忌避しているかもしれない。魂はニライカナイへ行く。7代経つと死者は先祖という神になるのだった。


神様の島、久高島の港から、弘樹は自転車を借りて島を巡っていた。

地方に行けばすぐわかるが、農地で働いている人たちはみな老人だった。ここでも「おばあ」がひとり畑で作業していたり、2、3人集まって何やら話していたりする。島内を一回りしても出会ったのはあと数人だった。

一番奥に岬がある。サンゴの岩が海に突き出ている海岸だった。

少し上りの白い道をたどると急に眺望が開ける。視界いっぱいの海と空だった。こんな時、生きていてよかったなと感じないわけではない。どんな辛いときがあっても、空はいつもあるし、雲も黙って広がっている。

岩の上を歩いて、右に曲がりこむと、海を背にうずくまっている人がいた。何やら囲いのあるところで祈りをささげているようにも見える。巫女のような姿ではなく、普段のかっこうという感じだった。

ちょうど砂地にかかるところで、風景に溶け込んでいるようだった。その背を見ながら戻ろうとしたとき、振り向いた女の人と目があった。

ジョガーだった。


それまで、彼はだれとでも共有する感情がなくなっていて、ひどく無口になっていた。理解されないという思いが強くて、心が開けなかった。ジョガーを一目見たとき、彼は自分の心が融けていくのを意識した。七、八年ぶりであったはずだが、ジョガーは少しも変わっていなかった。そう感じたのだった。

彼は今まであったことを夢中で語った。楽しいことではなかったから、嬉しそうにではないが、語ることよってさらに心がほどけていった。

ジョガーはうなずきながら、いくつか質問して、ほとんど丸ごと受け入れてくれたと思う。最後には弘樹はジョガーに甘えるように寄り添い、いつしか体を撫でるようになった。ジョガーはそれも拒むことはなかった。

一語り終えてしまうと、弘樹は初めてジョガーとキスをした。

弘樹が求めたのか、知らずに二人はもつれ合い、浜辺で戯れていた。

枯れ木を集めてたき火をした。

長い甘いキスだった。ジョガーの体が緩んでくるのがわかった。

胸に手が触れそうになるとジョガーは身を捩じらした。


ジョガーの使っていた小屋に戻ると、その中はランプの光でほの暗くて、潮騒だけが響いていた、ざーざーという音に合わせるように呼吸しているようだった。

いつしか二人は裸になって、弘樹の服を脱がしたのはジョガーだった、そして熱い唇を弘樹の胸に這わしていた。弘樹は身体が融けてしまうような気がした。

ジョガーの手がやさしく撫でる快感に弘樹は声を漏らしてしまった。

その間弘樹もジョガーの腰を撫で、すんなり伸びた脚の根元に手指を這わしていた。二人とも上半身だけ起こしていたのだけれど、弘樹はだんだん体を横たえてしまうと、ジョガーは覆いかぶさるように、膝まづいて顔をうずめた。ひどく解放感があって、それに興奮しすぎたのか、そのあと体を動かすことができなかった。

弘樹はそのまま眠ってしまったようだった。


目を覚ましたとき、身体にはタオルがかけられていた。ジョガーは服を着てそのまま去ったようだった。

彼が救われたのは、ジョガーと再会したからだったろう。

弘樹は何かを吹っ切ることができたように感じていた。

生きることは辛い試練のようだけれど、楽しく暮らしていかなければならない、とうような気持になれた。自分を押さえつけて生きていくことはないんだ、というような解放感を持つことができた。

それは不思議なことで今までの自分はやはりどうかしていたんだと思った。

ジョガー、となんだか叫びたいようだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ