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不穏な風はある日突然吹き荒れる。田中は、私の帰宅ルートを調べ上げ、待ち伏せするようになったのだ。
「君も僕のことを知っているはずだ。前に会ったことがあるよね?」
「知りません。人違いではないですか?」
「そんなはずはない。君は特別だ。普通の女とは違う。初めて会った気がしなかった。まるで昔から一緒にいる…家族みたいで」
田中の言葉にぞっとした。前の人生では家族となった男だから。
不安な日々が続く中、田中の行動はさらに危険なものになっていった。私のマンションの前で待ち伏せし、無理やり話しかけてくる。断り続ける私に対し、彼の態度は次第に攻撃的になっていった。
「君が僕を避ける理由がわからない。僕たちは運命的な出会いをしたんだ」
「迷惑です。これ以上近づかないでください」
「君は僕と結ばれるべきなんだ!なぜそれが分からない?」
「妄想壁もここまでくると恐怖です。次は警察に通報しますよ」
しかし、私の警告もあの男には届かなかった。どこまでも自分本位で、拒絶の意思すら都合よく捻じ曲げる――そんな人間だった。
ある夜、マンションのエントランスで田中が私を待ち伏せしていて、逃げる間もなく彼の手が私の腕を乱暴に掴んだ。
「話すだけでいいから。乗ってくれよ」
そう言いながら、私を無理やり車の方へ引きずっていく。ドアを無理やり開け、後部座席に押し込もうとする力は異様なほど強かった。
「やめて!」
そう叫んでも、周囲の静けさがその声を吸い込んでいくようだった。
必死に抵抗したけれど、コンクリートの地面に膝を打ちつけ、両腕には擦り傷ができていた。痛みよりも、怖さが全身に広がっていく。
――これはもう、“執着”なんて生易しい言葉では済まされない。
「離してください!」
「どうしてそんなに逃げる?俺は、君とちゃんと向き合いたいだけなんだよ」
「助けて!誰か助けて!!」
「うるさい」
口にタオルを詰め込まれ声を発することができなくなった。恐怖と痛みで涙が溢れて視界も揺らぐ。
――――結局私はこいつに人生壊される運命なの・・・?――
その時、背後から声がした。
「彼女が嫌がっているようですが」
振り返ると、佐藤部長が立っていた。スーツ姿で額にはうっすらと汗が見える。
「あんた誰だよ。関係ないだろ」
「彼女は私の部下です。関係なくありません」
「プライベートにまで関わってくんのか?」
しばらく口論は続いたが、部長の冷静な態度に堪えきれなくなったのか「すかしてんじゃねぇぞ!」と拳を振り上げる。その瞬間、佐藤部長は素早く田中の手首を掴み、あっという間に制圧してしまった。
「空手の有段者です。暴力は好みませんが、必要とあらば使わせていただきます」
田中は呻き声を上げながらその場に膝をついた。
「これ以上彼女に近づくようなら、然るべき場所へと通報いたします。もちろん、御社にも」
田中は悔しそうな表情を浮かべながらも、その場を立ち去った。
「大丈夫ですか?」
佐藤部長が心配そうに私を見つめる。
「はい...ありがとうございました」
「膝、腫れてしまってますね。ハンカチを濡らしてきますので少し待っていてください」
そう言って立ち上がる部長の腕を掴み、引き留めた。
「鈴木さん…?」
「あの、ありがとうございます。助けてくださって」
「いえ、たまたま通りかかったのでビックリしましたが」
「ありがとうございます…本当に、ありがとうございます…」
佐藤部長の優しさに触れた瞬間、涙が止まらなかった。
「怖かったですよね、すみません、もっと早く来てあげられなくて」
震えて泣く私の手をそっと包み込み、綺麗なスーツが汚れるのを目もくれずに一緒に縁石に腰をかけてくれる。その温もりに、初めて心の奥底から安心が広がっていくのを感じた。