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記録8 女の子の難しい心、すなわち思春期のティルダのこと

挿絵(By みてみん)


 ささやきの書の一件から数日、例の魔物はなりを潜めていた。

 ささやきの書は、リインの手元からいつのまにかなくなっていたらしい。書を求める別の誰かの元へ行ってしまったのだろう。詳細な解析がかけられなかったのが残念でならない。


 リインは生徒たちに早めに魔物からの自衛のすべを教えることを提案し、授業のカリキュラムを早めた。生徒たちを魔物との戦闘にも耐えうるエキスパートにするための訓練を開始したのだ。

 基礎体力づくりを宿題としながら、魔物から逃げるための幻惑術や目眩しの術だけでなく、魔物にも有効な攻撃術や、拘束術なども叩き込んでいった。


 そしてついに、リインはとある学生組織を作り上げた。


 その名も『星天せいてんの騎士クラブ』。

 授業において特にやる気のある生徒で構成されており、魔術を交えた戦闘技術や防衛術を磨くためにひたすら模擬戦を行うクラブだ。


「実は、秘密のクラブを立ち上げてな……内緒だぞ?」なんて授業中にもったいぶって話しているくせに、実際は校長認可済み。秘密と格好いいクラブ名で生徒の青い心をくすぐろうという魂胆だ。

 クラブの成績上位者に配られる特別なバッジは、すぐにみんなの憧れの的となった。

 魔物について知ることに意欲的なティルダとルシミアもメンバーとなっている。


 メンバーは戦闘狂の生徒ばかりかと思いきや、案外ミーハーな生徒も多い。リインが顧問ということで当然シャンタナも参加するのだが、見目の良い彼のファンは多いのだ。彼は生徒に対して()()()というやつなのに、きゃあきゃあ言う女の子たちは不思議なものだ。


 ファンが多いのはアウルもだ。アウルはリインに誘われては、特別ゲストとして参加している(正式メンバーのくせに、なぜ毎回『特別ゲスト』としての参加なのかはよくわからない)。

 生徒たちにちやほやされるのが嬉しいらしく、ほぼ毎日ウキウキで出かけていた。


 アウルが迷惑をかけていないかと心配で見に行ったときには、くらくらしてしまった。

「僕と戦いたいならキャンディを3つ用意して! 大丈夫、うんと手加減してあげるとも!」とふんぞりかえっては、果敢かかんにも挑んだ生徒たちを「えいえいえい」とふざけた掛け声でいなし、幻想を見せて踊らせ、お尻に敷いてしまう。そしてため込んだキャンディの山の上で「この世のすべてのキャンディは僕のものだよ!」とニャハニャハ高笑いをしているのだ。


 そんな横で、負けた生徒に対してリインがすかさず指導を入れる。

 ティルダは、リインが誰かに指導するたびに抱えたノートにメモをとる。ルシミアはそんなティルダをじっと見ている。……なかなかシュールな光景だった。



 授業やクラブ以外も――つまり休日だって、やることはある。

 授業の準備や魔物の調査? それもそうだが、ウィストールもひとりのパパだ。娘にピアノのレッスンをしてやらねばならない。


 教師生活20日目、週に1度の休日が巡ってきた。


「ひゃっほう! 太陽がきらきらの日曜日だ! 最高の1日が始まったぞ!」

 アウルは少年ウィストールの姿でそう言うなり、髪をリボンで結び、インク色のブラウスに黄色の花を飾っていそいそと出かけて行った。彼なりの最上級のおしゃれをして出ていくなんて、よほど休日を楽しみにしていたのだろう。

 ただ、慣れた町ならいざ知らず目新しい都会なので「一緒に行こう」と誘われなかったのは意外だ。

 しかしこちらはこちらでティルダのピアノのレッスンに付き合う約束があるので、まあいいかと気に留めなかった。



 今日もピアノを借りるため講堂を訪れる。ティルダはまだ来ていないようだ。

 午前の陽射しが天窓から筋を描いて降り注いでおり、視界が白んで眩しい。

 広々とした講堂は足音もよく反響する。この講堂は『旧館』と呼ばれている数百年前からある城の一部で、現在はほとんど使われていないらしい。

 それ故に使用許可も取りやすかったが、奥の一段高く造られた場所に据えられたピアノも古びていて手入れが不十分だった。


 ティルダを待つ間、ピアノの蓋を開けて簡単な調律を行う。

 こうしてたびたび中を見てやらねば、すぐに調子が狂ってしまうのだ。


 調律の知識は、16年前に仕入れた。

 16年前に出会ったティルダの父親が、ピアノの調律師だったのだ。

 フローベルという、妻に先立たれた若い父親だった。調律師として働きながら演奏家を目指していて、もうすぐ夢が叶うところだった。

 毎晩、小さなアパートの一室で、ティルダにピアノの子守唄を贈っていた。

 ──子守唄は、星のきらめきの音がした。眩い流星のような、限りある命を精一杯生きる人間にしか出せない音が。


 彼との交流はたった数日だけだったが、それでも心に刻まれている。


 彼は大きな天災に巻き込まれて亡くなった。街ごと大きな陥没で滅んだ、歴史的な災害だ――彼は避けようのない死に直面したとき、必死になってティルダを託してきた。

 赤ん坊を育てた経験なんて全くなかったので迷いはあったが、フローベルの必死の願いを前に断れるはずもなかった。

 そうして「必ず幸せにする」と約束をし、彼を見送ったのだ。


「きみはどんな女の子になるかな。お姫様みたいな子かな。それとも元気いっぱいに駆け回る子かな。どんな大人になるんだろう。どんな風になっても……きみは素敵だろうなあ」


 ――フローベルが最後にティルダに向けた言葉が、つい昨日聞いたように思い起こされる。

 あの日の約束を、僕は果たせているだろうか。


 調子の悪い弦はあらかた調律し終えた。

 確認がてら自由に奏でたいという心が湧き、鍵盤に指を吸い寄せられるように乗せる。


「――……」

 音もなく息を吸い、吐きだすとともに指を舞わせる。

 千年以上前に、世界の片隅で聴いた田園舞曲でんえんぶきょく

 メロディラインは軽やかに、跳ねるように。小花が風にそよいで揺れるように、繊細なトリルを添える。細い指が鍵盤の上で一つの生命体のように躍動する。

 通常なら指がもつれてしまいそうな高速の音の洪水をなんでもないように弾きこなしながら、自然と口元を笑ませていた。

 きっとこの曲を選んだのは、午前の明るい陽射しと娘との約束が気分を上げてくれているからだろう。


 ふと日が陰ったような気がして横目で見る。

 窓の下の方が何かで覆われていた。窓枠にみっちりと鳥がとまってこちらに顔を向けている。

 鳥も音楽に興味を持つのだろうか、と考えながら演奏を続けていたが、目線を前に向けたとき、ピアノの縁にも何羽かとまっていることに気がついた。


「わっ!?」


 流石に驚いて手が止まる。見回すと、鳩に烏、カッコウ、果ては大きな白鳥までもが自分を囲むように羽を休めている。さらに足元にはネズミやリスや猫までいるではないか。

 学校の周囲にここまでの生態系があっただろうか。それに、いつのまにこんなに集まってきたのだろう。まるでわざわざ演奏を聴きに来たかのようだ。


 動物たちは、一様に黒く艶のある瞳でこちらをじっと見つめている。もっとけ、という圧を感じるようでならない。

 仰天したまま動物たちを観察していたが、やがて動物たちは思い思いに去って行った。


 鳥たちがばさばさと廊下の方へと飛び去って行くとき、ちょうどやって来たティルダの横をすり抜けて行った。

「わあっ、何、何!?」

 鳥たちの羽が起こす風圧で髪をぐちゃぐちゃに乱されながら、ティルダも悲鳴をあげている。


 鳥たちは突風のように過ぎ去ってゆき、あとにはしばしの静寂が訪れた。

 二人は髪をぴょんぴょんさせながら顔を見合わせた。

「……な、なんだったの? 今の」

「わからない。ピアノを弾いていたら、いつのまにか集まって来て」

「パパってば童話のお姫様じゃないんだから」


 ティルダは「演奏で引きつけてしまうこともあるのかな? 音に魔力が乗ってしまったとか?」とぶつぶつ考察をしているが、長い人生の中で突拍子もない経験すら数え切れないほど積んできたウィストールは、まあそんなこともあるか、と呑気に受け入れた。


「それより、早速始めるかい?」

「うん!」

 ティルダはいそいそとピアノに楽譜を乗せた。


 このところ、ティルダは楽譜を持って来ては「この曲を弾けるようになりたい」と指導を頼んでくる。

 楽譜は手書きのもので、ティルダが書き写したか誰か知り合いが書いたものだろうが、その部分は聞いても話してくれない。どの曲も静かな夜の情景をそのまま記録したかのような夜想曲ノクターンだ。

 ティルダが真剣に弾く横で、正しい運指についてや、心地よい間の取り方、音の響かせ方について指導してゆく。


「うん、いいね。あとは、作曲者がこの曲でどんな情景を表したいと思ったかを汲み取っていくことができたらもっと良くなる」

「情景かあ」


 ティルダは何かを思い浮かべるように目を伏せた。やがて頬を染めて微かに笑み、風を撫でるような手つきで鍵盤に指を乗せた。


 ティルダの指が、美しい月夜の風景を奏でる。その音色は、急に具体的な情景を持って響くようになった――夜風はしっとり水気を含んで少し重く、けれど涼やか。草のつんとした匂いが鼻腔をくすぐり、時折フクロウが鳴く。そんな中で空を見上げれば、透き通った空気の中で星々がよく見える――一人きりで夜を愛でるが、寂しくはない。そんな誰かのことが浮かぶような音色。


 最後の一音の余韻までを聴き終わり、ウィストールは拍手を送った。

「とびきり素敵な演奏だったよ! もうこの曲は完璧だね」

「そ、そう? ありがとう」


 顔を赤くして嬉しそうに笑うティルダが愛おしくて、思わず頭を撫でる。ティルダは幼い頃と変わらず「えへへ」と声を漏らして照れ臭そうに笑った。


 ティルダといると、()()()()()という実感が持てる。永い時を、ただ消費しているだけではない。輝きを分けてもらいながら、自分も今、確かに生きているのだと。


「ティルダはやっぱりピアノの才能もあるね」

「パパって昔から、私のこと『才能だ!』とか『天才だ!』とか持ち上げ過ぎ」

「正当な評価のつもりだよ! 魔術もそうだけど、ピアノもすごいものだ!」


 ティルダは、アウルによく似た仕草で「ふふん」と胸を反らした。

「なら、パパ譲りの才能だね!」

「ん……」

 心の奥に刺さったままのトゲがうずく感覚がして、素直に肯けなかった。


 昔から、ティルダの父として振舞うたびに、そのトゲは微かに疼いた。ティルダの父はあくまでフローベルであり、自分は彼から娘を託された仮の親であるという感覚が、未だに残っている。


 ティルダとの日々の中で、そのトゲはすっかり忘れてしまうこともある。けれどこうしてともにピアノに向かう時は特に、フローベルが最後に見せた涙が脳裏に浮かんでしまって離れなくなる。そのときの表情の歪め方も、涙に濡れた声音もたった今見たことのように再生されてしまうのだ。

 わだかまりのない別れであったはずなのに、それはいっそ、呪いのように。


 ティルダは幼い頃から、ウィストールたちと血の繋がりはないことを知っている。ティルダが物心ついた頃には、とうに話していたことだ。アウルのような生粋きっすいの魔物とも暮らす中で、出自を隠し通せるわけがないからだ。


 けれど血の繋がりなんて意識させないくらいに、アウルとともにたっぷり愛してきた。

 ティルダもそれを感じてくれているから、遠慮なく慕ってくれているのだろう。


 だがフローベルのことはまだ話せていない。話そうとするたびさりげなく話題を変えられてしまうから。


 一度ひどい喧嘩をしてしまったこともある。「きみの本当のお父さんは」と話を切り出した途端、ティルダは「私のパパはここにいるのに!」と大泣きしてしばらく口を聞いてくれなかったのだ。けれど、いつかは必ず伝えなくては。


 そのチャンスをいつも探しているが、今もティルダは、こちらがフローベルのことを考えているのを察したらしく、さっと楽譜を回収してしまった。

「レッスンありがと、パパ。じゃ、そろそろ行くね!」

「……うん」


 ティルダは講堂から足早に出て行った。


「難しいよ……」

 ウィストールはぽつりと呟き、どこにでもいる父親のように頭を抱えた。

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