記録5 ウィストールの授業
「次の授業は僕が担当します」
青を基調に星や月の描かれた派手なマントに、長い杖を持ったいかにも魔術師然とした風貌のウィストールと、妖しいほどに白い肌の美少女姿のアウルに、生徒からの興味の目線が突き刺さる。
ウィストールは自分が注目されているのを感じて緊張するのを誤魔化すように深く呼吸をし、簡単に自己紹介した。
「僕はウィストール・パルナン。魔術や魔道具の研究を行っている魔術師です。数年前にはニャンダフォウ・ワンダフォウを開発しました」
魔道具発明大賞を受賞した製品は、ネームバリュー抜群だ。教室のあちこちから「知ってる!」「うちの猫につけてます!」という声があがる。
ニャンダフォウ・ワンダフォウは、アウル監修のもとウィストールが作成した魔道具であり、ド派手な色柄の蝶ネクタイ型の首輪だ。魂の言葉を翻訳するもので、犬や猫につけると彼らの鳴き声が人間の言葉として聞こえるようになる。
生徒たちの反応に照れ笑いしつつ、隣のアウルを紹介する。
「ありがとう。そしてこちらが僕と契約してくれている魔物の、黄金の昼下がりです」
アウルは輝かんばかりの笑顔で生徒たちに手を振りながら、お決まりの自己紹介を諳んじた。
「そう! 僕こそがウィズの相棒にして、『特 級』の魔物の黄金の昼下がり! 呼び名はアウル! 好きなものはウィズと家族と永遠と、おひさまとボート遊び、それからお茶会、他にもたくさん! 特技だっていっぱいさ。こんなこともできちゃう!」
アウルは手からインクを溢れさせ、二人も分身を作り出した。
少年時代のウィストールの姿と、かつての兄ヴィクターの姿だ。合計三人のアウルは揃いの黒髪に金の瞳、インク色の服を纏ってにこにこする。
「「「みんな、たくさんおしゃべりしようね!!」」」
すっかりアイドル気分のアウルたちは、三人揃って投げキッスまで飛ばしている。生徒たちから黄色い悲鳴があがった。
アウルには「軽く力を見せてほしい」と事前に頼んではいたが、自分の姿でこんなことをされるとは思っていなかったので少々頭が痛い。
しかしアウルのおかげで生徒たちの気分の盛り上がりは上々で、上手く興味を持ってもらえたまま授業に移れそうだ。
ウィストールは「ェエヘヘヘェン」と子ヤギの鳴き声のような下手くそな咳払いをして、自分に注目を戻した。
「今日みんなに知ってもらいたいのは、魔物と人間の価値観の違いについてです。――アウル」
「あいあいさ!」
背の高いヴィクター・アウルが教卓の横にテーブルをセッテングし、アリソン・アウルがその上に、とあるものを置いた。ウィストール・アウルはそれを掌をひらひらさせながら「パパーン」と披露しているが、その役が必要だったかは謎だ。
テーブルに置いたのは、紙幣の山と、空っぽの木の箱。それを示して生徒たちに問う。
「みんなは、このお金の山と木の箱、どちらかをあげると言われたらどちらを選ぶ? ああ、言わなくてもいい。心の中で考えて」
生徒たちの目線が紙幣に集まり出したのを確認して、ウィストールはアウルに目配せした。
ヴィクター・アウルがどこからともなく鞄を取り出して開く。
その途端、中から飛び出して来たのは数匹の小さな魔物たちだ。掌サイズの黒い綿毛に目玉のついたような、そこらによくいる低級の魔物である。
「彼らは、チョコレートと引き換えに協力を頼んだ魔物たちです」
この学校には、小さな低級の魔物がうようよいる。校歌の替え歌には、こんな文句もあるくらいだ――「掃いて捨てるほどいる魔物、引き出しにお菓子を入れるな、勝手にむしゃむしゃ食われるぞ!」。
三人のアウルが、低級の魔物たちに手際良くニャンダフォウ・ワンダフォウを着けてゆく。中級以上の魔物は人間の言葉を繰るものもいるが、低級はそれができない。そのため、今回はニャンダフォウ・ワンダフォウを着けて生徒たちにもわかりやすく意思の疎通を計ろうというわけだ。
魔物たちは丸い目で教室内を見回しながら「ちょこはうまい」「やぶさかではない」と口々に言い、わらわらと教卓の上に集まってきた。
ウィストールは魔物たちに目線を合わせながら、先程と同じ質問を投げる。
「君たちにこのどちらかをあげる。どちらがほしいかな?」
魔物たちは歓声をあげながら、木の箱に飛びついた。
「おお、ゆめの屋根つきマイホーム!」
「寝床にぴったり!」
「リッチである!」
教室に笑いが起きた。
期待通りの反応をしてくれたことに半ば安心しながら、「ほらね」とにっこりする。
「このように、人間が価値を感じるものを魔物が同じように思うとは限らない。宝石も彼らからすればただの光る石だし、紙幣なんてただの紙。アウル曰く金貨だって『ぴかぴかメダル』だ」
魔物たちは木箱の中で「ちょこまだ?」「快適である」とくるくる転がっている。
「協力ありがとう」とチョコレートを銀紙から剥いて配ろうとすると、魔物たちはなぜか銀紙ごとチョコをもらいたがった。そして、銀紙の方を大切そうに抱きしめる。
彼らの感覚は、未だに理解できないことばかりだ。
「魔物と対話するためにも、ともに生活する上でも、価値観の違いを知ってゆくことは欠かせない。今回、最も伝えたいことは――」
にこにこしているアウルの横で言うのは気が引けるが、魔物の可能性に期待ばかりを抱いている生徒たちに向けて、こればかりは伝えておかねばならない。
「――魔物を信用しきってはいけない。どんなに都合の良い言葉を使って笑顔を振りまいてきたとしても、常に警戒すべきだ。僕も、幾度も恐ろしい目に遭ってきた。契約初期のアウルに、勝手に霊域に閉じ込められたりね」
隣でアウルが「んえええ!?」と大口開けて叫びながら、ひん剥いた目でこちらを見てくる。
「僕はただ、きみを幸せにしてあげたくて。親切心だったのに!」
「そう、親切心――つまり善意なんだ」
やはりアウルは、未だに悪いことだとは認識できてない。今はただ、主人が怒るからやめているだけだろう。
教室の隅で、リインも頷いている。彼も相当苦労したらしい。
「気をつけないと、彼らは良かれと思って人間を殺すくらいのことはしでかす可能性がある」
まだまだ経験談は尽きないが、これくらいで良いだろう。主張が伝わったようで、生徒たちの表情が強張っていたから。
一方、三人のアウルは不満げに頬を膨らませ、分身同士で喧嘩を始めてしまった。やがて兄とウィストールの姿の分身は、アリソン・アウルに頬を叩かれると、弾けて消えてしまった。
ウィストールは重くなりかけた教室内の空気を和ませるように、ぽんと手を打って明るく話した。
「でも警戒を続けるというのは、良く言えば、相手と自分は違うという当たり前のことを意識して、相手を慮り続けるということでもある! それは刺激的で、楽しいこと、で……」
視界の隅で、シャンタナがリインに何事かを耳打ちするのが目に入る。通常なら気に留めないが、リインが突然立ち上がったので、つい言葉を止めた。
「ど、どうしたのかな?」
ざわつく教室内で、リインが険しい顔で低く言う。
「何か来るぞ」
「へ?」
間抜けな声を出すと同時に、教室がふっと暗くなる――窓からの陽射しが巨大な影に遮られたのだ。窓の方を見て、教室にいた全員が息を飲んだ。
ぎょろりと大きな目で覗き込んでくるのは、虎のような獣。
巨体は窓枠からはみ出し、背からは翼。辺りに嵐のような風が吹き荒れていた。
「……え、魔獣?」
ウィストールは思わず教科書を落として呆けた。
突然のことに思考が追いつかない。
獣が咆哮し、窓に突進してくる。
教室が揺れるほどの衝撃とともにガラスに亀裂が走った。
「きゃあああ!」
ついに阿鼻叫喚が渦巻き、みな窓辺から転げるように離れた。
「あわ……」
ウィストールは混乱する頭を叱咤し、すべきことを思考する。
ここは教師として、大人として、生徒たちを守らなくては!
杖を床に突き立て、魔力を込める。青い魔力光が杖を伝い、窓ガラスを補強するように青い光の壁が現れた。
防護結界だ。内側にいる限り、よほどのことがない限り安全だ。
そこへ、キンキン声の校内放送が飛び込んでくる。
「魔獣学の授業中、ベギちゃんが脱走しました! 校内のどこかにいます! 避難して! どこかに!」
獣は、学校の管理下にあったようだ。
無事に戻してやりたいが、獣は興奮して暴れ続けている。このままでは危険だ。
「ウィズ、どうする?」
アウルが余裕綽綽の顔で覗き込んでくる。きらりと光を宿す目には、期待が込められている――「さあ、僕に命令して」と。
乾いた喉で無理やり唾を飲み込み、告げる。
「アウル、黄金の昼下がりを! でも……加減して、絶対!」
「きみのお気に召すままに!」
アウルが狂気的に目を光らせ、口端を吊り上げる。
同時に、アウルの周囲が金色に輝きだした。
空気が震え、アウルの魔力が肌を刺すように満ちてゆく。
獣は怯えたように喉を鳴らしたが――表情は、徐々に和らいでいった。
「君の楽しいことは何かな? いちばん輝く思い出は?」
アウルが夢見るような調子で獣に語りかけ、目を閉じる。
獣は言葉を返さない。しかしアウルは、心の声でも聞いているように頷いた。
「……ボール遊びが好きなんだ。じゃあ、その夢をみよう」
獣が、アウルから溢れた金の光に包まれる。
体からも力が抜けてゆき、やがて温かな母に抱かれた子猫のように鳴いて、ゆるゆると下降していった。
「バイバーイ」
アウルがにこやかに手を振る。
生徒たちは一斉に窓辺に駆け寄り、獣の行方を目で追う。
地上には作業着の男と校長がいて、獣を捕らえようと杖を構えていた。
ずうん、と重い振動が響き渡るとともに獣は地に降り、やがて大きな檻に入れられて運ばれていった。
校内放送は「……えっ? 捕まった? 今? やったー」と気の抜ける言葉で途絶えた。
「――幻。それがあなたの力でスか」
シャンタナが静かに呟くと、アウルは「エッヘン」と胸を反らした。
シャンタナは慧眼だ。アウルは幸福な幻想を見せることを得意としている。本来はその力で魂ごと霊域に封じることすらできるが、今回は軽い幻と催眠程度だろう。
この場では最適な解決方法であったと思う。生徒も無事だし、獣も必要以上に傷つけずに済んだのだから。
ウィストールは冷や汗を拭いながら、騒がしい教室を見回す。
生徒のほとんどが窓辺で騒いでいる中で、ひとり床に座り込んだまま青ざめている女子生徒を見つけた。
ウィストールは少女のそばにしゃがみ、へにゃりと笑う。
「びっくりしたねぇ。大丈夫?」
「わた、私、猫が……苦手で」
まだ気が動転しているようだ。
ウィストールは「内緒だよ」と囁きながら袖口からキャンディを取り出し、こっそり握らせてやった。
「後で食べて。うちの店で人気のキャンディでね、食べると三分間、指三本分だけ宙に浮くんだ。きっと楽しくなる」
「ええ? ふふ、なんですかそれ」
少女の頬に小さな笑みが戻るのを見て、ウィストールもようやく安堵の息をついた。
なぜかアウルがにやけながら見つめてきて、あたりの生徒たちに耳打ちしまくっている。
「見た? あれ、僕のウィズ! ねえ見た? 僕のウィズ!」
……恥ずかしいったらありゃしない!
ふと、獣が暴れた付近の窓枠に何かが引っかかっているのを見つけ、手を伸ばす。
「痛っ……」
触れた指先に、強力な魔力反応が走る。
そこにあったのは、手書きの楽譜の切れ端だった。
❧ ❧ ❧
「魔術学校はいろんなことがあって面白いねえ」
波乱万丈の初回授業を終えた放課後。学校の東棟にもらった自室でウィストールはのんびり言う。
ティルダが友人を連れて訪ねてきたので、お茶会をしていたのだ。
魔獣脱走事件についてをざっくり片付けた発言は、ティルダと、友人である派手な髪色の少女に「いやいやいや」と否定された。
「あんなの滅多にないって。毎週誰かが魔術薬を爆発させて教室をピンクにするくらいで」
「どこかのクラスの転送術が失敗して大量の魚が降ってきたりもね」
……うん。ハプニングは日常茶飯事らしい。
今日の事件も、なぜか突然、学校管理下にいた動物たちが暴れ出したのだとか。
アウルが「楽しくなりそ!」とおどけた。
ティルダの隣でカップを傾ける少女は、ルシミア・アヴェスティン。
静かでクールな印象の反面、話し声は可愛らしい。だがきびきびした動作と鋭いオーラは、まるで兵士の雰囲気だ。
根っこが自由奔放なティルダとは正反対のタイプに見える。お互いに良い刺激を与えられていたら、これほど嬉しいことはない。
実際、ティルダが学校から送ってくる手紙にはいつもルシミアといて楽しかったことや、尊敬している部分がたくさん綴られていた。休暇中も彼女の別荘にお世話になっていたそうだ。
しばらく4人で、いろいろと話し込んだ。
アウルもルシミアを一目で気に入ったようで、「その月桂樹を被った月のように素敵な髪の色はどうやっているの」とか「タルトはイチゴ派? 洋梨派?」などと話しかけまくっていた。
ウィストールも、ルシミアを困らせないようある程度アウルを制御しながら、愛娘たちとの会話を楽しんだ。
やがて会話の切れ目に、ティルダはちらっとこちらを伺うように見てきた。
「そうだパパ、頼みたいことがあって……」
「なんだい、なんでも言ってごらん」
「ピアノのレッスンを再開してほしいんだ……」
思いがけぬ申し出に目を丸くする。
幼い頃はよく一緒にピアノを弾いていた。ピアノと魔術が、ティルダとの共通の話題でもあった。だがティルダの興味はこの学校へ通い始めた頃から魔術の方に偏り始め、いつからかともに弾くことは少なくなっていた。
寂しくはあったが無理強いさせることでもないので、こちらから誘いはしなかったのだが、まさかティルダの方から言い出してくれるとは。
「弾きたい曲でもあるのかな? いくらでも付き合うよ」
「やった、ありがとう! じゃあ、明日からよろしく!」
ティルダはぱっと笑顔になると、意味ありげにルシミアと目線を交わした。――なんだろう?
ティルダはそのまま、「私、用事あるから行くね!」と妙にそわつきながら席を立った。
ルシミアはティルダにグッと親指をあげて見せたと思うと、こちらに向けて、
「私はもう少しここにいていいですか」
と言ってきた。
「それはもちろん」
「ありがとうございます。ではお茶を飲み終えてから、退散させてもらいますね」
ルシミアはそう言って静かにカップに口をつける。
ウィストールはアウルと揃って首を傾げ、慌ただしく出て行った愛娘の後ろ姿を見送った。
「……あの」
ルシミアが意を決したように話しかけてきた。
「お二人は、もしかしてずっと昔に契約をしたんじゃないですか?」
「まあ、ね」
「今おいくつなんですか?」
「秘密だよ」
誤魔化し気味に答えるが、ルシミアは訝しげに見つめてきた。
この子はなぜそんなことを気にするのだろう? 友人の父親の歳なんてそこまで気にすることだろうか?
「それより、爆発プリンでも食べない?」と話題を逸らそうとした。「ちょっと前に流行ったよね。知っている? カップの後ろをプチッとすると出来立てみたいに温まるんだよ。温まり過ぎて爆発しちゃうから、30秒以内に食べなくちゃならないけれど……」
「ちょっと前? 流行ったのは、15年以上前だと聞いてます」
「あれ、そうだっけ」
えへへー、と笑いながら頭をかく。
永く生きすぎて時間感覚がおかしくなっていて、15年前なんてひと月前くらいの感覚だ。
ルシミアはさらに目を細めてこちらを見ている。
そこへ、アウルが助け舟を寄越した。
「僕たち田舎でのんびりしすぎちゃったみたい。これから上手くやっていくために、若い子たちの流行りを知っておきたいなあ」
「そ、そうだね! 教えてくれないかな?」
すると、ルシミアは奇妙なことを言い出した。
「ささやきの書を見つけるといいですよ」
「――ささやきの書?」
思わずアウルと顔を見合わせる。アウルも初耳らしい。
「それって何?」
「この学校では欲しがる人のところへ、必ず現れるものです」
もう少し質問したかったが、ちょうどそこでルシミアのカップは空になった。
「ご馳走様でした。では、失礼します」
ルシミアは丁寧にお礼を言うと、まだおしゃべりしようと誘うアウルを断って部屋を去ってしまった。
第6話め以降は、1話ずつ毎日18時に更新予定です。
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