記録22 朝にはお砂糖たっぷりの紅茶をいれてあげましょう
「あああああああッ――」
己の存在を音楽として奏でられながら、動物の謝肉祭――カミーユは牙をむき、恐ろしい咆哮をあげた。
「やめろ、やめろやめろやめろ! 俺を聴くな! あいつとの思い出を鑑賞するな! これは俺たちだけのものだ!!」
哀れなほどに取り乱し、怒り狂い、膝をつく様は通常は同情を誘うのだろうが、その言葉はそのまま今までの彼の行動に突き刺さるものだ。
ウィストールは、流れている音楽の中に知っている旋律が混じっていることに気づいた。
魔獣脱走事件の際、窓枠に引っかかっていた楽譜と同じだ。
――あの脱走事件は、カミーユの仕業だったのだ。ワンドリールに、秘密のメッセージを送ろうとして――……。
一方、客席の動物たちは美しい演奏に対して歪な拍手を送っている。
彼らにとっては指揮者が誰かなんて些細なこと。美しい音楽を聴ければそれで良いのだ。
あまりにグロテスクな状況に吐き気を催す。
それはティルダも同じらしく、指揮棒を握ったその手を震わせ、曲の演奏を止めさせた。
しんと静まり返った劇場の中で、カミーユは怒りと屈辱に体を震わせながらティルダを睨みあげた。
「許さない……許さんぞ小娘! 霊域を解けば、お前の指揮者特権も終わる。そして一息でお前を殺してやる!! もう音楽にするなんて猶予も与えてやるものか!!」
舞台の幕が降り始め、劇場内の明かりが端から消えてゆく。霊域が閉じられようとしているのだ。
どんどん暗くなってゆく中で、ティルダは毅然と言った。
「そんなことさせない!」
ティルダは素早く指揮棒でルールを書き足していく。
劇場ルール11・指揮者の許可なく閉幕禁止!
カミーユは今度こそ情けない絶望の声をあげた。
劇場内の明かりがほとんど消えた暗闇の中、ティルダとカミーユだけがスポットライトの真下にいるように切り取られていた。
ティルダは油断なく指揮棒を握り締めたまま、もう片方の手をカミーユに差し出す。
「私と契約して、カミーユ」
それは、人間が一生を狂わせかねない言葉だ。
ウィストールはかつての自分を思い出し、声にならない叫びをあげた。
「だ、だめだ、ティルダ……!」
声はほとんど隙間風のようにしか出ず、ティルダたちには届かない。
カミーユはティルダの差し出す手を見て乾いた笑い声をたてた。
「はっ、誰がそんなこと……!」
「このままあなたを聴ききってもいいのよ!」
「ぐ……」
カミーユはがっくりと力なくうなだれた。
やがて「……条件は」と呟いた。
「え?」
「条件はなんだ、と聞いたんだ。こんな状態とはいえ、俺を使いたいと言うならそれなりのものを貰わないとな。さあ、何を差し出す。目か? 心臓か? まあそんなものにさして興味もないが。な、無理だろう? お前みたいな小娘に差し出せるものなんてありゃしない」
カミーユの目はずるく光っていた。ティルダが怖気付いて断るか、あるいは高い代償を払わせて有利な契約を、と狙っているに違いない。
ウィストールが再び制止の声をあげる前に、ティルダは言った。
「朝八時から午後六時までの勤務。毎日のランチと週に一度のお休み、私のお小遣いの三分の一をあげるわ。それから、朝は紅茶をいれてあげる。たっぷりのお砂糖つきでね」
「…………は?」
「あ。コンサートがあったら、たまに連れて行ってあげてもいい。あなたは音楽が大好きなんでしょ」
「……」
「その代わり、私の頼みをきいてもらう。これでどう?」
これにはウィストールも、当のカミーユも口をぽかんと開けた。
流石はアウルを親の一人に持つだけはある。この型破りはアウル仕込みだろう。
「……待て、待て。言いたいことはたくさんあるが……。まず、あれか? 勤務制なのか? 人間みたいに、給金をもらって……?」
「うん。だって、四六時中誰かに仕えるなんて疲れるでしょ?」
「……は……」
カミーユは突如、耐えきれないというように笑い出した。
「ハハハ、こんな型破りな嬢ちゃんだったとは! これは一度聴いただけじゃあ読み取れなかったな!」
彼はしばらく愉快そうに笑い続け、やがてハーアと疲れ切ったため息をついた。
「ひとつ言っておく。俺は人間の飲み物なら、紅茶よりはワインが好きだ。金曜の夜には、午後5時には上がらせてくれ。この国のラジオで気に入った番組があってな」
「え?」
「面倒だから、誘いを受けてやるって言ったんだ。しばらくの暇つぶしがわりに、付き合ってやる」
「本当?」
「ああ。2番と7番の寝首も掻けそうだし、考えてみりゃあ悪くない立ち位置だ」
「それってパパたちのこと? そんなこと、私がさせないけどね。……じゃあよろしく、カミーユ」
カミーユがティルダの手を取ろうとした。
少女と魔物の手が、ゆっくりと近づく。
そして、今まさに手が合わさろうというとき。
カミーユの胸から何かが突き出てきた――おびただしい血とともに彼の胸から飛び出していたのは、空色の鋭い剣――いや、魔力を纏った、剣のような杖だった。
カミーユは口からごぽっと血を吐き出し、何が起きたのかわからないといった目で自分の胸を見下ろした。




