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きみとの3456年――記録の魔物と詠魂曲  作者: 万木きるしゅ
第六章 劇場へようこそ
21/27

記録21 動物学的大幻想曲

挿絵(By みてみん)

第一楽章 「少年と、人間嫌いのひねくれや」



 空気のよく澄んだ、月が美しい夜だった。俺の羽は、凍えるような冬の風を切っていた。

 ふとうずたかそびえる高い石造りの塔を見つけると、羽休めにちょうどいいかとその小さな窓辺に降り立つ。ただの気まぐれだった。


 塔の中の小さな部屋は、月明かりが唯一の光源らしい。俺が窓にとまったことで、部屋は俺のシルエットに切り抜かれて暗くなった。


 痩せた金髪の少年が、静かにこちらを見ていた。それまで膝の上にかかえた紙切れに何かを書き付けていたらしいが、その手も完全に止まっている。


 俺は部屋と少年を観察して、いぶかしんだ。この塔は人が生活するような造りをしていない。人間の生活にはうとい俺でも、それくらいはわかる。狭すぎるし、暗すぎる。冬の寒さを超えるための暖炉もなく、少年は白い息を吐いて震えている。

 それに――。


 床に積まれている汚れた食器を見て、俺は気づいた。

 ああ、こいつ、虐げられている人間だ。ここに監禁され、弱って死ぬのを待たれているのだと。ここは殺人の現場だ。これだから人間というやつは、つくづく醜い。


 やがて少年は、不思議なほどに穏やかに言った。

「こんばんは、白鳥さん。でもきみは、ただの白鳥じゃないね。魔物かな」

「――なぜ、そう思ったんだ?」

 人間に正体を見破られたのは初めてだったので、多少の興味をそそられて人間の言葉で返してやる。

 少年は流石に驚いたように目を見開いたが、すぐに平静を取り戻すと、手元の紙に何かを書きつける作業を再開して答える。

「このあたりの白鳥は、みんなずいぶん前に南の方へ飛んでいったのを見たよ。この寒さでは、湖だって凍っているだろう。普通の白鳥なら死んでしまっている。なによりきみの目は、理性的にこの部屋を観察していたからね」

「なかなか聡い人間じゃないか。だからこそ人間の群れから追われたのか?」

「……どうだろうね」


 少年は寂しげに微笑み、そして咳き込みはじめた。

 俺は苦しげに咳き込んでいる少年を冷めた目で見つめた。

「なあ。おまえ、気づいているだろう。おまえに出されている食事には毒が仕込まれているぜ」

「そうだね」

 少年は胸を抑えて喘ぎながら頷いた。

「気づいていても、どうしようもないんだ。飢えるか、いずれ毒で死ぬか。いっそきみのいる窓から飛び降りるか。僕にはそれしか選択肢がない」

「――哀れなやつ」


 俺はこれ以上人間の醜さを見たくなくて、窓から飛び去ろうとした。こんなふうに、飢えてもないのに同族をおとしめるのは、人間だけの特徴だ。


 すると少年は初めて慌てたような声を出す。

「待って! どうかもう少しそこにいてほしい。きみの姿を見ていると、新しいアイディアが浮かびそうなんだ」

「アイディア? ……よくもそんなことが言えるな。俺が怖くはないのか」

「そんなに綺麗な白鳥の姿をしているのに、きみは怖い存在なのかな」

「俺は様々な姿をとることができる。獅子となり、おまえを噛み殺すことだってできるんだぞ」

「獅子!」

 少年は声を弾ませ、目を輝かせた。

「わあ、すごいな。獅子の姿は絵姿でしか見たことがないんだ。家の紋章にも獅子が入っているのにね。ぜひ、見せてくれないか」

「……」


 俺は呆れて言葉が出なかった。俺も意地が悪いが、人間の言うことを聞いて素直に獅子の姿をとるのはしゃくだ。

 だから俺は少しばかり脅かしてやるつもりで、人間の姿をとって部屋の中に入ってみせた。


 少年は、まるで俺のことを月か何かを見るように、眩しそうに見上げていた。

 やがて、やはり穏やかな声で言うのだ。

「綺麗だね。やっぱり、人間よりも綺麗だよ」


 人間の姿をとったというのに、変なことを言う。


 俺はずかずかと部屋に踏み入り、少年の書いていた紙を覗き込む。少年は隠そうともせず、素直に見せてきた。


 それを見て、俺は思わず弾んだ声をあげた。

「おい、おまえ。これは楽譜か!」

「うん」

「自分で書いているのか?」

「そうだよ。興味ある?」

「おお、見せてくれ!」


 俺は少年から紙束を受け取り、夢中になって線の上に描かれた音を追った。

 荒削りだが、瑞々しい音の連なりがここにある。そしてどこか儚い。例えるなら――そう。まるでこの塔から見える灰色の森と、暗い湖のような低彩度の情景の音。これはこれで悪くない。


 俺が楽譜をめくるのを、どうやら少年はじっと眺めていたらしい。横からそっと「音楽が好きなんだね」と言ってきた。

「当たり前だ! なにしろ俺は……」


 ついぺらぺらと自身のことを語りそうになったが、口をつぐんだ。人間相手に、自分の情報を開示する必要はない。


 たしかに、俺は音楽が好きだ。むしろ、俺の存在意義は音楽そのものと言ってもいいだろう。

 人間のことは嫌いだが、人間の紡ぐ音楽は良い。性根の腐った人間でさえ、音楽に変えてしてしまえば案外深みのある音を出す。ああそうだ、人間は楽器としては優れている。


 むしろ皮肉なことに、『()()』の概念を司る俺は、人間が芸術に耽らなければ生まれなかっただろう。俺の持つ力も、何かを音楽として形容するという、いかにも人間めいたものだ。

 いつぞや人間に紛れて美術商をやっている魔物に「君はもっと人間と関わるといい。そうすればもっと良い音楽を紡げる!」と知ったような口をきかれたが、未だ心を開く気にはなれない。


 それでもこの少年には、親近感すら覚えた――おそらく、この少年も人間が嫌いなのだ。寒い塔の中で孤独に楽譜を書く人間嫌いの少年に、興味が湧いた。


「アイディアと言ったのは、作曲のか?」

「まあね。読書と作曲が僕のささやかな楽しみだよ」

「そうか。なら、今日からしばらくここへ通ってやろう。その代わり、曲が完成したら俺に見せろ」

「もちろんいいよ」

 少年は嬉しそうに笑った。





第二楽章 「百八十七の夜」



 それから数日、俺は夜になると塔を訪れた。

 少年は変わらず穏やかに話しながら、時折俺を眩しそうに見つめ、楽譜を書き進めてゆく。


 その間にも、少年は少しずつ弱っていった。毒もそうだが、この冬の寒さが特にこたえるだろう。あるときは、良い旋律は浮かぶのに手がかじかんで動かないなどとのたまうものだから、仕方なく羽毛で温めてやった。


 少年の紡いでゆく音楽は、独創性に溢れていて良いものがある。

 ――このまま死なせてしまうには惜しい。そう思いはしたが、俺は人間たちのいざこざに巻き込まれるのも嫌だった。


 だがこのまま毒か寒さで死なせるくらいなら、最後にこいつを演奏して、人生の音楽を聴いてやろう。きっと胸を打つ昏く悲しい旋律となるだろう。


「待って」

 俺が指揮棒を手に取ると、咳き込んでぜえぜえと喘ぎながら少年は一つの提案を口にした。

「勝負をしよう」

「勝負?」

「そう。謎かけや、作曲。それで勝負をしようよ。勝ったら僕と友だちになって。そして、獅子の姿を見せてよ」

「……暇つぶしにはなるだろうが、それで俺には何の得がある。俺が勝ったら、何をくれるんだ」

「僕の魂を」

 少年はやつれた顔の中で、目だけは真剣にこちらを捉えていた。

「魔物がどういうものを欲しがるのか、僕は知らない。でも、僕の体も魂も、好きにしていい」

「魔物を、悪魔か何かと勘違いしていないか?」

「かもね。……それに、僕はきみといい勝負をする自信があるよ」

「へえ、よく言ったな」


 俺は少年の提案を飲んで、勝負をしてやった。


 連続で二敗したほうが、相手の言うことを聞く――そんな勝負だったが、簡単には終わらなかった。半年ものあいだ、謎かけと作曲の勝負は続いた。俺が勝った翌日には、必ず少年が勝つ。そしてその後は俺が勝つ。そんなことを繰り返して。初めのうちは、もはや意地だった。俺はこいつに圧勝してやりたかったのだ。


 そしてそのうち、勝負そのものが楽しくなっていた。引き伸ばしたくて、ごくたまに、わざと負けてやるくらいには。


 俺はこいつのよく回る頭と、作曲の才能に惚れ込み始めていた。俺が難解な謎を出すほど、俺が美しい曲を作るほど、少年はぐんぐん成長してそれを超えてゆく。あいつの生み出す、俺には決して作れないものが、好きになっていた。


 もっと良いものを生み出させたくて、ついに塔の小さな窓から少年を連れ出した。白鳥よりも大きな鷹となり、背にのせてやったのだ。


 少年はしきりに歓声をあげて大手を広げ、眼下に過ぎ去ってゆく森や湖を眺めた。塔の外の空気を肺いっぱいに吸い込むことが嬉しいらしい。


 その晩の少年が作った曲は、ひときわ情景が浮かぶようだった。

 なんだ、もっと早くにこうしていれば良かった。


 それから俺は、よく少年を背にのせて連れ出した。時には湖のほとりで湖面に映った星を見つめながら語らい、時には大樹のウロでフクロウの声を聞き、時には村の家々の連なりを眺める。

 俺は人間の営みは嫌いなのであまり村には近づきたくなかったが、少年がどうしてもと言うので人間の姿をとり、教会の聖歌隊の練習風景を見にいったこともあった。明け方の光がステンドグラスから差し込んでくる教会の中に響き渡る歌声は、うん、まあ、素晴らしかった。


 ――楽しかった。


 百八十七の夜を超えたとき、ついに勝負はついた。


 少年が紙の上で奏でた一曲。五線譜を見ただけで曲は脳裏に流れ、情景が浮かんだ。弦楽器の音は、時折鳥の声を模倣する。

 タイトルを聞かずともわかる――これは、俺と初めて夜の空を飛んだときの景色だ。あの日の空気の匂いと温度だ。


「――負けだ」

 俺はそう言わざるを得なかった。これで二夜連続で俺の負け。百八十七夜にして、やっと勝負がついた。完敗したと言うのに、俺の心は躍動していた。

「約束通り、おまえと友人になってやるとしよう」

「僕ときみはもう友人だった。そう思っていたけれど、違うかな」

「どうだろうな」

 少年は人間の子どもらしい笑みを浮かべた。

 そして「約束はこれだけではないよ」と急かすのだ。

「さあさあ早く。獅子の姿を見せてよ!」


 少年に請われるまま、俺は獅子の姿をとって見せた。俺の気に入っている姿のひとつだ。普通の獅子より数倍は大きいので、狭い塔の中は俺で埋まってしまう。少年はほとんど俺に押し潰されるようになりながら、しきりにわあわあと歓声をあげて俺の毛並みとたてがみを撫でた。


「絵姿から想像していたより、ずっとずっと威厳のある姿だ! でも、この『たてがみ』というものがこんなにも柔らかいだなんて。針金のような質感だとばかり」

「不満か?」

「まさか! きっと噂に聞く『最上級のサテン』なるものでも、この撫でごこちには敵わないだろうね」


 悪い気はしなかったので、その日は少年が満足いくまで撫でられてやった。




第三楽章 「カミーユという男」



 かくして俺と少年は、正式に友人となった。

 友人となったからには、この少年の周りの事情にも介入してやることにした。すなわち、少年を閉じ込めて死に追いやろうとしている人間たちを、残らず排除してやったのだ。別に、殺してはいない。楽譜や音楽にしてやってもよかったのに、少年がしきりに止めるので、仕方なく追い出すまでに留めた。


 多少それらしい言葉を口にして、爪や牙を見せつけてやれば簡単なこと。首謀者の義理の母親とその息子は、真っ青になって城から飛び出して行った。


 城の人間どもは、手のひらを返して口々に言った――「賢く、獅子にも選ばれた若さま!」「彼こそが次の当主にふさわしい!」と。

 よく言うよ、それまで少年の境遇を知りながらも助けなかったくせに。


 そんな俺の苛立ちを知ってか知らずか、少年はただ喧嘩に勝ったかのように言うのだ。

「演奏会を開こう! 僕らの曲も演奏しようよ!」


 数日準備をして、領民を大勢招いて演奏会を開いた。『領民たちを驚かせてしまった詫びと、新しい次期当主のお披露目』という名目で。

 本当は、久しく楽譜の上でしか音楽を嗜めなかったから生演奏を聴きたいという本音のくせに、賢いあいつはそういう建前づくりがうまかった。


 人間も動物たちも互いにぎこちなく並びながらも、演奏が始まると誰もが静かに目を閉じた。

 鳥たちの羽音と弦の調べが重なり、月明かりが譜面を照らす。

 鼻先でリズムをとる鹿、涙を浮かべる老犬、そして微笑む子ども。そのすべてが、旋律の中で一つになっていた。

 たった一夜の夢だったが、それでも世界はあの夜、美しかったのだ。


 そうして、少年は次期当主となった。俺は護衛も兼ねて人間の姿をとり、そばに控えてやった。

 みなの前で俺を呼ぶのに名前がないと困るというので、好きに呼べと言うと、「カミーユ」という名前をくれた。由来を聞くと、少年が好きだった音楽家からとったという。俺の本当の名はそれとはまったく違うが、少年に呼ばれて数日経つ頃にはこの名の響きも気に入った。

 少年のそばで城で暮らした日々も悪くはなかった。


 そうして、春が二度ほど過ぎた頃。首都にある学校に通うことになった、とあいつは言った。時期当主とやらになるために城を出て勉強しなくてはならないようだった。すでに賢いのだから必要ないと思ったが、人間の考えはどうも違うらしい。


「この学校は9年制でね。自由なきみを人の多い都会に縛り付けてはあんまりだ。しばらくは自由にしていてよ」

「9年なんてあっという間じゃないか。俺も一緒にいてやってもいいぞ」

「魔物は学校に通えないんだよ」少年は悲しげに言った。「それにきみは、まだ人間の挙動が下手だし。人間は自分の身嗜みを整えるとき、舌で舐めたりしないんだ」

「それは言うな、もともとあまり興味はないんだ。まあいい。それなら、また旅にでも出るかな」

「いいね! もっと広い世界の音を聞かせてほしい。きみが見た世界を音楽で表すと、とてもとても綺麗に思えるんだ」

「そうだな。なら、また勝負でもするか」

「何の?」

「俺は旅の中で、大作を書き上げてみせる。おまえも、学校とやらの中でせいぜい良いものを生み出してみろよ」


 少年は快活に笑った。

「わかったよ、カミーユ。楽しんできて! それから……僕が勉強しているあいだ、きみももう少し、人間について勉強しなよ」

「ン、まあ、それは考えておこう」


 別れるとき、少年がかつてのように寂しげな笑みを浮かべたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。


 俺はあらゆる世界を渡り歩いた。凍えるような森、燃えるような海辺。そしてたびたび人間の村や街を訪れるのも、以前よりは抵抗がなくなった。


 なあ、雨や雷の音を、おまえもよく塔の中で聞いただろう。湿っぽくて冷たいおまえの土地ではどこか鈍く、狼の腹の音のように聞こえるあの轟きは、砂漠の方じゃあガラスを割るように鋭く聞こえるんだぜ。いわば土地の空気の音だ。場所によって、こんなにも違うんだぜ。


 面白いよな。楽しいよな。

 おまえの顔を浮かべながら巡る世界は、こんなにも色鮮やかな音がする。


 おまえにも見せたい。聴かせたい。

 少しばかり遅くなったが、おまえはそろそろ学校とやらを卒業したのだろうか。


 会いに行くよ。

 おまえも、おまえの音を、経験を聴かせてくれ――。


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