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きみとの3456年――記録の魔物と詠魂曲  作者: 万木きるしゅ
第六章 劇場へようこそ
20/27

記録20 決定的な名前


 歌っているのはティルダだ。意識を取り戻したらしい。

 すでに体の半分以上が消えているが、薄緑の目で動物の謝肉祭を見据えて歌っている。

 ティルダが音を口ずさむたび、そばに浮く杖から閃光が飛ぶ。

 杖に、特定の音程で発動する魔術のショートカットを仕込んでいたのだろう。


 動物の謝肉祭は、穴の開いたコートを撫で上げて元どおりに直すと、「なるほど」と呟く。

「私語は禁止だが、歌は禁止とは言っていない。劇場だしな。はっはあ、これは盲点だった。付け足しておこうか」

 動物の謝肉祭は指揮棒で空中に文字を書いた。



 劇場ルール10・指揮者の許しなしに歌ってはならない。



 ティルダが「んっ」と声をあげて歌うのをやめた。しかしその目はまだ敵意を宿して動物の謝肉祭を睨んでいる。


「諦めな、嬢ちゃん。劇場においては指揮者こそが最高権力者で独裁者なんだよ」


 ウィストールは胸が張り裂けそうなほど叫びたくてたまらなかった。

 ティルダのアイディアは良かったが、こうもあっさり封じられてしまっては手詰まりだ。


 ところが、ティルダは自らの力を急速に奪われながらも「あなたは、強すぎる」と口にした。

 ウィストールは何か意図があって敢えて話しているのだと直感的に悟り、ティルダの言葉に耳をすませた。


「そうだろうとも」動物の謝肉祭はあっさり言った。「人間と俺とでは比べものにもならないだろうよ」


「でも――なんでもありだなんて、ありえないわ。そういういうのって、たいてい条件付きだもの。でしょう、指揮者さん」


 ティルダの言わんとすることがわかり、はっとした。


 ――この魔物の倒し方がわかった。


 ただの一度でいい、もう一度攻撃する必要がある。

 しかしティルダも自分も余力がない。できるとすればアウルだ。

 すぐさまアウルに目配せする。二千年連れ添った相棒は、それだけでこちらの意図を理解してくれた。

 アウルの指が、微かに一本立てられる――「一度だけならいける」ということだろう。


 動物の謝肉祭は余裕を持って構えているようで、その実は一分いちぶの隙もなくこちらを警戒している。下手に動けばあっさり音楽にされてしまうだろう。


 絶体絶命の今になって頭が冴え渡り、もうひとつ切り札を持っていることに気づいた。

 グリーンスリーヴスが例の記述を見せてきた()()()()()を悟ったのだ。


「動物の謝肉祭。最後に聞いてほしい……」

 掠れた声で呟くと、動物の謝肉祭は勝ち誇った笑い声をあげてそばへ来た。

「遺言か、いいだろう。書き留めてヤギの餌にしてやるよ」


 彼がこちらの口元に耳を近づけてきたとき、ウィストールは決定的な言葉を囁いた。



「……()()()()()()()()()()()()()



 その名前を出した途端、動物の謝肉祭の瞳孔は獲物を見つけた獣のように縦に狭まった。


 その名は、国立図書館にまで出向いて調べ上げたものだ。

 結果的に()()()()()()()()()()()()()()()()()()まで見つからないほどに、その名はただ一つの些細な資料にしか残っていなかった。

 図書館の地下深くにまとめて保存してあった、当時の手紙。

 そのただ一枚の手書きの紙ペラを探すために、どれほど苦労したことか。


 しかしその名は、動物の謝肉祭を動揺させるための武器となった。


「ワンドリール。それが君が仕えた主人の名だ。そして君はカミーユと呼ばれた男だね。彼が領地の次期当主となったあとに、急に現れて側近になった男だ」


 動物の謝肉祭――カミーユは、獣の目を揺らがせてウィストールを見つめ返した――その目は「なぜそんなことを知っているんだ」と言わんばかりだったが、やがて無理やり軽薄な嘲笑を取り戻す。

「……ああ、俺は確かにカミーユと呼ばれた。だが、俺はあいつに仕えてなどいない。まあ、それもいいと思っていたところだが」


 カミーユの声音が急に冷えた。

「実を言うと、アルタージの座をいただこうと思ってね。噂じゃ、その称号を得ると力が増すんだろ? 俺は、俺の力の恩恵をあいつに分け与えてやりたいと思っていたのさ」


 それこそが彼の本音に違いない。


「誰に恩恵を与えたいって?」

「だから、ワンドリールだって!」

 カミーユの目は必死だ。

「それで、あいつはどこにいる? 学校にいるはずなんだが。お前、知っているんだな。答えろ」

「……()()()()()って……?」ウィストールは彼がとてつもない勘違いをしているような気がして、青ざめてしまった。

「まさか……」


 その刹那。


「はああッ――!」

 アウルがカミーユに手を向け、インクの波を発射する。

 アウルはそれきり気を失ってしまったが、立派に役目を果たしてくれた。



 キィィ――……ン。



 硬質な金属音が反響する。


 インクは、狙った場所に的確に命中した――カミーユの持っていた金の指揮棒は、天井高くまで吹き飛んだ。


 カミーユは息を飲み、明確な焦りを顔に浮かべた。



❧ ❧ ❧ 



 指揮棒が空中でくるくると回る。


 あの指揮棒こそが、この霊域の鍵だ!


 ティルダはカミーユとかいう魔物の表情を見て確信した。

 おそらく強力すぎる力の代わりに、あれがないとルールの書き換えも力の行使もできないという条件が付き纏う。

 逆に、指揮棒さえ手にできればカミーユでなくとも有利になるはず!


 ティルダは舞台から飛び出した。指揮棒がカミーユの手から離れた瞬間から、ティルダの体は元に戻っていた。

 カモシカのように元気な足で、指揮棒目掛けて走る。

 指揮棒は、くるりくるりと回りながら、一階の客席のどこかに落下した。


 付近の動物たちがざわめく。ティルダは迷わず動物たちの群れに飛び込んだ。

 驚いて声をあげた象に踏まれそうになり、鳥に髪を引っ張られ、逆にネズミたちを踏まないようにワタワタしながら、金の指揮棒を目指す。

 指揮棒は動物たちの足に蹴られて、あちこちへ移動した。


 ひどい大混乱だ。水槽はひっくり返って魚は跳ねているし、キリンたちは首をぶつけて絡み合ってしまったし、鶏はびっくりして卵を生んでいるし、羊たちはメーメー泣いている。

 ティルダは動物たちに押しつぶされないように床を這いながら、必死に手を伸ばした。


「静かに!! ああくそ、俺の自慢の羽をもぐな!」

 自らも指揮棒を捜しながら、怒り心頭のカミーユが叫んだ。


 そのとき、鋭い閃光がカミーユを襲う。

 一時的に劇場ルールが緩んだことで立ち上がれたウィストールが攻撃したのだ。

 被弾したカミーユはその場にうずくまり「この死に損ないが!」と呻いた。


 しかし指揮者でなくとも、カミーユは劇場オーナーだ。

「演奏を続けろ、俺はこの劇場の主人だぞ!」

 彼の怒号どごうを受けて、『ティルダレッテ』は再び続きから奏でられた。


「――ああっ!」

 ティルダはまた胸から消え出した。しかも、「テンポアップだ(プレスティッシモ)! さっさと二曲目に行きたいからな!」とカミーユが指示したことにより、消えるスピードが明らかに早まる。


 あと少しで手が指揮棒に届くところだったのに、その手すら半透明になり始めた。

 あと数秒足りない。この曲は、幼少期のこの章節を経てもうすぐ終わる。自分自身のことだからこそ、よくわかる。

「うう……」

 絶望のあまり涙が滲んだ。


 しかし、人生というものは何も物心ついてから始まるものではない。世の中のことをまだ認識していない赤ん坊の頃だって、人生には含まれているのだから。


 ()()()()()()()()()()()()()が、ゆったりと流れ始めた。

 きらきら瞬くような、星のピアノの音。

 愛し子を寝かしつける子守唄のような、優しくて、どこか切ない旋律。


 こんな曲、知らない。

 ……ううん、知っているかもしれない。そう、昔――まだ赤ちゃんだった頃に、誰かがピアノを弾きながら歌ってくれたことが、あったかもしれない。小さなアパートの、ささやかな一室で。


「……お父さん」

 口が勝手に、呟いていた。


 ティルダがつい動きを止めたのは、一瞬だった。

 まるで子守唄がティルダを守るように響いているうちに、ついにその手は指揮棒を掴んだ。


「指揮者は私に交代!」

 ティルダはぼろぼろになった姿で、指揮棒を高らかに掲げる。

 途端に体は元に戻り、金の光を帯びた。

「これで私が()()()()()()()()()ね」


 カミーユはもみくちゃになった姿のまま、「ぐ」と口元を歪めた。

「……嬢ちゃん、何をするつもりだ」

「そうね、あなたを聴いてあげる。みんなも聴きたい?」

 さっきまで混乱していた動物たちから、わっと拍手が沸き起こった。動物たちはいそいそとそれぞれの席に着き始める。


「……嘘だろ?」

 カミーユは顔を引きつらせながら、さあっと青ざめた。

「俺の演奏が聴きたいんじゃなくて、()()()()()()ってか? ま、待てよ」


 ティルダがゆっくりと指揮棒を頭上に振り上げる。


「やめろ――!!」

 カミーユの絶叫が劇場中に轟く。



 そして――。


ブクマや評価などありがとうございます!

物語はクライマックス。ぜひラストまでお付き合いくださいませ。

応援よろしくお願いします!

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