記録15 愛を知った永遠
残してきたアウルが心配なので国立図書館での用事は早々に済ませるつもりだったが、予定外に時間と体力を使ってしまった。
その甲斐あり、とある情報は得たのだ。だが、その使い道がわからない。
困り果てながらも、アウルの様子を見に自室へ戻る。
アウルは未だ死んだように眠っていた。寝相の良くない彼が、先程から全く身動きしていない。
概念が形を成した魔物には、汗を拭いてやったり、氷嚢を載せてやるような通常の看病なんて意味のないことだ。楽にしてやれる方法がわからず、途方に暮れてしまう。
「――アウル、ただいま」
顔を近づけて囁くと、彼は睫毛を震わせて微かに目を開いた。
けれどアウルはこちらの顔を見るなり、金の瞳からぽろぽろと涙をこぼし始める。
「ど、どこか痛む!?」
「ううん。怖い夢を、見て……」
「どんな?」
「これから起こるかもしれない夢。きみが……僕との契約を断ち切ってしまう夢。だってきみ、ティルダを次の契約者にと考えているだろう?」
心の奥底を見透かされたことに動揺して、否定してやれなかった。
アウルとともに永遠でいることは、親しくなった人々を見送ってばかりの物悲しさが付き纏う。酷く孤独で、かつての愚かさの罪業を背負って果てのない道を歩かされているかのようだ。
永遠は決して押し付けて良いものではない。
けれど永き命がなければ、世界のあらゆる景色を観測して回るなんてことは不可能だっただろう。特異で素晴らしい出会いであったとも言える。
だからこそ、ティルダが望むのなら、契約を譲渡すべきだろうかと思い悩んではいた。
「ねえ、ウィズ」
アウルの潤んだ瞳が、熱を帯びて見つめてきた。
「僕はきみのことが大好きだ。……愛しているんだ。本当さ。きみはお花のお手入れ下手くそだし、ユーモアのセンスもないけれど、それでも誰よりきみが好き。だから幸せになってもらいたくて……」
アウルが手を伸ばしてきたが、つい体を強張らせてしまった。
また霊域に閉じ込められてしまうと思ったのだ。
「……魔物は警戒すべき……だもんね」
「あ……」
アウルの悲しそうな顔を見て、とんでもない過ちを犯した事を知った。
それは、僕が授業で言った言葉だ――アウルは授業中も笑顔でいてくれたが、実は傷つけていたのだ。
「ち、違う! ごめん……!」
「勝手に閉じ込めたり、しないよ。わかってきたんだ……どんなに僕の霊域が幸福で満たされたものだとしても、きみは望まないって。きみの望む幸せは、僕には絶対に作れないのかもって、最近ちょっと思ってた」
その言葉に、目を見開いた。
魔物の概念に基づいた思考というのは基本的に覆せないものだ。
特に『永遠』という不変の概念を持つアウルは、成長という変化すらないはずなのに――彼は、僕の価値観を理解し始めている。
時間をかけて、必死に考えてくれたのだろう。
アウルの冷たい手を、しっかり握る。
彼は震える声で囁いた。
「――ウィズ。僕の最愛の契約者。もしもきみが本当に、僕との契約を終わらせたいなら……僕、反対しない。お別れは怖くて、たまらなく嫌だけれど……だって、きみが好きだから」
言葉が出なかった。
彼は、本来逆らえないはずの本能に逆らってまで、こう言ってくれている。
存在が崩れ去るほどに辛いことのはずだ。実際アウルはそのまま苦しげに唸り、手をぶるぶる震わせている。
ここまで大きな愛を、他に知らない。
そして、昔に比べて彼が弱っている理由を察した。
不変であるはずの永遠が、変化してしまったからだ。
愛を抱き、僕を失うことを恐れたり、ティルダの成長を喜ぶようになってしまったからだ――それは永遠という概念と矛盾する。
「きみがいなくなっちゃったら、僕は眠ろうかな」
アウルは独り言のように呟いた。
「ティルダのことも大好きだけれど、きみがいないのは寂しいから。朝目覚めたとき寝顔を覗けないのも、ふわふわの髪に触れないのも、きっと悲しくて泣いてしまう。だから、きみと笑って過ごした日々の夢を見る。何千年も、何万年も繰り返し……そうやって、眠り続けるんだ……」
独りきりになるアウルを想像して、胸が締め付けられ、涙が滲んだ。
独りで眠るなんて、できるものか。
寂しがりの永遠が、独りぼっちに耐え切れるはずがないのだ。きっと、すぐに崩壊してしまうだろう。
そんなこと、望んでない。
――隠していた本当の気持ちを、伝えなければ。
「少し待ってて」
手を離して、アウルのために紅茶をいれてきた。
不思議な香りが漂う。産地の違う三種類の茶葉とハーブを適当に混ぜたからだ。
アウルはよくそうして「今日の運勢!」と言って占うのが好きなのだ。美味しくいれられたら、ラッキーな日なのだと。
アウルはカップを受け取り、冷たい手を温めて、ほう、と息を吐いた。
「これ、今日の運勢?」
「ううん。百年後の運勢」
「え?」
「飲んでみて」
アウルは戸惑いながら、恐る恐るカップに唇を近づける。渋くて運勢最悪だったらどうしようと思っているのだろう。
やがてアウルはひとくち飲むと、泣きそうな顔でプフゥと吹き出した。
「なにこれ、あっまーい! きみったら、どれだけ砂糖を入れたのさ!」
笑ってくれて良かった。ほんの少しだけ頰に赤みもさしたようだ。
ウィストールもつられて微笑む。
「入れられるだけ入れたよ。だって、僕たちの百年後の運勢が渋かったら嫌だろ」
「占いの意味がないじゃないか!」
アウルは足をばたつかせて笑ったあと、「……僕たち?」と問い返した。
「ウィズ、それって……」
アウルの手をカップごと包む。
本音を曝す勇気を出すため、深く息を吸う。
「アウル、僕はきみを――」
感情が喉につかえてうまく言えない。
そのとき、どこからか「睦あっているわ!」と甲高い声が聞こえた。
「へっ!?」
驚いてあたりを見回すが、誰もいない。
せっかく出した勇気は、誰かに見られているかもと思うとみるみる萎んでしまった。
「窓の外からじゃなかった?」
アウルがそう言うので窓の方を見ると、雨はやみ、雲から光が差してきていた。どこかで雨宿りしていただろう鳥たちもさえずり始め、窓枠にも数羽とまっている。
「わあ、綺麗な色の小鳥さん」アウルはご機嫌に言う。「なんだか嬉しそうに羽を繕っているね」
黄緑色の鳥がこちらを見て言った。
「もうじき盛大な演奏会があるからよ!」
「へえ、だからそんなにおしゃれしてるんだ」
ふふふ、と笑い合ったウィストールとアウルは、数秒後に真顔になり――息を吸い込んで叫んだ。
「「喋った!?」」
この鳥は今、間違いなく人間の言葉を話していた。
ウィストールはアウルを小突き、小鳥と話すように促した。
アウルは目を丸くしたまま頷き、「ちょっと待って、小鳥のお嬢さん」と呼び掛ける。「もう少し僕とおしゃべりをしよう」
「あら、ナンパ? あなた女の子なのに」
アウルは少し考えて、ヴィクターに変身した。女の子たちから評判の良い姿だからだろう。高い背丈を屈めて微笑めば、小鳥も顔を赤らめた。
「僕となら話してくれるかな」
「……少しだけなら。いつもは、こんなに簡単に殿方と口をきいたりしないのよ」
慎ましく言い訳しながらもじもじする小鳥に、アウルは聞く。
「君はどうして人間の言葉を話せるの?」
「偉大な作曲家先生が、そうしてくれたの。いつもなら私とカッコウとだって、言葉が違うのよ。彼らったら酷い訛りがあるから。でも演奏会が終わったらどうなるのかは、誰も知らないの」
「偉大な作曲家先生って誰? 演奏会はいつ? ダチョウと君とは言葉は違うの?」
アウルが矢継ぎ早に余計なことまで聞いたせいで、小鳥は気分を害してしまったようだ。
「あなた、本当に私とおしゃべりする気があるの? それとも、騙して食べるつもり?」
「えっ、そんなつもりはないよ!」
「嘘だわ!」小鳥はぴいぴい喚いた。「そういえばあなた、猫やフクロウの匂いがするもの! この前も仲間が蛇に殺されたばかりだっていうのに、私ときたら、すっかり騙されるところだった! フン!」
小鳥は飛び去ってしまった。アウルは「話を聞かない鳥頭め!」と悪態をついた。
ウィストールは呆気に取られていたが、なんとか言葉を発した。
「これは異常事態だよ。調べよう!」
「どうやって?」
「周りに他に動物はいないかな。聞き込みしよう」
パズルのピースが揃って繋がってゆく感覚がする。
一気に核心に近づけるチャンスだ!
アウルは「僕に任せて!」とアリソンの姿に戻ると、壁に駆け寄り、隅っこの古いネズミ穴の前で「あった!」と屈んだ。
「もしもぅし。小さな穴にお住まいの小さな小さなみなさん。ご機嫌いかが?」
蝶ネクタイをつけた黒っぽいネズミが出てきて、やはり人間の言葉で返した。
「やあ、今は忙しいんだ。演奏会に出かける支度をしなくっちゃ」
「もしかして、演奏会って今日あるの?」
「そうだよ、今夜じゃないか。お知らせされただろう?」
「どこで開かれるの? 誰が開くの?」
「そりゃあ偉大な作曲家先生だよ!」ネズミは言いながら、きゅっと短く鼻を鳴らす。「待てよ。お前からは猫やフクロウの匂いがする! しっしっ、あっちへ行けったら!」
ネズミは穴の奥へ引っ込んだきり、いくら待っても出てこなかった。
ウィストールはアウルと顔を見合わせた。
「――どんどん聞いて回ろう! 今夜開かれるという演奏会、それが事件の重要な手がかりだ!」




