記録12 行方不明の二人
翌日のウィストールの授業中、ティルダはなぜだか落ち着きがないようだった。いつもと違って今日は最後列にいるし、真面目に教科書か教師を追っているはずの目線はあちこちに泳いでいた。
ウィストールが授業終わりに声をかけると、ティルダは躊躇うように口をもぐもぐさせていたが、やがて小さく言った。
「大したことじゃないかもしれないけど……ルシミアがいなくて」
言われてみれば、いつも二人並んで授業を受けていたのに、今日はティルダ一人だ。
「いない? いつから?」
「昨日の夜から……。でもルシミアってたまに授業サボるし、どこかの空き教室にいるかも……」
ティルダはそう言いながらも、自分ではそれを信じていない様子だ。
ウィストールは表情が引き締まるのを感じながら冷静に問いただす。
「ルシミアは、ティルダにも一言も言わずにサボることがあった?」
「……ううん。いつも私には言ってくれていた」
「なら、いつもとは違うね。他に思い当たることは? 例えば急な体調不良や、急用だったり……」
「思いつかない。きっとすぐ戻ってくるとは思うけど……」
ティルダは心配はしているようだが、そこまで大ごととも捉えてはいない。
しかしこちらの心臓はいつもより早く脈打ち始めていた。長すぎる人生で培ってきたそれなりの精度の直感が、これは悪い兆しだと告げている。
隣で話を聞いていたアウルが、ウンウン頷いて得意げに胸を叩いた。
「僕に任せて。ルシミアに預けた僕の分霊の位置を探れば、居場所がすぐにわかるさ!」
そう言って目を閉じたアウルに期待したが、数秒してアウルは口をへの字にひん曲げた。
「んえ? ……リリーアウの反応が……ない……?」
嫌な予感はついに背筋をぞくりと震わせた。
「――探しに行こう、ティルダ」
「えっ」
「なんでもなかったら、それはそれでいい」
ルシミアの突然の失踪。
それは、サボりがちな生徒が見当たらない――ただそれだけでは済まなかった。
ティルダが思い当たる場所を全て探しても、ウィストールが人探しの魔術を駆使しても、ルシミアは見つからなかったのだ。
そうこうしているうちに、ティルダも事の重大さを飲み込めて来たのか、顔が真っ白になっていた。
この緊急事態を知らせようと、アウルとティルダとともに校長室に駆け込む。
そこには意外な先客がいた。
「リイン? あれ?」
リインは今の時間、授業を受け持っていたはずだ。
校長の前に一人立っていたリインは、気まずそうに振り向いた。どうにも顔色が悪いように見える。
「パルナン先生。何かご用事ですか?」
「……緊急でお知らせしたいことがあります。ルシミア・アヴェスティンという女子生徒の行方がわからなくなりました。魔術探知にもかかりません」
その言葉に、リインが息を飲んだ。校長はそんなリインに意味ありげな目線を向けている。これには流石に、ルシミアの行方不明とリインが関係していることを察することができた。
「リイン。何かあったの?」
問うと、リインは「くっ」と唇を噛んだが、すぐに話してくれた。
「――シャンタナが行方不明だ」
「な……」
先日のシャンタナの様子が脳裏に蘇る。
その場にいた全員が青ざめ、リインの横顔を注視した。
最も言いづらい追及を、校長が口にした。
「失礼ですが。シャンタナさんは、元々人を喰らっていたとか?」
「……はい。ですが契約以降は一度も食人行為はありません。今回の生徒の行方不明に、彼の食人衝動は無関係だと思います」
そうは言っても、みなその言葉を鵜呑みにすることはできなかった。
自分自身、リインのことは信頼しているがシャンタナもそうかといえば違う。模擬戦の際も、ルシミアに勝ちを譲ったあとのシャンタナの行動は奇妙だった。
みな頭の中で浮かべていることは同じだった――シャンタナがあの模擬戦の腹いせにルシミアを喰ってしまったのではないか、と。
リインも自分の言葉に信用を得られないのは承知しているようだ。素直に頭を下げ、空色の目を真剣に尖らせた。
「状況的に彼が疑われるのは当然だ。むしろ、彼のタイミングの悪い不在により不安にさせて申し訳ない。彼の主人として、必ずルシミアさんを探し出しましょう」
リインは氷のように怜悧な表情をしていた。シャンタナに主人として命じる際に時折見せていた、ぞっとするほど底冷えする眼差しだ。
リインは重苦しい空気の中で、一礼して部屋を出て行った。微かに足を引きずっていた。
ウィストールはその背を追いかけた。
廊下の先で、リインは冷たい目をしたまま「なんだ?」と振り返る。
「リイン、怪我をしたのかい? 具合も悪そうだけれど……」
「……俺も魔物の契約者としていろいろあるんだ。心配はいらない。それより、聞きたい本題は別にあるだろ?」
ついごくりと喉を鳴らし、問いかけた。
「実は先日、シャンタナが一人で鳥を殺しているところを見かけて。様子がおかしいようだった。君と食堂で食事をした後のことだ。あの時、シャンタナを放って君は何を?」
「ああ……」
リインは周囲に油断なく目を走らせて言った。
「記録の魔物を探していた。シャンタナは初日から、この学校では妙な気配がすると言っていてね。あのときも何かがいると言いだしたから、手分けして調査をしていたんだ」
「何か見つけた?」
「いいや、見つからなかった。……何も」
リインは悔しそうに言い足した。
「昨晩もシャンタナは、その気配とやらを追って部屋を出たんだ。そのまま戻ってこなかった」
「妙な気配……。そうか、話してくれてありがとう」
ウィストールはその証言を気に留めておくことにした。
「その気配というのも、これから調査するとして……もしも、本当にシャンタナがルシミアの失踪に関わっていたらどうするつもりなんだ?」
「殺すさ」
リインはあっさりと答えた。
「あいつとの契約時に、約定を破って人を害すれば殺すか封印すると誓わせている。あいつは強いが、約定を破ったときには誓いによって必ず力を奪うことができる」
「君はもうシャンタナを殺す方向で考えているの? つまり……シャンタナがルシミアを食べてしまったと?」
「まさか。俺はあくまでシャンタナの潔白を信じている。だが、万一のことを考えておくのも魔物と契約した者の責任だ。そうだろ、ウィストール。あなたもアウルくんが人に害をなしたら、その責任をとる覚悟があるはずだ」
一瞬言葉に詰まって表情を固まらせてしまったのを、リインの瞳は見逃さなかった。
「――嘘だろ、何も考えていないのか? 自分は授業で対処法を教えているのに?」
「考えていないなんてことは……。アウルが人を傷つけないように、僕も約定を結んでいる」
「それを破ってしまったら?」
「アウルは気が遠くなるほどの長い間、ずっと我慢して守ってくれているよ。だからこそ信じているんだ」
「――信じている?」
リインはその顔に微かに怒りを滲ませた。
「約束を守らせるのは当然のことだ。それとは別に、万が一のための対策をたてておくことが主人としての責任じゃないか? 正直なところ、俺はシャンタナと契約したときに一生あいつを管理するという役目の重さに吐きそうになったぞ」
耳が痛くて何も言い返せなかった。
リインは自分なんかよりよほど、魔物の主人として――言い換えれば管理者としての覚悟が決まっている。
しかし、リインは罰が悪そうに顔を背けた。
「いや、悪い。八つ当たりめいていた。今の俺が何を言っても説得力がないのはわかっている。……信用回復のためにもルシミアさんを探すよ」
リインはそのまま踵を返したが、ウィストールはその背に向けて言った。
「君の言っていることはもっともだった。僕もよく考えておくよ」
「……」
リインは数秒足を止めたが、すぐに足早にどこかへ行ってしまった。
❧ ❧ ❧
ルシミアとシャンタナの行方不明の噂は、誰が話したのか瞬く間に広まった。学内は騒然とした空気感のまま、臨時休校となった。
特にあの模擬戦を見ていた生徒たちの中では、シャンタナが生徒を喰ってしまったということは確定事実のように扱われた。みな日頃からシャンタナに危うい空気を感じ取っていたのだろう。
寮の部屋から決して出ないように命じられた生徒たちは、みな『学内のどこかを人食いの魔物がうろついている』という恐怖から部屋の中で静かに震えていた。
今も自室のドアのすぐ外で、飢えた化物が牙を向いているかもしれない――。
そんな緊迫した状況だからこそ、ウィストールたちは部屋でじっとしているわけにはいかなかった。短期とはいえ教師であるし、魔物が容疑者となれば、見識がある者として動かざるをえない。なにより、ルシミアは愛娘の親友だ。
いくら気丈なティルダとはいえ、親友の失踪にショックを受けて泣き出してしまっていた。しきりに「昨日の夜、私がすぐに部屋に戻らなかったから! ルシミア、きっと私を迎えに行こうとして部屋を出たんだ!」と言って。
ウィストールとアウルはそんなティルダを必死になだめて部屋に留めさせ、やっとの思いで調査を開始した。
向かったのは、学校で一番高く聳える尖塔だ。
雨の降りしきる曇天の中、古びた石造りの階段を登る。息を切らせながら登り切ると、小部屋があった。大きな窓が正面と背面に二つあり、街の方まで見渡せる。かつての見晴台だろう。
息を整えると、石床に杖を突き立てた。
ルシミアやシャンタナを探すには、とにかく情報が必要だ。それにはまず学校周辺の解析をするのが手っ取り早い。
「――観測を始める」
目を閉じ、体に魔力を循環させてゆく。
そして、杖を通じて床へ、塔へ、そして学校へ。
それは魔術師たちが物質に魔力を這わせて行う魔術解析に似ている。
しかし、ウィストールのそれを真似をすることなど、他の誰にも不可能。ウィストールの観測は、気が狂いそうなほどに精緻で、街一つを包み込めるほどに大規模だ。
地形どころか建物の配置や間取り、家具も机の上に載っているペンの一本ですら把握しよう。範囲内すべての本やメモの一字一句までも読み取ってみせよう。
生憎と魂あるものは捉えることはできないが、誰かが隠れられるような地形を見つけられるかもしれないし、足跡や落とし物などの痕跡が残っているかもしれない。図書室の本の中から有用な知識も得られるかもしれない。
ウィストールを中心として、突風が巻き起こった。嵐のような風は木々をもなぎ倒しそうな力で荒れ狂い、ウィストールとアウルの髪や服を乱す。
瞼をゆっくりと開く――そして、すべてを観る。
各教室、食堂、学生寮、校長室、中庭、ピアノのある講堂――その絶対的な精度をもって、窓の傷一つに至るまで精緻に観てゆく。
千年以上前から、世界のあらゆる景色をこうして観測していた。これがライフワークと化している。
有り得ざる技とはいえ、もはや慣れた作業。
ところが観測がある場所に差し掛かったとき、突如として予想外のことが起きた。
「――っう……ッ」
観測にノイズが走った。
観ていた映像に乱れが生じると同時に、知らない記憶が流れ込んでくる。
――誰かの視界だ。暗くて寒々しい石造りの廊下を歩いている。
窓の外に見えるのは、夜の空。
暗闇にランプを掲げたとき、白くて細い指先と、緑のドレスの袖口が視界に入ってきた。柔らかな所作からしてもおそらく女性だ。
「私はグリーンスリーヴス――」
女性の声が、脳に直接囁きかけてくる。
「見つけてあげます――あなたを助けてあげます――」
「うわ、あ……っ」
観測どころではなかった。たまらず膝をついて目を覆う。
無防備な状態で、何者かからの干渉を受けてしまった。
頭が割れるような痛みに涙ぐみながら踠いていると、同じくアウルも倒れて苦しんでいるのが視界の隅に映った。
契約のパスを通して、アウルにまで干渉が及んでしまったらしい。
学校周辺の景色と、謎の女性の視界とがぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「……グリーン、スリーヴス……」
苦悶の声を絞り出した直後、ぶつんと意識が途切れた。




