記録10 雨の予報
夕食にはまだ早い時間のため、いつもなら生徒たちでごった返している食堂は静かだった。
壁にはめ込まれている豪華なステンドグラスも今日はよく見渡せる。この場所は、かつて城だった頃の広間だろう。時の重みを感じる造りに合わせて明かりも薄暗く灯り、テーブルや椅子も良質な木でできている。
スープとサラダ、肉を挟んだ小さなパンのセットを購入し、端の方の魔術師のステンドグラスの前に腰を落ち着けた。
この魔術師、昔会ったことあるなぁなんて思い返しながらスープをすすっていると、「あれ!」と弾けるような声がした。
「ウィストール! こんな時間に奇遇だな!」
視線を上げると、リインとシャンタナがトレーを持って立っていた。二人も早めの夕食らしい。トレーには洗面器ばりに大きなボウルに入ったシチューが載っていて、パンも肉も小山を築いている。……噂の『特特特特盛り』だろう。
この二人に比べれば、ホールケーキを丸ごと食べたいと駄々をこねるアウルは可愛いものだ。シャンタナは暴食か何かの概念なんじゃないか?
「一緒に座っても?」
「もちろん」
リインたちはウィストールの正面に座った。そして右手を頭の上と胸に交互にやり、彼らの国での食前儀礼をしてから食事を始める。
リインはサラダをフォークで突きながら言う。
「一人なんて珍しいな。いつもはアウルくんがべったりなのに」
「ん、まあね……」
歯切れの悪い返答をしてしまったが、すぐにリインは訳ありだと察したらしく慌てて話題を変えてくれた。
「そ、そうだ。アルミホイルと交換で契約を結んだ魔物を覚えているか?」
「うん。最高の発想だったしね」
「その魔物、アルミホイルで銀の御殿を築き上げたらしいぞ。中庭の一角に、銀色の小さな城が出現したそうだ」
「ふふ、やっぱり彼らが考えることは予想外のことばかりだ。……でも、日が照ったら暑くないのかな?」
「確かに……」
二人して考え込んだが、銀の御殿の前でぴょんぴょん飛び跳ねる魔物の姿を想像しているうち、おかしさが勝って笑ってしまった。
二人が話している間、シャンタナはあまり話題に興味がなさそうにしていたが、手元ではサラダの中の卵スライスをひょいひょいとリインの皿に移している。リインの方も、トマトを見つけるたびシャンタナの皿に放り込んでいた。
仲が良いなあと思って見ていると、視線に気づいたリインが卵を美味しそうに頬張りながら言った。
「俺、トマトが苦手でさ。お互いの食べられないものを交換しているんだ」
内心、「シャンタナは蛇のようなのに卵が苦手なの?」と疑問はあったが、口にだす前にシャンタナと目が合った。
彼はリインが目を離している間にルビー色の瞳を細め、唇の前に人差し指をやった。
慌てて口をつぐむ。シャンタナの方は未だに何を考えているのかわからなくて怖い。
それから、リインと授業のことや、お互いの故郷のことなどを話し込んだ。
特にリインの旅の話は、聞いていてわくわくする。
リインはシャンタナとともに、人助けをしながら各国を巡っていたという。彼らが道中で退治した魔物や、巻き込まれたトラブルの話、それから各地の風土や出会いの話はまるで映画でも見ているかのように情景が浮かんだ。
さすらいの旅をしていたので手持ち金がほとんどなく、この国についてから一張羅を購入するために大道芸をしていたという話には思わず吹き出してしまったが。なんでも『タネも仕掛けもない人体切断マジック』が人気だとか。なんとなく怖かったので詳細は聞かなかった。
リインの旅の指針は不思議だ。砂漠の星詠みの一族では『導きの星』を信仰しており、星の導きに従って旅をするらしい。その星はときに人や物に宿って、大いなる運命に導くという。
曰く、魔術師は意識を『世界の大いなる運命の流れ』に接続できることがあり、それが直感として現れると。
だからこそ魔術師の直感は馬鹿にできない導きなのだという。
この学校の教師になった理由も面白い。
「たまたま通りかかったバザールで、異様に心を惹かれる絵画があってさ。クバラムの古い城塞を描いたものだった。何百年も前に征服者に滅ぼされた、かつての王国の名残だ。で、ここに行くべきだと直感が告げた」
リインはその直感だけで、遠く離れた法治国家クバラムへ向けて旅をすることにしたらしい。
実際、クバラムで城塞を見た帰りの列車で、リインは次の導きを得た――列車強盗団に遭遇したのだ。
強盗団をシャンタナとともに全員ひっ捕えたとき、助けた乗客の一人に声をかけられた。
それがなんと、出張中のレーゼント校長。彼から熱烈なスカウトを受けたリインは「これも導きだ」と素直にその誘いを受け、今ここにいるというわけである。
「この学校でも、導きの星が俺を大いなる運命に導いているのを感じるよ。ここまでアルタージの気配を強く感じたことは今までにない。俺がここへ導かれたのも、記録の魔物に出会うためだろう」
リインが目を仄暗くしかけたので焦ったが、すぐにリインの方から話題を変えてきた。今は楽しく会話をする場にしようということだろう。
「あなたの話も聞かせてくれよ。元気いっぱいのアウルくんと過ごした日々は楽しそうだ」
「うん。実は、僕らも以前は世界を旅していたんだ」
ヴィックスベルに定住し始めたのは16年前。ティルダを引き取ってからだ。
それまではアウルと二人、世界各地の景色を巡る旅をしていた。
アウルとともに見た美しい景色を語ると、旅好きのリインは興味津々で聞いてくれた。
こんなに対等に旅の話をしあうのは久々だ。
リインとは話題も尽きないどころか、妙に話し方のテンポや気の遣い方が合う。僕は二千年以上生きているというのに、まるで同い年の友人と話しているようだ。
半年間限定の教師同士という関係だけでは惜しいので、この先も交流を続けたい。
だが先日、校長からの「常任教師になってほしい」という誘いをリインが断っているのを見かけた。おそらく、再び導きに従って旅に出るつもりなのだろう。
ステンドグラスから差し込む陽がオレンジから青白く変わった頃、リインは「おっと」と壁の時計に目をやった。
「まずい、騎士クラブの時間だ。じゃ、俺たちはこのへんで」
「うん。また明日」
リインたちは先に席を立った。ほどなくして、ウィストールも食後の紅茶を飲み終えて食堂を後にする。外はあっという間に真っ暗になっていた。
リインたちとの食事はいい気分転換になった。ティルダとのことは、アウルと明日の自分に任せよう。
そう思って、自室のある東棟への渡り廊下に足を差し向けたとき。
中庭の方から、生き物の悲鳴が聞こえてきた。喉を潰されたような、一瞬の断末魔。
同時に茂みから鳥の群れがギャアギャアと鳴きながら一斉に飛び立ち、羽と葉を散らせる。
「な、な、何ぃ……?」
怯えながら悲鳴が聞こえた方向へ目を向ける。
遠目に、長い黒髪の男が駆けているのが見えた。
一瞬だけ見えた口元は血に染まっており、鳥の死体を咥えている。
驚く間もなく、彼は中庭の木々に隠れて見えなくなってしまう。
――シャンタナだ。ひとりで何をしているんだ?
それに、リインは彼を放ってどこへ?
「よ、よし……!」
勇気を振り絞って木々をかき分け、シャンタナを追ってみようとした。しかし俊足の彼はもうどこにも見つからない。
――不穏な気配がする。良くないことが起こると、直感が告げている。
遠くから、雨雲が近づいてくる気配がした。
❧ ❧ ❧
ティルダが中庭を訪れる頃には、建物に切り取られた空は藍色に染まっていた。いつもは星がよく見えるが、今日は霞んでいる。それでも月は雲の奥で明るく微笑んでいた。
ワンドリールは今夜も楽譜を書いていた。ティルダに気付くと、柔く微笑んで手をあげる。
「こんばんは、ティルダ」
「こんばんは、ワンドリール」
ワンドリールはティルダの肩に乗っているミニアウルにすぐに気づいた。
「まさかそれは、魔物?」
「そう。生まれたてほやほやだよ」
ミニアウルはぴょんと跳ねて「こばんわ!」と挨拶をした。ワンドリールは今までに見せたことがないほどに顔を輝かせた。
「わあ、おいでおいで!」
ワンドリールが両手を広げた上に、ミニアウルはプィーと飛んで着地した。
「小さいのに賢いなあ、偉いぞ」
「ボク、エライ!」
ティルダはワンドリールの無邪気な笑顔に驚いた。
「ワンドリール、魔物が好きなの?」
「まあね。実は魔物については少し詳しいんだ」
ワンドリールはミニアウルの腹を指でくすぐりながら「前に魔物と縁があってね。それ以来大好きなんだ」と言った。だからティルダの家族の話や授業の話は聞いていて楽しかったと。
「――ティルダ。君が魔物を怖がらない子で本当によかったよ」
「そうなの?」
「ああ。自分が好きなものを否定されたら悲しいだろ」
ワンドリールはどこか影のある笑みを浮かべている。
ティルダはその淡麗な横顔を見つめながら微笑んだ。
「その子は中級だよ。パパたちの授業で言ってたんだ」
「魔物が分類されているのか?」
「うん。言葉を話せたら中級以上。変身もできるなら上級以上だけど、この子はできないみたい。中には人の姿をとる魔物もいるんだって」
「……へえ。そこまでわかっているんだ」
ワンドリールは急に低く呟いた。突然彼の雰囲気が変わったので驚いたが、ワンドリールはそんなティルダにはっとしたように、いつもの微笑を取り繕って見せた。
やがてミニアウルをティルダの肩に戻すと、いつもより早めに別れの言葉を口にする。
「名残惜しいけれど、今日はもう帰ろう。これから雨も降るしね」
「雨? どうしてわかるの?」
ワンドリールはクローバーが密集して生えている一画を指差した。
「クローバーが葉を畳んでいるだろ。雨の前はああなるんだ。古代の魔術師たちは、こうして天気を予想していたというよ」
ティルダは感心して息をついた。穏やかな声音で優しく教えてくれる彼は、博識さを全く鼻にかける様子もない。
彼と話していると、なぜか父に本を読み聞かせてもらった夜を思い出す――。
なんとなく、頭の隅ではわかっていた。ワンドリールと父は普段の言動こそ違えど、豊富であろう人生経験からくる博識さや穏やかさ、そこから織り成される雰囲気がよく似ている。ふとしたときの、寂しげな目の細め方がよく似ている。
父のことを尊敬しているから、ワンドリールに惹かれたのだ。
だからこそ、ワンドリールに諭されるように言われれば素直に頷くしかなかった。
「さあ。風邪をひいてはいけない。……早くお帰り」
「うん」
「……ティルダ」
背を向けようとしたときに呼び止められたので、ティルダは顔だけ振り向いた。
ワンドリールは頭を指差す仕草をした。
「それ、似合っているよ」
「あ……」
ティルダは髪が逆立ってしまいそうなほど顔から上が熱くなるのを感じた。今が暗くて良かった、そうでなければ茹でダコのように赤い顔を見られてしまうところだった。「ありがと」と小さく言って、髪飾りを撫でる。
心臓が踊り出すほど嬉しいのに、これ以上この場にいたら心臓が躍り狂って止まってしまいそうで、逃げるように駆け出してしまった。
ヘンに思われたかな、そんな心配と嬉しさが交互にやってくる。こんな顔をしたまま部屋に戻ったら、ルシミアにからかわれてしまう。
少しだけ、顔の火照りを冷ますために廊下の窓辺で立ち止まった。
緊張が解けてきて、ふわあとあくびをする。続いて肩の上でミニアウルもふにゃあと小さくあくびをしたので、思わず笑みを溢す。
「眠ーい。……ね」
「ネムーイ?」
「まぶたが落ちてきそうでしょ。これが夜だよ」
「よる」
ミニアウルはとろんとした瞳で窓から月を見上げ、ゆっくり瞬きすると「うみゃあ」と鳴いてまたあくびをした。
「たいようがあったかくて好きだけど、よるもいいねー」
「ふふふ。あなたのこと、満月ちゃんって呼ぼうかな」
指でぱやぱやの毛並みを撫でてやりながら、夜の空気を楽しんだ。
この夜以来、ティルダはワンドリールと会ったあとには寄り道をしてから部屋に戻るのが習慣になった。
――その習慣を悔いることになるとも知らずに。




