第九話【悲報】美少女の過去、重すぎて受け止めきれない
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「白雪…忘…」
彼女――白雪 忘が、か細く、しかしはっきりと自分の名前を告げた。その瞬間、東屋の中の空気が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。氷のように閉ざされていた彼女の世界に、小さな亀裂が入ったのかもしれない。俺、平凡太は、その変化を確かに感じ取っていた。
目の前の少女の名前が「忘れる」という字を書くことに、何か運命的なものを感じずにはいられない。彼女の力が「記憶を忘れさせる」ものであるなら、これほど皮肉で、そして悲しい名前があるだろうか。
「白雪さん…」俺は、確認するように、そして少しだけ緊張しながら彼女の名前を呼んだ。「その…俺の名前は、平凡太。さっきも言ったけど」
「……たいら、ぼんた…」忘は、俺の名前を反芻するように小さく呟いた。その声には、まだ警戒の色が残っているものの、先ほどまでの刺々しさは薄れていた。
「ああ。平凡の平に、平凡の凡、太い太で、平凡太だ。まあ、名前負けしてない、平凡な男だよ」自嘲気味に付け加える。少しでも場の空気を和ませようとしたつもりだが、忘は特に反応を示さない。…うん、スベったな。
忘は、俺から視線を外し、再び自分の足元に目を落とした。長いまつ毛が伏せられ、その表情からは感情が読み取りにくい。だが、彼女が黙り込んでしまったわけではないことは分かった。何かを考えている。あるいは、次に何を話すべきか、迷っているのかもしれない。
俺は、急かさずに待つことにした。ここで焦って質問攻めにしたり、自分のことばかり話したりしては、せっかく開きかけた彼女の心を、また閉ざしてしまうかもしれない。
しばらくの間、東屋には沈黙が流れた。ただ、降りしきる雪の音と、遠くで聞こえる雪まつりの微かな喧騒だけが、俺たちの間に存在していた。寒さは相変わらずだが、不思議とさっきまでの孤独感は薄れていた。隣に誰かがいる。ただそれだけで、少しだけ心が温まるような気がした。
やがて、忘がぽつり、ぽつりと話し始めた。それは、独り言のようでもあり、俺に語りかけているようでもあった。
「…私の力は…たぶん、あなたも気づいてると思うけど…」
声は小さいが、はっきりと聞こえる。俺は黙って頷いた。
「人に、触れると…その人の中から、私に関する記憶が、消えちゃうの…」
やはり、そうだったのか。雪まつり会場で見た、あの男性の奇妙な反応は、彼女のこの力によるものだったんだ。
「どれくらい消えるかは、分からない。ちょっとだけ忘れる時もあれば、私と会ったこと自体、完全に忘れてしまう時もある…。触れた時間とか、気持ちとかで、変わるのかもしれない。でも、自分では、コントロールできない…」
彼女の声には、深い諦めと悲しみが滲んでいた。自分の意志とは関係なく、大切な人との繋がりを一方的に断ち切ってしまう力。それがどれほど辛いことか、俺には想像もつかない。
「だから…私は、ずっと、人と触れないように生きてきた」
俯いたまま、忘は続ける。
「小さい頃は、よく分からなくて…普通に友達と遊んでた。でも、ある日気づいたの。昨日まであんなに仲良くしてくれた子が、次の日には私のことを全然覚えてない…。最初は、私が何か悪いことをしたのかと思った。嫌われちゃったんだって…」
彼女の肩が、小さく震えているように見えた。
「でも、違った。私が、みんなの記憶を消してたんだって…分かった時…怖くて、怖くて…たまらなかった」
彼女の声は、涙で濡れているようだった。俺は、かける言葉が見つからず、ただ黙って聞いていることしかできなかった。
「それからは、誰にも触らないように、誰とも親しくならないようにって…ずっと気をつけてきた。家族とも、距離を置くようになった。だって、もし、お父さんやお母さんが、私のことを忘れちゃったら…そんなの、耐えられないから…」
家族との記憶すら、消してしまうかもしれない恐怖。それは、想像を絶する孤独だろう。
「学校でも、いつも一人だった。誰も私に近づかないし、私も近づかなかった。それでいいって思ってた。傷つくのも、傷つけるのも、もう嫌だったから…」
彼女の言葉の一つ一つが、氷の矢のように俺の胸に突き刺さる。なんて過酷な運命なんだ。こんなにも若く、美しい少女が、たった一人で、そんな重すぎる秘密と孤独を抱えて生きてきたなんて。
「でも…」
忘は、ゆっくりと顔を上げた。その透き通った瞳は、涙で潤んでいたが、そこには確かな意志の光が宿っていた。
「あなたは…違った」
彼女は、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「さっき、私があなたに触れた時…何も起こらなかった。あなたは、私のことを覚えてる。どうして…?」
その問いに、俺は即答できなかった。正直、俺にも分からないのだ。
「…分からない。俺にも、どうしてなのかは…。ただ、俺は、君のことを忘れたりしない。それだけは確かだ」
俺は、精一杯の誠意を込めて答えた。それが、今の俺にできる唯一のことだったから。
忘は、俺の答えを聞いて、しばらくの間、瞬きもせずに俺を見つめていた。そして、ふっと、本当に微かだが、その口元に笑みが浮かんだように見えた。それは、雪解け水のように儚く、しかし確かな温かさを持った微笑みだった。
「…変な、人」
そう呟いた彼女の声は、さっきまでの冷たさが嘘のように、少しだけ柔らかく響いた。
その瞬間、俺のポケットの中のヒロインレーダーが、ピコン、と軽やかな音を立てた。慌てて取り出して確認すると、カードの表面に、これまで見たことのない表示が浮かび上がっていた。
それは、ゲージのようなもので、メモリがほんの少しだけ、ゼロから右に動いていたのだ。ゲージの上には、「信頼度:Lv.1」という文字が表示されている。
「こ、これは…!?」
もしかして、これが、あの神(?)が言っていた「信頼」の証なのか!? 白雪さんの警戒心が少し解けて、俺に対する信頼度が上がったってことか!?
だとしたら…俺の頭は…!?
恐る恐る、自分の頭頂部に手をやってみる。…特に変化はない。というか、自分で触ってもよく分からない。いや、むしろ、この極寒の中で緊張と緩和を繰り返したせいで、血行が悪くなって、さらに数本抜けたような気さえするぞ!?
(おい! 神(?)! 話が違うじゃないか! 信頼度が上がったら、少しは毛が回復するんじゃないのか!?)
心の中で絶叫するが、もちろん返事はない。くそっ、あの神、やっぱりいい加減だ!
俺が一人で頭皮の心配をしていると、忘が不思議そうな顔で俺を見ていた。
「…どうかしたの? 頭、痛むの?」
「あ、いや、なんでもない! ちょっと考え事してただけだ!」
慌てて誤魔化す。まさか、君との信頼度が上がったのに髪の毛が回復しない!と嘆いていたとは言えない。
「それより、白雪さん…君の話、もっと聞かせてもらえないかな? 君が抱えている力のこと、そして、君がこれからどうしたいのか…」
俺は、改めて彼女に向き直って言った。今、彼女はほんの少しだけ、心を開いてくれている。この機会を逃すわけにはいかない。
忘は、少しだけためらうような表情を見せたが、やがて、小さく頷いた。
「…分かった。話すよ。あなたになら…話せるかもしれないから」
その言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じた。ようやく、スタートラインに立てた。ここからだ。ここから、彼女の本当の笑顔を取り戻すための戦いが始まるんだ。
俺は、改めて彼女に向き直り、その言葉を待った。外は、雪がさらに深々と降り積もっていた。
(第九話 了)
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