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第二十六話【悲報】推しへの想いが力に変わる?…って少年漫画かよ!(でも毛は抜ける)

(嘘だろ…!? またかよ…!)


最悪の悪夢が、再び現実となった。

最高の感動と幸福感が、皮肉にも、彼女から最も大切な記憶――俺との記憶すらも、奪い去ってしまったのだ。


俺の脳は、三度みたびパニックに陥る。どうすればいい? また触れば戻るのか? でも、今度は「大好き」とまで言われた直後だぞ!? この状況で、記憶を失った彼女を抱きしめるなんて…! 拒絶されたら? 完全に心を閉ざされたら?


(怖い…! でも、ここで何もしなかったら…!)


俺は、震える手で、自分の頭を押さえた。キリキリと、締め付けられるような頭痛。そして、頭皮には…ああ、もう考えたくない! 確実に、ごっそりと、俺の未来(毛髪)が失われていく感覚! 視界の端で、ハラハラと何かが舞い落ちたような気さえする!


(神様! あんた、本当に性格悪いぞ! この試練、過酷すぎる!)


俺が絶望と頭皮の危機に打ちひしがれている間にも、忘は怯えた目で俺を見上げている。


「…離して…知らない人…怖い…」


その言葉が、ナイフのように俺の心を突き刺す。数時間前まで、あんなに楽しそうに笑っていたのに。俺の名前を、優しい声で呼んでくれたのに。


(…しっかりしろ、俺!)


俺は、奥歯をギリリと噛み締めた。ここで俺が諦めたら、本当に全てが終わってしまう。彼女をこんな場所に一人にしておけるわけがない。俺が、彼女の記憶を取り戻すんだ!


(怖い…でも、やるしかないんだ!)


俺は、震える腕に、それでも力を込めた。ただ触れるだけじゃない。俺の全ての想いを、覚悟を、そして残り少ないかもしれない毛根エネルギー(?)を、この抱擁に注ぎ込む!


(思い出すんだ、忘! 俺は凡太だ! 君の隣にいる男だ! 君が失ってしまった記憶は、決して消えていいものじゃない! 君が「大好き」だって言ってくれた、その相手なんだ!)


俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、心の底から叫んだ。そして、満天の星空の下、彼女の華奢な身体を、壊れ物を扱うように、しかし決して離さないという強い意志を込めて、再び、力強く抱きしめた!


温かい。震えている。そして、星の光を映して潤む瞳。

忘は、最初は抵抗しようとしたが、俺の必死の想いが伝わったのか、徐々にその動きを止めた。


「思い出すんだ、忘! 俺の名前は平凡太! 君は白雪 忘! 俺たちが一緒に過ごした時間を! 雪まつりで出会った日のことを! カフェでの実験を! 美味しかったパフェの味を! ヒグマから必死で逃げたことを! そして、この星空の下で、君が俺に伝えてくれた言葉を!」


俺は、彼女の耳元で、必死に呼びかけ続けた。一つ一つの思い出が、彼女の心の奥底に届くように。星々に祈るように。


この温もりを、この繋がりを、絶対に失いたくない! もう二度と、大切な存在を、目の前で失うなんて経験はしたくないんだ!


その瞬間、俺の脳裏に、忘れていたはずの、苦い記憶が鮮明に蘇った。それは、俺がなぜこれほどまでに「失うこと」を恐れるのか、その根源にある出来事だった。


あれは、数年前のことだ。俺が『レインボー☆セブン』に出会う前、熱心に応援していた別の地下アイドルグループの、俺の一番の「推し」だった子のことだ。


彼女の名前は、確か…そう、広瀬 ゆうか。グループでの愛称は「ゆうかりん」。小柄で、いつもニコニコしていて、八重歯がチャームポイントだった。歌もダンスも決して上手い方ではなかったけれど、ステージ上での彼女は、誰よりも楽しそうで、誰よりも輝いていた。その一生懸命な姿に、俺は心を奪われたんだ。


初めてライブに行った時、俺は最後列の隅っこで、ただ小さくなっていた。周りの熱狂的なファンたちのコールやペンライトの動きについていけず、場違いな疎外感を覚えていた。でも、ステージ上のゆうかりんは、そんな俺にも気づいてくれた(ような気がした)。曲の合間に、一瞬だけ、俺の方を見て、にこっと笑ってくれたんだ。


あの笑顔を見た瞬間、俺の世界は色づいた。大袈裟じゃなく、本当にそう感じたんだ。灰色だった俺の日常に、眩しい光が差し込んだような感覚。それから俺は、ゆうかりんの、そして彼女が所属するグループの熱狂的なファンになった。


バイト代をつぎ込んでCDを買い、ライブに通い詰め、握手会やチェキ会にも参加した。握手会で、震える声で「いつも応援してます! ゆうかりんの笑顔に元気をもらってます!」と伝えた時のこと。彼女は、俺の手をぎゅっと握り返して、「本当? ありがとう! 私も、凡太さんみたいなファンがいてくれるから頑張れるんだよ!」って、満面の笑みで言ってくれたんだ。


(…凡太さん、みたいなファン…)


あの時の言葉は、社交辞令だったのかもしれない。でも、俺にとっては、生まれて初めて他人から必要とされたような、認められたような、そんな温かい気持ちになれた瞬間だった。鈴木さんに「空気みたい」と言われて以来、ずっと自分の存在価値を見出せずにいた俺にとって、それは何物にも代えがたい宝物のような言葉だった。


だからこそ、彼女が匿名の誹謗中傷に晒され、心を病み、そして突然引退してしまった時の衝撃と絶望は、あまりにも大きかった。


SNS上には、心無い言葉が溢れていた。「メンタル弱い」「自業自得」「枕営業してたんだろ」…。そんな根も葉もない噂や憶測が、まるで真実かのように語られていく。彼女の努力も、葛藤も、涙も、何も知らないくせに、誰もが石を投げる。


俺は、必死に反論した。匿名掲示板で、SNSで、「ゆうかりんはそんな子じゃない!」と書き込んだ。だが、俺一人の声なんて、悪意の濁流の中では、あっという間にかき消されてしまった。他のファンたちも声を上げていたが、しょせんは烏合の衆。組織的な中傷の前では、あまりにも無力だった。


運営会社も、最初は「法的措置も検討する」なんて言っていたが、結局は及び腰で、具体的な対策を取ることはなかった。スポンサーへの影響や、さらなる炎上を恐れたのだろう。大人の事情、というやつだ。


そして、ゆうかりんは消えた。

まるで、最初から存在しなかったかのように。

彼女が最後にブログに残した言葉は、「今までありがとうございました。私のことは、忘れてください」だった。


忘れてください、だと?

ふざけるな。忘れられるわけがないだろう。

俺の人生に光をくれた、大切な存在を。


俺は、何もできなかった。守れなかった。

ただ、無力感に打ちひしがれることしかできなかった。

あの時の後悔は、今も俺の胸を締め付ける。


(だから…!)


俺は、腕の中の忘の存在を、改めて強く意識した。過去のトラウマを乗り越えるように、そして、今度こそ守り抜くという強い意志を込めて。


(だから、もう二度と、失いたくないんだ!)


忘も、ゆうかりんと同じように、特別な存在だ。彼女の力は、彼女を孤独にし、苦しめてきた。でも、それは決して、彼女自身の価値を貶めるものではない。彼女は、優しくて、健気で、そして、誰よりも「普通」の幸せを願っている、ただの女の子なんだ。


その彼女が、今、記憶を失い、怯えている。俺のことすら、忘れてしまっている。


(思い出せ、忘! 君は一人じゃない! 俺がいる! 君のことを大切に想っている人間が、ここにいるんだ!)


俺の強い想いが、過去の後悔を乗り越える覚悟が、まるで触媒となったかのように、腕の中の忘の身体から放たれる虹色の光が、ひときわ強く、そして温かく輝き始めた!


その光は、俺自身の心をも照らし、そして、忘の閉ざされた記憶の扉を、優しくノックするかのように、彼女の心の奥底へと浸透していく。


俺の腕の中で、忘の身体の震えが、ゆっくりと収まっていくのを感じた。そして、彼女の虚ろだった瞳に、確かな光が、まるで夜明けの星のように、再び宿り始めたのが分かった。


彼女の唇が、再び、ゆっくりと動いた。

今度こそ、はっきりと。


「…………ぼん…た…さん……?」


その声は、まだ少し掠れていたけれど、間違いなく、俺の名前を呼んでいた。

そして、その瞳には、さっきまでの怯えや混乱ではなく、俺を認識している、確かな光が戻っていたのだ。


俺は、全身から力が抜けるような、強烈な安堵感に包まれた。目頭が熱くなり、視界が滲む。


「…忘…! 思い出してくれたのか…!?」


俺の声は、涙で震えていた。


忘は、俺の胸に顔をうずめたまま、小さく、しかし何度も頷いた。


「うん…ごめん…なさい…。また、私…凡太さんに、怖い思いさせちゃった…」


「いいんだ! いいんだよ! 忘が、俺のことを覚えていてくれれば…それで、十分だ…!」


俺は、彼女の背中を、優しく、何度も撫でた。温かい。生きている。そして、俺のことを覚えている。失われなかった。守ることができた。それだけで、もう十分だった。


俺の目からも、涙が止めどなく溢れ出した。それは、安堵の涙であり、喜びの涙であり、そして、この奇跡の代償として確実に失われたであろう毛根への、惜別の涙でもあった。


満天の星空の下、俺たちは、しばらくの間、ただ黙って、互いの存在を確かめるように、強く、強く抱きしめ合っていた。降り注ぐ星の光が、まるで俺たち二人を祝福しているかのようだった。

この瞬間、俺たちの絆は、どんな記憶操作能力をもってしても消し去ることのできない、絶対的なものになった。俺はそう確信していた。


そして、俺のポケットの中で、ヒロインレーダーが、静かに、しかし力強く、新たな表示を映し出していた。


「信頼度:Lv.7」


ついに、到達した。忘との信頼度が、MAXレベルに達したのだ!


(やった…! やったぞ…!!)


俺は、心の中で雄叫びを上げた。

だが、その歓喜も束の間、俺はすぐに冷静さを取り戻した。いや、冷静にならざるを得なかった。信頼度MAX達成。それはつまり、ミッション達成の代償が、いよいよ本格的に請求されるということではないのか…?


恐る恐る、抱きしめている忘の頭越しに、自分の頭頂部に手を伸ばす。これまでも、薄くなっている自覚はあった。だが、今回は何かが違う。指先に伝わる感触が、明らかに、これまでとは異質だったのだ。


その感触は……。


……つるっ。


…え?


気のせいか? もう一度、指先で慎重に探ってみる。いつもなら、そこにはまだ、細く頼りないながらも、確かに「髪の毛」が存在していたはずだ。だが、今、俺の指が触れているのは…?


…つるり。


………………。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!」


声にならない絶叫が、俺の魂の奥底から、満天の星空に向かって迸った。

嘘だろ? マジで? 俺の頭頂部…てっぺんのあたりが…完全に…「無」になっている…!? まるで、そこだけ綺麗に剃り上げられたかのように、毛根の存在すら感じられない、滑らかな感触…!


(つ、ついに来たか…! 最初の犠牲エリアが…!)


俺の、長いようで短かった毛髪との共存の歴史に、今、明確な亀裂が入った瞬間だった。信頼度Lv.7達成の代償は、俺の頭頂部に、直径数センチほどの、完全なる不毛地帯を生み出したのだ!


(に、2割減って…こういうことなのか!? 部分的にハゲるってことか!? しかも一番目立つ頭のてっぺんから!?)


代償(ごほうび?)、エグすぎるだろ!!!!!!

この先、あと六人見つけたら、俺の頭はどうなってしまうんだ!?


俺は、忘を抱きしめたまま、満天の星空の下、自分の頭皮の未来に絶望し、打ち震えるのだった…。


(第二十六話 了)

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