中編
そうこうしているうちに、いつしか。
王子様は、自分の傍に男爵令嬢が居るのが当たり前のように感じ、その笑顔を見るのが癒しだと思うようになってしまいました。
彼は少しずつ穏やかになり、笑顔さえ見せるようになります。
いわゆる調教完了的なムーヴですが、王子様は、そんな環境に心地良ささえ感じていたのです。
「王子様、王子様! ほら見て、新作の手品です!」
「……あのさぁ。怪力で鉄の板を変形させて鳥を作るって、それタネもへったくれもなくね?」
「手を使って品を作るので、問題ありません! 実演販売とかすれば、高く売れるかも! オンリーワン的な逸品ですよ!」
「まぁ、確かに。んなこと出来んの、この世でお前だけだろうけどさ……」
ニコニコ笑う男爵令嬢の姿に、王子様は吹き出してしまいました。
「あ、お前。力の入れ加減を間違えたろ。そこ、切ってるぞ。血が出てんじゃねえか、全く」
「え、あ……っ」
戦場暮らしも長い彼は、傷の手当などお手の物です。
日常的に命を狙われた事だってあったものですから、王子様は医療キット的な物をいつも持ち歩いていました。
丁寧に、丁寧に消毒をし、包帯を巻きつけていきます。
「ほら、綺麗な指なんだからよ。大事にしろって」
「あ、はい……」
「なんだ、ぼうっとしやがって。熱でもあんのか?」
何の気なしにおでこに手を当てる王子様。
その途端、急に男爵令嬢の頬が赤くなり、瞳が少し潤んでいるように見えました。
「どうした!? まるで普通の令嬢みたいに弱った様子を見せやがって! おい、何かの病気じゃねえの!?」
「普通に失礼ですね、王子様!」
今時ベタ過ぎるほどの恋愛小説的ロマンス、それを邪魔されて、男爵令嬢はご立腹。鉈でぶったぎるような蹴りが脛に決まり、王子様は悶絶します。
太古に流行ったという、暴力的令嬢を彷彿とさせる所業。
不敬とかそういったレベルを超えた暴力ですが、王子様の脳内に懲罰! とか処す! とか、そういう言葉は浮かびません。
「いてぇだろ!? 待てこら!」
「王子様が悪いんですぅ!」
二人が出会った例の木を中心に、王子様と男爵令嬢はぐるぐるぐるぐる、バターになりそうな勢いで回りつづけます。そうしているうちに、いつしか。二人の顔には笑みが浮かんでいました。実に楽しそうなじゃれあいです。
そして、この頃からでしょうか。
王子様の評判は上がり気味になりました。
お顔が怖いのは相変わらずですが、ぶっきらぼうな所や皮肉気な所も、男爵令嬢に振り回される事で愛嬌と見なされてしまったのです。
良く見れば、顔の形も整っているし、出自は卑しいとはいえ、身分も上等。
――あれ、有望物件じゃね?
そう思った上級貴族のご令嬢たちの目が輝きます。
彼女達は、良くある物語の悪役のように特権や身分を行使。
時には絡め手などを使って、男爵令嬢を追い落とそうとしますが――
「……私の金づるを奪おうというなら、命を捨てる覚悟があるんですよね!?」
――常識を超えた暴の力は、時としてあらゆる策略を打ち砕く物なのです。
ならず者に男爵令嬢を襲わせようとしたもの、階段から突き落とそうとしたもの、陰湿ないじめを行おうとしたもの。
彼女達は、それを執行しようとしたその日の内に逆襲に遭い、精神的外傷を深く心に刻み付けられる事になります。
しまいには、令嬢ズが逆さで校舎にぶら下げられるという、悪夢のような事件が起こってからは、誰も男爵令嬢に関わろうともしませんでした。
一応、王子様も解決に動こうとはしたのですが、男爵令嬢が先んじてやってしまったので、出る幕がありません。
とりあえず、使い慣れない権力を行使して、男爵令嬢の所業をもみ消すくらいが関の山でした。
――こうして無事、恐怖の二文字を引っ提げて、王子様&男爵令嬢の極悪コンビが学園に爆誕したのです。
「いや、なんでだ! どうしてこうなった!?」
「まぁ、いいじゃないですか。余計な邪魔の入らない二人だけの世界! みたいで!」
男爵令嬢は、ニコニコニコニコいつもよりも更にお得な笑顔でサンドイッチを用意します。その背の向こうに見えるのは、何人もの生徒の顔・顔・顔の群れ。
遠巻きにこちらを見つめる視線が居心地悪いこと、この上ありません。
男爵令嬢の言葉は真実でありましたが、少しだけ間違っていました。
彼らに恐怖を覚えるのは、下心のある者達だけ。
実の所、少なくない人数の生徒は王子様を敬遠せず、学友として接してくれるようになっていたのです。
特に、少数ながら存在する平民の裕福層――商家の人々は、身分を笠に着ない王子様の性格を好ましく思うようで、気兼ねなく話し掛けてくれたり、王子様が知りたい事を色々と話して聞かせてくれるので、彼も非常に有難く思っていました。
この学園に来て、良かった。
そして、この娘に会えて良かった。
王子様が柄にも無く、そんな事を思ってしまうくらい、学園生活は平穏で楽しいものでした。
そんな彼の変化を如実に感じ取ったか。
少女は、にんまりと笑いながら彼の傍へとにじり寄ってきます。
「どうです、王子様! 名実共に、私達はこの学園のカップルとして認められたようなものですし、そろそろ私をお嫁さんにしてくれますか?」
「それとこれとは、また話が別だ」
男爵令嬢はむくれながらも、彼の答えが分かっていたかのように、黙って紅茶を差し出します。
それをグイッと飲み干す王子様の姿に、少女はくすりと笑いました。
ぶっきらぼうだけど優しくて、そっけないけど心配性。
そんな王子様の事を、男爵令嬢もいつしか好ましく思うようになっていたのです。
「おや? また、その本を読んでるんですね。私にも見せてくださいよ、どんな内容の物なんです?」
「お前が見ても仕方ねえもんだ――ってこら、奪うな! 離せ! 引っ張るな! ほら、大人しく紅茶を飲んでろ!」
「そうやってすぐに誤魔化すんだから。仕方ない王子様ですねえ」
呆れたように笑いながら、少女はカップに再び紅茶を注ぎます。
ポカポカ陽が差す中庭で、二人並んでお茶をする。
その時間が、とても大切で、愛おしいと感じるようになったのは……どちらから、だったでしょうか。
それは、王子様も男爵令嬢も分かりません。
確かなのは、二人ともとても楽しそうに笑い合っている、という事実だけ。
――けれど、蜜月の時は長くは続きませんでした。
「……学園を退学する事になった」
ある日、中庭にやってきた王子様は、急にそんな事を言い出したのです。
「え? 何でです? 卒業式まで、あと少しなのに」
あ、分かった! と、男爵令嬢は手を打ち鳴らします。
「王位を継ぐことにしたんでしょ!? 戴冠ってやつですね! 遂に、王子様が王様に――」
「――ならねえ。俺は王にはならんし、なれん」
そう言って、王子様はある手紙を男爵令嬢に差し出します。
「ほらこれ、弟が主催する舞踏会の招待状だ。アイツにも話は通してある。女好きで永遠の愛がどうこうほざく、甘ちゃんの色男だが……優しい奴だ。これからの国に必要な男だ」
「……王子、様?」
「お妃様に、なりたいんだろ? 身分なんて関係ねえさ。お前なら、アイツを支えられる」
強引に渡された招待状と王子様を見比べ、男爵令嬢は目をぱちくりとさせます。
「ここで、お別れだ。お前との学園生活は――まぁ、悪くなかった。存外、楽しかったぜ」
「王子様、は……」
男爵令嬢は、王子様を見上げて言いました。
「私を、お嫁さんにしてくれないんですか?」
「あぁ……悪いな」
そう言って、少女の頭を王子様はそっと撫でます。
とても優しく、愛おしげな、その手つき。
それが、王子様に出来る――
精一杯の、『さよなら』だったのです。
後編はまた明日投下いたします