男爵閣下と屋根裏の使用人
ひょんなことで転がり込んできた虚飾の爵位。絶景オーシャンビューが自慢の、猫の額ほどしかない領地。以前の家業を活かして、夜は屋敷で居酒屋をして資金を稼いでいる。
頼みの綱は、唯一の使用人。
浜言葉のひどい猫耳獣人だ。
「こっち刺身盛り合わせ!」
「あいよー」
「氷下魚、トンカチもなァ」
「ポン酒まかしてるっしょや、こったらベロベロで漁に出るってか?」
「なんして! こっから本番だべ!」
「ほれ、ごんぼほってないで、な?」
へべれけになったお客さんを椅子から引き寄せると、子供に言い聞かせるように優しく諭す、諸般の事情でメイド服のままの使用人。
漁協の副会長さんは、巨乳に半分顔を埋めたままポケ~っと見詰め合ってから、腑抜けのように2度頷いた。
「誰か、副会長サン家さ連れてってジョッピンかってきて」
「なんもサ……」
「けっぱれっか」
「そったらもん」
「せばね、けっぱんだよ?」
このところ、不漁続き。
遊覧船を推奨してきた彼自身は漁業一本。
操業しても獲物がいない、釣れないのだ。
皆、押し黙って帰り支度を始めた。
領主としても、看過できない深刻な状況だった――
屋根裏部屋の前、どうしたものかと首を捻る。
と……不意に扉が開いた。
「あ?」
「えっ」
「なしたの。あぁ夜這い?」
「いえ、相談があったから」
「つまんね。便所さ行くから待ってれ」
苦笑いしながら、一旦、退出していった。
居酒屋の息子のする相談事。
つまらない内容に違いない。
「収入が減ってます」
「だべな、時化たツラしてるもんな」
「海の様子を、見てきてくれないか」
スッと真顔になった。
冷たい視線を感じる。
「沖へ漕ぎ出せっちゅー」
「違う」
「業務命令だべか」
「あくまで、相談」
「猫に海ん中ば見てこいってか」
月明りに黒い海、「ありゃただでないよ」と窓辺で独り言ちた。漁師の連中も、エリスさんにもわからない怪異が、あの底に潜んでいる。
「人件費で相殺できんべか」
「人件費?」
溜息ひとつ。
「下半分サカナだべ? 半額にすんべ~かねぇ」
お道化た調子で言った、それは経営の永遠のテーマだ。エリスさんは本人の言う通り人間ではない。それでも、名ばかりの男爵でも、接客のためにも、住み込みの家事使用人は必要不可欠。
「給料カットはできない」
「旦那様は、はんかくさいにゃあ?」
猫耳メイドのエリスさんは、名残惜しそうにカチューシャごと耳を外して乱れた髪を整えると、海に棲む魔物に特有の濡れた唇を歪め、凄艶な笑みを浮かべた。
「あの……今夜は猫耳で、朝から人魚ってのは?」
「馬鹿こぐな、なしてそこまでせばなんねぇのさ」