はじまり
【人間界】
街外れの小さな酒場で、酔い潰れた女がマスターに支えられて店の外へ出てきた。
「こんなにベロベロになるまで飲むなと言ったのに、1人で帰れるか?」
「大丈夫よ。そんなに家も遠くないし、マスターが思ってるほど酔ってないの。ひっく…気持ち悪い…」
「よくもまー、赤い顔してよく言うよ。」
「だから、大丈夫だって言ってるでしょ!じゃあね!」
女はマスターの腕を振り解き、ふらふらした足取りで路地を進んでいった。マスターは呆れながらも、店にあった《Open》の看板を《Close》へ変えて店の中へ入っていった。
噴水のある少し広い路地に出たとき、電灯がチカチカと点滅し、ついには消えてしまった。女は酔っているせいもあり、特に驚く事もなくため息をついた。
「もぅ、真っ暗で帰れないじゃないのよ。でも今日は満月だから、このくらいなら帰れるわね…」
そう言って、再び歩こうとすると、どこからか薔薇の香りが漂ってきた。すると、なぜか全身がビリッと痺れたかと思ったら鉛の様に動くことが出来ない。流石に酔いもしかし冷めてきて、頭の中もハッキリしてくる。
「どうなってんの?動かないっ…」
コツコツと暗闇の中から、こっちに向かってくる音と共に、白い霧がもくもくと周りを包み込んでしまい、月の光さえ見えなくなった。霧の中から黒いフードに身を包んだ男が出てきた。フードの中から、赤い眼が女を捉える。
「ひっ…」
赤い眼と目が合った瞬間、背筋が凍る様な感覚が女を襲う。男はさらに女に近づいていき、女の長い髪の毛を首筋が見えるように後ろへ掻き分けた。
「あんた、誰!?あっち行って!」
声が震えながらも、かろうじて動く口を動かす。すると男はギロッと女を睨み、人差し指で女の口を塞ぐ。
「んー!?んーーーー!」
「うるさい。もうお前は喋ることはできない。お前の様な女でもあの方の役に立てることを死んで喜ぶがいい。」
女の首筋に顔を近づけて、鋭い牙を突き立てる。ジュルジュルと血を吸っていき、若々しかった姿から老婆の姿へと変化していった。血を吸い終わると、女を突き飛ばし口についた血を舐めとる。
「後いくつ血を集めれば彼の方は復活なされるのだろうか。まだ足りない。次の生贄を探さねば。」
そう言い残すと、霧と共に闇の中へと消えていった。消えた電灯は再び明かりを取り戻し、枯れ果てた女の死体を照らすのだった。