リスペクトすべき創作論議って?
日々文体や読書量、ジャンルについて活発な議論が交わされているそうです。
私はいうべき意見自体はあまりなく、好きなだけ議論すれば良いと思うのですが、ヤダなーと思う議論の仕方がいくつかあり。
一つ目は、「個人の感想」を断定的に言ってそれがあたかもルールであるかのように述べるもの。いわゆる主語がでかい系。これの何がイヤかって、ルールだから議論にならないところです。
一番わかりやすいのは文体ですかね。書き言葉の文法ルールの論点については、歴史的な背景は夜霧醒客さんがノベラでまとめてくださってるから、論理的には論点にならないところで、あくまでも今風の読み易さと対比して読みにくい人が多いかも知れないと言った論調にしかならないはずなんですけどね……
つまり、「今のなろうの主流の書き方じゃないから読みにくい人が多いですよ?」「ありがとう。でもこれが自分の表現なんです。」で終わる話。それが何故かいつも拗れるイメージ。
二つ目は、主張を批判する流れで人格や作品を批判するもの。言わずもがな。そもそも議論するときにテーマを逸らしてる時点であー、真っ当に論戦できないんだな、と思うので、あくまで戦うときは正論で行くべきだと思います。
三つ目は、わざわざスコップしてその文章の未熟さを笑うパターン。炎上するかはともかく、誰もがそういう憂き目に合う可能性を持っているから怖い!
私は割と重言とか主語述語の不一致とか気付くタイプですが、それを気にしてると面白い作品を見逃してしまうので気にしないようにしてます。なろうはアイディア勝負で充分で、文の綺麗さとか読み易さはボーナスでいい気がします(お金を取るなら別)
「文法ちゃんとしてなくても大丈夫」のバイブルは、山田悠介先生のリアル鬼ごっこだと思うので、なろう書き手の未熟さが気になる人はまずはアレを百万回叩いて欲しい(笑)学生時代にほとんど本を読まなかったという先生が自費出版したリアル鬼ごっこは、てにをはがものすごく独創的だったにも関わらず百万部売れたんでしたっけ?
むしろなろうで気になるのは、アイディアの類似性をどこまで許容するか、という点なんですが、この辺の議論ってもう尽きてますか?
ともかく、それ以外の話であればいくらでもやっていいと思います。純文学エロ理論とか面白かったですし。現代の純文学がW村上ゴールならエロが必要かもしれないし、そもそもゴールなんて某選考委員の嗜好で決まるのかもしれないし、東野圭吾先生の秘密が直木賞選考でエロから逃げるな、ってボコボコにされてるから大衆だからエロ抜きでオールセーフってわけでもないし。
一個だけ言えるのは、常に自分が物事に不明である可能性を考えて先達はしっかりとリスペクトしつつ、現代のなろう小説で切り開きたい表現を探すことは尊いってことですかね!




