もしも就職相談センターが大学から独立したら
登場人物を、一部、拙著「千年の大樹」から流用していますが、そちらを読んでいなくても読める内容です。
某年、政府は、就職相談センターを大学から独立させ、職業訓練校とすることを義務づけた。そして、中学校を卒業していて、最低限の規則を守る誓約をしたすべての者が利用できるものとした。
これを期に、大学の労働組合の活動は穏やかになった。大学が就職予備校と化す問題は提唱されて久しいが、そもそも就職予備校が大学から独立してしまった今や、その問題を敢えて述べる必要はないのだ。
そして政府は、新たに企業に職員研修税を課した。すなわち、企業は、新人を一人採用する毎に、新人研修税を納めねばならないのである。そして、採用要件が厳しければ厳しいほど、高い新人研修税を納めねばならないのである。
この税源によって、職業訓練校において、今の企業で言う新人研修が行われる。この研修プログラムの中には、電話応対、接待マナー、企業経理等の様々なセミナーおよびテストがあり、各地の大学においてすでに設置されていた就職相談センターにおいて、プログラムが行われるのである。企業は、税金を納めねばならないのと引き換えに、その企業特有のもの以外のすべての研修を省略できるのである。
忘れてはならないのは、中小企業の存在なしに日本経済はまわらないという事実だ。研修費用の半額は受講者の負担であるため、応募条件として求められてもいない研修を受けるのも応募者の勝手である。「研修が充実しているから」という本質的でない理由によって大企業に入社すべきではない。大企業に見合う大きな仕事がしたいから大企業に入社すべきである。また、小回りの利く独創的な仕事がしたいから中小企業に入社すべきである。
織田道彦は、文学部の日比谷教授のもとで学ぶ環境倫理学の研究生である。彼は自分の研究に誇りを持っている。公害病に対する補償がしっかりと行われなければならないと、研究論文を通して訴えているのだ。決して、就職のネタにするために研究をしているわけではない。
しかし、そのようなことは関係なく、彼は学部時代に、企業経理第三課の試験に合格していた。彼の就職しようとする企業に、大卒の要件はない。専門資格、専門知識を要する場合を除いて、企業が大卒を採用要件にすることは法律で禁止されている。道彦の働こうとしている企業の応募要件は、職業訓練校において、経理数学六十点以上、政治・経済八十点以上を取得し、ビジネスマナー第一課から第五課までを履修していることだ。企業が求めているのは、何も見ずに二次元のポアンカレ予想の証明を書ける学生でも、万葉仮名の読み方を習得した学生でもない。経理数学のできる学生なのだ。
もちろん、採用面接などという野暮なものはない。ビジネスマナー研修を第五課まで履修した者に、なぜそのようなものが必要なのか。寿司職人の新人の修行のごとく、とにかく一週間、無賃で雑用を行うのだ。「あなたを動物に例えると何ですか」という質問に当たり障りなく答えることと、企業に貢献する姿勢を見せること、どちらが誠意の表現として適切か、言うまでもあるまい。そして、企業で雑用とはいえ業務を経歴として積むことと、動物質問に答えること、どちらが自分にとってプラスの経験になるか、どちらに対策時間を費やしたいと思うか、これも言うまでもあるまい。そして無賃雑用係は多ければ多いほど正社員の負担は減るので、企業側にそれを拒む理由はない。さらに、その雑用の中で、道彦は、日比谷という関係ない人物を巻き込む必要はないのだ。突然だが、あなたの前に「アイドルのキムタクに似ているとよく言われる織田道彦でーす★」と道彦が現れたとしよう、「何言ってんだこいつ」って思わないだろうか?キムタクに似ているかどうかはあなたが容姿や所作を見て判断するのであって、自称するものではない。同様の理由で、道彦は、日比谷研究室での武勇伝を語る必要はないのだ。
一方で、海老原凛は、看護師志望である。当然のことながら看護学科を卒業していなければならない。彼女に求められる採用要件は、ビジネスマナー第三課までと、一週間ただひたすら先輩看護師と共に病院施設を清掃することである。病院を清掃するわけだから、学校の掃除と同じと考えてはならない。
職業訓練校には、いつ通ってもよい。大学と並行してでも、卒業後でも、歳を取ってからでもよい。道彦のように、本気で取り組みたい研究と時期を分けて通ってもよいし、卒業前に大学と同時に通ってもよいし、卒業後に通ってもよい。
ところで、道彦は、密かに環境系の非営利組織の設立を目指している。そのために経理の業務を積もうと思い、会社でその実務経験を得ようとしているのだ。しかしながら、面接というシステムはないため、志望動機で嘘をつくかどうかを気にする必要はないのだ。ただ必要なのは、環境倫理学は環境倫理学、寿司職人型システムの見習いは見習いと、けじめをつけることである。多くの日本人が信仰している仏教において、妄語、すなわち嘘は、邪悪なものとされている。ところが、けじめをつけることが邪悪だなどという話は聞いたことがない。
さあ、仏様の教えに従い、嘘の茶番をやめようではないか。