7.出発
やがて、西の空が赤みがかった陽の光を俄かに放ち始めたその頃、ミンクの父親が帰って来た。
「おかえり、おっ父、シックスさん目が覚めたよ。記憶を失くしてちょっとアレだけど」
そう言って鉄人を指差し、にこりと笑うミンクに父親が慌てた様子で口を開いた。
「これは娘がとんだご無礼を!」
なるほどアレ呼ばわりという無礼を差し引いてもその慌てぶりが度を超している。つまりこれが人族と猫族の本来の関係という訳だ。胸に湧く複雑な感情をそっと仕舞い込み、鉄人は目の前で頻りに恐縮する男に頭を下げた。
「いや、無礼だなんてとんでも無い。お前さんらには助けてもらって感謝しか無え。これは一生の恩ってやつだ。ここまで運んでくれたそうじゃねえか、改めて礼を言う。ありがとう、俺はシックスだ」
ミンクにそう名乗った以上仕方ない、と鉄人はしばらくこの名で通す事を決める。
「その上で、もう一つ面倒を聞いちゃくれねえか? 俺はここに居ても感謝の言葉を述べるばかりでお前さんらに何も返せねえ。だからよ、街に出たいんだがよ、お前さんが次に余所へ出かけるついでに俺も連れてっちゃくれねえかな。俺はまだここの道に不慣れでよ、またあんな魔物に出くわしたんじゃたまんねえ」
そう言った鉄人の申し出を、ミンクの父親は恐縮しながらも笑顔で了承した。
「私はミンクの父親でデックスと言います。もちろん街までお送りしますが、そんなに恩に感じて頂く必要はありません。いやこれは本当です。というのも、シックスさんが倒れておられた場所にマカラ蠍の大きいのがおりましたでしょ、あの大きさは滅多に見ない。しかも近付いてみるとどうやら死んでいる」
蠍の殻は高く売れるんです、とデックスは白い歯を見せて笑った。
「突然大きな音がしたので何かなと思い行ってみたんですがね、非常に幸運でした。それでそこにシックスさんも倒れておらてたでしょう? 私は貴方がこの幸運を運んでくれたんだと感じましたよ」
彼はしばらくは仲間とその蠍の素材採取に明け暮れるらしい。
「あっは、おっ父、シックスさんはね、その蠍を一人で倒したって言うんだよ、可笑しい」
「これは面白いご冗談を。しかし不思議な事もあるんですよ、調べてみてもあのマカラ蠍には傷跡が無かった。全身を硬い殻に覆われているでしょう? 普通は目を貫いて狩るんですが、その目も綺麗なままだった。いったいどうやって死んだのか……」
そう言ってデックスは腕を組んで首を傾げた。鉄人は知っている。確かに傷はある。但しそれは口の中だ。銃弾が貫通していれば頭の後ろにも小さな穴があったかもしれない。何れにしても、見落とす程の僅かな傷だったに違いない。
だが鉄人がそれを口にする事は無かった。言ってもこれまで同様信じてもらえないと思ったからだ。そして信じてもらう必要も無かったからだ。
「それにしても……」
代わりに鉄人の口から漏れたのは独り言のような呟きだった。
あの時は特段気にもしていなかったが、今考えればあの尻尾の締め付けをよく耐えたものだと思う。いや、そうだ、蠍に向かって走った時も、いつもより速く走れた気がする。その尻尾に飛び付いた時、確かに体が軽かった。まるで翼でも生えたかのように。
これは……
「あの、シックスさん、どうかされましたか? それでその隣街なんですけど、宿が一軒ある程度の街で。ただ丁度王都に向かう商人のキャラバン隊が明日にでもその街を発つようです。それに合流出来れば王都までは行けると思います」
デックスの話ではどうやら隣街というのは鉄人が期待するような規模のそれでは無いらしかった。
この世界で今のところ無一文の鉄人だが、彼が街に出ようとするのは仕事を探すとか、そういう理由では無い。ましてやミンクとの話に出た魔王軍を討伐する為に、大冒険の旅に出ようという訳でも勿論無い。
彼の唯一の目的、それは賭場を探す事、それだけだった。
鉄人は何処にいてもギャンブラーだ。それ以上でもそれ以下でも無い。賭場さえあれば、ギャンブルさえ出来れば、後は何とでもなる。
そしてたとえここがどんな世界であっても、それが所謂異世界であったとしても、ギャンブルだけは必ず存在する。そう鉄人は確信していた。人の持つ欲を、その射幸心を、鉄人は信じていた。
「ああ、それじゃ頼むぜ。俺を明日その隣街まで連れていってくれ。俺は王都に行く」
「シックスさん、行っちゃうんですか……」
ミンクが寂しそうに俯く。
「すまねえな、ミンク。せっかく良くしてくれたのによ。だが、王都へはちょっと行ってくるだけだ。約束しよう、俺は必ず、必ずもう一度ここへ帰ってくる。受けた恩を返せるだけの力を持ってよ、だから楽しみに待ってな」
そう言って差し出された鉄人の手を、ミンクも強く握り返す。
その日、鉄人とその亜人の家族は夜が更けるまで語り合った。ミンクの事、デックスの事、この世界の事。ふと外に目をやると夜空に爛々と光り輝く満月。
それは鉄人にとって妙に懐かしさを感じる、そんな夜であった。
朝になり鉄人はデックスと共に隣街に向かう。なるほどそこは街というには少し寂しく、道端に商品を並べる簡素な骨組みの露店がぽつぽつとあるばかり。
しかし街に一つという宿の前には十頭ばかりの駱駝とそれに倍する程の人が集まり、ざわざわと騒がしい様子を見せていた。
「シックスさん、この商隊に同行して下さい。王都の商人で皆人族にあたります。話はつけておきましたから大丈夫です。それから」
そう言ってデックスが一本の短剣と黄金色に輝く石粒を鉄人に握らせた。
「念の為にこれを持って行って下さい。今日中には王都に着く予定の比較的安全な行軍ですがそれでも何が起こるかわかりません。道中、自分の身は自分で守らなくてはなりませんから」
それを受けて鉄人は、胸元から拳銃を取り出しデックスにそれを示した。
「デックス、これが何かわかるか?」
「いえ、何でしょう。見たことはありませんね」
「そうか、いやつまらん事を聞いたな、忘れてくれ。それじゃあこの短剣、有り難く貸しといてもらおう。お前さんには色々と借りばかりが増えるな」
鉄人は取り出した拳銃を再び胸元のホルスターに収め、新たに手にした短剣を腰のベルトに括りつけた。
どうやらこの世界には拳銃の類いは無いらしい。万が一有ったとしても一部の者しか存在を知らない程の代物だという事だ。
これはたとえ銃口を突きつけても威嚇にならないという事を意味していた。であれば目に見えてそれとわかる武器を携帯しておいた方が良い。
「それで、これは? ……黄金、か」
もう一つ、手渡された石粒を摘まみ上げて鉄人は空に翳した。
「王都に着いてもお金が無くてはどうにもなりませんから。二日三日の宿代にして下さい。昨日例のマカラ蠍、その素材の一部を売った分です。まだ素材は沢山ありますから遠慮はなさらず。さあ、そろそろ出発のようですよ」
鉄人は最後にデックスの手を強く握った。これ以上の言葉は野暮に思えたからだ。そして商隊の列に溶けてゆく。
やがて朝の光をその背に浴びながら、鉄人はカテルナ王国が誇る栄華の都その場所に向かうべく、歩みを進め始めたのであった。
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