6.亜人
「大体は理解した。次だ、ここはカテルナ王国と言ったな、他の国は知らないか? 日本だとかアメリカだとか聞いたことはあるか?」
その質問にしかしミンクは首を横に振った。
「すいません、その日本、それにアメリカですか? 私は聞いたことがありません。オゼルアニア大陸には多くの国があると聞きますがそれも私は知りません。この村の外に出る事はあまりありませんから」
伏し目がちにそう言った彼女の表情はどこか憂いを帯びて。
「ふむ、これは思ったより深刻だな。日本だアメリカだという問題じゃねえな、こりゃ。ここは地球ですら無えのか」
「地球? すいません、それも存じません。アースガルドにはそのような場所があるのですか?」
不意に出たそのミンクの言葉に鉄人は黙り込んだ。アースガルド、アース……地球?
ミンクが鉄人の顔を覗きこむ。
「ああ、すまねえ。何度も知らねえ事聞いちまってよ。それで、そのアースガルドってのはこの星の名前か?」
「ええと、星? 空に浮かぶ星ですか? 違いますよ、アースガルドはこの世界、何というか、そう私達の世界全ての事です」
ミンクはそう言って再び小首を傾げる。何かが噛み合わない、それはニュアンスの違いなのか、それとも常識の違いなのか。しかし鉄人はその小さな誤差ともいうべき違和感を今は呑み込んだ。
「一度整理させてもらおう。この世界はアースガルド、その中にオゼルアニア大陸があり、その大陸にカテルナ王国があり、その王国にコルポ村がある。それがここ。これで合ってるか?」
ええ、合ってます、とミンク。
「ありがとう」
把握出来た、と鉄人。つまりこの世界は鉄人が昨日まで居た世界とは全くの別物、言うなれば、そう、異世界。
そして元の世界との繋がりは今のところ殆んど無い。アースガルドというこの世界を示す名称に僅かな引っ掛かりを覚える程度だ。
こんな事が何故? と鉄人は思う。だが今それを問うても答えが返ってくる筈も無い。だから鉄人が次に発したのは別の言葉だった。
「答えられる限りで構わねえ、教えてくれ。亜人とお前さんが言う人族、その関係はどうだ? 特に諍いが有ったりしないのか?」
鉄人のその問いに、ミンクはやはり悲しげな表情をみせた。
「……あります。ここや近隣の村ではどうという事も無いのですが、王国の中心に行く程、その……差別というか、時には酷い扱いを受けたりもします」
やはり、と鉄人は思う。王国の殆どは人族だとミンクは言った。そしてその僅かな亜人が村に固まっている。両者に全くの隔たりが無い筈はない。
さらにミンクが亜人の立場で話した様に、どちらの立場が上かといえば、人族のそれが上なのだろうという事も鉄人には予想がついていた。
ちっ、胸くそ悪い話だぜ、まったく。
そう思いながらも鉄人はその苛つきを抑えた。その態度をここで見せるべきではない、と。
「ああ、でも亜人が皆そうだとは限りませんよ。竜族なんかは時に信仰の対象ですらありますから。尤も今ではその姿を見たという方も殆んどいない程、希少種族ではありますが」
鉄人の無言に気まずい雰囲気を感じとったのだろう、ミンクは少しおどけた調子で言葉を繋いだ。
「そうか、わかった。いや、人族らしい俺が言うのも変だけどよ、ありがとな。もう少しだけ無駄話に付き合ってくれ。俺が倒れてた砂地に居た、何だ、マカラ蠍か、この辺りにはあんなのが沢山いやがるのか?」
もしそうであれば、鉄人も迂闊には外に出られない。
「いいえ、マカラ高原に点在する砂地なら何処にいてもおかしくはありませんけど、とは言ってもあのように村に近い場所で姿を見かける事は珍しいですよ。それに魔物の中でも狂暴な方ですから、あんなのが沢山居ては困ります。数は少ないと思います」
それを聞いて鉄人はほっと安心の吐息を漏らす。と同時に彼女の発言にあった聞き捨てならない言葉について恐る恐る尋ねた。
「今、魔物って言ったか? 化物じゃなくて魔物? その、魔物ってのは他にもいるのか?」
驚いた様に目をぱちくりとさせるミンク。鉄人の鼓動が高まる。
「何を今更? ってそうか、記憶が無いのでしたね。ええ、魔物は他にもいます。沢山います。アースガルドの半分は魔王の領地です。王国軍は常に魔王との戦いに備えています」
出た! 魔王! 蠍の化物に猫耳の少女、薄っすらとは感じていたが、魔王! ファンタジーここに極まれり、だ。ああ、これは可笑しい、この世界はまさにファンタジー世界。
鉄人の心の中では出陣のファンファーレが高らかに鳴り響く。いざ行かん、戦いの地へ。魔王を打倒しこの地に平和を取り戻すのだ!
「あの、大丈夫ですか? そうは言ってもまだ魔王は復活してませんから、魔王軍の脅威もそれほどでは無いと聞いています。今は比較的平和なんです」
「そうか、それは良かった」
現実に引き戻された鉄人の奇妙な返答を受けて、ミンクがくすりと笑みを零す。そして、それを見た鉄人もまた可笑しそうに笑った。
「ははは、理解した。理解したく無い事も含めて理解した。最後になったが俺を助けてくれてありがとう。ミンク、お前さんにはいくら感謝してもしきれない。おそらく今俺はこの世界の金を全く持ってはいないのだろうが、いずれ何らかの形で必ず礼はする。それまでこの恩は貸しておいてくれ」
ベッドから降りた鉄人はそう言って深々と頭を下げた。
「そんな、感謝だなんて。シックスさんを助けたのは私じゃなくておっ父です。街から帰ってくる途中にシックスさんを見つけてここまで運んだそうです。私はここで看ていただけですから」
「そうか、では感謝しなければならないのはミンクの家族全員に対してだな。いや、この村がどんな処かは知らねえが、村の全てに俺は感謝する。ポルカ村、覚えたぞ」
「そんな、大袈裟な。この村の人にとっては砂地で倒れている人を助けるくらい当たり前なんです。だからそんなに気にしないで下さい」
そう言って少女は少し照れたようにぶんぶんと首を振った。
そんなやり取りが何度か続いた後、鉄人は村の中を見学する為、ミンクの案内で外に出た。
「思ったよりも何も無えところだな、おい」
そこは鉄人の言う通り、民家がまばらに佇む他に何も無く、控えめにみても小さな集落といったところだった。しかも時折見かける村人はミンクよりも小さいような子供と畑らしき場所で鍬を握る老人ばかり。
「皆だいたい高原を少し行った隣街に働きに出ているんです。お昼ご飯に帰って来たおっ父もまた出かけましたから」
鉄人の心情を察したミンクが説明する。ここでは僅かばかりの畑以外に仕事は無く、壮年の男は皆マカラ高原で魔物を狩り、それらから取れる革や角、牙といった素材を近隣の街に売り歩いているのだそうだ。
一方の女性は街で給仕に務めたり、中には踊り子として街を訪れる客の目を楽しませたりしながら生計を立てているらしい。
「帰るか……」
狭い村である。あっという間に見るものを見終えた鉄人は再びミンクの住む家に戻り、日が暮れるまでを休みながら過ごした。
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