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3.大勝

 自室に戻った鉄人はジャケットを脱ぎ、ネクタイをほどく。高揚のピークが過ぎたとはいえ、先程までの勝負を振り返ると胸に熱いものが込み上げてくる。


「いい勝負だった。初日から熱くなれた」


 自然、そんな呟きが漏れた。無論、鉄人はこの日の為にあらゆる手段で調子を整えてきている。昨夜の仲間内での麻雀もその最後の仕上げだった。


 だがこの手のギャンブルはその場についてみないと、そう蓋を開けてみるまではわからないのが常。


 彼がギャンブラーを自称するようになってこれまで一度も負けた事は無かったが、それは局地的な勝ち負けを含んだ話ではもちろん無い。

 例えば先程のルーレットにしてもその全ての数字がわかってしまうような、神の目の如き能力を持っている訳ではないのだ。


 だから今日も持ち込んだ種銭が減らない程度に、流れが来るのをじっと待つつもりでいた。それがちょっとしたいざこざをきっかけにして激流が訪れたのだ。


 確かに調子は良い。だが良過ぎる。これに鉄人は黄色信号を点した。


「お客様、ルームサービスをお持ち致しました」


 軽く目を閉じ思考の海に沈む鉄人に突如、扉の外から声が掛かる。


「ああ、ちょっと待ってくれ」


 声の感じから先程のバニーガールでは無い様だ。そう思いながら鉄人は部屋のドアを開ける。


「失礼致します。お飲み物をお持ち致しました。何か飲まれますか?」


 そう言って様々な飲み物が乗った小振りのワゴンを押すその人は、やはり日本語の流暢な綺麗な女性であった。

 鉄人はワゴンの飲み物に目をやる。


「そうだな、その開いているやつでいい。ブランデーか? ロックで貰おう」


「今日はお楽しみ頂けましたか? 何かご要望などあれば承ります」


 カラリと音を立てながらグラスの中で氷が踊る。そこに注がれる琥珀色の液体。女性がそれを差し出した。


「別に無いな。俺は別に遊びに来たわけじゃねえからよ」


 そう言いながらグラスに口を付ける鉄人の肩に女がしなやかに手をまわす。


「ではこの後はどうなさいます?」


 女の声に妖艶さが滲む。


「あ?どういう意味か知らねえが、どうもしねえよ。ところでお前さん」


 絡み付くその手をするりと解き、鉄人は立ち上がると、その懐から取り出した黒く鈍い光を放つ拳銃を女に向けた。


「何者だ?」


 女は答えない。


「まあ、何者でも構わねえか。本当にこの船のサービスならそんな口の開いた酒なんか持ってくるかよ。只の娼婦か? それともこそ泥の類か? まあいい、さっさとここを出て他の部屋にでも行きな。そうしないとその綺麗な額に穴が開くぜ」


「……わかりました。お言葉に甘えて失礼します」


 女がワゴンを引いて部屋から出ていく。やがてカチリとドアの閉まる音が響き、その姿が鉄人の視界から完全に消えた。


 見た目にも重みを感じるその拳銃を鉄人は再び懐に収める。


 USSRマカロフ、鉄人は今回の乗船にあたってこの拳銃を一丁と替えのマガジンを二つ用意していた。勿論護身用の為だ。


 だが専らそれは威嚇の為で実際に引き金を引くことは無い、鉄人はそう考えている。

 扱い易いと勧められたこの銃を試し撃ちした結果、五メートルも離れると的に当たらないという事を彼は確認しているからだ。


 だが威嚇の為なら効果は十分ある。練習を重ねた鉄人の構えはなるほどさまになっていた。


「これだから、油断できねえ」


 ふう、と大きく溜息をついた鉄人は煙草に火を着け、仰向けにベッドに倒れ込む。

 そしてそのまま目を閉じ、ゆっくりと緊張した身体を解していった。



 どのくらい眠っただろうか、鉄人はテーブルに置かれたままのロックグラスを一飲みに呷った。生ぬるい琥珀の液体が喉に絡み付く。

 そしてシャワーを浴び服装を整えて、再び勝負の場に身を投じるべく、足早に部屋を出ていった。


「ちっ、まだ明るいじゃねえか。まあ、起きちまったもんは仕方ねえか」


 気力は十分にみなぎっている。であればカジノに向かうのみ。鉄人は一つ大きく息を吸って、絢爛なその扉に手を掛けた。


 昨日のプレイルームを更に通り過ぎ、鉄人はVIPルームに入る。そこには三人の客がポーカーテーブルに座って遊技を楽しんでいた。


「お待ちしておりました。今日はお早いお着きですね」


 どうやらこの部屋でスタンバイしていたのだろう、昨日のバニーガールが直ぐ様鉄人の元に駆け寄り笑みを向ける。


「ああ、ところで客はこれだけか? まあいいか、チップを用意してくれ」


 飲み物を受け取りポーカーテーブルに座ってぐるり辺りを見渡す。比較的大きく張っているアラブ系の男、その隣にスーツ姿の壮年の男性、そして少し離れたところにまだ学生のように見える青年。

 アラブ系の男以外は様子見といったように小張りを続けているようだった。


 やがて鉄人の前にも九枚の大きなチップと沢山の小さなチップが積まれる。

 その内の一枚、小さなチップを鉄人はアンティと記された枠に置き、ベットした。


 このカジノのポーカーはホールデム、客が何人いようがディーラーとの一対一の勝負となる。そしてそこに駆け引きは存在しないといっていい。


「フォールド」


 手元の二枚のカードを見て鉄人が降りを宣言する。共通の場に出される五枚のカードと、自分に配られる二枚のカードから手役を作るこのゲームはほぼセオリー通りに進む。


 そうやって何度かの勝ち負けを繰り返していると、客の内の一人、上等なスーツに身を包んだサラリーマン風の男が鉄人の元へと歩み寄ってきた。


「こんにちは、ミスター。このディーラー君はなかなかに手強くてね、私も手を焼いているんですよ。どうです、丁度ここには四人のプレイヤーがいる。ゲームを変えてみませんか?」


 そう言って男はにこりと笑みを浮かべる。昨日の無礼な男とは違ってその丁寧な口振りに、鉄人もチップを動かす手を止めて視線を向けた。


「この部屋にあるのはこのポーカーと隣のバカラだけだろ? バカラに移るってのか? 変わらないと思うがな」


 隣のテーブルに席を移したところでしばらくはセオリー通りに小張りを続けるだけ。未だ熱の籠らない鉄人にとってはどちらも大差は無かった。


「いえいえ、四人いる、と言ったでしょう。このVIPルームは我々客の自由に遊ぶ事が出来る。貴方さえよければ奥の麻雀ルームへ場所を移しませんか?」


 麻雀か、と鉄人は思う。だがそれは時間が掛かり過ぎるのではないか。いや、それも構わない。このまま熱の籠らない勝負を続けても同じ事、麻雀なら席に着いた途端にギアが数段は上がる。


 寧ろ懸念は客四人での勝負というところにあった。鉄人の目的はこのふざけた企画に自分を招いた主催者を打倒する事、まあこれは本人にしてみても比喩に近い表現だったが、その勝負の相手はあくまで他の客では無く、この船自体に向いていた。


 しかし……


「いいぜ。尤も他の二人はそれでいいのかよ。お前ら馴染みか?」


「ええ昨日から一緒に遊んだ仲です。彼等も好きですよ、麻雀。とはいっても普通にやっては時間が掛かり過ぎるでしょうからルールは特別なものになりますが。まあその辺は場所を移してお話ししましょうか」


 男に従って鉄人は部屋を移る。するとそこには一台の麻雀卓がぽつんと置かれていた。

 他の二人もそれぞれチップを精算しながら卓の周りに腰を降ろす。


「では改めてルールを確認しましょう」


 スーツの男がリーダーシップをとる。


「お二人には退屈な説明になるかと思いますが、新しいお客人がいらっしゃいましたのでご勘弁を。まず持ち点ですが各自四千点でゲームを始めます」


 アラブ系と学生君の二人は昨日もこの麻雀をやっていたようで、スーツの男は専ら鉄人の方を向いて話し始めた。


 そのルールはこうだ。誰か一人の持ち点がゼロを下回ると、所謂箱下になるとゲームは終了。その時点で持ち点が最初の四千点に満たない者は敗者となる。

 敗者の掛けたチップをトップが総取る。例えば最初の一局でハネ満、三千六千をツモ上がれば、その時点でゲーム終了、ツモった者のチップ総取りとなる。


 そして尤も重要なのは、誰か一人だけが沈んでゲームを終了させるような上がりをしてはならない、というところだった。最初の局に五千二百を出上がる、これはルール違反なのだ。

 更にそうなる可能性があるリーチも掛けてはいけない。


 後は細かい違いとして、ドラが無い、裏ドラも無い、赤牌がそれぞれの五に各一枚、といったところか。


「それで、肝心のレートは大チップが一枚です」


 鉄人がサイドテーブルに目をやると、小さいチップが纏めて大チップ一枚に交換されており、合計十枚のチップがバニーの彼女によって積まれていた。

 他の三人の手元にも大チップのみが積まれている。ここからはこのチップを四人で取り合うのだ。


「それでは始めますが、せっかくこうやって一緒に卓を囲むんです、お互いに自己紹介をしておきましょうか。勿論偽名で構いません、私はバレノと言います」


「ああ、俺は陸乃目だ」


 鉄人が本名を告げる。


「アラジン」


「僕はゼロです、陸乃目さん、陸というのはシックスという意味ですね、僕はそう呼ばせてもらおうかな」


 アラブ系の男がぶっきらぼうに答え、学生風の青年が続く。


「ああ名前なんざ何でも構わねえ」


 一局目、鉄人に纏まった手が入る。中順を過ぎた頃、三面待ちの好形テンパイを得た鉄人は、その二順後に二萬をツモ上がった。


「ツモだ。七百千三百」


 そう言って開かれた手を見たバレノが頬を緩めた。


「素晴らしい、よくルールを理解しておられる」


「ん? 当たり前だろうがよ、この手リーチしたら駄目だって事だろ」


 リーチは他者に自身のテンパイを知らせる行為である。だが鉄人はその為にリーチをしなかった訳では無い。

 鉄人クラスの打ち手になると初順ならともかく、中順以降はリーチの有無に関わり無くテンパイは確実に他者の知るところとなる。


 だからこの場合、リーチを掛ければ点数が高くなるという利点のみを得られる訳だが、鉄人はそれをしなかった。

 答えはリーチを掛けるとルール違反になるから。


「昨日は同じ様な手でオジサンが一人退場したよね。あっは、今日はちゃんと楽しめそうだ」


 鉄人の先程の待ち牌には五萬が含まれる。そして五萬には赤牌が一枚。万が一、他者から赤五萬が零れれば満貫のその手は、誰か一人を沈めてゲームを終了させてはならない、というルールに違反することになるのだ。

 その場合、チョンボは大チップを皆に一枚づつという取り決めなのだが、その様なミスを犯してその後生き残れる程この卓は甘くない、ということだった。


 次の局も鉄人が難なく上がりをものにして、一回戦は彼の総取り、三枚のチップを増やし終了する。


 それからは一進一退、鉄人がトップをとるのも三、四回に一度といったところで、それは他の三人の実力の高さを示していた。


 しかし、トップこそ他と分けあっていたものの、その間鉄人は一度も沈んだ事が無かった。その為手元のチップはみるみると増えていった。

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