10.欲望
「よし、これでカジノに入れる。しかし勢いで言っちまったが、シックス・アイロン…… 恥ずかしい名前だな。まあ仕方無い、慣れるしか無えか。そうとなればこんな所に長居は無用、と」
独り言を溢しながら鉄人、いやシックスは王都に唯一のカジノへと向かう。異世界で初めてのギャンブル、思わず口笛でも吹きそうな、その足取りは軽い。
ギルドのあった中央区画を抜けて繁華街に戻り、東に行くとカジノがある。ちなみに繁華街を西に行くともう一つの賭場である闘技場だ。
「おう、立派な建物じゃねえか。これは期待出来る」
カジノの前にたったシックスは思わず顔を上げた。漆喰の白壁に重厚な柱が並ぶ。入り口の扉には細やかな装飾が施され、朝の陽を受けて眩しい光を放っていた。
中に入ると受付カウンター、ここで身分証を確認し、有り金を遊技の為のチップに替える。この辺りの仕組みは異世界でも同じらしい。
「ようこそ、カジノ・デザイアへ。心行くまでお楽しみ下さい」
従業員らしき男が丁寧に頭を下げる。それにしてもデザイア…… その意味するところは欲望だ。解ってて付けた名前か、とシックスは心の中で独り言ちる。だとすればここのオーナーは相当ひねくれているのだろう。
そんな事を思いながら、受付で黄金の粒を示す。デックスから貰ったものでシックスが今持っている有り金の全てだ。
「これは珍しい、いや失礼。この重さですと一万イエンです」
慎重に重さを量った店員が金額を告げる。どうやらイエンというのがこの国の通貨単位らしい。
ちなみに以前デックスがその粒で三日間程の宿泊が可能と言っていた事からも、一万イエンというのは一万円と然程変わらぬ価値と考えて良さそうだ。
「千イエンチップ十枚で宜しいでしょうか?」
そう言って小さいチップを積み上げる店員を片手で制し、シックスは一万イエンチップ一枚を受け取る。そして意気揚々と遊技場へ入っていった。
まだ明るい時分という事もあって、店内はそれ程混み合ってはいない。おそらく外が暗くなるにつれ、店内の賑わいも増す事だろう。
シックスはぐるり辺りを見渡す。そして思わず、あっ! と声を漏らした。
そこには彼にとって馴染みのあるトランプを使ったいくつかのカードゲームとルーレットが並んでいたのだ。
「トランプだ? こんな偶然あるかよ、何処の世界も考える事は同じってか? それにしてもな……」
シックスの、いやこの場合鉄人のと言った方が良いか、彼の常識とあまりに似通い過ぎている。ルールは多少違うのかもしれないが、各テーブルで行われていたのは、バカラにブラックジャックにポーカーにと、明らかにシックスの知っているそれだった。
「まあ、解り易くていいか」
奇妙な既視感を覚えつつも、そう言ってシックスが向かったのはルーレットのテーブルだった。
「ありゃ、これは……」
そこでシックスは明らかな違いに気付く。このルーレット、赤と黒のマスがあるだけで数字が描かれていないのだ。
ホイールのマスは全部で三十七、それらは赤と黒に交互に塗られ、最後の一マスは僅かに広い緑色だった。
掲示板には緑、赤、赤、黒、とこれまでの経過が並ぶ。
「配当は赤、黒が二倍、緑が三十六倍、なるほど、そういう事か」
チップを一枚しか持たないシックスはしばらくゲームの流れを見守る。
黒、赤、黒……
球を投げ入れているディーラーは小柄で猿のような顔をした男だ。その彼の口角がふいにニヤリと上がったのをシックスは見逃さなかった。
「緑だ」
そう口にしたシックスは手にした一枚のチップを緑色のマスに置いた。
やがて何度かホイールの内側を回転した球は、シックスが宣言した通りに、吸い込まれるようにして緑のマスに落ちる。
配当は三十六倍、こうしてシックスは一度に大量のチップを得たのだった。
シックスは初めてのゲームに際してまずルールを把握する。これは当然の事に思えるが、ルールを正確に把握し、それが持つ本当の意味まで深く理解出来る者は実はなかなか居ない。
このルーレットの場合、まず考えなければならないのは胴元の取り分、つまりカジノ側の利益はどこに有るかという事だ。
ゲームに参加する度にプレイヤーは手数料を支払う訳でも無い。ではどこで利益を得るかというと、その秘密は一つだけ設けられた緑色のマスにある。
そのマスが一つあるせいで、赤、黒、それぞれの出る確率は二分の一を僅かに下回る事になる。僅かな差であるが、それがまず一つ、カジノ側の利益となる。
そしてもう一つ、希に緑のマスに球が落ちた際、殆んどの場合それはカジノ側の総取りとなる。出る確率の少ない緑色に賭ける者は殆んど居ないからだ。
これらがカジノ側の利益なのだが、次にシックスが考えたのは数字の無い赤、黒だけのマスについてだった。
掲示板には過去の結果としてその色のみが残る。しかし実際には三十七あるマスの様々な所に球は落ちている筈なのだ。
シックスがしばらくその球の行方を観察してわかった事、それは球が緑のマスの周りに集まっているという事だった。
実はルーレットに於いて、一流のディーラーともなれば狙った所に球を落とす事は容易い。だからディーラーが球を送り出した後に客が賭ける、つまりルーレットというゲームはディーラーと客の読み合い、探り合いなのだ。
しかしどうやらこの猿顔のディーラーは一流では無かったらしい。そのくせカジノの利益ばかりを考えて緑のマスばかり狙うのでその周りに球が集まる結果となっていた。
そして一流では無いといってもそこはディーラーの端くれである。上手く投げ入れる事が出来た、これは狙い通り緑色のマスに入る、そう彼が確信した時、思わずその口許を弛めてしまったのだ。
シックスはその彼の表情から、半ば以上の確信を持って、三十六枚のチップを勝ち取ったのだった。
その後も調子の乗ったシックスはバカラやポーカーといったテーブルで勝ちを重ね、いつしかそのチップの数は三百枚を超えるまでになっていた。
「ここまでだな」
最初のルーレットでの勝ちが効いたのか、結果想定以上の大勝利を得たシックスだったが、それ故にその熱が冷めるのも早かった。
勝ち過ぎは良くない。その気になれば賭場の一つや二つ、あっという間に喰い潰してしまうシックスであったが、ここはこの街に一つしかないカジノ、無くなったり、そうで無くとも出入りを禁止されたりしたら困るのは彼自身である。
カウンターで今日の勝ち分を精算し、いくつかの硬貨と黄金で出来た板を受け取る。
この世界にどうやら紙幣は無く、一万イエンまでは硬貨、それ以上は重さに比例した黄金がやり取りされるらしい。
また、受け取った黄金の板から推測するに、この世界では黄金の価値がシックスの思うそれよりも随分高いことがわかった。
一グラムで一万イエン程度、それがどうやらこの世界での相場である。
「外はまだ明るい。宿の嬢ちゃんに何か土産でも買って帰るか……」
そう呟きながらカジノ・デザイアを出たシックスは、ふと彼を見つめる一つの視線に気付き、歩みを止めた。
「旦那ぁ、今日は景気良く勝ったみたいですねぇ」
振り向く彼にそう言って近付いて来たのは、ルーレットでシックスにしてやられた猿顔のディーラーだった。
「ああ、ディーラーの若いのか。何か俺に用か、厄介事は御免なんだが、お前さんがその気なら相手になるぜ」
大金を持った者が出口で襲われる、けちな場末の賭場ではよく見かける光景だが、この公営の如何にも清潔そうなカジノで同じような事が起こるとはシックスも思いたくは無かった。
相手を見据え、そっと腰の短剣に手をあてる。
「ちょっと待ってくれ、旦那ぁ。そんなつもりじゃねえんだ。まあ、ちょっと話を聞いてくれないか」
慌てて両手をぱたぱたと振る猿顔。
「そうか、いや悪かったな。で、話ってのは?」
そう言って短剣から手を離したシックスの態度に、猿顔の男は満面の笑みを浮かべた。
「いや、旦那、見たところここでは初顔のようだが、ギャンブルの腕は相当なもんだとあっしは感じたんでさぁ。ギャンブルの勝ち負けは運じゃ無え。今日の旦那の勝ちは偶然じゃ無え。そうたろ?」
「ん? どうかな。ビギナーズラックという事もある」
曖昧にそう答えたシックスに、しかし猿顔は首をぶんぶんと振った。
「冗談きついぜ、旦那ぁ。あっしのルーレットテーブルでもそうだ。何か癖でもありやしたか? いや、まあそれは置いといて、だ」
言いながら男は馴れ馴れしくシックスの肩に手を回す。
「旦那もこのカジノだけじゃ満足しないんじゃないかと、そう思ったんすよ。あっしのとっておきの賭場を紹介したいんですが、一緒に来ちゃくれませんか?」
そう言って頻りに指で何かを摘まむような仕草を繰り返す猿顔に、シックスも驚いた表情でその顔を向けた。
「おい、お前さんの言う賭場ってのは、何か? 麻雀か?」
「ええ勿論でさぁ。旦那も嗜まれるんでしょう? 麻雀」
その言葉にシックスは軽い目眩を覚える。ルーレットにバカラ、それにポーカーときて今度は麻雀だ。
カードを使ったゲームは考えようによっては同じものが出来上がる可能性はある。
しかし麻雀はある種独特のゲームだ。偶々同じものが出来たなどという事が有り得るだろうか?
この殆んど類似点をみない異世界で、ギャンブルの内容だけが似通い過ぎている。これの意味するところは一体……
「ん? どうしたんですか、旦那? 麻雀はお嫌いで?」
しかしそれは今考えても仕方の無い事だった。いずれその時が来れば解る事もあるだろう。その為にもこの世界の麻雀というやつに触れておく必要がある。
「ああわかった。俺も麻雀は嫌いじゃ無え。それで今から行くのか?」
「旦那さえ良ければ、今からご案内致しやす」
幸いまだ日も暮れていない。もう一勝負するだけの時間は十分にあった。
「それじゃ、案内して貰おうか。おっとその前に、お前さんの目的は何だ? 紹介料でも寄越せってか?」
「いやいや、あっしもその店の常連なんでさぁ。それで旦那にも気に入ってもらえるんじゃねえかと、そう思った訳です。尤も僅かばかりでも紹介料頂けるんでしたら、あっしとしても万々歳なんですがね、それはまあ旦那に気に入ってもらってからの話でさぁ」
ふむ、全く何も要求が無いよりはまだましか、とシックスは思う。勝負事の世界に於いては、善意なんてものが一欠片も存在しないという事をシックスは身をもって知っている。
だからこの誘いが単純にシックスのおこぼれに預かろうとしての事か、はたまた店側にカモの一人でも連れて来いと言われているのか、その真意を慎重に思案していた。
今のところ、五分五分といった様子か……
ともかくその店に行ってみることにしたシックスは、猿顔と連れ立って繁華街の方へと歩みを進めた。




