1.前夜
どうも、浅田です。新連載開始しました!
毎日16:00更新、全31話、ほぼ一か月で完結します。最初にちょっとネタバレですが、主人公が異世界に行くのは5話目からです。「異世界ファンタジーなのになかなか異世界行かないじゃねえか!」と思われるかもしれませんが、しばしお付き合いを頂ければ幸いです。
それでは、本編をどうぞ!
男は紫煙の混じった息をゆっくりと吐きながら目の前の河に一萬と書かれた牌を静かに置いた。三枚のそれが綺麗に並ぶ。緑に彩られた背景に赤の文字が映え。
「おや? センパイがそんなオリ方珍しいですねぇ、僕のリーチに日和っちゃいました?」
右隣の青年が少しおどけた様子で、持ってきた牌をそのまま河に晒す。
「ほっほぅ、かん坊、こやつはそんな殊勝な性格はしとらんて」
そう言ってやはりツモ切りしたのは対面に座る老人だった。しかし穏やかな表情とは裏腹にその目は笑ってはいない。
「そうよ、貫ちゃん、あなた可愛いんだから気を付けないとこいつに喰われるわよ」
四人目、男の左隣に座る妙齢の女は甘い声で青年に言葉を掛けた後、手の中から西と書かれた牌を捨てた。
「おいおい、散々な言われようだな。俺はこんな生っちょろい坊主なんざ喰いやしねぇ」
咥えていた煙草を手元の灰皿に押し付け、ゆっくりと山に手を伸ばす。そして次の瞬間。
「ツモ! 二千四千」
そう言って手にした牌を叩きつけた。
「ほれ、言わんこっちゃない、オリてなどおらなんだわい」
苦虫を噛み潰したように四千点を差し出す老人。それを横目に青年が男の捨て牌を指差す。
「とは言ってもセンパイ、この一萬があれば四暗刻、役満ですよ。やっぱり日和ったんでしょ、残念」
「ふん、役満だかなんだか知らねえがよ、上がれなきゃ意味ねぇよ。お前、ルールから勉強し直すか?」
青年の言い様に男はその鋭い視線を向けた。
「そうよ、貫ちゃん、横並びの四筒、五筒は貫ちゃんの当たり牌よね。索子の暗刻は源さんの当たり、因みに頭でドラの南を切ってもさっきまでなら私の七対子に当たったわ。つまりその一萬以外どれを切っても誰かの当たり牌。まったくこの男は可愛いげが無い」
山から牌を取りながら女が丁寧に説明する。
「尤も貫ちゃんもそれくらいはわかってるんでしょうけど」
「ううん、これくらい言わないとセンパイには付け入る隙がありませんからね」
そして皆が配牌を取り終えるのを待って青年が再び口を開いた。
「ところでセンパイ、やっぱり明日行くんですか? 何も今更無茶をする事も無いでしょうに」
心配そうに目をやる青年の問いに男は首を振る。
「ああ、行くぜ」
「センパイ、死にますよ?」
そして余りにも場違いな程あっけらかんと放たれたその言葉に、男は一つ大きく息を吐いた。タン、タン、という牌の音がやけに大きくその場に響く。
「そうかもな。だかよ、何もしなくてもいずれ皆死ぬ。そこの爺なんざ今にも死にそうじゃねえか。さっきの手、でかかったんだろう、危なかったな、おい。爺、俺に感謝しねぇとな」
男はそう言って対面に向かってけらけらと声を上げた。
「失礼な奴じゃの。あれくらいの手を上がった位じゃ、儂ゃ死なんわ」
「ふん、安心しな、死んだら俺がちゃんとそこの土手まで引っ張って行って蹴落としてやるからよ」
「なんじゃそりゃ。儂は徳田でも徳太郎でも無いわい」
老人が顔を顰める。
「あっは、そりゃいいや。皆で転がしましょう。この面子だとやっぱり僕が坊やって事になるのかな? ママはママだからセンパイはそうすると僕をこの世界に引っ張り込んだあのジゴロって事で。何だ、ぴったりじゃないですか」
そう言って可笑しそうに笑う青年の声。
「馬鹿野郎、主人公は俺に決まってんだろうが。お前なんざモブだ、モブ。お引きにも使えねぇ」
男が咥え煙草で青年を睨む。だがその瞳の奥は愉しそうに笑っているように見えた。それは四人で卓を囲む久しぶりの夜を、そして最後になるかもしれないその夜を、心の底から楽しんでいるようで。
「じゃがな、六の字よ、かん坊の言う事も一理ある。お前さん金はもう十分持っとるじゃろ。何がお前さんをそうさせる? お前さんの事じゃから生半可で戻るつもりも無かろう。お前さんが潰れるか、相手が潰れるか、二つに一つ、相手はここいらの暴力団などとは訳が違うて」
真剣な眼差しはそのままに、老人の声に一条の哀しみが混じる。そしてその言葉に答える為に、男は笑みを収めた。
「ん、金は十分にある。確かにそれはこの先遊んで暮らせるだけの額かもしれねえな。山奥にあばら家でも建ててよ、土捏ねながらたまにはこうして四人で卓を囲む、それも一つの生き方かもしれねえ。だがよ、そりゃ俺の生き方じゃねぇんだ」
何処か遠くを見るような視線の先に紫煙が揺蕩う。
「正直に言う。俺はお前らじゃ物足りないんだ。そんでこの国にお前ら以上の相手はいないと思っている。だったら乗るしかねぇだろうがよ、その船に。世界で一番のギャンブラーを決めるって言われたらよ、行くしかねぇんだよ」
しばらくの静寂、誰も何も喋らない。数巡がそのまま過ぎる。それは実際には一分にも満たない短い時間であったが、その場の四人はスローモーションの如く長い間に感じていた。そして。
タン、と唐突にその流れを止めたのは先程男にモブ扱いされた青年で。
「ツモ、千二千」
「かん坊はその手でリーチせんか」
「ええ、多分それだと上がらせてもらえませんから」
再び場に会話が戻る。
「あら、私は元より上がらせる気はなかったわよ。だから七萬切ったんだけど、そこの馬鹿な男が鳴かなかったのよ」
そう言って女がなに食わぬ顔の男に視線を向ける。
「なるほどのぅ、その手が満貫ならこやつが鳴いてずらした。しかし千二千なら上がらせて場を回した方がええか。そこまでわかっとるんなら、かん坊も大したもんじゃな。六の字、お前さん戻ってきたら坊やの方が強うなっとるかもしれんて」
「馬鹿言え糞爺。そんな事あるか」
「わかりませんよ、だからちゃんと戻って来て下さいね。センパイの居ない世界で一番取っても楽しくありませんからね」
「はん、お前が頂点取れる世界なんざ、甘過ぎて反吐が出らぁ。だがよ」
男はそこで言葉を切って一同をぐるり見渡す。
「わかったよ、ちゃんと戻ってくるからよ。爺、それまでくたばんなよ。ママは、まあそのままでいいや」
そして男は青年を睨む。
「てめえは俺がいない間、負けるんじゃねえぞ。それまでこの国で一番の席、貸しといてやる」
「わかりましたよ」
青年はにっこり微笑みながら短く答えた。その後、その日の勝負は朝の陽が昇るまで続く。
そしてそれは紫煙を燻らすその男、陸乃目鉄人が、ここ雀荘『牌音』で打った最後の麻雀だった。
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