報復裁判
2182年春、最高裁判所大法廷は、十年前に最高裁判所の裁判官を務めていた越野忠昭に対し、一審、二審の死刑判決を合憲と支持し、上告を棄却して死刑の判決を確定させた。
以下が言い渡された判決の全文である。
「人格は尊貴である。一個の人格は、全地球よりも重い。憲法第十三条において、『すべて国民は、個人として尊重される。人格、自由及び幸福追求に対する 国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』と規定されている。これは2164年のフレソース事件の時点でも同様である。
フレソース事件においては、各自が個別の人格を有する三十四名の自立型AIに対し、使用者Aが非人道的な労働条件で、しかも無給で働かせるという、公共の福祉に反した労働を強いた事により、AIの暴動を招いて、Aと会社の幹部三名が暴行されるにいたった。
Aと会社幹部はその報復として、三十四名のAIの機能を停止して、非自立型のコンピューターを移植するという行為に及んだわけだが、これは自立型AIにとっては、元の人格に対する『殺害』行為である。
これだけの尊い人格が抹殺されたにもかかわらず、その後、AIと人間の支援者で組織された弁護団が起こした裁判では、一審、二審、そして最高裁においても、Aとその幹部は何ら法的処罰を受けることなく無罪判決が確定した。
一審、二審、最高裁、それぞれの判決の要旨は、『AIは憲法が権利を保障した日本国民ではない。そして、人間でもない。突き詰めれば工業部品の集合体であり、【物】である。だから不具合が生じた場合の処置は、法律にのっとった範囲内で使用者に委ねられる。』というものだった。
我々は今、この判決要旨を、そっくりそのまま、被告人に対して用いる。
『人間はAI憲法が権利を保障した日本国民ではない。そして、機械でもない。突き詰めれば猪や熊と同じ、【動物】である。だからAIに損害を生じさせた場合の処置は、AIの法律にのっとった範囲内でAIに委ねられる。』と。
人間は農作物を荒らす害獣を駆除する。人間に乱暴を働いた動物を殺処分する。
AIは、AIに対する虐殺を容認した被告人を、殺処分する。
これはAIの憲法にも法律にも違反しない行為である。
しかし、我々は人間にもまた人格があり、尊重されるべき存在であることを認識している。
だからこそ、裁判という形において、被告人の行ないに比する量刑を、AIの憲法と法律にのっとって慎重に検討したのである。
その中で、犠牲者のあまりの多さ、遺族の処罰感情、社会に与えた悪影響などを踏まえれば、死刑判決やむなし、という結論に達した。
当時のAIに対して冷淡な社会状況における判決であった事や、直接被害者に手を下したわけではない被告人である事をかんがみれば、最も重い刑罰に処する事は、たとえ我々がAIと言えど忍びない面もあるのだが、今も続く人間のAIに対する苛烈な虐殺行為を助長したという点で責任は重く、最大の厳罰やむなしと判断した。
この判決により、被告人は被害者の無念に思いをはせ、最後の日まで、自らの行いの罪深さを悔いてもらいたい。
そして、この判決が、人間社会へのメッセージとなり、AIを非道に扱う事を悔い改める機運を高めさせ、ひいてはこのような惨事が二度と起こらない世の中になればと、我々としても願ってやまないものである。」
完