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18 鉱山の実態

「お前は202番だ、これを付けろ」



 馬車から降ろされたサミュはすぐ近くにある建物に並ばされ入ると、番号の書いた数字のバッジを順次渡されていく。

 今まで来たことがなかったが大きな岩肌とガレキの山があり、ここは鉱山だというのは一目で分かった。

 そしてこの扱い。どう考えても鉱山奴隷として攫われたのだと自覚するのにそう時間は掛からなかった。

 並ばされている間、色々と葛藤はしたがこのまま流れに身を任せると取り返しが付かなってまずいと判断してサミュは正体を隠すことをやめることを決心する。



「お、おい! 余はノーリンガム帝国王位継承者である。責任者を呼べ。これは何かの間違いだ!」



 少々、当初の予定とは違うがここで責任者に直談判し多少の金銭や地位の約束などをすれば馬車を手配させすぐにクレアたちと合流できるとサミュは踏んだ。

 


「あ? 何言ってやがる。頭のおかしいのがいるな」


「たまにいるんだよな、こういう嘘吐いて逃げようとするやつ。お貴族様だとか誰かと間違えて連れて来られたとかな。くくっ! 王子様ってのは初めてだが、いちいち相手してたらキリがねぇ。さっさと移動しろ」



 しかし男たちは一切を取り合おうとはしなかった。

 判断としては妥当なものだろう。こんなところに皇太子がいるはずがなく、しかも五年も前に部族連合に送られているはずの王子だ。名前はおろか顔を知っている人間なぞ一握りでしかなくそんな人間がここにいるはずもない。



「嘘ではない! 余に便宜を図らえば後の報酬は約束しよう。こんなところで働くよりももっと楽ができるぞ?」


「はぁ……やれ」


「うぃっす!」



 精いっぱいの交渉はした。しかし結果は深くため息を吐かれるとサミュの前に大男が立ちはだかる。

 そしてそいつは平手で彼の頬を打った。



「がっ!」

 

「いいからさっさと行け。後がつかえてんだよ」



 ある程度の手加減はしているのだろうが、体格差がまさしく大人と子供以上に開いておりサミュは転ぶほどの衝撃を受ける。

 肉体的なダメージよりも暴力を振るわれた精神的ダメージの方が強い。

 それでもきっと睨んで言い返す。



「な、何をするのだ! こんなことをして許されると思っているのか!? ここを出ても絶対にお前の顔は忘れないぞ!」


「まだ騒ぐようならもっときついお仕置きが待っているぞ?」


「……く……」



 サミュも馬鹿ではない。男の反応からして自分の主張していることが全く信じてもらっていないのを理解して自分の地位をダシに言うのはとにかくやめた。

 恐ろしさと痛みで泣き出さなかったのはサミュの子供にしては卓越した精神によるものだろうか。

 焼けるように熱い頬を思わず手で抑え痛みに堪え、暴力による屈辱は味合わされいつもの勢いはすぼんでいく。

 自分が皇太子で金を出せるのも本当だ。だがそれを信じてもらわないことには会話すらままならない。交渉とは相手のの言うことを信じて担保されることで足りえるのだと実感するのみだった。



「さっさと行け! クソガキが!」


「や、やめろ! 分かったから!」



 まだ殴られた衝撃にノロノロとしているサミュに大男がまた手を振りかぶり、慌ててサミュは建物から抜け出すことになる。

 そこからぽっかりと大きく入り口の空いた鉱山の中へ連れて行かれる。

 中は薄暗い。照明は松明が等間隔に壁に掛けられていて空気も淀んでいたし、足元には小さな石ころは無数に転がっていて気を抜くと靴裏がずるっと滑ってしまうほどに足場が悪い。

 少しそのまま歩かされるとややなだらかに下り大きな広間に出くわした。小学校の運動場ぐらいだろうか。天井は三メートルほどで幾つもトンネルが掘られており、どこからともなくツルハシの叩かく音が響いて聞こえてくる。


 そのトンネルの中からは従事する男たちが砂や岩を積んだ運ぶ用の荷車を押して出てきた。

 同じように数字のバッジを付けた人間たちだ。服はボロ布で顔やさらけ出ている手足は砂で汚れていて汗だくで働いている。およそまともな場所ではない。


 先頭が足を止め、連れて来られた全員が揃ってから鉱山夫の監視員が睨みを効かせながらダミ声で話を始め出した。



「いいかお前ら、今日からここがお前らの暮らす家であり職場だ。朝から晩までみっちりと帝国のために山を開拓して鉄や宝石を掘ってもらう。脱走など考えるなよ? もし行った場合は命の保証はしてやれん。さぁ班分けをするぞ。詳しい作業内容は同じ班のやつに訊け」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺たちは、俺はここでどれぐらい働けば解放されるんだ?」



 並んでいた男の一人が取り乱しながら質問をする。

 誰もがここに来たのは初めてで、ろくな説明もない。自分たちの身の安全が先に立つのは仕方のないことだろう。



「気になるか? なら教えてやる。十年だ。ここで十年勤めあげたら無事に外に出してやる」


「じゅ、十年だって!? そんなの外で稼いだ方が絶対早く返済できたじゃねぇか!」


「そんなことは知らない。お前らが考えるのはいかに多くの鉱石を採れるかだけだ。なに、すぐに時間の感覚など無くなるさ。まぁ十年耐えられたやつなんてほとんどいないがな。それまでお前らは俺らの――いや国の所有物だ。生かすも殺すも全てこちらの采配次第ってやつだよ」


「なっ……」



 十年で釈放されると言うがそれに耐えられた人間はほとんどいない。

 その事実に男は絶句する。



「(まずいぞ。このままでは王の座どころか余はここで野垂れ死にすることになる……どうにかして身の証を立てなければ……)」


 

 サミュにも焦燥感が募るばかりだった。

 自分が連れ去られて鉱山で奴隷として働かされようとしているなぞどうやったってクレアたちに分かるはずがない。

 ならば自分からどうにかしないといけないのだが、その方策が全く思いつかなかった。



「じゃあ今度こそ班分けをするぞ。195から198番は第一班だ。あそこの穴を進め。199から201は第二班だ。そこの穴だ。202から205は第三班。206から……」



 サミュは自分のバッジを見て三班だということを知る。

 そしてぞろぞろと周りの男たちが動き出すのに自分も後を付いていく。

 広間から縦横無尽に伸びている穴はまるでアリの巣のようだった。真っすぐ進んでは固い岩盤があったらすぐに方向転換をしまた掘るの繰り返し。無造作な進み方をしていて穴の中では方角すら分からない。その上、上ったり下がったりと歩いているだけで気持ち悪くなる。


 やがてツルハシの音が近くなってくるとそこにいたのは三人の男たちだ。

 一人は十代半ばで若い。もう一人は二十台半ば。最後の一人は五十代ぐらいだろうか。

 ちなみに新しく補充されたサミュと一緒にここまでやってきた男たちは三十代ぐらい。


 後ろから気配がしたのを感じ取ったのか五十代ぐらいの男がサミュたちに気付いた。



「お、ようやく補充員が来ましたね。これで少しは楽できますかねぇ」


「おっさん甘い考えだぞそれは。ここのやつらはその分、倍働けとか言うに決まってるんだ」



 サミュを除けば一番年下そうな十代の男の子が額の汗を服の袖で拭いながら皮肉を言う。

 軽口は叩いているがやはり相当に疲れる作業なのだろう。軽く疲労感がにじみ出ていた。



「ってか、俺より子供がいるじゃねぇか。ここのやつらマジでイカれてやがるぜ。ああっと一応自己紹介しておく。俺はテッドってんだ。宜しく頼むぜ」


「私はマイクロフト。で、そこの無口で人相の悪いのがベッゾ……って睨まないでくれますかい」



 十代の少年はテッド。五十代のちょびヒゲが生えている男はマイクロフト。そして未だ口を開かない不機嫌そうだが最も体格が良い男がベッゾというらしかった。



「余はサミュだ」


「余? なんだそりゃ?」


「くっくっく、こいつさっきも自分は皇太子だとかぬかしてやがったんだよ。本気で頭のおかしいガキらしい」


「俺も見てたよ。殴られて泣きそうになってたのにまだ芝居を止めねぇ。関わり合いにならない方がいいぜ」



 テッドが首を傾げるとサミュと一緒に補充されてきた他の二人が馬鹿にしたのように笑ってくる。

 サミュは今まで自分の一人称について疑問に感じたことはなかったし、威厳のために僕ではなくそう言えと教えられてきた。

 だというのにここでは自分がおかしいというふうに揶揄され恥ずかしくて俯いてしまう。

 


「よ、余は……いや、お、俺は……」


「あぁそうか。まぁ人には色々ある。あんま気にすんな」



 慣れない一人称に変えどもっていると唯一テッドだけは気遣ってくれるがあまり慰めにならなかった。



「しかし外れですねぇ。テッドですらギリギリなのにもっと子供なんて。この班でノルマクリアできるんですかねぇ」


「愚痴を言っても始まらないだろおっさん」


「あぁそうですかい。ならお前が教えてやんなよ」



 気を悪くしたのかマイクロフトはそっぽを向いて壁を掘る作業に戻る。

 石ほどとは言わないまでも固い岩盤を力いっぱい叩いてもわずか数センチほどしか削れず、ここまでの穴を作るのに一体どれだけ膨大な人数と作業時間が掛かったのかサミュには分からなかった。


 テッドはサミュたち新参者に向けて説明を行う。



「と言ってもやることは簡単だ。鉱床――鉱石が出るまで掘り進んで貯まった土くれや鉱石はその荷馬車で外に運び出すだけ。ここで採れるのは鉄以外に金や銀、それに銅と鉛とかだな。選鉱は外の連中がやる。定期的に看守がやってきて掘り進んだ長さを計られているからそのノルマに達しないと連帯責任になる」


「連帯責任? 一体何をされるんだ?」


「飯抜きとか懲罰とかだな。まぁ特に決まってないから看守の気分次第だ。んなことしたら余計に作業効率が落ちるって分からない馬鹿共だよ」


「……一つ訊きたいんだが、ここで十年働いて本当に開放されるのか?」



 男の一人が神妙な面持ちで尋ねる。

 彼にとって、いやここにいる全員にとってそれは一縷の望みだ。それすらも無ければ死ぬまでこんな穴倉で蟻の真似をしなければならない。それは絶望でしかなかった。



「さぁ知らねぇ」


「おい! はぐらかすなよ、大事なことだろ!」


「本当に知らないんだって。大体俺とそこのベッゾはつい二~三週間前に来たばかりだ。そこのおっさんはそれより長いらしいがそれでも一年ぐらいらしい。その間に落盤事故や体調不良、病気に看守のイビリやらでバタバタと死んでいくんだとよ」


「イビり? そんなひでぇのか?」


「そうだ。あいつらは俺らのことを消耗品扱いしている。次々補充されてくるからなんとも思ってちゃいねぇ。実際に十年働いたやつなんているのか知らないけどよ、これだけは言えるぜ。ここじゃ三年ともたねぇ」

 

「そんな……」



 テッドの言葉で男二人とサミュは青ざめる。

 垂らされた蜘蛛の糸がぷっつりと切られた感覚だ。

 それでも自分だけは生き残る……そう考えたくもあったがそれだって十年だ。途方もないここでの生活にへたりこみたくなるほどの虚無感を覚える。



「(オーバーンの甘言に乗せられた余の選択は間違っていた。これでは帝国はリグレットの思い通りになってしまう……脱獄はできないのだろうか?)」



 サミュをかろうじて突き動かすのは使命感だ。

 村で腹違いの弟であるリグレットの悪評を聞き、あんなやつには任せておけないと思った。それが無ければ今頃は塞ぎ込んでいたかもしれない。



「外に出るチャンスはないのか?」


「うん? そうだなぁ。荷車を運ぶ時ぐらいかな。ずっとこんな山の中じゃ気が滅入るから持って行く役は交代で回しているな」


「(ならばその時に逃げられるかもしれない……)」



 そのサミュの様子にテッドは少し勘違いをする。



「なんだもう外が恋しくなったのか? なら運んで……いやさすがにお前を一人分と考えるのは無理があるか。おいおっさん、お前も手伝ってくれ」


「あぁ? なんで私が……」


「いつも二人で運んでるのに今日は半人前が付いてるんだからちょっとは楽だろ?」


「はぁ……まぁいいですけど」


「ほら運ぶぞ。他のやつらは見よう見まねでいいから始めておいてくれ」


「あ、ああ……」



 テッドに言われるがままにサミュは荷車を押す。

 中にはたっぷりとガレキが積まれておりビクともしない。

 前方の引手がある部分をテッドが、後ろをマイクロフトが押し、それでゆっくりと動き出した。



「ほらガキんちょ、お前も押すんですよ」


「わ、分かった」



 マイクロフトにせっつかれサミュは彼の横に付いてふんばる。

 ほんの僅か速度が上がるがそれでもサミュの限界の力を入れてその程度だった。

 道は長い。来た道をそのまま戻るわけで、歩いてなら十分も進めば外に着くのだろうが荷台を押しながらの遅々とした速度では倍や三倍にも感じられる迂遠な遠さだった。



「つ、辛い……無理だ……」



 途中、少し休憩を挟んでみてもすでに腕はダルくなってほとんど力が入らない。こんなことなら剣術の鍛錬をもっとすべきだったとサミュは後悔しながら呆然と立ち尽くす。

 そんなサミュをマイクロフトが見咎める。



「なに手を抜いてるんですか。お前がサボった分、こっちにしわ寄せが来るんですよ!」


「しかしこんなことしたこともない! 無理に決まっている! 余は奴隷ではないんだ。奴隷はお前たちだけだろう!」



 怒鳴られても無理なものは無理だ。

 したこともないやったこともない。そもそも自分のような子供に勤まる仕事でもないし、こんなところにいていい立場の者ではない。

 想いが溢れてすべてをぶち撒けたかったがさすがに言えやしない。悔しくて涙が零れそうだった。



「何を甘っちょろいことを言ってんですかい? 親にどれだけ甘やかされたのか知りませんけどねぇ、ここじゃそういうの通用しないんですよ」


「待て待て。おっさんも初日のやつにそんな目くじら立てんなって」



 二人の間に入ったのはテッドだった。



「お前サミュって言ったな。お前が辛いのは見て分かるよ、俺より体が小さいんだからな。んで辛いっていうのはちゃんと力を押して運んだからだ。サボってたら疲れない。だからお前は真面目な良いやつなんだろうよ。でもちゃんとやってるのは分かってるが、ここじゃあ結果でしか判断されない。こんなひどいところでもそうして結果を積み重ねて信頼や立場を作って切り開いていくんだ。分かるか?」


「……」


「答えなくても目を見れば分かる。お前は賢そうなやつだもんな。だったら俺が言いたいことも分かるよな?」


「……運ぶ」


「よし、よく言った。ほらおっさんも運ぶの再開するぞ」


「けっ、仕方ないですね」



 気を取り直して荷台が再び動き出しやがてようやく日の光が見えた。



「はぁようやくですか。ベッゾの野郎、調子に乗って積み過ぎなんですよ」


「自分で運ぶつもりだったんだろ」


「あいつがそんな殊勝な男なもんですかい!」



 文句を漏らすマイクロフトにテッドはいつものことだと肩を竦める。

 そのやり取りを横で聞きながらサミュは改めて外を眺めた。


 サミュも入った小屋のようなものが何棟かあり、捨てられた岩やガレキが積もって山となったのが幾つもある。 

 それに来た時は混乱していてよく観察していなかったが、よく見ると要所要所に監視の目があるのが発見できた。

 


「(これは……なかなか難しいな……)」



 遮蔽物が少なく、ガレキの処分場はかなり手前にあるので監視の外に向かおうとすれば必ず誰かの目に留まってしまう。それにここがまずどこなのかも分からないので逃げる方角すら不明だ。

 ただ馬車に乗せられて気絶していたとしても半日か丸一日ぐらい。ならば知識を引っ張り出すとおそらくは川下りで遭難した場所からそんなに離れていないはずなので帝都東にある鉱山だと推測はできた。

 ここは帝都にほど近く昔からずっと掘られているため、近年では採掘量がかなり減ってきていた鉱山だろうと当たりをつける。



「さ、ガレキを捨ててとっとと戻るぞ。そっからが本番だ」



 それから初めてツルハシを持たされ数時間働いて夜となった。

 連れて来られたのが昼過ぎだったおかげだ。しかしそれでもサミュの体は倦怠感でいっぱいだった。

 凄まじい重労働、これが毎日毎日当たり前のように行われているなど想像だにしたこともなかった。

 衛生面も最悪。鉱山の中は風が入って来ないため空気が淀み湿気が溜まりやすく、掃除などしていないので常に砂ぼこりが舞う。だというのに水浴びは交代で数日に一度らしく作業着なんていうものもない。さすがに着れないほどボロボロになったら支給されるようだったがそれもボロボロの服とも言えないようなもの。

 体は極限まで酷使され、内側も蝕まれていき病気になりやすい。

 帝国が鉱物の産出で富を得ているのは知っていたが、その環境がここまで人を人扱いしないような劣悪とは思わなかった。


 それに――



「な、なんだこれは!? ただぶった切ったのを入れているだけではないか! しかも皮がまだ残っている!」


「あぁ? だったらお前は食うな」


「くっ……わ、分かった。もらう……」



 食事の配給は一日三度あるものの今まで見たことが無いほどの粗末な食事だった。

 ただ野菜をぶった切って煮込んだだけのもので皮が付いているぐらいは当然のようにあり、色も濁っていて食欲を全くそそらない。

 パンだって口に入れていいのか心配になるほど乾燥している。

 しかしながらそれでも腹に入れないともたないことはサミュ自身が分かっていた。

 動いたおかげで体が栄養を求めているのは間違いがなく、そんなものでも空腹には勝てない。身体はもう疲労困憊だった。

 

 労働者たちは思い思いに散って食べているらしくサミュもそれに倣って思わずトレーに乗った食事を隠すように人の少ない方へ向かった。出来る限り目に付かない方へと進む。

 僅かながらに彼にも王子としてのプライドがあり、自分とは生まれも育ちも全然違う者たちと同じようにしているのを見られるのが恥ずかしかったからだ。



「なぜ余がこんな目に遭わねばならないのだ……」



 もちろん自身の判断が誤りだったことは認めている。けれどあまりにも苛烈な現場は愚痴を誘発してしまうのもまた仕方のないことだった。



「お、いやがった。王子様だ」



 そこに同じ班のサミュと同時に仲間入りした二人の男たちがやって来た。

 


「な、なんだ?」



 昼間からかわれた時のことが蘇りどもってしまう。



「いやぁ~王子様にはこんな粗末な食事は食べさせられないって思ってな」


「どういう意味だ? 他に食べられるものがあるのか?」



 半分は願望だった。旅の間は我慢していたが、部族連合にいた時だって毎日専用のシェフが作った食事を食べていたのだ。

 それと比べるとこの配給はまさに雲泥の差がある。


 サミュが眉を上げると男たちはサミュのパンを取り上げた。



「な、お前、それをどうするつもりだ!?」


「だ~か~ら~、王子様の口に合わないだろうから俺らで食ってやろうって言ってんのさ」



 さっと血の気が引いた。

 人生で最も重労働をした後に食事まで奪われては早晩体を壊してしまう。何より腹がグーグーとうるさいぐらい今も鳴っていてそれを取られたら生死に関わることぐらい分かる。



「か、返せ! それは余のだ!」



 咄嗟に取り戻そうとジャンプするも男はパンを上に挙げて身長差があり過ぎて届かない。

 どうやったって奪い返せる未来が見えなかった。



「ぎゃっはっは! こりゃいいストレスのはけ口がいてくれたもんだぜ。どうせお前が死んでも代わりが来るだけだ。ずっとこき使ってやるぜ! いや、むしろ同じ班のやつから感謝されるかもな!」


「王子様なら騎士でも呼んでみろよ! 出来ねぇよなぁ~? ほら吹き小僧だもんな~?」


「違っ! 余は本物だ!」


「まだ言ってやがるぜ! 現実逃避はたいがいにしとけよ! いひひひ!」


「こ、このぉっ! ぶっ!」



 大切な食料は力で奪われ、話は信じてもらえず嘘だとなじられ、その挙句に足を引っかけられてすっ転んでしまい強かに地面に顎を打った。



「あはははは! こけてやんの! 無様だねぇ黙って大人しくしてればいいんだよ」


「うううう……うあぁぁ……」



 男たちはパンを半分に割って二人でそのまま口に入れる。

 それを見たサミュは悔しくて情けなくて泣いてしまう。

 かつてここまで悪意を受けたことはない。命を狙われようとそれは間接的で、間にクレアたちが立ち塞がりどこか現実味がなかった。だがここでは全てがこの小さな身に百パーセント届いてくる。

 地べたの上だろうと他人の前だろうともはや気にならない。それほどまでに自分の今の境遇に打ちひしがれ涙が止まらなかった。



「おいお前ら、その辺にしとけ」



 そんな時に現れたのはテッドだった。



「はぁ? またガキか。二人も抜けたらまずいと思ってお前にはまだ手を出さないつもりだったが逆らう気か?」


「自分より明らかに弱いやつしか相手できないカスが何を粋がってやがる。お前らみたいなやつ大嫌いなんだよ」


「はっ、こりゃとんだ正義の味方様ってやつか? そんなに言うなら力関係を教えてや――る……」



 男たちの啖呵は途中で切れた。

 テッドの後ろに身長も体つきも良いベッゾが睨みを利かせていたからだ。

 一目見ただけで屈強な筋肉質の体で自分たちよりも喧嘩が格段に強いことが分かる。



「……お前らがはしゃいだせいでスープに埃が入っちまっただろうが――殺すぞ?」


「ひ、ひぃ!?」



 そこそこ荒くれ者として経験がありそうな二人でも一睨みでビビるほどの鋭い視線。

 さながら猛禽類の前のネズミだった。

  

 男たちはすぐさま退散し、ベッゾものそりとどこかへ行く。

 残ったのはテッドだけになってサミュを立たせてやる。



「おい大丈夫か? まぁ泣きたいなら好きなだけ泣けばいいけどさ」


「な、なんなのだお前は……」



 サミュはこのテッドという少年が苦手だった。

 自分と数個しか歳が違わず、まだ彼も少年と言われてもおかしくないのにテッドは笑みを絶やさず卑屈にならない。

 彼といるだけで自分が劣っていると自覚させられる感覚に陥るからだ。



「うん? まぁあんまりこういうのは見てて気持ち良いもんじゃねぇからさ。それによ、俺に弟がいるんだけどな、お前ぐらいの歳なんだよ。髪の色まで似てやがる。だからちょっとだけ助けてやりたくなったんだよ」


「弟?」



 サミュにも腹違いの弟や兄がいる。

 しかしそいつらは自分の利権のために兄弟の命を奪おうとしてきた。そうでなくてもむやみやたらに税を搾り取って民衆を苦しめる暗愚だ。

 虫や動物の中には共食いをして生きようとすることがよくあるが、まさにその通りの背筋も凍るような状況に身を晒されている。

 だからこそ弟だから肉親だから助けてやりたいと言うテッドの言い回しにピンとこなかった。



「あぁ。親が死んで二人きりで暮らしてたんだが借金を盾に俺だけこんな場所に連れて来られちまった。最悪、あいつは婆ちゃんを頼ればいいし何とかやってるだろうけどな、お前は誰かの助けが無いとやばそうだったからよ」


「お人好し過ぎる……」


「まぁよく言われる。でもよ、俺は兄ちゃんなんだよ。兄ちゃんが弟を守ってやんのは当たり前だろ?」


「余は……お前の弟ではない!」



 サミュにとって兄弟というのはこんな窮地に立たされた原因だ。虫唾が走るほどに嫌な言葉になりつつあり、そのせいで必要以上に反発してしまう。

 しかしテッドはふっと小さく笑う。



「んなことは分かってるよ。ほら俺の半分やるから食え。王子様なんだろ? だったらここを出てこんなクソみたいなところをぶっ壊してくれよ。これはその投資だ」



 突き出されるのは粗末な千切られた半分のパン。

 今はそれが黄金のようにも見えた。



「お前は、お前は余のことを信じてくれるのか?」


「さぁてな。俺がここで信じてるって言ってもそんなの嘘だって思うだろ? だからそういうのは行動で示すんだ。名前とか肩書とか自分で言っただけじゃ信用なんて得られない。だったら信用してもらえるように振る舞うんだ。誰になんと言われようと曲がらず主張したいことを主張して成し遂げればいい。そうしたらきっとお前が誰かは分かってもらえるさ」



 言われていることは半分ほどしか理解できなかったし、煙に巻かれているような気もする。

 ただ否定はされなかった。それだけでサミュは少し救われた面持ちになった。


 出されたパンを突き返そうと思ったが体はそれを欲していた。

 少し悩んだが、施しではなく投資という言葉に結局サミュは受け取り咀嚼すると、涙がまた流れ落ちた。



「うっ……うっ……」


「泣くほどまずいか? じきに慣れるよ」



 サミュのことを気遣ってテッドはそんな冗談を言ってやった。

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