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22 涙を流すことすら許されない

『退却ー! きゃー! 野獣に襲われるー!』


『あーちゃんのためなら、うみこえやまこえ、ゆきもこえます!』



 先頭を走る豆太郎とブラストちゃんが景保さんを運んで逃亡していた。

 その後ろを護衛するのは私とブリッツ。

 顔に当たる雪風は冷たいが、意気すらも凍えて縮こまりそうなのは単なる寒さのせいだけではないだろう。

 

 敵は大量の雪猿たちだ。

 あいつらはすぐさま追い掛けてきた。

 きちんと把握できていないけど、こちらに手勢を放たれたおかげでタイミングと数的にジロウさんが圧殺されることはなくなったとは思う。そこはほっとした。でも景保さんと同じ氷漬けになるにはそう時間が掛からないはずだ。

 どうすればいいのだろう? 何が最善手だったのだろう? 失敗続きで自信が持てない。


 だけどそれを考えている暇をあいつらは与えてくれない。

 


「こっち来んな!」



 くないを連投し雪猿たちの顔に当てる。

 小さく仰け反り、中には転んだり後ろからきているやつと団子状態になったりするのもいるが、いつまで経っても数は減らない。

 これじゃあ景保さんを隠す時間も無いっての。



「―【仏気術】風天の風玉―! このままだとやばい。SP切れるのが先か霙太夫がやって来るのが先かだ」


「分かってる! でもどうしようもないわ!」



 並走し、大きな白い息を口から漏らすブリッツもこれ以上案が無いようだった。

 この逃走劇すらもミスったのかと思うと気持ちがどんよりとしてくる。

 このまま走っても街の外へは出られないし、マジでどうしたらいいのよ。


 ウィンドウが突然開かれる。

 それはさっきもあったやつだ。『帰還ポーション』の譲渡。



「意地を張らずに受け取っとけ! 渡せるのは今が最後かもしれないんだ!」


「嫌よ! まだ! まだよ!」



 自分が意固地になっているのも分かってる。

 この人たちと出会ってまだ数日だ。オンラインゲーム仲間よりも縁は薄い。

 でも、でも、だからって置き去りにして逃げられるもんか!



「頑固が過ぎるぞ女子高生!」


「今は単なるくノ一よ! そしてあいつらを止められるのも私たちだけ! まだ全部やり切ってない!」



 つい勢いで言ったが、これ以上の手段など思い付いてすらいない。

  


「現実を見ろ! もうこっちの戦力は半分以下だ。たった二人で何ができる! 大人になれ! 今は許せなくても大人になればその気持ちに折り合いも付いていく! これを逃せばその未来すら来なくなるかもしれないんだぞ!」


「勝手に限界を決めて諦めることが大人なら、そんな情けないやつになりたくもない!」

 


 青臭いと言われても譲れない。

 ブリッツが私のためを思って言ってくれているのも理解している。けれど口から出ちゃうのはそんな反発する言葉だった。

 どうしてこう考えずに先に言葉が出ちゃうんだろう。

 


「もう勝手にしろ!」


「そうさせてもらうわ。でも気持ちは本当にめちゃくちゃありがたいの。もしこの戦いに勝てたらちょうだい」


「……お前、そういうところはずっけぇよ。あぁもう。怒るに怒れなくなってしまうだろうが」


「ごめんね。でも今逃げたら絶対後悔するから」


「分かった俺からはもう言わねぇ。好きにしろ」



 ここで私たちがみんな逃げちゃったらこの世界の人たちがどうなるのかも分からない。

 ひょっとしたら私たちがいることによって八大災厄が引き寄せられている可能性だって無くはない。それなら責任を取るべきだ。

 それに本当に奇跡を期待するようなものだけど、もしやられちゃっても他の地域にいるプレイヤーが救ってくれるかもしれない。


 無いない尽くしの希望的観測の三段重ねだ。

 そんな荒唐無稽な期待に頼るほどに劣勢。ピンチだった。


 直後、先を走る豆太郎たちの前に、どん、と何か重厚なものが落下してきて盛大に雪片が散った。

 薄い霧状になった氷粒にシルエットが映る。

 それはのっそりと上体を起こしこちらに振り返ってきた。



『きゃー!! もう私たち終わりだわー!!』


『あーちゃんは、まーがまもります!』



 すぐに正体は知れた。

 ――霙太夫だ。


 しかもその手には頭を鷲掴みにされ氷漬けになったジロウさんがいた。

 その顔付きは敵を睨んだままだ。どれほど悔しかっただろう。そんな理不尽な状態異常さえ無ければきっともっと戦えたはずだ。

 あくまで前のめりで、まだ負けていないと主張してくるような気持ちが伝わってくる。



『少々てこずったが、ま、なんてことはない。粋がってた砂利もこんなもんだ。もうお前らの運命は決まってんだよ。神妙に氷になりやがれ』



 その言葉にたじろぎ、手が震える。

 前門の災厄、後門の雪猿軍団。次の一手を考えないといけないのにもはや万事休すだった。

 


「ふっ!」



 だというのにブリッツがいきなり飛び出した。



『次に死に急ぎたいやつはお前か!』


「そんなわけあるかよ! 気持ちで負けんな! 顔を上げろ! 辛い時こそ下を向くんじゃねぇ!」



 前を向き霙太夫をきっと睨み付けながらも、その言葉はおそらく私に伝えたものだろう。

 体育会系っぽい彼にはそうした経験があったのかもしれない。

 彼の背中と言葉にちょっとだけ力が戻ってきた気がする。

 とにかく今私たちがすることは豆太郎たち、ひいては景保さんを守ることだ。

 それにやれるならジロウさんの奪還も。


 迷った時は頭の中をシンプルにする。

 そうしたらやるべきことが見えてきた。



『面白い、お前も凍らせて並べてやるぜ』


「そうはいくかよ!」



 ブリッツが雪猿たちにも使っていた十字槍で牽制する。

 それを見届けてから私は後ろへ走り出す。

 この間に豆太郎たちを押し潰そうとやってくる野獣たちに向かって。



「ここは私が通さない!」



 装備品から鎖鎌を取り出す。

 使い勝手が難しく滅多に使わない武器だけどただの刀よりはリーチはある。


 鎖を握りぶんぶんと鎌の部分を遠心力を付けて振り回しできるだけ大きく見せると、それは直径三メートルほどの間合いを生む。

 威嚇みたいなものだ。体格差から言ってただの短刀よりもこっちの方が相手も脅威に思うはず。

 事実、雪猿たちは立ち止まった。

 しかし、それも一瞬だけ。すぐに進軍を開始する。


 

『グガァ!!』



 恐れを知らない先頭の鼻面を鎌が引き裂き、一周してきた先で今度は他のやつの肩を毛皮ごと刈り取った。

 


「私の刃の錆になりたいやつはどいつだ!」



 わざと大声で自分を鼓舞するように叫ぶ。

 そうでもしないと震えが収まらなかった。



『グルルルゥ!!』



 だがやはり雪猿軍団はその程度では怯まない。

 当然だ。一体二体で駄目ならもっと大勢で掛かればいいだけの話。

 しょせん私の腕は二本で武器は一つしかないのだから。

 それでもこれまでは逃げるだけならできた。速度ではこいつらに負けるつもりはない。

 けれど今は豆太郎たちの壁とならなければいけなかった。だから不退転の覚悟を持って臨む。



「いくぞ、化け物共!」



 ひゅんひゅんと唸り回転する鎌は私の盾、デッドラインでもある。

 これを越えられた時点ですぐさま武器を放棄しなければならない。


 と思った傍から雪玉が飛んできた。

 こいつら猿のくせに!


 飛び交う雪の砲弾を切り抜け横にある建物に飛び移る。

 着地と同時にやってくる玉をさらに壁走りで避け、鎌部分を一体に投げつけ刺さると鎖を手繰り寄せて地面と平行にジャンプ。

 いつものお得意技だ。

 

 密着状態になったところで膝蹴りを一発。

 そこに隣の雪猿からのパンチがやってきた。



「そんなのに当たるかっての!」



 鎖鎌は手放し刀を装備して他の雪猿の首元に斬り付ける。

 後ろでは同士討ちの快音がした。

 


『グガルルル!!』



 数体が私を無視して豆太郎たちの方へ向かう。

 くそ、やっぱりか。そう簡単にはいかせてくれない。

 瞬時に離脱してそいつらの一体の後頭部を膝で蹴り込む。

 体の一番固い部分は肘と膝だ。武器でなくてもじゅうぶんにダメージは入ったはず。

 

 実際、そいつの歯は折れ上半身は仰け反った。

 だが踏み込み過ぎた。

 視界いっぱいに広がる敵の姿に、安全地帯がもう無い。

 


「このっ!」



 とにかく目の前に地面に足を着けた。

 がっと殺到する雪猿たち。

 


「こなくそっ!」



 顔を上げ逃げ場を探す。

 僅かな隙間を見つけそこに体を踊らせ抜け出す。

 気分は火の輪くぐりのライオンだ。

 


「なっ!?」



 しかしそこで足をがっしりと掴まれる感触。

 もう少しで逃げ出せるはずだったのに。

 

 心臓がぎゅっと苦しくなって縮小した気がした。

 まずい。これはまずい。



『グガアァァァ!!』



 片方の足で蹴って何とか脱出を試みようとしているが、ホールドされた指の締め付けは強い。

 ずっと逃げ切ってた私をようやく捕まえたからだろうか、私ぐらい噛み砕きそうな汚らしく大きな犬歯を見せつけ吠え声に嬉しさが混じっている。

 

 突如、視界が回る。目まぐるしくグルグルと回転する。

 白の景色と灰色の雲、そして私を睨む獣たちの数十の瞳。上も下も分からない浮遊感と無茶苦茶な重力が私を襲う。

 ただし空中遊泳はほんの束の間だけ。



「ぶっ!」



 すぐに雪の上にぶち当てられた。

 刺すような冷たい感触と息苦しさが両方襲ってくる。

 顔面からの強打。柔らかい雪だからまだ助かったけど、地面ならやばかった。



「にゃろ――ぐはっ!」



 反撃しようと上半身を浮かせ足首を無理やり捻ろうとすると背中から急激な圧力が掛かる。

 肺が圧迫され酸素を取り込むのを中止した。 

 思わず咳き込む。


 その間にすかさず四肢が拘束される。

 一体が私の手足を一つずつだ。あまりの念の入れようにこれでは脱出不可能。

 雪の上に腹ばいにされ固定された。



『あーちゃん!』


「き、来ちゃ駄目!」



 豆太郎が目を見開きこちらに来ようとしたのを顔だけ上げて瞬間的に止める。

 それだけは絶対に駄目だ。

 私はまだ氷漬けにされる用途があるからすぐには殺されないけど、豆太郎たちは違う。

 この子らを生かす要素が無い。近付いただけで殺されてしまう。


 助けを求めるようにブリッツに目を向けた。

 しかし彼も苦戦中。


 唯一のリーチも霙太夫の二本の剣を合わされたダブルセイバーのようなもので対抗されていた。

 二つの剣の柄尻を合わせ自分の身長を超える長大な剣。

 しかも今度はその武器全体を弦とし、柄の部分に氷で作った矢を番え、距離が離れた瞬間に遠距離攻撃もこなしていた。



『あの砂利がしていたので思い付いてな』



 器用に使ってブリッツを翻弄している。

 扱いが難しそうなのに華麗に回して氷の薄白い軌跡が線を引き、流れる動作で矢を撃つなど流麗な演舞を見ているかのようだった。


 接近してブリッツの十字槍の穂先に剣を絡ませると、下からもう一方の刃を振り上げる。

 


「ぬわっ!」



 死角から迫る凶器にブリッツは慌てふためく。

 辛くも顔のすぐ傍を通過するも、あの剣の特性はおそらく連撃だ。

 普通の剣なら振りかぶって斬るというニ動作があるのに対して、あれは一動作のみで完了させる武器。

 ただこれは霙太夫の常識的でない膂力によって振り回せるものだ。重量が増えた剣なんてすぐには使いこなせるものではない。

 たぶんブリッツは経験したことがないだろう。こんな気ままで力任せな相手とのやり方は。

  


『はんっ! 思ったより使えるじゃねぇか!』



 頭の上でタケコプターのように回す霙太夫は愉快そうに鼻を鳴らす。

 その剣舞の高速回転は止まらない。



「くそっ!」



 急にリズムが変わったことにブリッツが反応できずに槍を巻き上げられた。

 霙太夫が踏み込み、彼の腕を爪で切り付ける。

 特に何の変哲もない爪だ。しかしわざわざ武器を使わずにする攻撃方法ではない。

 

 何かあると思い注視する。

 すると傷口から血の代わりに氷の塊がぷくりと生まれ出来上がってきた。それは時間と共に徐々にブリッツの肌から広がっていく。


 そうかこれがあの状態異常の正体か。

 あの爪に引っ掻かれることによって解けない氷を生み出していたんだ。

 リーチなんて一センチかそこからしかないただの引っ掻きであれば、それに気を付ければいいだけ。知るのが遅かった。せめてもう少し早く分かっていれば……。

 胸に後悔が押し寄せる。

  


『ついにお前も年貢の納め時ってやつだ。筋肉男』


「あぁそうかよ! うっ……」



 ブリッツが両の手で殴り掛かったのだが、それを霙太夫は剣先を突き付け黙らせる。 

  


『ほらよお前ら、こいつも拘束しろ』


「がっ!」



 動きが止まったところにミドルキックで飛ばされ、私と同様にブリッツも雪猿たちに捕まってしまう。

 両手両足に一体ずつの雪猿がうつ伏せにされ押さえつけてくる。完全に極まっていて抜け出すことは無理。

 終わった。全ての望みが尽きてしまった。

 

 額を雪に擦り付ける。今自由になるのは首から上だけだ。

 頭が冷えるかと思ったけど、全然そんなことがない。

 悔しい。ただただ悔しかった。

 昂ぶる気持ちとは正反対に体は動かず、頭も回らない。



『いーい眺めだねぇ。こりゃ草津の湯でも拝めねぇんじゃねぇの?』



 這いつくばらせた私たちを上から見下ろし満足気にふんぞり返られる。

 代わりに私たちはありったけの敵意を込めて睥睨し返した。

 


「そうやって勝ち誇ってるがいいわ! 必ずあんたを倒す人が現れる。この世界を侮らないことね!」


「未練なんて無いって思ってたが、いざとなると怖いもんだな。でもお前が嬉がるようなことは絶対にしてやらねぇ!」



 こうしている間にもホールドされている手足を解こうと藻掻いてみるが、やぱり駄目だ。ビクともしない。

 運命はこの力のように抑えつけられて変えられないのだろうか。

 今まで何とかなってきたのは単に運が良かっただけなのだろうか。

 


『くっくっく、吠えろ、さえずれ! それが最後の言葉だ。さぁてみんな仲良く養分となってもらおうか』



 霙太夫が私の首筋に爪を押し当て傷を付けた。

 皮膚が裂かれる小さな痛みがして、それから蓄熱石を持っているのに体の血管が、芯から熱を失い始める。

 寒い。痛い。怖い。心までもが空虚に乾いていく。

 

 これが……。これがみんなが受けた痛みか……。

 なんて底冷えするほどの凜烈な寒さなの。力が吸われていくかのよう。

 こんなものを食らいながら景保さんやジロウさんは戦い続けていたのか。頭が下がる思いだ。



『あーちゃん!』


『ブリッツぅ!!』



 豆太郎とブラストが少し離れた場所から涙目でこっちに叫んでくる。

 何とか彼らだけでも逃さないと。

 その時、はたと気付く。

 手が使えないとメニューを操作できない!


 やばいやばいやばい! やってしまった!

 戦闘に集中し過ぎてそこまで考えが至っていなかった! なんてミスをしてしまったんだ!

 豆太郎がもし死んだら玄武のように記憶を失うだけで済むまらまだいい。でも消滅なんかになってしまったらもう取り戻せない。お供はまだ死んだらどうなるかは分かってないんだから。

 何より私がそんな凄惨な現場を見たくない。きっと耐えられない。



「あ……」

 

『あ? あ、ってなんだ? もしかしてあいつらの命の懇願か?」


「そ、そうよ。土下座でも何でもするからお願い!」



 土下座なら一瞬でも手が使える。

 その隙に豆太郎を送還すればいい。



『そうだなぁ、そのまま額を付けてやってみろ』



 それじゃあ駄目だ。手が空かないと。



「い、いや、このままだと誠意が伝わらないでしょ。ちゃんと手を突いてやるから。土下座ってそういうものでしょ?」


『そうさなぁ……』


「絶対に逃げないって誓うわ!」

 

『なら――』



 よし、何とかなりそうだ。

 私はもうどうなってもいい。豆太郎だけは逃がす。そう決めた。



『やーめた』



 しかし、あろうことか霙太夫は舌を出してこの哀願を拒否した。

 ふざけんな!



「な、なんでよ!?」


『お前、今一瞬嬉しそうな顔をしたろ。何をするつもりかしないのかは知らないが、俺様は大和の民に絶望を与える存在だ。思い通りにさせてやるかよ。くくくくく、あーっはっはっは!』



 愉快そうにケラケラと眼の前の女は嘲笑う。

 なんて醜悪で底意地の悪い女だ。くそっ! もうどうしようもないじゃない!



「お願いよ!」


『ほらほらそうやってムキになるところが怪しいぜ。俺様に土下座だぁ? 命乞いなんて毛ほども期待してないくせによく言うぜ。どうせそこの犬っころどもを逃がそうとか考えてたんだろ。なぜ分かるかって? 真剣な顔してそっち見てるから丸わかりだっての。はっ! 浅はかだねぇ』



 打つ手なし。

 返事を返す余裕も無くなった私に対して霙太夫は一人でペラペラとしゃべっていく。

 今すぐにでもこの顔に鉄拳を打ち込んでやりたい。

 


『あぁそうだ。ならいいことを思い付いた。お前らが完全に凍り付くまでにはまだいくらか時間がある。それまでの余暇潰しだ。お前らの大事な大事なその犬っころたちを虐めてやろう。お前らが凍るかあいつらが死ぬのが先か競争だ』


「そ、そんなことさせるか!! ぶっ殺すぞ!!」


 

 私とブリッツは歯が折れるんじゃないかってぐらい噛み締め、憎しみも悲しみも全てを力に変え動きまくった。



「ああああああぁぁぁぁ!!」」



 けれどどれだけ吠えて抵抗してもやっぱり雪猿共の手は外れない。

 

 ふざけんなふざけんなふざけんな!!

 やらせるもんか!! 絶対にそんなことさせるもんか!!

 

 目線と殺意だけでこいつを殺せればどれだけ嬉しいことだろうか。

 あるものすべての殺意を打ち込むが、霙太夫は平然とむしろ陽気に近付いていく。


 

「や、やめろ!! そんなことしなくても俺たちはお前の望む通りになるだろ!」


『馬ー鹿。お前らが苦しむからこそやるんだよ。愉快痛快爽快ってな。余興ぐらいにはなるだろう? さぁ優しくしてやるからじっとしていろよ。全部俺様が導いてやるよ』



 ブリッツの叫びもやはり届かない。

 霙太夫は獲物を見つけた獣のように舌なめずりをして、豆太郎たちに下卑た視線を向ける。


 それを受けてブラストはぶるりと全身が震え青ざめた。

 


『ど、どうすんのよ……』


『あーちゃん! まーは……まーはあーちゃんをまもります!』



 豆太郎が景保さんを置いて飛び出した。

 四足でしっかりと駆けて跳び、肉球のある手を空中で握り締める。

 


『まーぱんち!』


『遅ぇよ! 犬畜生が調子に乗るんじゃねぇ!!』


『ぎゃっ!』



 豆太郎が霙太夫の裏拳で弾かれ雪の上に落ちる。

 たったそれだけで大ダメージだ。まだ死んでないけど鼻から赤い血が出て足元の雪を赤く染める。

 なおも立とうとする豆太郎は四肢に力が伝わらず震えていた。 



「やめて! やめなさい!! 豆太郎!!」


『や、やだ……。まーがやらなきゃ……あーちゃんが……し、しんじゃう。そんなの……やだ!』



 いつもは素直で私の言う事なら何でも聞く豆太郎が、命令を聞かずにまた霙太夫に突っかかって行く。

 もうそんな体力は残っていないはずだ。気力だけを振り絞り立ち向かった。

 見ているだけで辛い。 


  

『はっ! 根性だけは認めてやるがおねんねしてな』


『ぎっ!』



 今度は頭に拳骨を振り下ろされ、雪に埋もれる。

 まだ生きてる。でもピクピクとしてほとんど動かない。

 重傷だ。私がさせた。私が豆太郎にそんな無理をさせた。



「やめろぉぉぉぉぉ!! お前ぇぇぇぇぇ!! 豆太郎に触んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 あらん限りの怒声を浴びせる。

 けれどそよ風みたいに霙太夫はこちらに微笑みを向ける。

 


『いい叫びだ。頭が蕩けて火照ってくる良質な哀哭だぜ。で、そっちの猫はぼーっと突っ立ったままだがお仲間は助けなくていいのか?』


『ブラストは……。抵抗するだけ無意味ならせめてブリッツの傍で死にたいわ』



 もうブラストは自分の運命を悟ってしまっていた。今までの気の強い黒猫はおらず、しゅんとヒゲも背中も下に曲がり大人しい。

 白い景色にぽつんと黒の映える毛並みをした彼女は尾っぽを自分の舌で舐めて悲しそうにブリッツに目を向け、少し顔を傾けながらじわりと瞼に涙を溢れされ精一杯の笑顔を作る。



「すまん! すまん!! 俺が不甲斐ないばかりに!!」


『いいのよ。あなたの好きなようにした結果ならブラストは満足だわ。ただ私の毛並みが血で赤黒く染まって、汚くなった体をあなたには見られるのだけが業腹かしら。淑女として屈辱ね』


 

 ブリッツは目を閉じ、謝罪の言葉を苦しそうに繰り返す。

 それぐらいしか今の私たちにはできなかった。


 彼の氷はもう体半分以上を覆っていて、私のも下半身へと徐々に広がっていた。

 パキパキと肌を侵食してくる氷の音がとても不快で耳障りで恐ろしい。おそらく顔は最後になるのだろう。



『ほうほう、いい心がけだ。ご主人さまを悲しませたくないなら、気合入れて耐えればせめて死ぬのは後になるかもだぞ? 俺様も微妙に手加減をしてやるから感謝しろよ。――そらよ!』


『にゃっ!!』



 霙太夫が剣でブラストを斬り付ける。

 斬る動作ではなく、わざとボールを弾くように建物の壁に飛ばした。

 彼女は衝突しずるりと雪の上に落ちピクリとも動かない。

 それでも壁には血がむごたらしく付き、赤く変色していた。



『あちゃー、力加減を間違えちまったか。(はらわた)が見えたわけでもないのにもうおっ死んじまうとはな。柔っちい猫だぜ。ま、もう一匹いるしな。しゃーねぇ次いこ』


 

 それを食い入るように見ているだけしかできないブリッツが口から気炎を吐く勢いで呪詛を発した。



「お前っ!!! 絶対に許さない!!! 死んでも呪って殺してやる!!!」 


『あーはっはっはっは!! くっくっく、本当にお前らは楽しませてくれる。どうしてお前らの恨みがましい視線や声というのはこんなにも心地が良いんだろうなぁ』



 こいつの馬鹿笑いが余計に私たちの神経を逆撫でる。

 こいつら八大災厄はマジで交渉の余地もなく、私たちの敵だ。会話ができてもコミュニケーションが取れるわけではない。

 たとえどれほどの同情に値する悲惨な背景があろうとも、互いに相容れない存在なのは嫌というほど知った。理解した。



「お前なんか! お前なんか!」


『まぁそう怒るなよ。天災に遭ったと思えばいい。人間が災害に敵うか? 無理だろ。それと同じだ。必死で固い堤防を築いても津波は全てを押し流し、噴火による溶岩を止める術など無い。猛吹雪も身を震わせて耐えることしかお前らには許されていないんだよ。そしてもし雪崩に巻き込まれたとしても雪を恨むやつはいない。そんなところにいたお前らが悪い。そういうこった。くくくく』



 確かに災厄を体現したこいつらは抗いようのない強大な存在だ。

 土蜘蛛姫ですら倒せず送り返したのがやっとで、悔しいけど私たちには現状勝つ道筋が見えない。


 それでも、それでもだ。

 死ぬ直前になっても私はこいつを倒すことを諦めてなんてやらない。

 こいつらはそんな御大層な自然災害じゃない。決して自然が生み出した人間へのアンチテーゼとかそんな壮大なお題目があるやつらじゃない。

 単に人に恨みがあって復讐したいというだけの虚ろで狭量で哀れな生物に過ぎないんだ。

 どれほど無類の強さを誇る敵でも生きていれば倒し方はある。現に爪については分かった。あとは仕切り直しさえできればいくら獣の軍団がいようとも絶対に打倒しきってみせる!

 

 意気だけは逸る。それとは裏腹に盤面はチェックメイト寸前。

 


「今に見ていなさい。因果応報、報いはやってくる!」


『はんっ! お天道様は厚ーい雲で隠れて見てないってよ。さぁじゃあ今度はこっちの我慢比べといこうか』



 言って霙太夫は豆太郎に近寄っていき、邪悪な笑みを深め私にいやらしい流し目を送りながら豆太郎の小さな顔を踏んづけた。


 その光景に激情が、憎しみが、身の内に業火となって燃え盛る。

 想いを力に変換させ腕や足を解こうと踏ん張ってみるが、どうしても微動だにしない。

 ここで動かなきゃ豆太郎が死んじゃう! 限界を超えろ! 奇跡でもなんでも起これ!



『ぎ……あが……』


「やめろって言ってんだろうが、くそ女っ!!」


『いいねぇ、昂ぶってきそうだ。ほら逝くか? 逝くのか?』



 霙太夫の草履と雪に挟まれ、いつも愛らしい顔の豆太郎が苦しそうに歪ませる。


 駄目だ。豆太郎がもうもたない。

 だというのに腕どころか手すら動かせなかった。

 もう氷は下半身にまで突入していて、ブリッツは残すを顔のみとなっている。

 ぽろぽろと大粒の涙が私からも零れるも、それはすぐに頬に氷付いていく。


 涙を流すことすら許されないのか。残酷過ぎる。

 私にもっと力があれば。なんて無力なんだろう。

 ごめん、豆太郎。ごめん。ごめんごめんごめんなさい……本当にこんな私でごめんなさい……。

 


『が……あ……あ、あー……ちゃん……』


「なに?」


『だ、だい……すき……だ……よ……』


 

 その台詞を聞いてどくんと強く心臓が脈打った。

 豆太郎は最後まで私の一番のお供であり、お友であり続けてようとしてくれる。

 なのに私は何をやっているんだ! 豆太郎の命の火が消えようとしているのに!


 もう涙で視界が滲んでハッキリと豆太郎の顔すら見えない。悲しみが涙腺のストッパーを外して止まらなかった。

 泣くしかできない自分が恨めしい。

 


「誰か! 誰か助けて!! 誰かぁぁぁぁぁ!!」



 誰もいないのは分かってる。

 それでも奇跡の助けを求めて声を()らして叫んだ。

 誰でもいい。神様でも私の中にある知らない力が覚醒しても何でもいい。誰か、誰か救って! こんな酷いことやめさせて!

 でも私のその声は風雪に溶けて消え、絶望と慟哭がこの体を包み込む。


 その時だった。

 影が霙太夫の背後に現れたのは。



『――完全に油断するこの瞬間を待っていた!』



 それはこんがり焼けた肌のほとんどを露出させた――天空だった。

 ぶわっと興奮で毛穴が開くのを感じる。

 てっきり死んだものと思っていたが、まさかこの機をずっと窺っていたなんて!



『くっ、根暗女がぁ!』


『天誅!!』


『ぬああっ!!』



 自前のナイフで霙太夫の喉を掻っ切った。

 盛大に雪飛沫が散る。

 彼女の表情は苦痛に歪み、間抜け面を晒して仰け反った。


 ざまぁみろ!! そのまま倒れろ!!


 積雪の上に霙太夫が目を見開き後ろ向きに倒れる。

 天空はとどめとばかりに心臓を狙って、着物がよれて露わになった青白い双丘にナイフを突き入れようとした。

 手の空いている雪猿たちもすぐに助けようと走り出すが、さすがに間に合わない。



「「やれぇ!!」」



 私とブリッツの声が重なる。期待に胸が高鳴った。

 もうその切っ先が届こうという時、



『――やめてくれる?』



 聞こえた声は少女のもの。

 ひっそりとしているのにやけに澄んで耳に入ってくる。

 それは冷たく、そして不快感が滲んでいた。声の出どころは霙太夫だ。


 彼女を見ると今まで着流しだった霙太夫がいつの間にか氷の鎧を身に纏っていた。

 全身ではなく部分的にではあるが天空の刃をその氷で防いでいた。

 

 ここでさらに新しい術!?

 歯噛みするほどの往生際の悪さだ。



『がはっ!』



 霙太夫が地面の雪に触れた部分が氷の棘となり、それを脇腹に食らって天空が転がる。

 口から血を吐いて起きることも困難だった。


 絶望だ。これで望みは完全に断たれた。

 天空は豆太郎たちほどじゃなくても相当なダメージを今ので受け、仮に立てたとしてももう不意打ちは通用しないだろう。

 彼女とタイマンなら結果は火を見るよりも明らか。数十秒、寿命が伸びただけだった。

 いや、天空の心意気に感謝しよう。最後の最後まで彼女も諦めずに勝利を切望し一矢報いてくれたのだから。



『ねぇ銀花(ぎんか)、危なかったわね。くすくすくす。やっぱりあなたは一人じゃなぁんにもできないんじゃない。いい加減、強がるのをやめたら?』



 上半身だけ起き上がった霙太夫はまるで子供のように無邪気に笑い出し、独り言を始めた。

 なんだこれ。何を見せられている?



『え? 助けなくてもなんとかしてたって? 嘘だぁ! あなたは意地っ張り屋さんだものね。ええでもあなたの顔を立ててあげるわ。でも次は無いわよ?』



 ふいに霙太夫が下を向きそして顔を上げると、そこには敵意と憎しみに満ちた視線でこちらを睨み付け柳眉を逆立てる形相があった。



『この屑共がぁ!! 恥をかかせてくれたなぁ!!』



 勘気が極まりこちらに飛び火してくる。

 


「一体なんなの!?」



 訳の分からない展開についていけない。

 そうしている間にも霙太夫は青筋を立てたまま豆太郎に寄っていく。



『嬲ってやるつもりだったがやってられっか。即座にとどめを――』


「―【弓術】光陰の矢―」



 急に光の筋が霙太夫に伸びた。

 それは弓術の最速の矢。

 威力よりも命中率重視の術だが、自動防御の矢避けの氷盾により弾かれる。



『おいおいおいおいおい、何を邪魔してくれてんだよ! 虫みたいに次々と涌いてきやがって! 俺様は今最高に機嫌が悪いぞおらぁ!!』


「お前こそ何しとんねん! 豆太郎ちゃんに近付くなや!」



 激昂する霙太夫が視線を振った先、そこから矢を射ったのは美歌ちゃんだった。

 彼女は建物の上からスカートをはためかせ弓で狙いを付けたまま啖呵を切る。

 

 なんてことだ、彼女は元の世界に還らずにこの絶望的状況にまだ残っていた。

 嬉しくもあるけど、それとは反対に非常にまずい。



「だ、駄目、美歌ちゃん。今すぐ逃げて。もうみんな氷にされちゃうの!」


 

 ここに一人増えたところで戦況は変わらない。

 むしろ犠牲者が増えるだけだ。

 心意気は嬉しくても、せめて彼女だけは助かって欲しい。


 けれど美歌ちゃんはこの惨劇を目にしても顔を横に振った。

 目は力強く義憤に満ち溢れている。



「こんなやつに負けへん! 正義は勝つんや!」


『はっ! 粋がる女童(めわらべ)じゃねぇか! 決めた、お前は四肢をもいでから氷漬けにしてやる。無限の牢獄で永劫の痛みを感じる本当の氷結地獄を味あわせてやるよ!』


「誰がお前なんかの思い通りになるか!」


『威勢だけは良いが、永久氷結による終わりの無い死の奴隷となる恐怖を前にどこまで耐えられるか見ものだなぁ? あぁん?』



 霙太夫は取り合うつもりもない。

 絶対の勝ちを確信している。



「今や!」


『合点承知の助や! ちょっと揺れるけど我慢してや!』



 霙太夫が美歌ちゃんに意識が取られた刹那、大きな毛玉が豆太郎を足元から奪取した。

 いや、それは美歌ちゃんのお供であるテンだ。

 彼は豆太郎を抱え、その足でブラストの元へも向かう。


 霙太夫はちょこまかと獲物を掻っ攫いまだ抵抗する美歌ちゃんたちに猛る。



『ちっ、イライラさせてくれる!! 皆殺しにしてやるぞ!!!』


「もうそれ効かんから」


『あ?』


「美、美歌ちゃん?」



 怒りを露わにする霙太夫を止めたのは美歌ちゃんのその何気ない一言だった。

 急に彼女が言い出したことに、私も聞き間違いかと耳を疑ってしまう。

 もう一度言って欲しい。



「うちは景保さんの探しもの見つけたんや! いくで! ―【降神術】アペフチ(火の老女神)―」



 美歌ちゃんの背後に、アイヌ民族衣装を着て黄金に輝く杖を手に持つ老女が浮かび上がる。

 眼差しは優しく、それでいてしっかりとした意志を持っている神様の印象を受けた。

 

 私はこの術を知らない。

 他職の術の細かい使い勝手などは知らないまでも、ある程度の知識は一通りある。けれども【巫女】の使う降神術の中に()()()()()()()()()()()()はずだ。

 このタイミングで新術? どうやって?

 

 そしてその老女神は杖を振る。

 くるくると火種が無数に拡散し、私たちの頭の上にも降ってきて重なった。

 ぼっと体に熱が入り、血管が膨張する。

 暖かい。ストーブの効いた食卓で鍋やシチューを食べている時のような暖かくて体の隅から隅まで充実していく。力が溢れるようだ。

 気付くと私たちを覆っていた氷が解けていた。



「ぐぎぎぎぎ!!」



 ブリッツが無理やり雪猿たちを引き剥がそうとする。

 今までビクともしなかったのに、少しだけ体が浮いていた。

 これはひょっとして攻撃力アップの効果もある? でもさすがにこれだけじゃあ足りない。ここから抜け出し逆転するには――



「―【弓術】岩石隆起―」


「―【勾陳符(こうちんふ)】土槍落下―」



 地面から尖った岩がブリッツの上に乗っている雪猿たちを吹き飛ばし、空から岩の槍が降ってきて私を抑えていた雪猿たちに急襲していった。

 堪らず雪猿たちが退いた瞬間に私とブリッツはすかさず立ち上がって飛び退き、術を放った二人を見る。

 それは景保さんとジロウさんだった。



「やぁ、氷の中でも意識はあったから状況は理解している。ここから反撃だよ!」


「気を付けるのは爪だ、ってもう知ってるよな。伝えられなくてすまんな」



 そう、私たちが助かったということは彼らの状態異常も解除されたことになる。

 自然と涙がとめどなく目から溢れ(むせ)ぶ。

 もう会えないと思っていたこの二人が元気な姿を見せてくれたことに歓喜が溢れたからだ。



「美歌ちゃん! お願い!」


「分かってる! ―【降神術】少彦名命(すくなびこなのみこと) 薬泉の霧―」



 今度は少年の姿をした神様が力を貸してくれる。

 彼がとっくりに入った薬水を振りかけると、途端に傷が回復していく。

 それは私たちだけじゃない。豆太郎やブラスト、天空たちにもたちまち効いた。


 テンに掴まれている豆太郎がすぐにぴょこっと項垂れた頭を上げて元気な様子を見せてくれる。

 そして手を振り払いこっちにやってきた。



『あーちゃん!』



 私も思わず走り出し、顔に跳んで来る豆太郎を力いっぱい包容する。

 雪に濡れて毛先は冷たいけど、体温は暖かく人よりも回数の多い浅い呼吸と心臓の鼓動が肌を通して伝わってきた。

 暖かい。生きてる。豆太郎はあの責めに耐えて生きてくれた。それだけで嬉しい。



『あーちゃんあーちゃんあーちゃん!!』


「豆太郎豆太郎豆太郎!!」



 頬ずりしこれでもかってぐらい存在を確かめ合う。


 怖かった。この子を失うことに。

 今の私の中で、この豆太郎は大きなウェイトを占めている無くてはならない存在だ。

 愛しい愛しい私の、私だけのパートナー。もう絶対に手放さない。

 

 

『しゅ、淑女は衆人環視の前であんなはしたないことはしないの。でも二人きりになった時は好きにしていいかしら』


「あぁ、好きなだけノミ取りでも毛づくろいでも付き合ってやるよ。玩具で遊んで寝るまでずっと撫でてやる!」


『やっぱりあなたは最高よ、ブリッツ! 死んだふりして粘ったかいがあったわ! だったら早く終わらせてきてね!』



 あっちも再会を喜び合っていた。

 抱き着くのをウズウズして、頭を撫でられることだけで痩せ我慢をしているブラストが可愛い。



『ワイが助けたのにお礼も無しにご主人さま優先かいな。現金なやつらやで』


「まぁ今は仕方ないんとちゃう。テンがおらんかったら人質にされてた可能性もあったし、見つかったらやばかったのに頑張ってくれてありがとうな。テンのおかげや」


『せやろ? ま、ワイは美歌ちゃんにさえ評価してもらえたらそれでええわ』



 美歌ちゃんとテンも揃っていた。

 後でテンにはお礼をちゃんと言おう。



「なんだか用も無いのにタマを喚び出したくなるなぁこれ」


「儂のもギリギリで引っ込めたが、無理させたし後で労ってやらんとな」



 私たちのスキンシップにあてられた二人が自分たちのお供に想いを馳せる。

 そういう喜びとほのぼのした雰囲気をぶち壊すのはやはり私たちの天敵だ。



『調子に乗るなよ屑共!! 何をしたか知らないが、だからどうしたってんだよ!! この数の差をひっくり返せると思ってんのかよ!!』



 霙太夫が大きく両手を横に上げる。

 その後ろには雪猿たちが今にも襲い掛からんと唸りを上げ、号令を待ち準備していた。


 そうだ。現実はまだ以前として隔たった戦力の差がある。

 プレイヤー五人で雪猿二十体以上とさらに霙太夫を相手しなければならない。

 でも心は今は最高に胸が熱く昂ぶっている。気後れなんて全くしない。たとえ何時間掛かろうがやりきってみせる。



「みんな、僕に考えが、試させて欲しいことがある。ひょっとしたら無意味になるかもしれないけど……」



 景保さんのその言葉に全員で頷く。



「自信を持て。この状況を作り出したのはお前さんの功績だ」


「そうだ。駄目だったらその時に考えればいいだけだ」


「うちも従います。景保兄ちゃんならやれるって!」


「私も。任せます。あいつぶっ倒しましょう!」



 美歌ちゃんがどうやって新術を覚えたのかは分からないけど、それをあの時点で示唆した景保さんなら任せられる。

 今、彼への信頼はうなぎのぼりのストップ高。満場一致で即決だ。



「じゃあ、一旦距離を取ろう。説明も兼ねてちょっとだけ後退します。足止めを!」


 

 彼の指示にみんなが一斉に動く。



「よし、儂に任せろ! そういうのは得意だ。って言ってもアイテムだがな。どうせ使いみちが無くて困ってたから全部使ってやるよ」



 ジロウさんがどや顔で取り出したのは焙烙玉。

 両手いっぱいのそれを一斉に点火し、雪猿たちの目の前に投げられ轟音を伴い爆発した。


 大量に積もった雪が吹き飛び地面が見える。

 大通り沿いにあった建物は衝撃だけで亀裂が入り、置き去りになっていた屋台などは粉々に砕け散った。


 さすがの威力に雪猿たちの多くは相当なダメージを負い慄く。

 だけどアイテムだけではやはり倒しきれない。もっとあればけっこう削れるっぽいが今ので全部か。

 


「今だ、走れ!!」



 ジロウさんの掛け声に踵を返して速攻で駆け出した。

 豆太郎たちはお供は送還した。これ以上、危ない目に遭わせられない。



『お前ら何してやがる!! 早く行け!! 取り逃がしたら全部俺様がたたっ斬ってやるぞ!!』



 背中から霙太夫の罵声が飛んできて雪猿たちが慌てて走り出す。



「実はまだあるんだよなぁ!」


『――ギィ!?』



 再び爆音が木霊し、雪猿たちに悲鳴が上がった。

 ジロウさんがまだ隠し持っていた焙烙玉を使ったからだ。

 そのせいでおっかなびっくりといった感じになり、走ればおそらく数十秒ぐらいは稼げるだろう。



「よし、少し引き離したね。今からやりたいことを伝えます。それは――」



 移動しながら景保さんの話を聞く。

 少し信じられないことだったけど、試す価値はありそうだと思った。



「ごめん、あとうちから伝えなあかんことがあります。アペフチ(火の老女神)は氷の状態異常に対して完全耐性と属性防御アップ、攻撃力アップの効果があるんですけど、制限時間は十分です。これも一日一回限定の術でした。だから解けたら掛け直しは出来ません。ごめんなさい」



 申し訳無さそうな顔をする美歌ちゃん。



「ううん、そんなことない! 美歌ちゃんのおかげで助かったんだもん! 顔を上げて!」


「そうだよ。君がいなければどうしようもなかった。制限時間が十分なら十分以内に決めればいい」


「ありがとう!」



 私と景保さんの励ましに美歌ちゃんに笑顔が戻った。

 それとは別に聞きたいことがある。



「そういえば、美歌ちゃんどうやって新術を?」


「あぁ、うちが見つけたんは『魔石』やねん! そもそも何を探したらいいか分からんかったから困ってテンを喚び出してんけどな。あ、これ洒落ちゃうで?」


「そういうのいいから!」



 ホント、あのダジャレ好きの毛むくじゃらにしてこの飼い主だなぁ。似てるわ。



「そしたらテンがなんかその辺にあったもん使ってダウジングし始めてな。訳分からん間にそれに誘導されて部屋にあった大量の魔石を見つけて「あ、ひょっとしてこれ?」みたいな感じで使ったら、あの氷も溶かせる新しい術覚えたって感じやねん」


「そういうことか! 俺が爺さんのために用意した魔石か! くっそ、俺が気付くべきだったなそりゃ。色々あってそういうのすっかり忘れていたぜ!」



 美歌ちゃんの話を聞いて悔しさをブリッツが口から漏らす。

 てか、ダウジングで見つけたってところは誰もツッコまないのかしら。

 


「まぁ、と言っても賭けだったけどね、こんな事態を何とかできる術をピンポイントで覚えられるかどうかなんて予想もしていなかったよ。僕が凍り付いた時はまだあんなにたくさんの雪猿たちが喚び出される前だったから、単に僕の二重召喚みたいに突破口が切り開ける何かを覚えられたらぐらいにしか思ってなかった。そしてその可能性があったのはすでにある程度のポイントを貯めてた美歌ちゃんだけだった」



 殊勲賞である景保さんは決して威張らない。

 よくあの状況でそこまで考えたものだわ。気が弱いというか優しいところをもうちょっと何とかすればすごく格好良いのに。



「終わったあとにまた奢ってもらおうと思ってたけど、言い出せなくなりましたね」


「また奢らせるつもりだったの!?」 



 いいリアクションをしてくれるね景保さんは。



「だったら俺らが奢るぜ。ここまでお膳立てしてもらったし、なぁ爺さん?」


「え? 僕まだ六歳だから分からないよ!」


「おい爺さん! そういう時だけ子供になんなよ!」


「うははは、まぁ、終わったらだ。だからお前ら気を抜くなよ!!」



 ジロウさんの鉄板ネタを交え私たちは走るのを止める。

 振り返ると雪猿たちが猛追してきているのが見えた。


 ざっと距離は百メートルといったところだろうか。

 術を当てるには申し分の無い間隔だ。



「じゃあ行くよ! タイミングに気を付けて!」



 景保さんの言葉にみんなで首を縦に振り肯定する。



「じゃあまずは僕から! 金属は凝結により水が生じる金生水(ごんしょうすい) ―【白虎符】虎爪舞々(こそうまいまい)―」


「水によって木は養われる。水生木(すいしょうもく)。 喰らい尽くせ!! ―【仏気術】水天(すいてん)母神竜(ぼしんりゅう)―」

 

「木は燃えて火を助ける。木生火(もくしょうか)。根を張り射止めろ! ―【弓術】千年樹の矢―」


「物が燃えればあとには灰が残り、灰は土に還る。火生土(かしょうど)。爆ぜろ! ―【火遁】紅梅―」


「土の中にこそ金属がある! 最後はうちや! ―【降神術】大山咋神(おおやまくいのかみ)―」


 全員で各々の術を放った。

 ただし順番とタイミングを決めての示し合わせだ。


 景保さんの符術により金属製の斬撃が飛び、

 ブリッツの放った水龍がそれを飲み込み体から刃が生え、

 ジロウさんの射った矢が絡みつき木の鎧を纏わせ、

 私の投げた火線が鮮やかな水色の龍を紫紺に変化させ、

 美歌ちゃんの喚び出した神様の恩恵を受けた龍は岩の翼を生やした。


 もう訳分からない。ごった煮のオンパレードだ。しかも術を次々と飲み込むごとに龍が肥大化していっている。

 ごてごてに盛られた龍はそのまま雪猿の群れへと突っ込み――蹂躙した。


 大きな牙で数体以上を噛み千切り、体から生えた刃はただ通過するだけで切り裂き、逆上した反撃も木の鎧が弾き返し、それでも取り付いたやつは肌に触った瞬間に全身を紫の炎で焼かれ、逃げようとしたやつには切れ味が鋭い翼が直撃した。


 なんだあれ?

 どうも景保さんが私の火遁と美歌ちゃんの土の弓術が交わった時に強化・変化していたことに気付いたらしく、大和伝の属性の根幹である五行に基づいて『相生』を試してみたいと言われたんだけど、結果は呆れるほどの良い予想外。

 相生っていうのは弱点になる属性じゃなくて、逆に強化や活性化させる属性のこと。もちろん大和伝にそんなシステムは今まで無かった。

 なのになぜか謎の合体技ができてしまった。


 元々、ジロウさんの焙烙玉でそこそこ弱っていたのもあるだろうけど、まさか一発であの人数の雪猿が全滅とは……。

 死屍累々。死因は様々だけどもう動かなくなったモンスターたちはすべからくその正体の雪へと戻された。

 いやいや、マジでこれなんなの?



「う、嬉しい誤算だよね?」


「明らかにこれオーバーキルだろ……」


「孫がお絵かき帳に書いた『ぼくのかんがえた最強モンスター』にあんな感じのいたぞ」


「格好良いやん! うちは気に入ったで!」



 みんなも自分たちの出した術が伴ったとんでもない威力に呆然とするしかなかった。



「つーか、雪猿だけのつもりだったのに、後ろでふんぞり返ってた霙太夫にまでヒットしてるぞ。すげー燃えてる。ざまぁだが、棚ぼた過ぎて実感が湧かねぇ」



 雪猿たちの後ろから追い掛けてきていた霙太夫にも紫紺の龍が当たったせいで炎上している。

 しかも燃える龍が通ったせいで大通りは雪が全部溶けていて、辺り一帯が蒸し暑い熱を持ち始めていた。凄まじい火力であったことは窺い知れる。

 そしてあの炎は雪に埋もれた程度では消えないだろう。



「ひょっとしたらこれで倒してしまうんちゃう?」


「あ、それフラグだよ!」


「え、なにそれ!?」



 美歌ちゃんの迂闊な発言にツッコミを入れておいた。

 さすがにこれだけで倒せるとは思わない方がいい。さっきまで私たちがどれほど劣勢だったのか、どれほど苦渋を舐めさせられたのか、そんなすぐに忘れるほどお人好しじゃない。

 

 なのでやはりというべきか、当然と言うべきか、霙太夫はのっそりと炎に巻かれながらも立ち上がる。

 自身に氷の竜巻を纏わりつかせ炎を消し飛ばした。



『はいお(しま)ーい。これ以上はダーメ。もうここからは銀花は引っ込んでてよね』



 かなりのダメージを食らったはずなのに霙太夫は焦っている様子も無く微笑を浮かべている。

 しかも口調も変化していた。今までのよりも幾分も若い感じだ。

 よく見ると長い髪が切れてショートカットになっていたせいか。

 これ自体は部位破壊によるものだ。残りHPが半分から二割の間になると霙太夫の髪は短くなり、防御力が低下する。

 つまり最低でも今ので残りHPが半分を下回ったという指標だ。


 彼女は武器をバトンのように指で回しまるで遊んでいるかのような佇まいをし、こちらに向き直ってくる。

 いつの間にか雪も止んでいた。

 それに眉根をひそめてしまう。



『初めまして『雪花(せっか)』って言います。いえ、本当はさっき出ちゃったからまた会ったわね、が正しいのかしら? ま、どっちでもいいわね。銀花がだいぶ遊んでもらったみたいだけど、ここからは私がお姉ちゃんたちの相手をするわ』



 私たちの頭にはてなマークが浮かび上がる。

 いや、これもしかして……。



「多重人格?」


『あらそんなのじゃないわ。ちゃんと銀花も六花(りっか)もいるわ。あ、立花っていうのはあなたたちが最初に会った子ね。メソメソと泣いてばかりで鬱陶しいけど、私が辛い時にはいつも代わってくれるの。良いお友達よ?』



 そういうのを多重人格って言うんだけど、とは続けなかった。

 どうにも気味が悪い。さっきまでの剥き出しの敵意が無くなり、途端に話のやり取りが出来ていることにいつか爆発するんじゃないかと不安で警戒しながらの会話だ。



「なんでもいいが、とにかくお前が出てきてどうなるんだ? 悪いがどれだけ手下を増やそうがもう対処可能だ」


『あら、銀花の喚び出したお人形さんたちのことを言っているのね? あれってけっこう力を使う割にそんなに良いものでもないのよね。それにみぃーんなお馬鹿さんたちで、そのくせ銀花は指示するの下手くそだし、正直、使い勝手が悪いのよね。あの子あれで寂しがり屋だから許してあげて。くすくすくす』


「へぇ、どうにも仲間がいなくても自分一人で勝てるって言いたげだな?」


『そうよ。だってこの体は私のものですもの。銀花たちには貸しているだけ。立花はお店に出される時、銀花はどうしても鬱憤が溜まってむしゃくしゃした時にね。意味は分かるかしら?』


 

 ブリッツへの返答も気軽なものだ。一対五というのを感じさせないリラックスしている声音。

 それから彼女は自分の体を触り出す。

 体は二十代なのに心は十歳前後ぐらいのちぐはぐな印象があり、変な色気がある。

 というかショートカットになったおかげで顔だけは年相応に見えた。

 子供の体にお爺ちゃんの頭脳があるジロウさんとは真逆か。


 詳細は分からないまでも彼女が言いたいことは何となくは分かる。

 ここからが本領発揮だと言いたいんだろう。

 そしてたぶんだけど、彼女の言う他の人格は元の主人格であるこの子が作り出し、何かをする時に分担させていたんじゃないだろうか。

 ただこんな設定聞いたこともない。発表されていないだけでひょっとしたらあるのかもしれないが。



「何があろうとも儂らは儂らのやれることをやったらいい。構えろ! 敵の首魁はすぐそこだぞ!」



 ジロウさんの掛け声に武器を上げ、キッカケ一つで飛び出す用意をする。

 


『いいわいいわ。目いっぱい遊びましょ。雪も止めてあげたわ。力を吸収するのに必要だけど、集中力も使っちゃうからね。今はあなたたちと遊びたいの。あなたたちは玩具にしてお人形さんたちと一緒に私の部屋に飾ってあげる』



 霙太夫との最終決戦の火蓋が切り落とされた。

書く時は頭の中にその情景を浮かばせながら書くせいで、この回は読み直すたびに涙が止まりませんでした。

他にも1章の子供たちが顔を腫らしていた時や、2章の美歌の回想で病院でうずくまるところなども自分で話を作って自分で泣くという訳の分からないことをしていましたが、今回は格別に悲しかったです。



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