幕間 景保の事件簿 Case2
事件簿なんて大それたサブタイトル付けていますが、トリックはひどいので期待しないで下さい(泣)
本編だといきなり現れた彼のキャラを掘り下げたかっただけなので。
「まぁまぁ聞いていた通り可愛らしいお嬢さんだこと!」
『褒められたのー!』
他の職員に依頼人の『ルネ・レコディア』さんの住所を訊いてやって来た景保は、その豪邸っぷりに二の足を踏むほどだった。
学校の運動場は言い過ぎにしてもそれに匹敵する敷地に、見上げるほど立派なお屋敷。場違い感が半端無くて圧倒された。
しかも件の未亡人――ルネ夫人はあのちょっとイカレてるギルド長の知り合いで『魔女』というからには一癖ありそうな人物だと覚悟して臨んだのに、どちらかと言うと四十路の思慮深そうで落ち着いた物腰の人物で、狐に化かされているのではという思いだった。
今もタマの無邪気な仕草に、応接室のソファに座りながら目を細めている温厚そうな夫人のお尻からは尻尾は見えない。
ちなみに夫人の後ろには二十代半ばの若いメイドが無言で立って傍に仕えていた。
栗毛の丸まった天パ気味な髪が特徴的な容貌だ。
「あの、僕らのことをご存知なのですか?」
「え、ええ。あのボイドから訊いているわ。もっともあの人は訊いていなくても勝手におしゃべりしてくれるけどね。ふふ」
彼女はタマを見るとじーっと凝視していたが、景保の質問で我を取り戻したかのように再稼働する。
それは古い知己同士で垣間見えるような経験の重みがある微笑だった。
この理性的なマダムとあの暴走機関車みたいなギルド長とがどうやったらウマが合うのか? 不思議で堪らず複雑な思いで景保は観察を続ける。
「ギルド長、どういうふうに僕のことを言っていましたか?」
「可愛い狐獣人の女の子を連れた期待の新人が入ってきた。魔術師ギルドどころか、この世界の歴史を塗り替える傑物かもしれない。女にモテそうにないから再婚相手を見繕ってやらないといかん。とかそういうのかしら」
「褒められてるのか貶されてるのか分かりませんね」
「あら、最大級の賛辞のオンパレードだと思うわよ?」
符術という力はこの世界のものではなく大和伝のものであり、自分で編み出したわけでもないシステムをそのまま使っているだけなので、景保としては過度な期待は心苦しさを増すだけだった。
「あの人、外でもそんなこと言ってたのか……。歴史を塗り替えるとかは置いておいて、そもそも僕は結婚していないですし、タマは僕の娘じゃないんですけどね。ギルド長にはいくら説明しても聞いてもらえないんですが」
「あらそうなの? それは災難ね。あの人、一度思い込むとなかなか変えないのよね。でも、なぜかあの人がそう言うときってたいていそのままで大丈夫なことが多いのよ?」
全然慰めになっていないフォローをもらうと、景保はそろそろ本題に入るべきかと思い、ごほん、と咳払いをする。
「それで、ご依頼のあった捜索物ですが、失くなった経緯とそれの見た目などの詳細を教えて頂きたいのですが」
「ええそうね。それをお話ししないと探せないものね。そうね、まず失くなったのは三日前のことです。夕食前まではあった家宝の魔道具が夕食後に部屋に戻ると失くなっていたの。おおよそ三十分から一時間の間の犯行というところかしら」
「なるほど。部屋の鍵などは掛けてあったんですか?」
「いえ掛けていないわ」
「失礼ですが、不用心では?」
景保が最初に疑ったのは使用人だ。
屋敷の中を歩いても不自然ではないし、他の人間の行動パターンも熟知している。
それに使用人というのはあくまで給料を払って雇われる人間であり、長年接していたら家族のような情が湧くかもしれないが、やはり家族ではない。自分が一生働いても購入できない宝飾品があればつい魔が差すことだってあろう。だから最も確率が高いと踏んでいた。
だから鍵を掛けないというのは、景保の常識ではあり得ないことだった。
「ええ、でも今までそれで何か盗られたことは一度も無いの」
今まで無かったからこれからも無い、というのは危険な理屈である。
ただそれを否定する材料もまだ持ち合わせていない。
「そのおっしゃりようだと、つまり夫人は内部ではなく、外部の犯行だと思われているのですね?」
「もちろん。お給金は十分に渡していますし、そのようなことをする子はいませんわ。それに息子の提案で全部の部屋や持ち物は一通り調べましたし、あれから使用人たちはできる限り二人一組みで行動するように申し付けています」
「ということは、何らかの方法で外から侵入され盗まれたというお考えですか?」
「そうよ。夕食の準備で使用人たちも食堂や厨房に集まっていたから使用人たちの犯行は難しいと思うの。でも使用人たちは戸締まりはきちんとしていて侵入はあり得ないし、そういう痕跡も見当たらなかったとも言っているの。後でこの子にお屋敷を案内させるから細かいことはそこで確認して下さいな」
視線と手で夫人は後ろに控えていたメイドを示唆し、その女性が恭しく頭を下げてくる。
景保はその様を見ながら胸中でまるで密室事件じゃないかと愕然としていた。
自分の目で確認したわけではないが、夫人の言うように屋敷の人間の仕業でもなく、外から侵入されてもいなければ、一体誰が? どうやって?
三十分ものの探偵ドラマみたいな展開になってきたぞ、と身を固くして身構えた。
「わ、分かりました。ちなみにその日、お屋敷におられたのは何人くらいでしょう?」
その質問にルネ夫人は手を頬にやり、思い出すように答える。
「私と、娘と息子の二人。そして住み込みの使用人たちが六名といったところかしら。だから全員で九人ね」
「使用人が六人ですか? このお屋敷を維持するにはギリギリの数ですね」
「コックなども専用ではなくメイドの仕事とさせていますし、庭師も必要がある場合のみ外部から来て頂いています。夫に見初められましたが、私は元々は貧乏男爵家の娘ですからあまり贅沢は好きではないの。子供に家督を譲るまでに没落させるわけにはいけませんからね。ただ……」
「ただ?」
「いえ、ごめんなさい。それはこちらの話」
言い淀んだ先の内容が気にはなったものの、関係がないと言われればそれ以上追求はできない。
景保は切り込む角度を変えてみることにした。
「その盗まれた魔道具についてはどういったものなんでしょうか?」
「見た目は片手で持てるサイズの水晶玉のような球体かしら。色は黒ね。指で触っていると一部がスライドして動力の魔石を入れる穴とかが出てくるわ」
「水晶玉ですか」
ルネ夫人は手の平を突き出し、サイズや形状を説明し出した。
もっと凶々しそうなものを勝手にイメージしてたおかげで少し肩透かしを食らったような気分になる。
「そうなの。我が家では家宝扱いしているけれど、それだけを見てもそんなに価値があるものではないはずよ。もちろん安くはないし、他の宝石類も数点盗まれてはいるんだけど、それっておかしくないかしら?」
「というと?」
「だって大きいとまでは言わないけれど、そこまで価値の無いかさばるものをわざわざ盗むかしら? もし私が犯人ならそんなのよりも他の物を優先するわ。それに失くなった宝石の数も少ないの」
なるほど、と思う。
普通なら小さくて希少な物を率先して持って行くはずだ。それがなぜか宝石類は数点だけで荷物になる水晶にも手を出した。何らかの意図を感じる行動である。
こういう場合、発想の転換で逆に考えてみるべきかと景保は考えた。
「つまり、それを理由付けするなら宝石類はカモフラージュで、盗みの本命が水晶玉の魔道具なのを隠そうとした、ということでしょうか?」
「私はそう考えているわ」
その情報はありがたかった。
だとすれば多少は犯人を絞り込める可能性があると考え景保は質問を続ける。
「ちなみにどれぐらいの人が、その黒い水晶玉のようなものがこちらの家宝で魔道具だと知っているものなのでしょうか? 僕はこの町にまだ来たばかりで失礼ですが耳にはしていませんが」
「そうねぇ、私のお友達には請われて使うこともあるから彼女たちは知っているわね。一応、『レコディア家の秘部』として扱っているので内緒にしてとは言っているんだけど、人の口には戸が立てられないって言うじゃない? だからそこからどれだけ派生しているのかはちょっと分からないわ」
何とも微妙な回答だ。
それでは希少な魔道具を所持しているルネ夫人に嫉妬した他の貴族が泥棒を雇ったり、単にお金に困った人物が盗みを働いたかもしれない。
とてもじゃないが絞り切れなかった。
景保は苦し紛れにタマに視線をやる。
――例えばタマが犬だったりしたら匂いを追えたかもしれないけど、それは無理そうだなぁ
タマは難しそうな話には興味がないようで、ソファで足をバタつかせながらしきりに部屋の調度品などを興味深そうにきょろきょろとするばかり。
無い物ねだりをしていることに気付いて小さく息を吐く。
「ところで、その魔道具は『時間を操る』と聞いていますが、それは本当ですか?」
「ええ本当よ」
そのような危険極まりないものが盗まれたことをあっさりと肯定されたことに景保は言葉を詰まらせ、生まれた思考の間隙にルネ夫人は言葉を滑り込ませる。
「それで、急かすようで申し訳ないのだけれど、もし可能であれば明日のお昼までには見つけて欲しいの」
「それはちょっと……」
大人ぶってはいるものの、景保は探偵ではなく一介の大学生に過ぎない。
荷が重すぎる案件で、今のところ有益な手掛かり一つすらない状態で明日の昼までにとは無茶振りも度が過ぎている。
ぶっちゃけた話、景保としては盗難品探しなんて得意でもなんでもないので面倒そうなら断るのもありだというつもりでやってきた。しかも今、話しを聞いた限り想定していたのよりも厄介そうだった。
これなら窃盗団を捕まえる方がよっぽど楽だと思わずにはいられない。
そもそも盗品の捜索依頼なら冒険者などではなく、町の警備兵たちに依頼するべき事柄。
いくらなんでも不可能だ、と叫びたい気持ちとそれらの思いつく文句が口から出かかったのだが、
「どうしても明日のお昼に使わなければならないの! お願いよぉ~? カゲヤスくぅーん」
「えぇ!?」
今までの気丈な態度はどこへやら、ルネ夫人がまるで子犬のようにウルウルとした瞳で懇願して見つめてくるものだから、景保は目を白黒させながら何とか胸の内で収めることに成功する。
「ねぇ、タマちゃんからもお願いしてぇよぉ」
急に三回りは歳下のタマに猫撫で声で頼ろうとしてきて唖然とした。
稚気が混じる口調と態度はタマと精神年齢が近いとすら思えるものだ。
――猫被ってたな、この人……。
途端にあのギルド長と同じような匂いがしてきて、景保の危険察知レーダーが過敏に反応する。
眉間に皺を寄せつつ即座に断るかどうか逡巡した。
あまりにもハードルが高すぎる依頼だ。受けても失敗する確率の方が高く、本音を言えば受けたくない。
そこにタマが服の裾を掴んで口を挟んできた。
『景保ぅー。受けるとボイドとルネが喜ぶの! 断ると可哀想なの!』
「タマちゃんありがとう~~~」
席を立って夫人は思わずタマを抱き締め頬ずりをし出した。
それにきゃっきゃと尻尾を振って喜ぶタマ。
自分を置いて何やら盛り上がっている二人を半眼で見据えて景保は打算を考える。
タマの発言は特に何も考えていなくてそこに何の他意もないから気にする必要はない。しかも喜ぶ相手があのまともではないギルド長だ。あの人がにんまり笑う姿を想像するだけでもう乗り気がしないなぁこれ、という感じだ。
だから、どうせならと金銭的な報酬以外にも条件を一つ吹っ掛けようと追加した。断られる前提だ。むしろ降りたいとすら期待しての発言。
「もしその魔道具を見つけられたら、僕にも使わせて頂けませんか?」
「ええ全然構わないわよぅ」
拒否されると思った提案であったのにタマの獣耳にキスをしながらあっさりと受け入れられる。
それどころかニコニコ顔だ。
「じゃあ受けてもらえるのね! ね! カゲヤスくぅ~ん?」
色々と釈然としないものはありつつもここまで言ったからには、
「……善処します」
景保は承諾せざるを得なかった。
□ ■ □
「それでは当家を案内させて頂きます。『ミア』と申します。お見知りおきを」
部屋を出ると、先程夫人の近くで待機していたメイドが行儀正しくお辞儀をしてきた。
これからこの女性に屋敷を案内してもらうことになる。
「宜しくお願いします。あの、どうかされましたか?」
夫人の突然の変わりように景保の顔色がまだ回復し切れていないのを見て、ミアが手で口元を抑えながら苦笑していた。
「いえ、すみません。ルネ様のご変貌に心が付いていけていないのですよね?」
「ええまぁ」
「外では毅然とされているんですが、お屋敷の信頼した者だけがいる中では大体いつもあぁなんですよ。元々がやや子供っぽいところがあるお方で、それが亡き旦那様に気に入られたのだとか。可愛いものに目がないので本当は出会った瞬間からタマちゃんを頬ずりして抱き締めたかったはずですよ。あぁ見えてかなり我慢されていました」
「そういやタマを最初に見た時に固まってたような……。あんなに簡単に仮面が剥がれて大丈夫なんですか?」
「というより、カゲヤス様を気に入られたんですよ。外では絶対にあの顔は見せられません。私たち使用人にだって毎日顔を会わすのにほとんどが早くても数週間は心を開いて下さらなかったんですよ? 私だってつい最近打ち解けて頂いたばかりなのに、嫉妬しちゃうぐらい羨ましいです」
「光栄です……かねぇ?」
頬を引きつらせながら首を傾げる。
自分には変な人物に好かれるフェロモンでも出しているんじゃないか? と思うと、頭が痛くなってくる気がしてそれをそのまま褒め言葉としては受け取りにくい感情があった。
『景保も抱っこされたかったの?』
「いや、それはさすがに困る!」
四十代とは言え美人の女性からハグされても悪い気はしないが、相手の正体があのギルド長に近しい性格だとなると予防線を張ってしまう。
それにあの人なら本当にやってきそうな気がしてならなかった。
迷わずに依頼をさっさと受けておけばあんな一面を知らずに済んだのにな、と絶賛ルネ夫人への株価は暴落している最中で、ちょっぴり景保は後悔していた。
「うふふ、ここ数日は暗い顔をされていましたから、タマちゃんのおかげで元気になられたみたいで良かったです」
『良かったなの!』
微笑み掛けながら頭を撫でられてタマの尻尾は大きく喜んでいた。
「そういえば、ミアさんは最近こちらで働かれたんですか?」
「え? えぇそうです。先月まで、当家でメイドを勤めていた者が私の家のご近所さんでして、お歳でお辞めになる際に推薦して頂けました。ちょうど私もお仕事を探していたところでしたので。それが何か?」
「いえ、気になっただけですので、何かあるってわけじゃないので安心して下さい」
口ではそう言うものの、頭の中で景保は『新参者は怪しい』とチェックマークを付けていた。
大体サスペンスドラマだと、新しく雇った人間は子供の頃に被害者と不幸な関わり合いをしていて復讐のために入り込んだというストーリーがありがちだから、というのが理由である。
今回は誰も殺されていないのだが。
「さてそれではそろそろご案内致しますが、まずはご長男の『ロッソ』様とご長女の『エカテリーナ』様に会われた方が宜しいでしょうね。屋敷の主であるルネ様からご許可は頂いているとは言えども調査するのではればお二人への挨拶は優先した方が波風は立たなくて済みますから」
「そうですね。お願いします」
ミアを容疑者候補として打ち立て、些か痛む胸の内をひた隠しにして案内される。ただどちらの部屋も同じ二階にあるので、ほとんど歩く手間は無い。
すぐに辿り着いた扉をミアがノックをすると「何だ?」という若い男の声が扉越しにする。
「盗難事件について捜索されるお客様がご挨拶をされたいそうです」という彼女の言葉に「分かった。入っていいよ」と返答があった。
「失礼します」
入室すると金髪のまだ高校生ぐらいの少年が出迎えてくれた。
目元や鼻のラインがルネ夫人に似ており、すぐに長男だと分かる。
「やぁ、あなたが我が家の家宝を探してくれるという子連れの冒険者だね? 母さんから聞いているよ。俺はロッソ。あなたが優秀なら短い付き合いになるだろうね」
「僕は景保と言います。こっちはタマです。優秀であれば今後またご依頼頂くことがあるかもしれません。そうなれば長い付き合いになるかもですね」
『タマなのー!』
最初の挨拶から皮肉めいたジャブを混ぜてくるので、少々面食らいながらもさすがに年下に負けてはいられないと何とか言い返した。
タマは平常運転の元気の良さだ。
「へぇ、よく口は回るね。うん、気に入った。俺に訊きたいことがあれば何でも答えるよ」
相手によってはかなり失礼だと取られる言い回しだったが、好感触を得たらしい。
景保はすぐに質問内容を頭の中でまとめる。
「そうですね、まず盗まれた時間、どこで何をしていましたか?」
「母さんや姉さんと一緒に夕食を食べていたよ」
「何か変なことや気付いたことはありませんか?」
「いや特に無かったかな」
「誰が犯人だと思いますか? 心当たりなどがあれば是非」
この質問は漠然とし過ぎてはいるが、手掛かりもないし、屋敷の人間からの視点が欲しかった。
「うーん、そんなものもないんだけどそれだとあなたが可哀想だね。俺は母さんの友人の誰かだと思っているよ。とても貴重なものみたいだからね、表に出せなくてもコレクションとして欲しがる人は多いだろうし」
探偵の真似事のように質問してみたが、手掛かりなど皆無で一体これ以上何を聞けばいいのやらと思っていたところに引っかかることが一つだけあった。
「貴重なものみたいって、まるで興味がないか見たことないような言い方をされますね?」
ルネ夫人との温度差に景保は額に皺が寄る。
「あぁ水晶玉みたいなやつでしょ? 外観は見たことはあるよ。でもそれを使っているところは僕は見たことがない。まだ早いって魔道具が稼働しているところを見せてくれないんだ」
「家宝なんですよね? 長男のあなたが使っているところを見たことがない?」
最悪、魔術師ギルドを尋ねれば分かるが、夫人が長男に家宝でもある貴重な魔道具の概要や、使い方を説明すらしていないというのは気になった。
「そうだよ、悪いかい?」
途端に機嫌が悪くなってロッソの目がきつくなっていく。
まずい突っ込み方をしてしまったと景保はドキっとした。
話を変えようとしたが、どうやら導火線に火を点けてしまったらしく口が止まらない。
「残念ながらまだ俺は当主じゃない。父さんの遺言で母さんが後見人にしたからさ。まぁそれはいいよ。けれど遺言で俺が当主になるのは規定の年齢ではなく母さんの許可が必要なんだってさ、笑っちゃうよね。おかげで同級生からは親から卒業できないマザコンだとか陰口を叩かれることもあるんだよ。嫌になるよ。あぁそういえばさっきは母さんの友人の誰かと言ったけど、姉さんかもしれないよ。最近夜になるとずっと母さんの部屋に入り浸りなんだ。そっちを調べた方がいいんじゃないかな?」
「あ、ありがとうございます」
急にまくし立てられたもので返す言葉に詰まる景保を見て、ロッソがふんっと鼻息を荒くする。
「悪いけど、もういいかな。読み物をしている途中だったんだ」
「え? ええと、すみません、じゃあ最後に一つだけ。盗まれた後にあなたが率先してお屋敷を調べ回られたと聞きましたが、見落としはありませんか?」
「小さいと言っても両手で持っても収まりきらないサイズだから隠すなんて無理だよ。もし俺を疑ってるんなら俺の部屋も探させたよ。潔白はミアに確認したらいい。さ、もう出て行ってくれ」
追い払われるように景保たちは退出を余儀なくされた。
パタンとドアが締まり、彼女が申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当に申し訳ありません。普段はお優しい方なんですが、最近、ピリピリしておられまして。特に当主の話になるともう……」
「いえ、僕がうっかり要らないことを言ってしまったみたいでこちらこそすみません」
「それにしても同級生の方から悪口を言われているなんて知りませんでした。あの日も見たこともないお客様を招いておられましたから、ご友人関係も変わられたのかもしれませんね」
「お客ですか?」
「ええ、今読まれている本の同じファン仲間なんだそうです。こう言うと失礼かもしれませんがとても本を読みそうな顔付きではありませんでしたが。いつの間にか来られていつの間にか帰られたようです」
この屋敷の住人以外にも人が来ていたという話は引っかかったものの、帰ったというのなら特に突っ込む必要はないかな、と景保は首を擦った。
「さて、では次はエカテリーナ様ですね。こちらです」
隣の部屋だったのですぐにまた扉をノックし、声を掛けて開くと、そこにいたのは景保と同じぐらいの歳の女性。
すっとした真っ直ぐに立つ姿勢と、腕や腰周りがほっそりとしていること、それにやや病的なまでの白い肌をしているのが特徴的だった。しかし景保を見てにっこりと微笑む姿は包み込むような慈愛と品の良さが感じられた。
「初めまして。お母様からお話は伺っております。エカテリーナと申します」
彼女はゆっくりとした動作で片足を後ろに引き、もう片足の膝を軽く曲げ挨拶のポーズをする。
その優雅な仕草だけで一般人とは少し違う所作を身に着けさせられていることが窺い知れる。
「は、初めまして、景保と申します」
『タマなの!』
一瞬、目を見開き見惚れてしまった景保はどもってしまう。頬もやや赤く染めてしまった。
タマはきっと誰が相手でも変わらない。
「失くなった家宝を捜索して頂けると聞き及んでおります。どうぞ宜しくお願い致します」
「こ、こちらこそ宜しくお願いします」
『宜しくなの!』
向こうは依頼者側で有り体に言ってしまえばスポンサーなのに、えらく腰が低くて景保の方が困ってしまう。
まさかあの母親にしてここまで出来た娘が生まれるとは、と感心すら覚える。
「まぁ珍しい格好をされているんですね? 異国の衣装ですか?」
「えぇ、そんなところです。一応正装なので失礼がなければいいのですが」
狩衣と呼ばれる陰陽師というか平安時代の男性をイメージするときによくされる服装は、元々は普段着であったが、徐々に礼装して扱われていった経緯があった。
景保からすると単に防御力が高くて着慣れた服だからという意味合いも強い。
「そんなことはありません。私は少し体が弱いので旅行などほとんどしたことがありません。だから他国の風が薫る衣装や品は大好きなんですよ」
「そんな風に言って頂けたのは初めてです」
景保は照れながら指で頬を掻く。
本音を言って微笑するエカテリーナは絵画の一枚のような美しさがあった。
それから彼女は少し膝と腰を折って優しくタマに語りかける。
「本当に可愛い娘さんですね。タマちゃんはお父さんのこと好き?」
『景保はお父さんじゃないの。でも好きなの!』
「あら私ったらそうお母様から聞いていたもので。ごめんなさい」
否定をしつつも景保の陰陽師装束の袴の裾を握りしめ、にへらと笑うタマを見て、申し訳なさそうに謝罪される。
「あぁいえ、そういう誤解を流したのは元凶がいますから、全然大丈夫です」
景保の頭の中ではいやらしそうに笑うギルド長がいた。
ダメだあいつ早く何とかしないと。
このままでは手当たり次第に出会う人間全てに勘違いされっ放しになってしまうので今度強く抗議しようと胸に誓う。
「ええと、それでですね、先程ロッソ君にもお話を伺ったのですが宜しいですか?」
「ええ、もちろん」
ゆったりと肯定する彼女に同じことを質問する。
「それでは、盗まれた時間は何をされていましたか?」
「母や弟と一緒に夕食を頂いておりました」
「なるほど。何か気付かれたことやおかしな点はありませんでしたか?」
「特には思い当たりません。ただ弟が食欲が無いからと早めに退出をしたことぐらいでしょうか?」
確認を取る意味で景保は後ろに控えていたミアに顔を振る。
「そういえばそうです。あの日、ロッソ様はご気分が優れないとのことでやや早めに退出なさりました」
裏は取れた。ただそれが何か意味があるのかは分からない。
「では次ですが、誰が犯人だと思われていますか?」
「そうですね……やはり、あれの効果を知っている母の友人関係か、どこかで噂を聞きつけた盗人のどちらかだと思います」
ちょこんとあごに白魚のような繊細な指を当て考える仕草をするエカテリーナのことを見ながら、景保にはまた引っかかるものがあった。
「すみません、勘違いかもしれませんが、エカテリーナさんはひょっとして『時間を操る』魔道具が使われているところを見たことがあるんじゃないですか?」
「――!」
本当に些細なものだ。さっきロッソは見たことがないせいか、かなり距離感がある言い方をした。
けれど彼女は彼よりもずっと身近のような表現をしたように感じられた。
時間を置かずに対象的な二人の発言を訊けたからこそ気付いた違和感。
それでも半分言いがかりのような勘みたいなものだったが、エカテリーナの強張った表情を見る限り間違いではないと知る。
一度下に目を伏せ考えてから彼女はおずおずとこう切り出した。
「その、このことは誰にも言わないで下さい。ミアも。お願いします!」
深々と頭を下げてお願いされると、こうなったら堪らないのは景保の方だ。
今の言葉が彼女を追い詰める発言だとは露にも思っておらず動揺する。
「いやあの、そのロッソ君があなたが最近ルネ夫人の部屋に出入りしているからとお聞きしたので、それと関係があるのかと思いまして。すみません」
『景保、エカテリーナを困らせたらだめなの』
「そんなつもりはなかったんだけど、本当にすみません」
「いえいいんです。ただそのことは内密にして頂ければ……ゴホゴホッ!」
「エカテリーナ様!」
急に咳き込む彼女にミアが屈んで背中を擦り介抱する。
一瞬、立場が悪い話になったから仮病で逃げようとしているのかと景保は意地悪く考えたが、その辛そうな表情を見ているとそれは下衆の勘繰りだったことを自覚した。
彼女の肌が色白いのもひょっとして病気がちな体のせいだからとも思い至る。
「すみません、カゲヤス様。エカテリーナ様へのご質問はここまでとさせて下さい」
「わ、分かりました。お大事になさって下さい」
何やら風向きが変わり、ロッソとは違う意味で退出もやむなしの運びとなってしまった。
廊下で少し待っているとミアが出てきて頭を下げる。
「申し訳ありません。ご加減が悪いのにあのまま続けて頂くわけには参りませんでしたので」
「いえ、それは構いません。エカテリーナさんはご病気なんですか?」
「特定の何かに患っているということではなくて、生まれつきやや体がお弱いようでして。私は会ったことはありませんが、先代のご当主様も同じく体が弱かったそうです。それが原因で流行り病で亡くなられたようなので、遺伝でしょうか」
小さく顔を扉に向けてミアが答える。
今のところ気になるのは、ロッソが体調不良を理由に早めに食事を切り上げたことと、エカテリーナがルネ夫人の元へ通っているのをひた隠しにしようとしている点だ。
ただどちらもそれが魔道具が盗まれたことと関係あるかどうかと言われれば首を捻る程度の情報だった。それに彼らは夫人と同じく被害者側になるので、犯人からは一番遠い位置になる。
それならやはり外部犯の仕業だろうか?
景保はさらなる手掛かりを求めてミアに探索のお願いをする。
「それじゃあ、あとはお屋敷をぐるっと周りながら他の使用人の人たちにも会わせてもらえますか?」
「はい。こちらへどうぞ」
結局、その後も話を訊いたりしたが特にこれというものは得られなかった。
分かったのは、戸締まりは窓は内鍵だし玄関も施錠はきちんとしていたことや、物置からルネ夫人の部屋まで全員で探し直したがどこにも盗まれた魔道具と宝石類は見つからなかったことについて全員の証言が取れたぐらい。あと事件のあった時間は、使用人たちは食堂と厨房の間で給仕に専念しており、一人だけになる時間はごく僅かなものだけでその間に部屋に入って盗んで隠すというのはほぼ不可能だということぐらいか。
一通り回った景保はどうしようもなくなって仕事があるというミアと別れ、玄関のエントランスで棒立ちになって考えているところだった。
ここまでの出来事を反芻してみると、少なくてもここの主人たちは全員が使用人に慕われているように見受けられた。
ロッソを除けば横柄な態度の人はいなかったし、ロッソも彼のパーソナルな部分へ踏み込んだ話題をしてしまったせいだと考えれば、多少鼻につくぐらいはあの年頃の男の子ならよくあることだと思った。
であればよっぽどの理由が無い限り、主の持ち物、それも家宝とまで言われている物を盗むのは理屈に合わない。
頭が煮詰まっている彼にタマが問い掛ける。
『景保、分かりそうなの?』
それに力なく頭を横に振って応える。
「いやお手上げだね。これが推理小説とかならノックスの十戒をきちんと守ってくれるんだろうけど、残念だけど僕の探偵能力は一般人並でここはファンタジー世界だ」
『ノックス?』
「そう、推理ものを書く場合は、最低限これは守らないといけないと定められたルールのようなものだよ。例えば『未知の毒薬を使ってはいけない』、『犯人は最初に登場しなければならない』、『読者に提示していない手掛かりによって解決してはいけない』、『探偵方法に超自然能力を用いてはならない』とかだね。そういうのが十個あって、少なくても読者は考えれば犯人やトリックが分かる内容になっている」
「でもね」と景保が付け加える。
「今も言った通り、ここは魔法もあれば超人もいるファンタジー世界なんだよね。僕たちもそのうちの一人だ。だから例えば鍵を開ける魔法や魔道具があればもうお手上げだし、ネズミに変身できる獣人とかいたら匙を投げるしかない。人や記憶を操ったりする天恵があったら完全犯罪やりたい放題だ。ファンタジー物の推理小説が少ない理由がよく分かったよ」
『よく分からないの……』
「まぁ鍵開けの魔法なんてあればさすがに指摘されているだろうけどね。だから結局、何にも分からないって悩んでるところだよ」
せめて窓ガラスが割れているだとか、メイドの羽振りが急に良くなったとか、ハウダニット(どうやって犯行を成し遂げたか)やホワイダニット(なぜ犯行に至ったか)の線から何か取っ掛かりがあればと期待して探索しながら訊いて回ったが不発に終わり肩を落としていた。
『景保なら何とかなるの!』
「その信頼が今は重いなぁ。どんでん返しがある話だと、依頼人の夫人が実は犯人でした、ってこともあるんだけどなぁ」
手を頬に当てプスプスと煙が出そうな頭を悩ます。本を読むのは好きで推理小説はその中でもけっこう嗜んでいた方だが、その知識は現状あまり役に立っていなかった。
そこに突然にょきっとルネ夫人が現れる。
「進捗状況はどうかしら? カゲヤス君!」
「ち、近いです……」
取り繕うのをやめた夫人は別の意味でタマがもう一人増えたような感じだ。二十代の男性にも小学生の子供を扱うような態度を崩さない。
今もかなり顔が近くてベタベタと体を触ってくるせいで景保はドキっと狼狽えてしまう。本人に二心が無いのが分かるので取り乱すだけで済んでいるが、元々美人なのでやめて欲しいところだった。
「ツレないわね! じゃあタマちゃんは構ってくれるわよね? ほーらほら高い高いー!」
『ルネ面白いのー!』
やんわりと景保が拒否すると次の標的はタマだ。
脇を両手で持ち上げ高い高いをされてると、タマも満更じゃないようではしゃぎ出した。
上へ下へぐるんぐるん遊園地の乗り物みたいに振り回されて喜ぶ。
「高速旋回~!」
『すごいの! 景保もやってもらったらいいの!』
「無茶言うなよ……」
空中で錐揉み回転しながらのタマの提案をばっさり切る。
できないだろうし、できたとしても絶対にやって欲しくないと心の中で付け加えた。
「娘たちの小さい頃を思い出すようだわ」
ひとしきり遊び終わり地面にタマを降ろした夫人が口をほころばせる。
なんだかもう最初の上品なマダムという印象を返して欲しい気分にさせられた。
「それで、進み具合はどうかしら?」
「いやーそれが一応進んではいますが……」
正直、まったく上手く行っていない。明日の昼までに見つけて欲しいという条件を出されたのに、雇い主になかなかストレートにそうは言い辛く言葉を濁した。
「まぁまぁまぁ、そうなのね?」
「えぇそうなんです。言い辛いんですが……」
何がそうなのかは分からなかったが、伝わったのならそれでいいだろうと考えた。
「うんうん、さすがね!」
「そうさすがですよね……え?」
「順調なんでしょ!」
――1ミリも伝わってない!
人間、予想外過ぎることが起きると思考停止して固まるようで、真逆に捉えられてしまったおかげで石像のように体が硬直した。
すぐに誤解を解かねばと躍起になって再起動する景保を尻目に、るんるん気分で夫人は踵を返して歩いていく。
しかも、
「みんな~、カゲヤス君、順調なんですってー!」
事実と異なることをよく通る大声で屋敷中に吹聴されてしまう。
こうなると困ったのは景保だ。慌てて否定しようと駆け寄る。
「ルネ夫人ーー!!!」
「うふふ、大丈夫。全部分かっているわ、謙遜しているんでしょ? 明日期待しておくからね! うふふー♪」
不思議なことにその足取りは景保でも追えなく、あっという間に早足で消えていってしまった。
――何も分かってないよあんた!
おかげでその場で立ち尽くし、無常にも自分が追い込まれていくのを見ているしかできなかった。




