15 マスターキー
「はぁ……はぁ……ねぇ、けっこう走ってるけどまだ着かないの?」
『そこの角を曲がってあと約七十メートルです』
時間は少し遡る。
彼方を葵が足止めしている間に何がなんでも目的地にサミュを連れて行くことを決心したミーシャは、サミュを背中におぶって走り続け汗を流しながら愚痴を零した。
ちなみに彼女の武器である弓と矢筒はオリビアが持っている。
子供とは言え数十キロの重りとさらに葵に彼方を足止めしてもらっている責任感がミーシャの息を切らせていた。それに最悪、ブリッツなど絶対に適わない相手と出くわす可能性もあったのだから緊張感も相当なものだ。
ただガイドAIに残り距離を教えられて少し表情が和らいだ。
「もう少しか。サミュ様、お恥ずかしいかもしれませんがもう少し我慢下さい」
「分かっている。ミーシャもそうだしそれにアオイも頑張ってくれているのだ。この程度の恥辱いくらでも耐えてみせる」
先頭を警戒しながら走るオリビアから声を掛けられたサミュが答える。
体力が一番劣る彼を一刻も早く連れて行くということでミーシャが自分から背負うと言い出し、サミュもそれに応じた。
封印を解いた天恵の【影騎士】に抱えさせても良かったがあれはあれで集中力も使うのでこれがベストだと判断したのである。
「ミーちゃん頑張って!」
「分かってる!」
まだ数百メートルあるならさすがに代わってもらいたがったが七十メートルならとオリビアに励まされたミーシャが気合を入れ直した。
「ぎゃっ!」
「なっ!?」
そんな時だった。
角を曲がったオリビアが誰かとぶつかったのだ。
「無礼者! 痛いだろうが!」
なんと尻もちを突いて憤慨しているのはサミュの政敵でもあるリグレットだった。
周りには他に誰もおらず、どうやら単独行動中らしい。
「あ、クソガキ!」
「誰がクソガキだ! 牢に入れるぞ愚民め! ひっ!? お、お前ら余の命を狙いにきたのか!?」
ミーシャの辛辣な言葉にリグレットが敏感に反応したが、すぐに敵側陣営だと気付いて悲壮感のある顔を浮かべる。
たった一人で敵五人と相対すればそうなるのも仕方ない。
「ミーシャ、降ろしてくれ」
「え、でもまだ……まぁもうそんなに距離も無いからいいか。分かりました」
サミュに言われてミーシャが背中から彼を降ろした。
そこからサミュが前に出てすぐ横にクレアが付く形になる。
「リグレット、見たところお前一人のようだな。おそらくは何をしていいのかも分からず適当にウロウロとしていたというところか」
「こ、こんなの聞いておりません! 余は連れて来られただけで何も……」
リグレットがしょんぼりとしょげかえる姿は本当のことを言っているようで、等身大の子供のままにしか見えなかった。
数日前までは腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えたサミュだったが哀れを誘われどうしても今はそんな気持ちになれなくなってしまう。
「ふむ、勝手に出歩いて行方不明になられても困る。連れて行くか」
「サミュ様!?」
それに異を唱えたのはクレアだった。
彼女の立場からするといくら無害であっても敵の大将を同行させるというのは簡単に賛成できるものではない。その反応は至極当然のものだろう。
「言いたいことは分かる。確かに敵ではあるが、こやつはもう余の数少ない肉親の一人なのだ。放っておいて戦いに巻き込まれ大怪我でもされるのも忍びない。それにリグレット一人でもはやどうにかなる盤面ではなかろう?」
「ですが……」
「クレア、これは余の我がままでしかない。お前が強く反対するならこれ以上は言わん。リグレットはここに置いていく。だが王となる者が弟一人守れないでどうして国民を守れる? 余は一時の感情で道を誤りたくはないのだ」
「……了解致しました。しかし最低限の監視は必要です。オリビア殿、リグレット王子が不審なことをしないよう見張っていてもらえるか?」
「はい、分かりました」
ミーシャがサミュを背負わなくてもよくなったので弓矢で塞がっていた手が空くので、オリビアが適任だろうとクレアが判断した。
だが勝手に話を進めるなとばかりにリグレットが声を荒げる。
「待て! 余はそんなこと了承していない!」
「少し黙っていろ。これから行くのは王候補が訪れないといけない部屋だそうだ。お前もそこに行くのは不服ではなかろう?」
「ぐぐぐ……分かりましたよ。今は兄上に従います」
これにサミュは上手い言い回しをした。
そういう言い方をされればリグレットも拒否はし辛い。
「クレアさんも大変ね。もし王子と結婚すればこれが弟よ?」
「ミーちゃん今はそういうの……」
「結婚!? ど、どういうことです兄上!?」
ミーシャが横にいるオリビアに小声で話したのだがそれはリグレットの耳に入ったようで彼はその言葉に取り乱した。
「うむ、まぁ今その話は置いておきたいのだが……まぁそういうことだ」
サミュはクレアに軽く目配せをすると二人とも照れて恥ずかしそうなリアクションを取る。
これにリグレットは信じられないという顔をした。
「け、軽挙妄動が過ぎます! 調べさせたところその女騎士はチャード家の一員ではありますが所詮は庶子! 兄上は栄えある高貴な王の血筋に民草を混じらせるおつもりか?」
「そうなる」
「狂われたのですか兄上!?」
「では問うが、お前の言う高貴な血筋である貴族の騎士たちがこの場に誰一人としていないのはなぜだ? 余の周りにいて体を張って守ろうとしてくれているこの者たちは誰だ? 血筋に囚われるなぞ何の意味がある?」
「余たちが王の血筋だからここにいるのです。ここで資格を得て帝国の王となる。そうすれば民草などに頼らずとも勝手に付いてきます」
「違うな。民は、いや人は血筋に付いてくるのではない、積み上げた実績と志に付いてきてくれるのだ。ここにいる者や余のために今も戦ってくれている者たちは余に共感し支えようとしてくれている。よく自分の周りを見て考えるのだリグレット」
「そんなことは……」
リグレットも薄々は自分の味方が利害関係でのみ繋がれた関係であることは承知している。
しかしそれでいいと思っていたし、そういうふうな人間関係の接し方を学ばされてきた。
ただ自分は今一人でサミュの周りには味方がいるという事実は否定出来なかった。
「よし、問答がここまでだ。そろそろ先を急ぐぞ。案内を再開してくれ」
『畏まりました。こちらです』
サミュ王子の言葉にガイドAIが動き出す。
走るのではなくそのまま床の上を滑るように移動し、速度はサミュたちの小走りに合わせていた。
すぐに目的地の扉の前まで到着し、待っていたかのように独りでにドアがスライドして開く。
単なる自動ドアだがそこにいたメンバーは全員目を丸くする。
『さぁ中へお入りください』
ガイドAIに案内されるがままに彼らは室内へと入っていく。
そこは外側に向かって机や椅子が並び大型の空母や戦艦などでよくあるようなブリッジのイメージに近かった。
ただここにいる誰一人としてその知識は無く、ぽかんとするばかり。
「ここはなんなのだ?」
『ブリッジです。そちらにお進み頂いて中央にある机にお持ちの鍵を差し込んで下さい』
あまり合点はいっていないがサミュは言われるがままにそこまで誘導され胸に掛けて服の中に仕舞っていた鍵を取り出す。
そこまで行くと確かに机らしきものの中に鍵穴のようなものがあるのをサミュが見つける。
「これをここに挿せばいいのか?」
『そうです。それでマスター認証がされます』
「わ、分かった……」
軽く深呼吸して心臓をドキドキさせおっかなびっくりサミュが鍵を差し込もうとすると彼の後ろに不自然にオリビアが立っていた。
「オリビア?」
最初にそれに気付いて声を発したのはミーシャだ。
オリビアの立ち位置は一番後ろでリグレットが変なことをしないよう見張るという話だったはず。それが役目を放り出してなぜかぴったりとサミュの傍で密着寸前になっている。あまりに色々と理解が追い付かない施設を見たせいで接近するのを見逃してしまったが怪訝に思うのも無理はない。
「あらぁじゃあ王子様のお仕事はここまでねぇ」
見た目も声もオリビアなのに明らかに彼女の口調ではなかった。
そしてオリビアはサミュの手から鍵を奪い取ってしまう。
「な!? オ、オリビア殿!?」
サミュを命に代えて守ると宣言したクレアですらオリビアの謎の行動に体が動かない。
約一か月ほどだが葵や他のメンバーたちとも仲良くなっていたせいである。まさか害になるようなことはしないと信頼が体を縛ってしまっていた。
「おい何をしている! その鍵は余の物だ! 寄越せ!」
幸か不幸かそんな彼女たちの中で唯一、空気を読まずに飛び出てきたのがリグレットだった。
彼は憤慨しながらもオリビアに近付き手に持った鍵を取ろうとする。
が、オリビアは虫でも見るかのような冷めた目線で懐からナイフを取り出しリグレット目掛けてそれを振り下ろした。
「ひっ! やめっ!」
防御本能で咄嗟に腕で防ごうとするリグレットだが子供の細腕で止まるはずもない。
「リグレット! くっ!」
しかし寸でのところでサミュがリグレットを庇って二人が床に倒れる。
ただその際に彼の腕に刃が触れてしまい浅く裂傷が生まれ、服に赤い血がにじむ。
「サ、サミュ様! オリビア殿、さすがにここまでされては私も実力行使をさせて頂く!」
主が傷付けられたクレアが剣を抜いた。
頭ではオリビアがなぜこんな暴挙を働くのかの答えがさっぱり出せないが、それでもサミュを守るのが彼女の唯一の指針でありそこが揺るがなかった結果である。
「待って!」
「待てん!」
ミーシャが制止するよう叫ぶがクレアは止まらずオリビアに斬り掛かった。
斜め上からの袈裟斬りだ。ただし剣の切っ先を捩じって腹の部分でオリビアの手を狙ったものである。峰打ちではあるが、当たれば骨が砕けてもおかしくない一撃だった。
しかしオリビアの体と手先はクレアの予想よりも疾く動く。
ただのナイフでクレアの騎士剣を捌きすっと彼女に肉薄すると鎧で守られていない部分に刃を突き入れた。
「がっ! オ、リビア殿……!」
焼きゴテを押し付けられているかのような灼けつく痛みがして急速に力が抜けていく。
膝ががくりと落ちるがクレアは剣を床に杖のように刺して崩れるのを防ぎ、残った力を振り絞って薄く嗤うオリビアの顔を掴もうとした。
オリビアが一歩引いてそれをやり過ごすとクレアが限界だったのか倒れる。
「オ、オリビア! あんた何してんのよ! どうしちゃったの!?」
ミーシャはこの一瞬の出来事をまるで悪夢を見ているかのごとく青ざめてそれを傍観して叫ぶことしかできなかった。
村では同年代の子供というのが少なく、幼い頃からアレンと一緒に過ごしてきたのがオリビアだった。
同じ女の子として、そして少しだけ年上という彼女にミーシャはアレン以上の親しみも持っていた。なのに信じられない、信じたくない光景をむざむざと見せつけられる。
「何もできないならその場にカカシみたいに立ってなさいなぁ。あなたたちの仲良しこよしの旅はこれで終わり。ここからは大人の時間よぉ」
オリビアはミーシャを無視して背中を晒す。
まるで眼中にないと言わんばかりで彼女は再びマスターキーを挿すために戻ろうとし、それを追う視線の中で動かない血だらけのクレアが視界に入りそれがミーシャの冒険者としての責任感や闘争に火を付けた。
「オリビアァァァァァァァ!!」
事態を何も理解していない。
けれどミーシャは感情のままに親友の名前を大きく吐きながら矢筒から矢を取り出し素早く弓で引き速射する。
狙いは肩だった。行動不能にさせるつもりである。
矢はミーシャの予測通りの弾道を通り予定の速度で確かにオリビアに吸い込まれた。
しかし彼女は予想外の身体能力で後ろを向いたまま屈んで矢を避けナイフをその場からミーシャに投げ付けてきた。
「きゃっ!」
回避と攻撃が一体となったモーションにミーシャは反応できない。
何とか弓を盾にするも軌道と威力を逸らしただけでナイフはミーシャの右胸の肩甲骨あたりに刺さってしまう。
それをリグレットの上で見ていたサミュが痛みに耐えながら急いで立ち上がる。
「こ、こうなったら【影騎士】出ろ――」
「あら駄目よぉ。この中じゃあ王子様のそれが一番厄介なの。ほら、愛しい護衛騎士様の命が欲しかったら何もしないでおきなさいな。今度は手元が狂ってしまうわよぉ?」
サミュが天恵である【影騎士】を発現させようとした刹那、オリビアが別のナイフを取り出し横たわるクレアの喉元の傍に付けるとナイフからパチパチと不快な電気が弾ける現象が起きた。
それを見てサミュはぞっとする。
「やめろ、クレアに手を出すな!」
「それはあなた次第ねぇ?」
今はまだ腹の傷だけならば助かる望みがあるが、オリビアの狙いが数センチズレるだけでその可能性すら失われてしまいサミュに人質としての脅しの意味が劇的にあったのは誰の目にも明らかである。
「くっ……オリビア、お前何が望みだ? 何を知っている?」
この場面でサミュから鍵を取り上げるというのは確実に目的があってやっているのは推測できた。
しかし一介の冒険者にそんな行動ができるはずもない。しかも仲間を裏切ってまでしたいことなどサミュには想像も付かなかった。
もっと言うなればサミュがここまで見てきたオリビアという人物像は優しさに溢れながらも言う時は言う。戦闘能力もクレアを下し、ミーシャの矢をこの近距離でいとも簡単に避けられるほどの反射能力も無かったはずだった。
「ずっとこの世界を破壊したいと思っていたのぉ。それがこれで叶うわぁ」
邪魔する者がいなくなったと判断したオリビアはゆっくりと鍵を鍵穴に挿し込み回す。
直後、光のラインが放出され部屋中を覆う。
そしてガイドAIが恭しく演技ばった礼をしてオリビアに話し掛ける。
『マスターキーの起動を確認しました。全権限をマスターキー起動者に移譲します。ご命令をどうぞ』
「そうねぇ、この船にいる人たちを一旦全て集めて欲しいんだけど出来るかしらぁ?」
『了解致しました。乗務員の位置を補足。転送ポータル開始します』