1 不穏な再会
葵たちがお城に乗り込み彼方たちと対面しているその頃、一面に緑生い茂る平野を凄まじい速度でひた走る二つの影があった。
もしこの世界の住人に見つかれば一体なんだと目を丸くして驚かれたことだろう。
それは人だ。ただし通常の人間ではない。異世界からやって来た『プレイヤー』と呼ばれる二人だった。
若い男と女――『景保』と『ステファニー』である。
彼らは一般の人間からしたらあり得ない速度で走りながらも平気な顔で雑談を交わしていた。
「いつまでも同じ景色が続きマスネー」
「地球でも寒い地域は人の手が入りにくくて、ここと似たような広大な自然が形成されるみたいですからね」
景保が指し示すのは北海道の地平線が見えるような道路やカナダのカナディアンロッキーのような手つかずの大自然のことだ。
豪雪地帯という自然は人の手に未だ余るもので、まだまだ制覇するのは難しい。
おかげで一望千里な土地はそのまま野放図に残ることが多くなる。
「なんだかミーの故郷を思い出し少し郷愁を感じマス。でもここと違ってあんまり冬に雪は降らないんですケドネ」
「そうなんですか? ロッキー山脈とかって雪景色をしている風景が印象にありましたけど」
「確かに山に近い方は少しは積もりマス。けれど平地は薄っすらとぐらいデスネ。その代わり冬は氷点下まで気温が下がってかなり寒いデスヨ。ふふふ」
急にステファニーが思い出し笑いをしたので景保はきょとんとなった。
「あぁ、すみまセン。寒さで思い出したんデスガ、日本に来た時に摂氏と華氏の違いがややこしかったなというのを思い出したんデス」
日本やほとんどの国では気温を表すのに摂氏という表記を使う。
しかしアメリカの一部ではまだ華氏という計算方式の表記を導入している地域があるのだ。
ちなみに華氏では水が氷になる温度を三十二度、水が沸騰する温度を二百十二度と言い、ざっくりと三十引いて二で割ると摂氏に近い数字になるとされている。
「あぁ、確かにそういう違いはありますね」
「故郷も良いところなんデスガ、やっぱりミーは外に出て良かったと思いマス。色んな知らないことがいっぱい知レテ、色んな人たちと会えマシタ。そして今もこうして貴重な体験をしてイマス」
ゲームをしていたら異世界にやって来た、というのは貴重な体験で済ますステファニーの肝はなかなか太い。
にこやかに笑うそんな彼女を見て景保も自然と口元が緩む――かと思いきやそうでもなかった。
笑ってはいるが、実はただの苦笑いである。
「(あんなこと言われたから気になって仕方がないんだよなぁ)」
あんなこと、とは炊き出しやらゲリラライブやらを催したあの村での夜の出来事に起因する。
あの日、ステファニーに「レッツ革命!」と誘われ、その場はなんとか日本人特有のなぁなぁで誤魔化したものの、どこまで本気で考えているのか分からず、今更蒸し返すことも出来ずにびびっていたのだ。
彼女はいつもニコニコして葵や子供の美歌のように分かりやすく負の感情を出さないが、その内心では赤ん坊まで巻き込んで村人たちにあのようなひどい仕打ちをする国に激烈な怒りを感じていることだけは察せられていた。
「(こんなことならハッキリと聞いておくべきだった……)」
問題を後回しにするだけの自分の優柔不断な性格を反省するばかりである。
とにかくそんなことがあったものだから、葵と一緒にいる王子様と会わせるのはまずいのでは? と判断して無理にこちらに来てもらっていたのだ。
速度アップ系のバフが長時間使えるステファニーがいると進むのがより短縮出来て必要だと理屈を盾にして頼めば彼女も断れなかった。
ちなみにジロウには「お前にしては頑張ったな」と言われ、まるで景保がステファニーと二人きりになりたかったようなえらい勘違いをされてしまっている。
「でもそろそろ見えてきても……あれデショウカ?」
「あ、ですね。そろそろ止まりましょう」
ステファニーが目ざとく森林地帯の手前に設置されている野営のキャンプ地を見つけた。
まだかなり距離があって米粒ほどの大きさなので向こうから視認される恐れは薄いだろうが安全を取って景保たちは足を止める。
目立たないようにタマやトモエも連れだっていないのはそのためだ。
「ワン、ツー、スリー……って一つ一つ数えるのが馬鹿らしいほどの数がいそうデスネ」
「ざっと数百人規模でしょうか。下手をすれば千人以上いるかもしれない」
そこに乱立するテントの数は異常だった。
どこのキャンプ地に行ってもこれほどの数はお目に掛かれないだろうというほどギッシリとある。
もはや砦が無いだけで軍の拠点と言ってもいいだろう。さすがに遠すぎるので一人一人の顔までは見えないが、それでも今も誰かが活動しているのが分かった。
ここは葵たちがいる帝国の首都よりもさらに北上した場所だ。
帝国というよりも、どちらかというと神都リィムの方が近い。
しかし周りは自然だらけの風光明媚なところで、ここに来るまで村一つすら見つけられなかった。
「とりあえずは到着することには成功しまシタネ」
「えぇ、ジーナさんの情報通りだ」
ここに何があるかと言えば、ジーナが得た情報の『リィム教の兵力が集結』しているというものだ。
景保としては帝国のお家争いも気にはなったが、彼らがこうしてこんな辺鄙なところに集まっているという方がよっぽど興味をそそられた。
その先にあるのは打倒彼方への糸口である。なんだかんだ、普段はツッコミ役で温厚な景保も負けず嫌いであった。
「ここで一体何をしているノカ……。八大災厄を喚び出すような悪さをしているなら防がないといけマセンネ」
ステファニーを説得する一つとして用いたのが、その教会が厄災を召喚しているかもしれないというジロウにも話した景保の推論だ。
彼らが多少なりとも自分たちの異世界転移について関わっている可能性があるとほのめかした。
無論、騙したのではなく景保自身、それなりの自信は持って打ち明けている。
二人でキャンプ地の方を眺めながら相談していると、ドン、とその奥にある森林地帯から小さく爆発音のようなものが聞こえてきた。
「ん……今の……」
「花火じゃありまセンネ。あの森の中で何かが行われているようデス」
こんなところであんなに人数を集めて森の中で一体何をやっているのか、探究心は膨らむばかりで景保の目が細くなる。
もはや確かめる以外の選択肢は無かった。
「ここからじゃあ見つかるので、遠回りして探りましょう!」
「がってん承知の助デース!」
「なんですそれ?」
「オー! ミーの故郷のテレビで流れていた日本のソウルフルアニメで言ってマシタ!」
「その言葉めちゃくちゃ古くてもう誰も使いませんよ」
「オーマイガー! マジかよ!?」
ステファニーだけが受けた小さなショッキングな出来事を挟みつつもかなり大回りして森林地帯に二人は潜入する。
見通しが良かったせいでけっこうな時間を使ってしまった。
「ひょっとしたら終わってるかと思ったけどまだ続いていマスネ」
ステファニーの耳がピクピクしてその音を感知する。
だいぶ近付いてきたので大まかな方向ぐらいは分かるようになってきた。
頻繁に、というほどではないがたまに聞こえてくる。
その森は外国の原生林を思い出すかのように背が高い杉に似た樹木で覆われてい、て少し湿って腐葉土が多い。
足元にはシダ系の植物が顔を覗かせている。
「これでただの軍事演習だったら拍子抜けなんですけどね。でも僕の勘はそうではないと警鐘を鳴らすんです」
「ミーもここに来るまでは半信半疑ではありマシタ。でも近付くにつれ、真実味が増してきている気がシマス。特にあのテントの数、少なくても人に見られては困るようなことをしているのは確かデショウ」
小声でやり取りしながら今もなお音のする方へと歩み寄っていく二人。
次第にそれが鼓膜を揺るがすほどに距離を縮めていた。
まだいくらか離れているがなんとか木が邪魔をしない位置を見つけ、二人のアフリカ人並の視力が遠くからそれを捉える。
そして瞳に映った瞬間に、景保は気が動転した。
「な……んだ……? ゴブリン? いやあれは――」
「間違いないデス。あれは――邪鬼デス」
邪鬼というのは大和伝の雑魚モンスターの一種だ。
人型種で属性は闇と鬼。徒党を組んで襲い掛かって来るが比較的弱い相手である。
角があって裸で髪が無く、背が小さい。種類によっては緑色のものもいるので遠くから見れば一瞬ゴブリンと見間違えるのも無理はない。
ただよく観察すれば全然違う。
まさかこんなところに大和伝のモンスターがいるとは思わなかったが、二人は何百匹もの邪鬼をゲームで倒したことがありその容貌を忘れてはいなかった。
「教会騎士団が邪鬼と戦っている……?」
景保はその光景をつぶさに凝視する。
確かに騎士たちが同じく徒党を組んで邪鬼を森の中の広場で退治していた。
一対一では騎士たちの方が上、しかも装備はしっかりとしていて連携も取れているのでその戦況は圧倒的なものだ。
ただしどこから湧いてくるのか次から次へと出現してくる。
この世界では美歌や景保のように部位欠損まで治療する治癒術師はほとんどいないため、油断して怪我をすれば本当に命取りになることだってあり得たためみんな必死で死闘を繰り広げていた。
負傷したものは後ろへ下げられ、代わりに後ろから新しい騎士がやって来ては剣を振るう。それがずっとルーティーンのように繰り返されている。
「なんだこれは? 一体なんのために? まさか八大災厄が?」
すぐに思いついたのは景保たちを苦しめたあの大ボスたちの存在。
邪鬼を召喚する八大災厄はいなかったが、ゲームだけの知識で一括りにすると足元を掬われることはもう身に染みている。
何らかの影響があってそういう新技を編み出したとしてもおかしくはないと景保は考えた。
「だったら加勢するべき?」
「いえ、待って下サイ。どうもいるのは邪鬼だけデス。ボスの存在は見当たりまセン」
ステファニーに指摘される通り、土蜘蛛姫と霙大夫から発せられたあの身の毛もよだつようなプレッシャーは一切感じない。
あれは遠いから感じないとかそういう類のものではなく、まさに力の具現であった。亜伸とでも言うべきだろうか。人や動物では絶対に用いれない高純度の存在。ただそこにいるだけで勝手に負を撒き散らし、それが実際に心身に影響を与えてくるのだ。
実際に二度もそれと対峙した景保だからこそそういう意味でここに八大災厄がいないというのは理解できた。
「だったとしたらなぜここに大和伝のモンスターが? ひょっとして教会騎士団が喚び出した? だったとしたらなぜ戦っている? まさか制御できずに暴走しているとか?」
景保は口に手を当てて独り言のように思考を巡らす。
しかしここからだとやはり断片的な情報しか掴めない。
せめてもっと近付いて会話の内容などを盗み聞ければ――そう思った時だった。
横合いから足音が聞こえたのが耳に入ってくる。
反射でそちらに顔を振るとすでに見つかってしまっていた。
「あーらら、ここら辺は封鎖しているはずなんだけどなぁ。どうやって入ってきたのかなぁ? おじさんかなり困惑中だよ」
そこに立っていたのは二メートル近い中年男だ。
背中に大きな剣を抱え腰にも剣を提げている。
「え? そうなんですか? すみません。道に迷っちゃって! だったら町までの方角を教えてくれませんか? すぐそちらに向かいますので」
我ながら咄嗟にしては悪くない誤魔化し方をしたと景保は頭の中で自画自賛するほどだった。
しかし――
「おたくさぁ、嘘を吐くんならせめて格好もなんとかした方がいいよ。そんな恰好で旅人ですって言われても大道芸人にしか見えないよ。そんなやつらが二人こんな場所にいるのはおかしいぐらい分かるって。おじさんの目は節穴じゃないんだぜ?」
言われて景保は自分とステファニーの服に視線をやる。
陰陽師装備と和服のスカートだ。どう見たってこの世界の感覚からすれば奇抜で一般的ではない。
見つからない自信があったためにそういう用心をすっかり忘れていた。
「いやぁ慧眼ですね。この服は実はその大道芸人をしている人のお下がりでして……」
自分でも苦しい言い訳だと感じつつも景保はまだ誤魔化すのを諦めない。
「うーん、意外と諦めが悪いんだねぇ――異世界人ってのは」
「……!」
一気に空気がピンと張り詰め、景保の作り笑いも固まる。
その単語を出されれば全てバレているということだ。
「人が悪いデスネ、バレているのなら最初から言って欲しかったデス」
「いやぁ悪い悪い。あたふたするのがつい面白くって。おじさんこれでもからかい好きなんだよ」
つい嫌味が混じったステファニーの言葉もどこ吹く風の様子である。
「だったら僕ももう嘘は吐きません。あれは何です? あなた方はここで一体何をしているんですか? もし入り用ならお力添えしますけど?」
景保は今も戦い続ける騎士と小鬼たちを指差す。
仮に召喚が暴走状態にあるとすればいくら教会側が敵であっても助けないわけにはいかない。それにここで全滅なんてされればこの後、被害は一般人たちにも出ることになる。
だから共闘を申し出た。
しかし男はあまり乗り気でない様子である。
のらりくらりとしていて景保の提案にも嬉しそうには見えない。
「ん~、いやそれはさぁ――」
「――必要ねぇよ」
さらに男の言葉を途中でやめさせる声が届く。
景保が振り返ると、木々の間から現れたのは別れたはずの『ブリッツ』だった。
「ブ、ブリッツさん!?」
「おう景保、久し振りだな。まさかこんなところで会うとは思ってもみなかったぜ」
さすがの景保もここに彼がいるとは思ってもおらず軽く放心する。
だがすぐに頭を回転させるとそこにいるブリッツが偽物の可能性を考え出した。
「(――不自然なことをそのままにしちゃいけない。いちゃおかしい人がいる場合、何か理由があるはずだ。例えば安心させて後ろからズブっと刺すなんてことだってあるかもしれないんだから)」
用心深くジロジロとそのブリッツを観察する。
見た目や声音は本人そのものだ。けれど出発前に話した通り、天恵で他人に化けられる能力の人間がいるとするならばそれぐらいは騙し通せるものだろう。
景保はまだ目の前にいるブリッツが本人とは認めようとしなかった。
「止まって下さい。申し訳ありませんがあなたが本物であるという証拠がありません。もし本物であると主張するのであれば僕の言葉に従えるはずですよね?」
そういう言い方をされれば仮に偽物であってもそれ以上、近付き辛い。
景保なりの一手だ。
「んん? あぁ俺が偽物かと疑っているのか。全くお前は頭が回るやつだよ。一番敵にしちゃあいけないのはお前かもな」
「だってブリッツはさんはこの帝国内のどこか、詳しい場所までは知りませんが教会に連れて行かれて軟禁されているはずです。それが連絡も無しにこんなところをウロウロしているのを信じる方がおかしいじゃありませんか?」
事実、ジロウとブリッツの定期的な連絡はまだ続いている。
さすがに男同士なので簡素なものではあるものの、解放されたなどの変化があるのであれば報告されているはずだった。
しかしながらジロウ経由でそんな話はまだ聞いていない。
「証拠ねぇ……。だったらこういうのはどうだ? ―【仏気術】風天の風玉―」
それは【僧兵】のみが使える仏教の十二神将の力を借りた術の一つだ。
風の玉が生成され、ブリッツの意志に従い上空へと飛ばされる。
余波で梢が揺れるがあえて外したのが分かる弾道だった。
「そ、それは……」
「偽物に大和伝の術が使えると思うか? これで証明できただろ?」
言い掛かりをつけようとしたところに、ぐうの音も出ないようなものを見せつけられ景保はぽかんとする。
まさに彼自身が偽物には大和伝の術は扱えないと言っていたのだ。
それに大和伝という単語も使われた。彼が本物というのは信じる他はないようだった。
「だったらなぜこんなところにいるんです? なんで報告してくれなかったんです!?」
景保は焦っていた。
一番考えたくない理由をすでに頭に思い浮かべてしまっていたからだ。
自分から訊いておきながらそれだけは彼の口から聞きたくないと心が拒否していた。どうか勘違いであってくれと胸の中で悲鳴を上げている。
「ま、色々あってよ」
「い、色々って?」
「――景保、俺はこっち側に付くことにしたよ」
その台詞に心に激震が走る。
血管が収縮し血の気が引き、脳が理解を拒み心が浮ついて力が入らない。
まさに景保にとって最も聞きたくない言葉だった。
もちろん演技の可能性だってある。
でもそれならば自分たちにはメニューを開いてメールやビデオチャットなどいくらでも事情を打ち明けられる手段が揃っていた。
それすら使用せず伝えないというのは考え辛い。
「な、なぜ!? なぜですか!?」
景保は自分でも意外なほど声が震えて思ったより声量が出なかった。
ブリッツが教会側に付くことは大きな戦力ダウンに違いない。
だがそれよりも、自分は思ったよりブリッツのことを信用していたんだなとむざむざと自覚させられたからだ。
そうでなければここまで動揺はしないだろう。
やはり生死を懸けた戦いを共にしたというのは大きい。
上っ面ではなく、その人間の極限状態、言い換えるなら本性を垣間見れるからだ。
だから景保は霙大夫戦で見せたブリッツの行動――前衛に立って体を張って自分たちを守り、さらには自らを犠牲にしてまで彼方と交渉したそれらの生きざまで簡単に自分たちを裏切る人間ではないと信じていた。なのにその前提が覆された。
「(まさかお金や何か条件を出されたからなんていうことじゃないはずだ。訳を聞かないと納得できない)」
目が泳ぎ口には出さないまでも景保の心は目まぐるしく混乱して叫びを上げていた。
「なぜ、か……。色々ってので頷いて欲しかったんだがなぁ。そうだな……こっちの方を助けてやりたくなったからだ。だから邪魔をするっていうのなら俺が立ちはだかることになる」
「それはどういう意味ですか? 分かるように――うわっ!」
その時、後ろに引っ張られたせいで景保は口を止められる。
急に彼の襟を掴んで回避させたのはステファニーだ。
直後、大剣が景保のいたところを通過して後ろにあった木に縫い付けられる。
「お友達同士の再会ですから黙って聞いていまシタガ、無粋なことをする人もいるものデスネー!」
「すまないがそっから先はトップシークレットってやつなんだ。うっかり話されでもしたらおじさんの方が殺されちまう。ほいっと」
ステファニーがぷんすかと不満を露わにして抗議する。
大男が素知らぬ顔で手を操ると木に刺さっていた大剣がまるで逆再生でもしたかのように手元に戻っていく。
「それは? 天恵?」
「まぁそんなところさ。【引斥力】っていうおじさんが武器と認識したものを吸ったり反発したりするおたくらに比べたらケチな力さ。あぁついでに名前はガルト。女神の使徒ってやつなんだけどね。今日は名前だけでも覚えて帰って下さいな」
「見逃してくれるんですか?」
「このまますぐに大人しく退き下がるなら。おっと、ついでにここのことはこれ以上嗅ぎ回らないことも条件だね。さすがの優しいおじさんでも二度目は無いよ」
言われて景保はどうするべきか算段する。
自分たちの戦力はプレイヤーが二人。相手のプレイヤーはブリッツのみだが、他の戦力は数百以上いてモンスターも大勢。さらに彼方がいる可能性だってあった。
だからすぐに無理に意地を張っても仕方のないという結論が出る。
代わりに縋るようにブリッツを見た。
何かを言ってくれるのだと期待して。しかし彼は特に何も話そうとはしない。
拒絶を感じ落胆する気持ちがこみ上げてくる。
「景保サン。ここは退きマショウ」
「でも!」
「このマッチアップなら戦えば勝てるデショウ。でもあなたは本気で戦えマスカ? いえ、戦いたいデスカ?」
「!? そう……ですね。……分かり……ました……」
ステファニーの言い分は景保の心に一直線に刺さった。
頭の良い彼だからこそ、それでここで揉めるのは得策ではないと理解し帰路に着くことを決めた。
踵を返し数歩歩いたところでブリッツを一瞥だけしたがやはり反応は無く、景保が諦めて来た道を引き返し始めるもその足取りは重い。
背後からはやはり何も声は掛からず、そのままもうお互いに見えない距離にまで離れていく。
迷いはあった。
まだ話せば何か掴めそうだし、決定的な情報はまだ何も得られていない。退くと言ったが前言を撤回し粘る必要性は感じていた。ステファニーとタッグを組んで戦えば彼女が言うように相手がプレイヤーが一人しかいないのであれば勝つ目は十分に存在する。
しかしそれと同時にブリッツと戦いたくないという覚悟の決まらない気持ちが景保にはあった。それがそれ以上ここに留まる意気を失くさせたのだ。
「ブリッツさん、僕は葵さんたちにどう伝えればいいんですか?」
小さく呟かれる景保のその問いは森にかき消え誰にも届かない。