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20 脱走、その先は――

「あぁん? 三班は全然進んでないな。サボってんのか?」



 図体はでかいが頭は回らない粗暴が服を着て歩いているような人物がサミュたちをジロリと睨みつける。

 彼は週一回で穴掘りの進捗状況を確かめる役割の監察官で、これでもれっきとした役人だった。

 鉱山に従事する人間たちはおしなべて荒っぽい者が多く、凶状持ちもいるためそれを取り締まる方もそれなりにタフな人間が選ばれているのはやむを得ないことではある。



「(そりゃこんなガキがいたら他より進まないのは分かるだろうが!)」



 サミュの後ろでボソボソと文句を零すのは食事のいざこざの時以来、何かとサミュたちに突っかかってくる同じ班の男だ。

 テッドの庇いやベッゾが怖くて直接的に手を出して来ることは無くなったが、見ていないところでの悪口やわざと体をぶつけられるなどの細かい嫌がらせぐらいはまだ続いていた。



「俺たちは頑張ってやってるっての! 岩盤が固くなってきたんだ。ペースが落ちるのは仕方ないだろ」


「はぁ? んなこと関係あるかよ。お前らは決められた通り掘ればいいだけなんだよ、それに間に合わないのなら寝る時間も惜しんで働けよ! いいか? お前らは物だ。奴隷という命を買われた俺たちの所有物だ。持ち主に生意気に逆らうのならこっちにも考えがあるぞ? あぁん?」


「ぐっ……」



 テッドが主張するもそれは届かない。

 むしろ勘気を買ってしまい、監察官はテッドの胸元を締め上げる。



「テッド! お前やめ――」


「まぁまぁ監察官様。ほら新人も入ったばっかりですし最初はどうしても遅れてしまいますよぉ。遅れた分は次回の監査までに取り戻しますから。それに怪我なんてさせたらあなた様が苦しい立場になるかもしれませんよぉ?」



 それを見かねてサミュが止めさせようと手を出した瞬間、マイクロフトがすっとサミュの首根っこを後ろに引っ張り、ゴマすりをしながら猫撫で声を出してなだめようとした。

 ピタリと止まり監察官はこう言う。



「それでおべっかを使っているつもりか?」


「いえいえ本当のことですよ。私たちも気合が入りましたし、ね?」


「ふんっ! 遅れた分は今日中に取り戻せ。もし明日まで進んでいなければ明日はお前ら飯抜きだ」


「なっ! 今日中ですか……」



 その無理難題にマイクロフトが呻く。

 サミュが大人一人分の働きができていないのも本当だし、岩盤が固くなっていて遅れているのも本当だった。他のメンバーも理解していて頑張ってはいるものの、それを差し引いてもまだ丸一日分ぐらいはまだ差がありもちろんたった一日で取り戻せるものではない。

 明らかに嫌がらせの類だった。



「寝なければいいだろ!」


「はぁ!? そんないい加減な勘定でできるはずがないだろ! それに飯が無かったら余計働く力が無くなるだけだ! んなことも分からねぇのかよ! この無能――あんが!」


「あぁ!?」


「あぁむの――無農薬野菜がたまには食べたいなーなんてね! 子供は食べ盛りだから!」


 

 まだ事を荒立てようとするテッドの口をマイクロフトが無理やり塞ぎ苦しい取り繕いをする。

 マイクロフトとしてはテッドをあえて庇ったつもりはない。ただ単に彼としてもここでこの短気で粗野な監察官を余計に怒らせるのは勘弁して欲しかっただけである。

 でないと何を言い出すか分かったものではなかった。 

 


「ふん、まぁいい。お前らは明日地獄を見ることになりそうだからな。その時まで楽しみは取っておくか。弱ってるやつを虐めるのは俺好きなんだよなぁ。けけっ! もう何人もそうやっていびり殺してきた。じゃあ明日を楽しみにしているぜ!」


  

 言いたいだけ言って監察官は去って行く。

 彼の中でここの労働者は消費される道具と何ら変わりがないらしい。

 それを見送ってテッドが嘆息するが、それでも怒りは収まらない。



「おっさん、止めんなよ! あぁいうやつのせいで無駄に人が死んでんだぜ! ここにはただ人を痛めつけたいだけの馬鹿ばっかりしかいねぇんだよ。それをあいつの体に分からせてやらねぇと!」


「馬鹿を言うのはやめてくださいな。あれ一人を倒したところで他にもいっぱいいるし、罰がきつくなるだけでしょ。あー問題児ばっかりで他の班に移りたいですよ私は」



 実質のところ、全員の間に入ってなだめすかすことが多い立場なのがマイクロフトなのでそのぼやきは正当性があった。

 


「全部そのガキのせいだろ。なんで俺たちまで連帯責任を被らなけりゃなんないんだよ。クソが!」



 男二人は足元の石を乱暴に蹴飛ばしサミュを親の仇のように睨む。



「う……す、すまない……」



 軽々に人に謝るなと教育を受けてきた彼だが、そういう常識が通用しないことがこの劣悪な暮らしですでに骨身に染みていて変化しつつある。

 サミュにも言いたいことはあった。しかし自分のせいで遅れていることは事実で、それに対するのは謝罪しか浮かばない。だから口から自然とそれが出たのだ。

 本当ならそれこそ作業で取り返したかったが、手は豆が潰れて痛いし腹は常に減っていて力が満足に出ない。転んだり石の破片が飛んで体中擦り傷もできていた。彼の細腕では限界があったし連日の疲労でクタクタでどう考えてもそれは難しかった。

 

 そんな彼らを無視してつるはしの音が響く。

 振り返るとベッゾが黙って黙々と作業を進めていた。



「なんだかんだ彼が一番状況を分かってますねぇ。明日までに一日分の遅れを取り戻すんですからおしゃべりしている時間も無いってことですよ。あんたたちがいくら愚痴ってもあの阿呆の耳には入らないのは分かったでしょう?」


「ちっ、分ーったよ。やればいいんだろやれば!」 



 仕方なく男たちも作業に戻って行く。

 変わらない危険で汚く暗い3Kの日常の始まりだ。

 サミュの仕事は散らばった石ころを荷車に載せ、貯まったら誰かと一緒に運ぶのが主。

 たまに交代でつるはしも握るが彼の力ではほとんど掘り進められないほど岩が固くなっていた。


 動きがあったのは昼前だ。

 


「お? なんだこれ? 手ごたえがおかしい……うわっ! 穴だ。向こう側に空間があるぞ!?」



 なんと男たちの一人が横穴を掘り当てる。

 ボロボロと崩れていくと、ぽっかりと中は大人一人でも十二分に通れるほどの空間が広がっているようだった。

 マイクロフトは松明を照らし中を覗くが、ぬかづきたくなるような闇は深くそのか細い火一本ではほとんど窺えることは少ない。



「うーん、自然のものっぽいですが、空気はあるようですしどこか外で繋がっているんでしょうねぇ」


「ん? それって……ここから脱走できるってことか!?」



 敏感に反応したのは掘り当てた男だ。



「いやそれは……まぁ行ってみないとってやつですねぇ」


「おっし、俺は行くぜ! お前も行くだろ?」


「おうよ、こんなところいつまでもいられるかっての! もし出口が無かったとしても調べてたって言えばいいだろ!」


「お前らはどうするよ?」



 ふいに訊かれサミュは固まった。

 無論、彼らはサミュではなくその他のメンバーに対して話している。

 しかしこれが千載一遇のチャンスなのだ。まともな脱出手段は難しく、これを逃せば次の機会がいつやって来るのかも分からない。

 サミュは当然、この男たちのことは嫌っていたが彼らの言い分はそのまま自分も肯定したくなるものだった。

 けれどどうしてもこの自分を嫌っている男たちと同道して暗闇の中を突き進むのには抵抗があった。

 


「俺は……いいよ。どうせ出口なんて無ぇ」


「私も遠慮しておきましょうかね」


「……」



 サミュ以外のメンバーは各々の回答をする。

 ちなみにペッゾは一人で荷車を押してガレキを捨てに行っていて今ここにはいない。

 


「腰抜けばっかりだな! 中が怖いか? 脱走とか言い掛かりを付けられるのが怖いか? そんなんだからお前らはずっとこんなところにいるんだよ。ペッゾの野郎を待つのも癪だ。じゃあな、俺らはこんなクソみたいなところからおさらばするぜ!」



 サミュを虐めていた男二人は明かり用の松明を手に取ると意気揚々と暗い穴に足を踏み入れて行く。

 どんどんと松明の光は奥へ奥へと進み小さくなるのをサミュは固唾を呑んで見守るしかできなかった。



「上の連中には出来る限り遅らせて連絡しますよー。おたっしゃでー!」


「い、いいのか?」


「いいも悪いもあいつらが行きたいって言うんですもの。止める義務も権利もありゃしませんよ」



 マイクロフトの薄気味悪い笑顔で見送る様を見つつ、サミュは行くべきかどうか悩んでいた。

 やがて柱でもあったのか曲がり角を見つけたのか、松明の明かりはサミュたちから見えなくなる。



「はぁ行っちまいやしたね。くくっ、馬鹿なやつらだ」


「ん? おっさんどういうことだ?」

 


 気持ちの悪い独り言を漏らすマイクロフトにテッドが興味を持った。

 マイクロフトという男は中間管理職が実に似合うほどその場のバランスを取ろうとする男だ。

 けれどそれは決してお人好しという意味ではない。どちらかというと矢面に立とうとせずに人の裏で隠れて甘い汁を吸いたい小悪党というのがぴったりな性格をしていて、それを数か月の付き合いでテッドは承知していた。

 だからこそ、脱走のチャンスをわざわざ逃して自分も付いて行かないのに違和感があった。きっとマイクロフトなら二人も仲間がいるのなら一緒になって嬉々として新しい空間の探索を開始したはずだ。



「お前さんらはまだ知らないでしょうけどねぇ、こういう大きな横穴はたまーに見つかるらしいんですよ。まぁ私も直接見たのは初めてですけどねぇ」


「確かに俺がここに来てからこういう穴と開通したのは初めてだ。それで?」


「まぁ私も他のやつに聞いただけなんですがねぇ、こういう場合って確かに外と繋がっていることもあるそうです。実際、空気はあるようですからどっか穴はあるんでしょうね。それが人が通れる大きさかどうかは置いておいて。で、自然のものか人の手が入っているのかどっちにしてもただの空洞ならいいんですけど、厄介なやつもいるかもしれないってんですよ」


「厄介なやつ? なんだそれ? おっさん、焦らさずに話せよ!」



 やや回りくどい言い方をするマイクロフトにテッドがイラっとして眉根を寄せる。

 

 

「ガキんちょはすぐに答えを聞きたがりますねぇ。じゃあ率直にお答えしてあげましょうか。それは『魔物』ですよ」


「は?」



 テッドはぽかんと口を開けた。

 この世界では魔物の存在は人の生活に密接に関係してくる。なにせ森や山に行けば害獣生物のごとく生息しているのだ。

 しかしながら村ならまだしも、それなりの町に住んでいるのなら魔物を見たことが無い人間も実は多い。昔ならば町を魔物の集団が襲うようなこともあったが、今はここ数十年それもほとんど無かった。

 あえて命の危険に晒されてまで旅をしたりするのは商人か護衛を雇える金持ちぐらいで、町に住んでいるテッドからしたら魔物とは対岸の火事のような存在でもあった。



「魔物の生態系ってのは私もよく知らないですけどねぇ、こうした薄暗い穴はやつら好んで住むらしいですし、中で自然発生することだってあるそうですよ。まぁ近くに魔力溜まりがあればですけどねぇ。噂ですが山の中に魔力溜まりがあってそこを開通してしまったもんだから魔物が押し寄せて来た、なんて他の鉱山じゃ戦争時分に実際にあった話らしいですよ」



 まるでホラー話でも語るかのように朗々と語るマイクロフト。



「ってことは、中に魔物がいるかもしれないのに行かせたってことか!?」


「あいつらが入ってしばらくしても大丈夫そうなら私も行かせてもらおうかなってね。あんなやつらでも使い道はちゃんとあるもんですねぇ」


「ふざけんなよ!」



 テッドもあの二人のことは良く思っていない。

 だとしても、こんな場所に送られ同じ班のやつに裏切られた挙句に命を散らすなどそれではあんまりではないか。

 そういう同情心と義侠心が彼の中に湧いた。

 元々、多少口は悪くて喧嘩っ早いがテッドは弟がいるせいか面倒見が良い。嫌いな男たちであっても命に関わるのであればせめてそれを話して、それでも行くのであればそれ以上言う気はないが黙って放っておくのは許せなかった。



「そうカリカリしなさんな。だったらお前さんも入って行けばいい。上手くしたらそのまま逃げられるかもしれませんぜ? まぁせいぜい食われないよう気を付けるんですね。きひひ」



 そうやって他人を物のように使い捨てようとするマイクロフトを見てサミュは病んでいると思った。

 このような場所に長年いて駒のように扱われ、彼もまた壊れてしまった一人なのだとむしろ哀れみすら感じる。



「てか冷静に考えたらもし出口があったとしても着の身着のままこんなボロな格好で山の中を彷徨うだけだろ。運良く村を見つけられても厄介者扱いされるだけで、行き着くのは盗賊ぐらいしかない。そんな楽観的なものでもないっての! あぁでもクソ! んなこと言ってる時間が惜しいな。出られなくて戻って来たらおっさん一発ぶん殴ってやるからな!」



 テッドが強引に残っている松明をひったくり、そんな彼におずおずとサミュは声を掛けた。

 


「テッド! 余……俺も行く!」


「強がんな。お前はここで待ってろ」


「俺もここを出たいのだ! いや出なければいけない!」 



 出会ってまだ二週間も経たないが初めて自分の主張をサミュが見せたことにテッドが小さく驚き動きが止まる。

 変な正義感だったら力ずくでも絶対にやめさせるつもりだった。けれどサミュのこれは強い意志で、内容までは知る由もないが、おそらくこれは彼にとって必要なことなのだろうというのが伝わってくる。

 おかげで反対する気が失せてしまった。



「分っーたよ。じゃあ行くぞ。急いで追い掛ける。出口があるようならお前はそこから逃げろ。だけど絶対に盗賊になんかなったりするなよ。あとさっきも言った通り、ここから出たから助かるなんて簡単なもんじゃねぇぞ?」


「分かってる!」


「よし、来い!」



 ここまま上手く逃亡して村に辿り着いて自分が王子だと素直に話しても、もう信じてもらえるとは思っていない。それどころか行き着くまでに魔物や動物に襲われる確率もある。

 だがここで十年も働くわけにもいかず、正攻法での脱走も不可能。だからサミュは賭けることに決めたのだ。



「く、暗いな……」


 

 中に足を踏み入れるとサミュが不安で呟く。

 今まで自分たちがいた場所も照明が松明ぐらいしか無くて薄暗いとずっと思っていたがそれでも等間隔に用意されていて自分たちの足元は何とか見えた。

 しかしながら三百六十度真っ暗な暗闇の荒野を冒険するには手に持つ松明だけではあまりにも頼りなくおっかない。

 もしテッドとサミュが一本ずつ持った松明が途中で消えてしまえば方向感覚すら失われ、再び地獄のような作業場に戻ることすら困難になるかもしれなかった。



「帰るか? 今なら――」


「いや行く! せめて出口があるかないかは確認させてくれ!」


「へへ、しゃーねぇな」



 こんな状況だが弟分が急に成長したみたいでそれだけはテッドは嬉しさを感じていた。


 足元も覚束ないので石に躓いて転んだりしないために腰を屈めながらの行進でそのまま可能な限り素早くゆっくりと進む。一歩一歩足元を確かめながらの前進だ。

 風などは感じなかった。しかし空気はやはりあるのでどこかに穴はあるはずなのは確信する。

 


「おーい! お前らいるかー? ここは魔物が出るかもしれないってよ!」



 少し進み、やって来た穴が小さく見えるほどになってからテッドが声を張り上げる。

 もし本当に魔物がいるのなら呼び寄せてしまう危険もあった。しかしこのペースでは追い付くのは難しいと判断しそのリスクを冒すことを選んだ。


 数秒待つがあるのは静寂のみ。

 この漆黒に塗りつぶされた闇の中に食われ飲み込まれたのではないかと錯覚するほどに静かだった。



「返事無しか。もう外に出ちまったか、答えられない状況にあるかってことだよな……」



 テッドのその確認するかのような緊張を孕んだ独白にサミュは軽く身震いをする。

 自分たちは周囲二メートルほどしか照らせないちっぽけな松明しか頼れず、もしかしたら現在進行形で捕食者たちに周囲から狙われているかもしれないからだ。

 そう考えると手が汗ばみ心臓の音が意識していないのにうるさく聞こえてきた。



「テッド、慎重に行こう」


「あぁ、そうだな。とりあえず真っすぐ向かうぞ」



 またさっきと同じように屈んでの進行だ。

 砂利だけじゃなくいきなり柱や壁にぶつかるかもしれず、二人の体にはそれほどの距離を歩いているわけでもないのに関わらず疲労感が蓄積されていっている。

 幸いなことに二人の進んできたコースにはそういった柱などは一つも無く、ほとんど一直線で戻るのも光さえ見えれば難しくなさそうだった。現に今も米粒ほどにに小さくなったが後方の光はまだ視界の内だ。

 あやふやな感覚ではあるものの体感は距離にして数百メートルといったところだろうか。

 ただそれ故にサミュは疑問を一つ持つ。



「なぜだ? 遮るような壁や柱が無いのになぜ先行しているあの二人の炎の光が見えない?」



 それはおかしなことだった。

 大人と子供の歩幅や体力の差はあれど、それほどあの二人とサミュたちが追い掛けるまでに時間差はなかったはずだ。なのに前方どころか周囲一帯は全て黒色しかない。これでは理屈が通らない。

 


「たぶんそろそろ曲がり角とかあるんじゃ――うわぁ!?」


「テッド!? ――あっ!?」



 サミュはその時、まるで悪魔に地面の底に引きずり降ろされるかのような感覚に陥った。

 ほんの刹那の浮遊感。ほぼ同時に痛みと衝撃が前方から襲ってきた。

 固い感触だ。咄嗟に目を瞑ったせいでまだ見れていないが庇った腕が痺れており皮膚がずる剥けた感覚がある。

 軽く鼻も打ってつーんとした痛覚がして鼻水が垂れてきた。


 恐る恐る瞼を開く。

 やや前方にいたのは松明を持ってこちらを窺う男二人と、自分のすぐ傍に同じように突っ伏しているテッドだった。



「痛ててて……」



 声に元気は無いもののテッドはゆっくりとその場から起き上がることができるようで重傷を負ったりはしてない様子だ。

 


「お、お前ら来たのか!? 助かったぜ! その松明を貸せ!」



 近くの地面を転がっていたサミュとテッドが持ってきた松明が盗られてしまう。

 代わりに今まで男が持っていた松明が捨てられたがその炎はほとんど付いておらずすぐに消えた。



「おい何しやがる!」


「(うるせぇ! 黙ってろ。もう少し静かにしろ! 刺激するんじゃねぇ!!)」



 テッドが怒りを露わにすると返ってきたのは男のボソボソとした小さな声。

 あまりにも不自然でテッドですら違和感を感じて口が止まった。


 そして男たちが前方に松明を突き出す先をサミュとテッドは見た。

 そこにいたのは大きく獰猛な獅子の体に蝙蝠の翼を持ち、醜悪な蛇の尻尾を持つ『キマイラ』だった。

 体格は通常の雄ライオンよりもさらに二回りは大きく頭を撫でようとするなら大人でも背伸びをしないといけない高さで、炎を嫌がっているのか嫌悪感を剥き出しに睨んでくる目線は極上の殺意が滲んでいる。耳から入って腹まで響いて心臓を鷲掴みにする威嚇の唸り声がサミュの怯懦を誘った。



「ひぃっ!!」



 思わず悲鳴を上げてしまったのは無理からぬことだろう。

 たった十メートルかそこらの位置に一駆けで自分のことなぞ楽に噛み千切ってきそうな化け物がいるのだ。

 しかもそれを阻むのは重厚な檻でも屈強な騎士たちでもなく、たった二本の松明の炎のみ。

 サミュなど一息の間に捕食できるだろうし、どう抵抗しようがただの人間などあれからすれば脅威足りえないのだ。

 注意喚起するはずだったのに、ミイラ取りがミイラになってしまった。



『グルルルル……』



 怯える獲物が増えたことにキマイラは一歩前進する。



「(馬鹿野郎! 怖がるな! こういうのは目線を逸らしたり怖がったりした方の負けなんだ!!)」



 必死で松明をブンブンと振り回し距離を保とうとする男に説教されるものの、恐怖心でその言葉はほとんど耳に入ってこない。

 サミュの歯は雪山に放り込まれたかのごとくガチガチと震えが止まらなかった。

 


「(こんな……こんな化け物が外にはいるのか!? 余はここで死ぬのか!?)」



 眼前の死を体現する存在を前にして頭の中はすでに獲物の思考しか生まれない。

 ただ戦う人間でなければ獣を相手に萎縮してそうなるのは仕方のないことでもある。

 


「(しっかりしろ! 走れなくなったら終わりだぞ! いいからまずは立て!)」



 そんなサミュの肩を叩いたのはテッドだった。

 彼は叱咤するように座り込むサミュの耳元で囁く。



「(テ、テッドは怖くないのか!? あんな怪物がいるんだぞ!)」



 完全にサミュの心は折れていた。

 だというのに自分と歳が二つか三つほどしか変わらないテッドはそれを恐れないでいる。

 サミュは奇しくもその瞬間、劣等感を感じていた。



「(怖いに決まってるさ。ほら見ろこの手、震えが止まらねぇ。でも悔しいがあいつらの言う通り弱みを見せたらそれが隙になる。獣ってのはそういうものだろ。空元気でも見せないとな!)」



 サミュがはっと気付くと、言う通りテッドの手は震えていて虚勢を張っているだけに過ぎないのが分かる。



「(それでもテッド、お前はすごいな……余はなんて弱いんだろうか)」



 皇帝に就任するために暗殺者たちに狙われる危険があってそのために命をチップとして張ることに恐怖はなかった。

 けれどそれは結局は全て騎士やクレアを信頼し依存していただけに過ぎず、実際に自分が矢面に立って戦うとなるとこうまで足が竦むものだとは思いもせずサミュは自嘲する。

 


「(何にもすごくねぇよ。ただ俺はむかつく相手の思い通りになるのが嫌なんだ。それに兄貴は弟の前で格好悪いところ見せられねぇってだけさ)」



 この二週間、テッドが自分のことを遠く離れた場所にいる弟と重ねていることは察していた。

 最初こそは初対面の相手にそんなことを言われ反発心が先に立って不快感もあった。

 しかしながらいつの頃からか、自分が王族でなくて一般家庭の生まれで、もし兄弟たちと一緒に暮らしていたならばこのような暖かい関係が築けたのかもしれないと思うとそう悪いものではないような気分になっていた。



「(わ、分かった。立つ)」



 未だ恐怖は抜けきらない。それでもサミュは支えられて立つことはできた。

 その間にも男たちは必至にキマイラに牽制を続けている。

 暗闇にいたせいかあまり明るいものが得意ではないのだろう。それに熱も加わり、未知のものに対して警戒しているという感じだった。


 だがキマイラは狡猾だった。ちょっとでも隙を見せれば距離を詰めようと右へ左へ移動してくる。

 しかも徐々に炎に慣れてきたのかその間合いは少しずつ近付いてきているように思えた。

 もはやこのモラトリアムが終わるカウントダウンは始まっているのは誰の目にも明らかであった。


 その間にサミュは後ろを振り返る。

 そこは急こう配の坂になっていた。

 どうやら穴に落ちたと思っていたが単に足を滑らせただけのようで、そこから落ちてきたらしいのが分かる。

 高さは二メートル以上あるがなんとか上れそうなことだけは安心材料でほっとした。



「(おいお前ら、時間稼ぎはもう限界だ。ここは真っすぐに来た道を戻るしかない。俺が合図したら俺の松明を一本あいつに投げてその瞬間に一斉に逃げるぞ!)」



 男の一人にそう指示されサミュは黙って頷く。

 もはや出口など探している余裕は無く、それしかなさそうだった。



『グルルルル……』



 サミュが再度見上げ怪物を観察すると、もはや炎に対する恐怖よりも敵意や反感が上回ってきているように思えた。

 いつ飛び出してくるかも分からない恐怖。それと戦いながらほんの僅かなその合図を待つ時間。苦しいほどに心臓がぎゅっと締め付けられるかのようだった。



「(じゃあ行くぞ! 三、二、一……それ!)」


『グルルル!?』



 その声と共に反転、一気に駆け出す。

 後ろでは不意に飛んできた炎を過敏なほど身を捩って避けるキマイラの姿があった。

 そしてすぐさま坂を駆け上る。かなりきつい斜面だが勢いがついてたところに跳び上がり、さらに縁に手を付けられたので足を引っかけギリギリで上ることに成功した。

 

 横を見るとテッドや男たちも無事に上ってこられたようだ。



「よし走れ!」



 テッドの声がして足を踏み出そうとした刹那、サミュは誰かに肩を後ろに押される。

 意識がスローモーションのようになり、体が後ろへぐらりと傾きどうやっても戻せないことが分かった。

 そして自分を押したのが松明を投げた男だったことを知る。



「へへ、悪いな。初めてお前がいて良かったと思えたぜ。あばよ!」



 なんという残酷な男であろうか。

 初めから自分たちだけでは逃げきれないと悟り、ここにサミュやテッドが現れた時から彼らを囮にすることを画策していたのだ。

 酷薄な男の笑みが視界から消えていき、死を悟ったサミュはオーバーンの時のように怒りを感じず、ただ運命に身を投じるかのごとく後ろに倒れながら目を閉じた。


 が、それは途中で止まる。

 


「――馬っ鹿野郎共め!!!!」



 テッドだ。

 彼がサミュの手をなんとか掴み坂から落とさないよう踏みとどまってくれた。



「テッド! 余のことなど置いて逃げてくれ! こんな役立たずなどもうこの国には必要ない!」



 オーバーンに裏切られ、鉱山ではずっと足を引っ張り、さらにここで男たちにも捨て駒にされ、サミュのプライドはもはやズタズタに切り裂かれていた。

 外では敬われ自分中心で物事が進んでいったのにここではミソっかす扱いで、王子として振る舞っていた際の自信などもはや欠片も存在しない。

 いや、本当の自信なぞ実の父に嫌悪され捨てられた時にとうに失っていたのだ。



「ここにも馬鹿がいやがった!! んなことねぇ! 他のやつらがいくら要らないなんて言ったとしてもな、俺だけはお前が必要だって言ってやる! だから死んでいい理由なんて一つも無ぇ!!!」


「テッド、お前はなぜそこまで……?」


「だってお前は王子なんだろ? このクソみたいな国を、馬鹿なやつらを変えてくれるんだろ!? それは俺らにはできねぇんだ! お前にしかやれないんだ!! だから死ぬなんて言うな!!!」



 涙が零れる。

 文字通りテッドが死の淵にいるサミュを落とすまいと支えてくれていた。


 王だとか王子だとか言ってもサミュには血筋によって用意された家臣しか今まで周りにはいなかった。

 気を許せる友達もいない。全て都合良く(あつら)えられたものでしかない。

 周囲は王子としてのサミュを求めたし、サミュも彼らを地位か立場でしか見てこなかった。

 だというのに、テッドは本気で信じているはずもないのにサミュのことを真摯に向き合い命を懸けて助けようとしてくれる。



「す、すまない!」


「へへ、こういう時はありがとうでもいいんだぜ! なぁ、サミュ。良い王様ってなんだと思う?」


 

 藪から棒な質問にサミュはぱちくりと瞼を瞬く。



「こんな時になんだ!?」


「国を発展させて利益を出させるやつか? でもその裏でこうして犠牲になっているやつがいるとしたらそれは本当に良い王様か? それとも国民全員のために税金を少なくするやつか? それだって国が弱くなって他の国に負けるよな。だったら良い王様ってなんなんだろうな?」



 サミュは言葉が出なかった。

 今までそのようなことは考えてこともなく、ただ自分が王子で継承権を持つから王になる可能性があるとだけしか思ってこなかったからだ。

 もちろん帝王学の勉強の一環として、例えば問題が起きた場合の過去の対処例などは学んできた。しかし自分なりの理想の王というビジョンが全く浮かんでいなかったのだ。

  

 為政者として仕事をするのはなんのためか? 国の発展に尽力するのは誰を幸せにすることなのか? 自分が日々を生きて豪華な生活を送らせてもらっていることにどうやって報いなければいけないのか?

 こんな極限状態ではあるが『民が王を支え、王が民に報いる』。その構図にサミュは少しだけ気が付けた気がした。


 そこに後ろから風が巻き上がる。

 その勢いのおかげでサミュはなんとか坂から落ちずに難を逃れた。

 しかし安堵したのもつかの間、その風の正体を知って肝を冷やす。


 キマイラだ。

 キマイラが穴からただのジャンプで飛び出て来たのだった。

 だがそいつは無防備なサミュたちには目もくれず、先に逃げ出した男たちを追う。

 どうやら松明で攻撃され続けたことが相当に腹に据えかねていたらしい。


 グン、と数百キロありそうな巨体が疾走する。

 暗闇なのにその重厚感のある足音はどこからでも耳に入ってきた。

 どんどんと遠ざかるキマイラの気配。突然それは消え、代わりにとんでもない大音量の悲鳴が聞こえる。



「ぎゃあああああああああああああ!!!!」



 男の断末魔だ。サミュを落とそうとした男の苦痛に満ちた絶叫だった。

 松明の火がぐるんぐるんと地面と天井スレスレを行ったり来たりする。そしてすぐに地面に落ちて動かなくなり、同時に悲鳴も聞こえなくなった。

 サミュたちにとって唯一幸運だったのはその残虐な捕食シーンが暗闇のおかげで見えないことぐらいだろうか。もし目に入ってしまっていれば気圧され硬直して動けなくなっていただろう。

 その代わりぺちゃぺちゃと生き物が肉を噛み千切り血が噴出し咀嚼する気持ちの悪い音だけは響いてくる。むしろより一層、スプラッター感は増すばかり。



「あいつには気の毒だが今がチャンスだ。あいつが食われている間に右から回り込んで入って来た穴まで逃げるぞ!」


「分かった!」



 サミュはテッドと全力疾走を敢行する。

 進んできた時とは違い手だけ前にやって気持ちとしてはほとんど最高速度だ。

 もし光が見えなければ溢れる闇のおかげで平衡感覚もあやふやになって走ることすら困難だったろうが、今は先を行く松明の明かりもあってなんとかスピードが出せた。

 キマイラの気配も依然感じている。右から大回りしているが近付くことが本当に怖かった。決してこちらに来ませんようにと願いながら足を動かす。



『グルルルルル? グルァァァァァァァァl!!!』



 だが彼らの思惑はあっさり見破られる。

 サミュは言葉が通じないのに『逃がすか!!!』とキマイラが食事中に獲物が逃げていくのに腹が立っているように聞こえた。


 予感通り闇の中の覇者は移動を開始する。

 


「あ、あああああ!!! く、来るなぁぁぁぁぁ!!!!」



 サミュたちの中で最も距離を稼いでいたのは、唯一まだ松明を持っている男だった。

 キマイラはそれにターゲットを変え追う。

 男も後ろから死が迫っているのが分かったのだろう。情けない叫び声を上げて逃げ惑う。



「こ、この来るな! 火が怖いんだろ!! そ、それ以上、近付くんじゃねぇ!!」


『グルゥ!!』



 男が後ろを向いて振り回す火を前にしてキマイラの突進が止まる。

 けれど先ほどよりも完全にその距離は近かった。

 さっきまでは警戒して数メートルは間合いを取っていたキマイラは今はほとんど火が当たるかどうかぐらいの位置にいる。

 そもそも体格差から言って巨大な手の中にすっぽり収まるほどの火などこの猛獣に対してはそれほど有効ではないのだ。


 そのやり取りの間にサミュたちもだいぶ追い付いてきた。

 もう少し時間を稼いでくれればと願わずにはいられない。


 だが、キマイラの方が一枚上手だった。

 松明を持つ男に尻尾の蛇が咥えていたなにかを投げ付ける。ボウリングの玉ほどの大きさの固いものだった。

 


「がっ! 痛ぇぇぇ!! な、なんだ? ――ひぃぃぃ!?」



 衝撃で横倒しに倒れた男が転がるそれを見た。視界に入れた瞬間に彼は全身の毛が逆立つ。

 それは――食われた男の頭部だった。


 炎に照らされべったりと眉間に付いた血、今わの際まで特大の恐怖を感じて死んだのが如実に分かるほど見開いた双眸。

 たった数十秒前まで生きていた体が、まるでお前も一緒に死ねと訴えてくるようで男の意識は飛びそうになる。


 ただしそれすらも許されなかった。

 キマイラがその隙を突いて男を前足で踏みつけ拘束したからだ。

 


『ガルルルルル!!』


「た、助けて――ひゃぁああああああ!!! い、痛ぃぃ!! あ、あが……!」

 

 、

 変な体勢で圧し掛かれたものだからバキボキと手足の骨が砕かれる音が漏れてくる。

 しかも鬱憤を晴らすかのようにキマイラは上から何度も何度も体重を掛けて腕を振り落とした。

 ストンピングされる一撃ごとに顔が、胸が、男を構成していた形がへしゃげていく。

 


「か……ひゃ……はひ……」



 ほとんどの骨が複雑骨折し糸の切れたマリオネット状態になる。男は掠れた息が漏れ生きているのがやっとで、もはや虫の息だった。

 ただそれは彼が頑丈なのではなく、獣が自分の留飲を下げるためにわざと殺さなかったのだ。それでもすでに死へのカウントダウンが始まっている状態。



「サミュ、急げ!」


「分かってる!」



 姿が見えない闇の中からテッドの発破を掛ける声が聞こえ踏み込む足に力を入れる。

 数百メートルある上に少し遠回りをしていてそれを可能な限り全速でとなるとどうしても途中でペースは落ちてしまう。

 だがここでの弱気や甘えはそのまま死に直結するのだ。

 サミュは恐怖という闇を掻い潜り、肩で息をしながらひた走る。

 もはや体は乳酸の塊だがここで止まるわけにはいかない。



「み、見えてきた……!」



 そのおかげか入ってきた入り口の明かりはかなり大きくなってきた。

 小さく人影も見える。おそらくマイクロフトあたりが中を窺っているのだろう。

 すでに疲労感でいっぱいで次に狙われたら為す術も無くやられてしまうのは簡単に予想が付いた。

 


「も、もう少しだ!」



 体中、恐怖と疲労で汗がびっしょり。

 あと二十メートルほどの距離に僅かにサミュの頬が緩む。

 しかし彼の耳が絶望的な声を拾う。



『ガァッーーーー!!』



 後方からキマイラが獲物を逃がすまいと咆哮を上げ、そしてサミュは自分がロックオンされたのを感じ取った。

 


「あと少しなのに……!!」



 間に合ってくれという希望と、追い付かれるという絶望がサミュの頭を支配した。 

 おそらく現実は後者だ。

 もはや息も絶え絶えな子供の足のサミュが二十メートルの距離を走るよりもあれが迫る方が早い。

 あのキマイラという怪物はおよそ人間の予想を遥かに超えている。仮にサミュの騎士たちがここに勢揃いしていようが勝てる見込みなど万に一つも無いだろう。それほどの難敵である。


 だからと言って止まる気にもなれない。

 サミュは無我夢中で走り抜く。もはや何も考えられず彼の集中力と緊張は極限にまで達する。

 その時、さらに後方から()()()()()()()気がした。

 だが構っている余裕などない。

 徐々に光が近付く。逆光で誰か見えなかったシルエットがやはりマイクロフトだというのも分かるようになった。


 あと五メートル……。

 思考はただ一つ、走り切るのみ

 あと四メートル……。

 足がもつれ意思とは裏腹に体が思った通りに動かなくなっていた。

 あと三メートル……。

 マイクロフトが驚いて道を開けた。

 あと二メートル……。

 ついに体力が尽きて前倒しに倒れる。

 あと一メートル……。

 咄嗟に身をよじり地面に転がりながら入って来た入り口に掛け込む。

 

 ――そしてゼロメートル。

 

 無様に地面に突っ伏して腕や足を擦り傷をこしらえながらもサミュはついに逃走に成功する。



「い、一体何があったんです!? ここまで恐ろしい声が響いてきましたよ!!」



 マイクロフトが仰天しながらサミュに事情を訊こうとするも、体力を使い果たした彼にはすぐに答えることができなかった。

 激しく空気を肺に送り、へとへとの体を今はとにかく回復させるのが先。本当なら他の人間に危険を報せるべきなのだろうがゴホゴホと咳込みもうなにもかもが億劫だった。

 


「はぁ……はぁ……はぁ……」



 消耗し切った倒れているサミュは呆然として見慣れた瓦礫を凝視することしか出来ないでいる。

 そこにふと誰かの足が映る。

 少量だけ回復した体力で顔だけは動かせた。

 いたのはペッゾだ。

 おそらくガレキを捨てに行って戻ったところなのだろう。この明らかにおかしい状況に眉間を寄せて訝しんでいる。

 


「おい、なんだこれは? どういうことだ?」



 無口だし近寄りがたい雰囲気もある彼が自分から質問するというのは珍しかった。



「それが新しい空洞を掘り抜いてしまったんですよ。そんで他のやつらが外に繋がってるかもって様子を見に行ったんですが、戻って来たのはこいつだけ。それに中から魔物らしい声も聞こえてきたしこいつはひょっとすると……」


「何ぃ!? おいガキ。テッドはどうした?」



 ペッゾはまだうつ伏せになって動けないサミュの服の後ろの襟を掴んで無理やり起き上がらせ、怒りを発露して凄んだ。

 通常なら縮み上がるような思いをするところだが、もっと強烈な殺意をさっきまで感じていたサミュにとってそれは何も感じないのと一緒だった。

 しかし休息を必要とする疲れ切った緩慢な脳にその単語は突き刺さり刺激される。



「テッド? そ、そうだ、テッドはどこだ!? あやつは……」



 ふいに先ほど倒れ込む前にひたむきに走っていた際に聞こえた何かの声を思い出す。

 力を振り絞りサミュは壁にぐらっと倒れながら体を支え、二度と戻りたくないと思った闇の中を窺う。

 すると、小さな赤い炎の煌めきがそこにあった。今にも消えそうな動きだ。

 それと一緒にイラつくキマイラの吠え声と、どすんどすんと地団太を踏む音も響いてくる。


 松明を持っていた男二人はすでにキマイラに嬲られ死んでいる。だからあの炎を操っているのは彼らではない。

 では誰が動かしているのか――



「ま、まさか、テッドは余を助けるために……」



 サミュの体に竦むような悪寒が強烈に迸った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 祝百話目更新 なお主人公の影も形もない模様
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