第三章 招かれざる客人たち
アルフィナたちを乗せた馬車が向かった先は、ブシュカと呼ばれる街だった。王宮が座す中心都市から近いせいか、街は大きく活気があった。
田舎町のハーバラスと違って、ブシュカは整然とした町並みだった。並ぶ家も、馬車道でさえ幅がきっちりと決められているらしく、どこも一定の間隔で広がっていた。
「さて、そろそろ着くぞい」
「……ずいぶんと揺られていたわね。日もあんなに高くなって」
窓の外を見たアルフィナは、眩しげに目を細めた。
馬車は、街よりも少し高い位置に立つ館に向かった。
舗装された馬車道の両脇は樹木が生い茂り、緑色の絨毯が広がっていた。緩やかな道を二頭の馬は苦もなく進み、大きな門の前で一度停まった。御者が客人であることを説明したのか、その後すぐに動き出す。
開かれた重厚な門を通る一瞬、剣を下げた門番の姿が目に入った。
(ずいぶんと重々しい警備だこと)
この館の主人はよほど大物なのだろうか。
手入れの行き届いた芝生を目に映しながら、そっと辺りの様子をうかがった。
中にも装備を固めた兵士がいたるところに立っており、どこか緊張感が漂っていた。
ちらりと横に座る紫狼の騎士を見やるとちょうど目があった。彼はアルフィナの言いたいことをすぐに察したようで、微かに頷いた。どうやら彼もおかしな雰囲気に気づいているらしい。
老医師もわずかだが表情を険しくさせていた。
馬車は表玄関の前でゆっくりと止まった。
老医師が先に降り、続いて紫狼の騎士が続く。
「さ、オレのお姫様、お手をどうぞ」
振り返った彼は、恭しく手をさしのべてきた。
アルフィナを見つめ、ふわりと笑んだ顔は甘く、出迎えるために玄関に並んだ使用人から歓声が上がった。年頃の少女たちが頬を染め、紫狼の騎士をちらちらと見ていた。
(確かに見目は上質だしね……)
アルフィナは思わず浮かびそうになった苦笑を押さえ、薄く笑みを引いてその手を取った。
その姿はまるで、高貴な姫君に尽くす美しい騎士そのもので、間近でそれを見ていた女たちからため息がこぼれ落ちた。
「素敵……」
「お似合いの二人ね……」
「あぁ、あたしもあんな騎士様に見つめられてみたい」
「あの女の人、きっと身分が高い方に違いないわ」
アルフィナの地味な装いも彼女たちの目には、シンプルなドレスに映るようで、うっとりとした眼差しが二人に注がれた。
「さすが、オレのお姫様。視線をさらうのが得意だね。ほら、あそこの兵士たちが貴女に見ほれている。……妬けるな」
面白くなさそうに片眉をあげた紫狼の騎士に、アルフィナは言った。
「あら、あんただって負けてないわよ。熱い視線を感じない?」
「感じるさ。痛いほどね。けれど、たった一人の眼差しには敵わない」
アルフィナを見つめ、艶然と笑んだ。
誘うように放たれる色気を前に、美形を見慣れているはずのアルフィナも心を捕らえられそうになった。
彼の場合、本気なのか冗談なのか区別できないから始末に負えない。
愛を囁かれるのは、アルフィナだって年頃の少女だから嬉しいが、毎日聞いているとありがたみがないというか、返って台詞に深みがなくなるから不思議だ。
「あぁ、ハディル・クロイツ様。お待ちしておりました」
執事らしき男性が老医師を認めると深々と腰を折った。
「おぉ、サイ殿。久しいの」
「クロイツ様が辞してからどれほど月日が流れたことでしょう。みな、クロイツ様の行方を案じておりました」
五十代半ばとおぼしき男性は、一房だけ白くなっている黒髪を綺麗に後ろになでつけていた。きびきびとした動作や柔和な中に見える鋭い目が、ただの執事にしては才気がみなぎっているような気がした。
(執事の中の執事……というよりは、策士の宰相みたいな人ね。同じ執事でもベルースとはだいぶ違うわね)
ベルースは、仕事は完璧だが融通がきかず、けれどだからこそ信頼できる人物だ。
城に住まう男爵と夫人のことをだれよりも大切に思い、そのために忠実に働いている。
「……して、あの方はどちらに?」
「ラゼス様は、月華の間に」
「そうか……。あぁ、連れが二人おるがよいか?」
「それは…わたくしの独断では承知できかねます」
彼の視線が一瞬アルフィナたちに向けられた。
値踏みするような、見定めるような、そんな視線。
それに気づいたアルフィナの視線と絡む前に、彼の目線は老医師へと戻されていた。
「どうやら、歓迎されているわけじゃなさそうだ」
「そうね……」
物憂げに返事を返しながら、じっと執事を見つめていた。
外の陽気が嘘のようなどこか重たげな館内に、知らず十字を切ったアルフィナは、主を讃える言葉を口にしていた。たったそれだけで、体が軽くなり、籠もっていた空気も清らかさを取り戻したように感じるから不思議だ。
執事に案内されて通されたのは、銀雪の間だった。
アルフィナたちを中に入れるのは、主人の意見を聞いてからと言い切った執事をなんとか丸め込んだのは老医師だった。
責は自分が負うと豪語し、アルフィナたちも一緒に銀雪の間へ行くこととなった。
「こちらでお待ち下さい」
そうして長いすを勧めた執事は、主人を呼びにいったん室を出た。
入れ替わりに、まだ年若い少女が入ってきて、テーブルにカップを三つ並べた。色からすると紅茶だろう。お菓子が品よくのせられた小さな籠も中心に置かれた。
途中の町で食事はすませてきて、お腹は空いていないはずなのに、そのお菓子には目を奪われた。親指の爪ほどの小さな球体には、鮮やかな色がついていて、その上に粉雪のようなものがふりかけられていた。ピンク、青、白…と、目にも楽しい砂糖菓子は、今まで見たこと食べたこともなかった。
ひどく興味を引かれ、アルフィナは一つ手に取ると口に入れた。
舌先にふわっと広がる甘さは、しつこくなく、一瞬で溶け消えた。
(うん、美味しい……)
アルフィナは、給仕を終え出て行こうとした少女に声をかけた。
「──ねぇ、これってなんていうお菓子? 作るのって難しい?」
奥様やリスティーにぜひ食べさせてあげたい。
喜ぶ二人の顔を思い描き、そう尋ねると、なぜか顔を赤らめた少女は、焦ったように言葉を紡いだ。
「あ、あの、…そ、それは雪の衣って呼ばれているんです。雪みたいにとろけるからって。あた…わ、わたしは作り方を知らないですけど、料理長のコッザさんなら知ってて…あの、作り方訊いておきます」
「そう。ありがとう」
柔らかく微笑んだアルフィナに、少女はますます顔を赤らめると、ぎくしゃくと頭を下げて出て行った。
「ふ~ん、雪の衣、ねぇ。……オレには甘いかな」
青色の砂糖菓子をつまんだ紫狼の騎士は、ちょっと顔をしかめた。
「この地方の伝統的お菓子だ。昔は祝い事にしか作らなかったようだが、…ふむ、時は移ろうものじゃな」
「お医者様は知ってるの? あぁ、この家とずいぶん関わりが強いみたいだから当たり前ね。あんたと知り合ってから長く経つけど、あたしたちってお互いのこと何も知らないのね」