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そのニ

 温かい気持ちのまま裏玄関に行くと、そこにはリスティーがいた。


「い、…いってらっしゃい、アルフィナさま……」


 目に涙をためて必死にその言葉を紡いだリスティーの頭を優しく撫でる。


「行ってくるわ」

 リスティーとしっかり視線を合わせたアルフィナは、力強く微笑んだ。

 そうして戸口に置かれていた大きめの鞄に手を伸ばすと、あとは振り返ることもせずに出て行った。使用人用出入口から右に出て、外壁に沿って進めば、庭師によって美しく整えられた裏庭が広がった。舗装された小道をやや早足で歩きながら、朝陽を浴びてきらきらと光を放つ木々に目をやり、つい頬が緩んだ。

 と、アルフィナの足がふと止まった。


()(ろう)の騎士ね?」


 振り返りもせずそう訪ねれば、背後で気が揺らめいた気配がした。


「ごきげんよう、オレの麗しいお姫様」


 いつの間にか背後に迫っていた彼は、茶目っ気たっぷりにそう言うと荷を持っていないほうの手を取り、甲に口づけをした。そしてそのまま自然な動作でアルフィナが左手に持っていた鞄を奪う。


「貴女の繊細な手に重い荷物は相応しくない」


 少し長めの黒髪に、金色の双眸を持つ見目麗しき青年は、甘やかに囁いた。

 普通の少女ならば、恥じらうように顔を赤らめるだろう。

 けれど慣れているアルフィナは、そんな甘言に惑わされることはなかった。


「それが言いたくてあとをつけてたっていうの? ──もちろん、違うわよね」


 問いかけではなく断定。

 紫狼の騎士と呼ばれた青年は、澄んだ眼差しで見つめられ、うっと息をのみ、肩をすくめた。


「お察しの通り。貴女にはほんとかなわないなぁ」

「あたしは一人で大丈夫よ。心配なのは城の方だわ。いくらほかにも騎士や兵士がいるとはいえ、腕の立つ者は旦那様の護衛に当たらせてしまったし……。奥様の側にリスティーを置いたとしても、それだけでは不安だわ。蒼の騎士、()(らん)の騎士の腕前は知っているけど、あんたあってこその朝焼けの三騎士でしょ? ここに、いて。あんたには……いいえ、三騎士にはここに残って欲しいの」


 紫狼の騎士は、整った顔に苦渋を浮かべ、すっとその場に跪いた。軽薄そうな態度がすっとなりを潜め、雰囲気に芯が宿る。


「お許し下さい。これはすでに三騎士内で決断したことです。いくら貴女の頼みとはいえ、主人の命を危険にさらしてまで守るものなどありません。貴女は以前おっしゃいました。道を選んだのならば、振り返らずに進め、と。どんな道であろうとも後悔だけはするなと。オレ……いや、私は選びました。貴女に光を与えられたそのときから。貴女だけに尽くすと。貴女の望みをかなえることこそが私の努め。けれど、それ以上に貴女の身の安全を守護することこそが私の望みなのです……。たとえ貴女を辛い目に遭わせようとそれだけは譲れません」


 凛とした宣言に、アルフィナの心が震えた。

 その熱い想いが、つかのまアルフィナの心を過去へと誘う。


(あぁ、わたしの騎士たち……今は遠い…そして、忘れなければならない人たち……)


 かつて、バジリス大陸の中で最強とうたわれた騎士団がいた。

 その強さ、その美しさは、常人より遙か上をいき、吟遊詩人は美の神と戦いの神に愛されたからだと語った。

 たった四人で一つの国を滅ぼし、弱国だったフィラデル国を数年で大国へと導いたのは、すべて彼らのおかげだと語り手たちは言う。


 無敗にして無敵。


 近隣諸国に知れ渡った彼らの名は、活躍を聞かなくなった今でも人々の間に記憶されている。

 守護騎士と呼ばれていた彼らのことを思い出し、アルフィナはきゅっと唇を引き結んだ。そうしないと変なことを口走ってしまいそうだったから……。


(過去は振り返らないと決めたはずなのに、どうして……)


 騎士という存在そのものが、アルフィナには眩しく、そして痛い────。

 変えようのない現実と、未来に起こるであろう事態が、復讐を誓ったアルフィナの心を揺るがせた。


「否と言われても側を離れない。これがオレの絶対だから」

「────っ」


 あぁ。

 どうして騎士というのは忠義深いのだろう。


 主人のためならば命を簡単に投げ出せるその忠誠心が、


 その静かな声音の中に含まれた熱い心が、


 アルフィナの心を激しく揺さぶる。


「わがまま、ね。けど、あんたらしい。……いいわ。許しましょう」


 一度閉じた瞳をゆっくりと開けたアルフィナは、ハッとしたように顔をあげた紫狼の騎士と視線を絡ませた。

 彼の顔が歓喜に輝く。

 アルフィナはため息を飲み込み、代わりに微笑を浮かべた。


(人の心ほど厄介で操りにくいものはないのかもしれないわね……)


 けれど、だからこそ安堵もできるのかもしれない。

 やすやすと流される者だったならばアルフィナは選ばなかった。

 強い者は、己の弱さを知り、そして揺るぎない意志を持っている。

 弱い者は、虚勢を張り、嘘を身にまとう。

 そして中間者は、他に耳を傾け、他者を信じ従う。


 『強さ』というのは、武力だけをささない。


 力など鍛錬を積めばいくようにも伸ばせる。

 けれど精神の強さは、さまざまな困難に遭遇しなければ育たないものだ。

 アルフィナは常々考えていた。

 もしかしたら真に強いのは、下賤、能なしの家畜と呼ばれ、さげすまれていた階級や浮浪者たちなのかもしれないと。


 貧しや空腹は、時に人を絶望に落とし精神を蝕むが、それに打ち勝った者たちは強い。

 だれよりも強いのだ。


 アルフィナは、実際にその強さを目の当たりにしたことがある。

 虐げられても自分を見失わない不屈の精神は、華やかな世界とは百八十度違う暮らしに恐々していたアルフィナに、光を与えてくれた。

 そのときの感動は一生忘れないだろう。


 初めて『強さ』というものを知った日。


 戦うことがすべてではなく、

 勝敗が決定打でもなく、

 そこにあるのは己との戦いだった。

 恐怖を殺し、

 怒りを殺し、

 けれど投げ出すのではなく、

 ただ受け入れていた。

 だからこそ、アルフィナも現実を直視したのだ。


 神を恨み、嘆くことしかできなかったアルフィナが、現状を受け入れようとした。


(そしてあたしは誓った。強くなろうと。どんな困難が待っていようと、どんなに辛い人生であろうと強く生きよう──って。生きて、あいつに復讐してやろうって決めたの)


 あのとき、光を与えてくれた者に出会わなければ。

 あのとき、命を救ってくれた医師に出会わなければ。

 あのとき、倒れていたアルフィナを解放してくれたプリシラ男爵爵夫人に出会わなければ。


 今のアルフィナはここにいないだろう。


「───アルフィナ?」


 どこか遠くを見つめ、思いにふけっていたアルフィナに、紫狼の騎士が声をかけた。

 ハッと我に返ったアルフィナは、苦い笑みを唇に乗せた。


「なんでもない……さ、行きましょう。お医者様に同行者が増えたことを説明しないとね」


 ちょうどそのとき、教会の鐘が厳かに時を告げた。

 空気を震わす大音声は、余韻を残しながら、一回、二回…と続く。

 六回鳴る前に老医師のもとにたどり着かなければ、とアルフィナは駆け出した。そのあとを紫狼の騎士がついてきているのを感じながら。



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