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第二章   忠実なるは紫狼(しろう)の騎士 

 城に戻ったそうそう一週間ほど城を留守にするむねを伝えたアルフィナは、なんとかプリシラ男爵夫から了承の意を取り付けた。

 それに安堵の息をつき、侍女頭フェッゼにも伝えに行こうと廊下を歩いていると角から人影が飛び出してきた。

 とっさに両足に力を入れて、その塊を受け止めたアルフィナは、朗らかに笑った。


「もう、危ないわね。廊下は走らないようにと言ったでしょ? あたしがフェッゼだったらお小言だけじゃすまないわよ?」

「! アルフィナさまぁ! え、うそうそ、どうして? いつお戻りになったのぉ? リティーちっとも気づかなかった。アルフィナさまはお外へ行ってしまったから、リティーとっても寂しかったんだから。セリアさまは、お部屋に閉じこもってばかりでちっともリティーのお相手をしてくれないし。あ、けどね、その代わり、蒼の騎士さまが遊んでくれたの。リティーね、棒をつかってエイヤーって蒼の騎士さまと戦ったんだから。すごい? すごい? とっても楽しかったのよ。アルフィナさまがいなかったからとってもつまらなかったけど、リティーね、がんばってひとりで過ごしたの」


 アルフィナより四つ年下の彼女は、可憐な顔をますます華開かせアルフィナに抱きついたまま、滑らかにまわる舌をせわしく動かした。

 輝くような顔を見れば、アルフィナに会えたことがどんなに嬉しいか如実に物語っているようで、怒る気も失せたアルフィナは、その背をぽんぽんと叩きながら、しょうがない子ね、と言いたげに慈愛に満ちた微笑みで腕の中の幼い少女を見下ろした。


 もともと小間使いとして雇われたのではなく、彼女をとある事情から引き取ったアルフィナがプリシラ男爵夫人の話し相手にと思い連れてきたのだ。だからこの幼い少女は、使用人というよりは、アルフィナの妹のように扱われ、自由に行動することが許されていた。

 年齢よりもずっと幼さを感じさせる行動と容姿は、いままさにやんちゃ盛りといったようでみんなの手を煩わせているが、彼女自身の人柄がそうさせるのか文句を言われることは少ないようだ。

 一応、リスティーの保護者という立場であるアルフィナは、彼女がほかに迷惑をかけるたびに謝罪しているのだが、リスティーは気づいていないようだ。


 けれどアルフィナはあえて彼女の行動を制限しなかった。この太陽のように光り輝く笑顔の裏に孤独と深い闇がすくっているのを知っているから。


「ねぇ、アルフィナさま、あしたはリティーと遊んでくれる? この頃ちっともアルフィナさまの側にいれないからリティーはとっても寂しいの……」

「リティー……。明日から一週間ほど遠くへ行かなければならないの。だからあんたとはしばらく遊べないのよ」


 深緑のような美しい双眸がみるみる曇るのを見て、アルフィナの胸はとても痛んだ。


(あぁ、神様……。あたしの主、万物の創世主、この子の苦痛をどうか取り除いてあげて。この子は痛みを十分すぎるほど受けてきたもの。この子の行き先がどうか光にあふれた道でありますように)


 心の中でひっそりと祈ったアルフィナは、憐憫の気持ちを押し殺した。

 感情の機微に敏感なリスティーのことだ。

 アルフィナが哀れんでいるのを知ると心を閉ざしてしまうだろう。


「イヤっ。リティー、アルフィナさまと一緒にいたい! いたいの!」


 今にも泣きそうに潤んだ目。

 必死な顔で見上げてくるリスティーを見下ろしたアルフィナは、さて、どうしようかと小首を傾げた。

 リスティーを連れて行くわけにはいかない。

 けれど、こんな小さな子を一人残していくのは不安だ。

 生まれる葛藤。

 しかしアルフィナには自身に問いただした時点で答えは決まっていた。


「──可愛いリティー。あたしに傾倒してくれるのは嬉しいけど、あんたの仕えるべき方は奥様ただ一人よ。身動きとれないあたしの代わりに奥様をお守りして。それがあたしの願い、あたしの望み」

「……ずるい、ずるい。そう言われたらアルフィナさまが帰っていらっしゃるのを待ってないといけない。リティーはアルフィナさまのお側にいたいのに」

「奥様は嫌い?」

「……セリアさまは嫌いじゃない。みんなセリアさまが変だって言うし、近づきたくないって思ってるみたいだけど、セリアさまの瞳はとってもきれいだもの。まるで赤ん坊みたいなの。純粋で、純真で……だから嫌いじゃない。アルフィナさまがお慕いしている方だもの。リティーは絶対嫌いにならないもん」


 腰に巻きついた華奢な腕に力が加わった。

 すがるような強さに、アルフィナは目元を和らげた。


「そう…リティーがそう思っててくれて良かったわ。奥様の側にいてあげて。あんただけが頼りよ」


 パッと両頬に朱を走らせたリスティーは嬉しさを隠すかのように俯いた。


「そのかわり、アルフィナさまがお戻りになったらリティーといっぱいいっぱい遊んでね。約束よ? 絶対よ?」

「ええ、あたしの可愛いお姫様、約束よ。戻ったらあんたのお遊びに付き合ってあげる」






 翌朝。

 教会の鐘が六つの音色を奏で終えた頃、別れの挨拶にやって来たアルフィナは、軽くノックをしたあと、返事も待たずに中へ入っていった。


「失礼します」


 普段ならまだ夢の中であるはずのプリシラ男爵夫人は、けれど今朝は目覚めていたようで、まだ薄い肌着のままではあるが、日の当たる窓ぎわの長いすに腰掛け、アルフィナを出迎えた。


「あぁ、アルフィナ……」


 アルフィナの姿を見たとたん瞳を潤ましたプリシラ男爵夫人は、微かに憔悴した様子の顔を曇らせて、別れの言葉を聞くのが嫌だと言いたげに首を振る。


「困ったこと……」


 頬に指先を当てて愛らしく小首を傾げ、見つめる先には、泣き伏せるプリシラ男爵夫人。

 嫌よ、嫌よ、と透明な雫をはらはらと流し、柔らかなクッションに顔を押し当てている。彼女お気に入りの青い肌着が波のように広がって、まるで彼女自身の涙の渦のようだった。

 苦笑を滲ませながら側へ寄ったアルフィナは、絨毯の上に膝をついた。その気配に気づいたのか、夫人が顔を上げる。目元が赤く染まっていた。早く冷やさないときっと瞼が腫れてしまうだろう。

 アルフィナは、そっとレースのハンカチを取り出すと彼女の涙を優しく拭った。


「泣かないで、奥様。胸が痛むわ……」


 一度納得はしたものの、いざその時が来てみるとどうしてもアルフィナを手放したくなくなってしまったのだろう。

 泣きやむ様子のない主人を見つめ、アルフィナの美しい双眸が曇った。


「それでも行くのでしょ? わたくしを置いて……薄情な方。わたくしが夜も寝付けないほど苦しんでも、あなたはちっとも気にしないのでしょ」


 セリアは、アルフィナをなじった。 


「あら、それは大きな誤解だわ。あたしはどこにいたって奥様のことを忘れない。……ねぇ、奥様。奥様を想っているのは、あたしだけじゃないのよ。見えない? 奥様を慰めようと必死になっている侍女の姿が。堅物執事のベルースだって、花を飾るよう指示をしていたわ」

「けれど、わたくしは……」

「臆病にならないで。人は変わるものよ。この城に悪意などもうどこにもない。奥様を傷つける人なんていないの。大丈夫。みんな奥様の味方よ。ほんの少し心を開いてみて。きっとうまくいく」

「怖いの……怖いのよ………」

「だったら大きく深呼吸してね、ゆっくりはき出すの。やってみて。…そう、それでね、頭の中を空っぽにするの。ぐだぐだと考えてはダメ。空気を感じて、自然の恵みを肌で…心で感じるの。昼は太陽の日を浴びて、夜は月と星を愛でながら、清々しい空気と緑と花の香りを胸一杯吸い込んで……昼は鳥の鳴き声、夜は狼の遠吠えが聞こえるはずよ。……怖くなんかないわ。だって彼らは奥様を襲おうとしているんじゃない。さえずりも、唸り声も…生きた音楽よ。人が奏でるよりももっと複雑な音を聴いてご覧なさい。唸り声も重なり合えば重厚な深さをもって空気を震わすわ。とても素敵な音色。だから奥様はなにも不安に思うことないわ。自然が鳴らす豊かな音に耳を澄ませば、きっと心が楽になるわ。強ばっていたのもすっと溶けていく」


 閉じられた瞼が微かに震えた。

 最後の雫がこぼれ落ちると、プリシラ男爵夫人は、ゆっくりと体を起こし、恥ずかしげに頬を染めた。


「いつもそう……取り乱してばかり………あなたにみっともないところを見せているわ。あぁ、けれど気分はとてもよいわ。不思議……本当に不思議ね……わたくしの小さな天使。愛しい子。あなたはわたくし以外の者を救いに行くのよね? それでは、わたくしが引き留めてはいけないわね。あなたは神が使わして下さった天使ですもの。どうして羽ばたこうとしていく翼を手折ることができて? それでも素直に手放せないわたくしを許してね……もう、このまま会えないような…そんな気がして────……」

「大丈夫。あたしは必ず戻ってくるわ」


 そう明るく笑って主人の不安を打ち消した。

 しばらくの間、じっとアルフィナの笑顔を赤くなった瞳で見つめていたセリアは、少しだけ口元を緩めた。


「えぇ──えぇ、信じるわ。あなたは約束を破ったことないものね」

「そうよ、あたしは決して約束を(たが)えない」


 穏やかな空気が流れる中、それを裂くかのようにノックの音がした。

 この部屋の主であるセリアが入室の許可を与えると、アルフィナと同じ服に身を包んだ使用人が入ってきた。


「失礼致します。アルフィナにお客様が……」

「今行くわ────奥様、しばしの間お別れです」


 そっと離れるアルフィナをほっそりとした手が縋るように追いかけたが、それは空を切って終わった。


「ええ、あなたが帰ってくるのを待っているわ」


 虚しく落ちた手に手を重ねたセリアは少し腫れた目を隠しもせず、静かに微笑んでいた。

 扉を閉める際にセリアに視線を投げかけたアルフィナは、落ち着きを取り戻した彼女を見て、安堵したように息をついた。


「お客様は表玄関前に停まっている馬車の中でお待ちよ。あ…っと、あなたの荷物勝手に裏玄関に運んでしまったけど大丈夫だった? 鞄一つでよかった?」

「あら、ありがとう。それで大丈夫よ。──あ、ねぇ、奥様に冷水でしぼった布巾をお願い。ずっと泣いていらっしゃったから……」

「わかったわ。あなたが帰るまでリスティーと奥方様のお心が少しでも和らぐように尽くすから、あなたはなんにも心配しないでね」

「ありがとう……」


 健気な心遣いに、ふと心打たれたアルフィナは、じんとしびれる胸をそっと押さえた。

 そして、奥様のために布巾を取りに調理場へと向かった少女を見送った。


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