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そのニ

「おや、やっとお目覚めか」


 ラザスが出て行ったあと、寝台の上でぼんやりとしていたアルフィナは、いきなり聞こえた声に驚いて、思わず鋭い視線を投げつけた。

 けれど、相手がだれであるか知ると、ほんの少し眼差しを和らげ、半身を起こした。


「気配を消して現れるのが好きね」

「君の騎士に連れてこられた」

「あぁ、そういう意味だったの……肝心のフェゼルはどこ?」

「しばらく二人きりにさせてくれるそうだ」

「……」


 思わず笑みがこぼれ落ちた。

 まったく、紫狼の騎士らしい。


「答え──聞いてなかったでしょ?」

「あぁ」

「あんたを買えたらいいのに……」


 ポロリと漏れた本音に驚いたのは、彼よりも自分自身だった。

 孤高の黒騎士が主人を持たないのはだれもが知っていること。

 並はずれた剣術と端麗な容姿で、近衛兵隊長候補と目された、この国で一、二を争う剣の使い手。


 けれど本人は一人を選び、主を据えることを拒んだ。

 騎士としてのあるまじき行為に、けれど国王自身がそれを認めてしまった。 

 すなわち、孤高の黒騎士は、自分の意志によって主を選ぶ、と。

 そんな異例で寛大な処置が許されたのは、かの騎士の身分が高いことと、王族とも親しい間柄であったからだろう。 

 王族の寵愛を受け、類い希なる才能ともてはやされる騎士を弾圧できる貴族がどこにいよう。


 だから、とアルフィナは唇を噛んだ。


 彼を手に入れたかったのだ。 

 一生なんていわない。

 数年でいい。

 彼を自分だけの騎士にできるなら、なんだってするだろう。 


「私が欲しいのか?」

「えぇ、欲しいわ」

「なんのために?」

「……あえてそれを訊くの? どうせ想像ついてるんでしょ。あたしがあんたの通り名を口にした時点で、わかっていたはずよ」

「明確な答えを」


 言葉短めに、淡々と彼が告げた。

 その言葉に弾かれるように顔を上げたアルフィナは、冷たいと感じる双眸を見つめ返した。


「復讐よ、あたしの復讐を成し遂げるためにあんたの力が必要なの。一国相手に戦うあたしに力を貸して」

「復讐…そんなくだらないことのために私を使うのか。聡いと思っていたが、どうやら愚か者だったようだな」

「……んで、」

「なんだ?」

「知らないくせに! あたしがどんな想いでこれまで過ごしてきたか! 知ってるわ。復讐なんてくだらないこと。けど、後味が悪くても、あたしはあいつを殺さないとなにも進めない! あたしにだって責がある。あたしの肩には多くの命が重くのしかかっているの。どうして……もぅ、どっか行ってよっ、あんたなんか大っ嫌い!」


 ただの癇癪だってわかっているが、もやもやとした感情は一気に吹き出す。


「ずるい、ずるいっ。あたしが男だったら……あんたにだって負けない剣士になれたのに……っ。そしたら母様も父様もみんな………!」


(死ななかった……! あたしがあんただったらみんなを助けることができたのに……っ)


 悔しくて、苦しくて、もどかしい。


「落ち着け」

「……………っ」


 ぽんぽんとあやすように頭を叩かれて、息を呑んだアルフィナは、毒気を抜かれたのを感じて怒らせていた肩を落とした。


(馬鹿みたい。まるで子供だわ。時が戻らないってことはだれよりも知ってるはずなのに……)


 俯けた顔も恥ずかしくて上げることができず、戸惑ったように下唇を噛むと、優しい腕から逃れるかのように身を引いた。


「君は──面白い。時に勇ましく、勇猛であったかと思えば、気まぐれで、勝ち気で、けれどとてももろい…いったい、あといくつの仮面があるのか。私に対してのあの強気な態度はどこへ行った?」


 ゆっくりと伸ばされる手を身じろぎもできずに視界に入れていたアルフィナは、思ったよりもひんやりとした指先が頬を包み込むのを感じた。思わずびくっとなって逃げだそうとするよりも速くアスランの胸の中に抱き込まれていた。

 押しつけられた胸元から顔を上げ、間近から見上げたアルフィナは、強きに言いはなった。


「──一日やろう。私の自由を一日くれてやろう」

「一日………」


 繰り返したアルフィナは、ほんの少し瞳を翳らせた。

 短い。

 まだ何も準備は整っていないというのに。

 一日……。 

 胸の内に繰り返したアルフィナは、素早く思案する。

 そうして導き出された答えを見つけて、うっすらと笑みを引く。


「ならば、契約を」


 口約束だけでは許さない。

 もっと確固とした証が欲しい。

 正式な儀式までとは望まないけれど、孤高の黒騎士の存在を感じていたい。

 そんな強い思いを感じとったのか、しばらく黙り込んでアルフィナの顔を見下ろしていたアスランは、ふっと眼差しを和らげた。

 息を呑んで見守る中、彼は中指にはめていた指輪を外し、アルフィナの掌に握らせた。


「これ、は……、(いにしえ)の指輪……?」


 指でそっとつまみ、子細をみやったアルフィナの顔色がわずかに変わった。

 なぜ、と畏怖するかのように双眸を見開き、恭しく指輪を太陽にかざした。

 凝った作りをしているわけでも、高価そうな宝石がついているわけでもない。

 銀の光を放つそれの裏に刻まれた古代文字。

 小さすぎて読めないが、本当に古の指輪だとすればその価値は計り知れない。

 見た目は普通の地味にも見える形だが、文献によれば神の力が宿っているともいわれている。


「なんであんたが……」


 教皇が所有しているはずではなかったのか。

 世に出回るには危険とされ、厳重に保管されているはずだ。


「ほう、古の指輪を知っていたか。……なるほど、やはり君はただの使用人ではないというわけか。どういう出自か知りたいものだ」

「なんであんたが持ってるの。この指輪を巡って国が滅びた例もあるっていうのに……、なんであたしなんかに預けるの」


 指に飾るには畏れ多くて、思わず布袋の中にしまい込んだ。その袋ごと服の中に入れてしまっても不安が残って、服の上からちゃんとあるか何度も確認してしまう。

 その様をおかしげに眺めていたアスランは、意地悪げに口の端をつり上げた。


「さあ、な。ただ私は面白いことが好きなだけだ。愚かだが、君の行動は興味深い。君がその指輪をどうするか…私をどう扱うか見てみたいと思っただけだ」

「変わった人ね……! ハーバラスの外にも変わり者は大勢いるのね」


 戸惑いながらも、けれど表面には微塵も出さず、苛烈を宿した眼差しを目の前にいる男に向ける。


「契約はなされたわ。(たが)えることは許さない」


 突然の宣言に、しかしアスランは、わずかに目を細め頷くだけにとどめた。


「あぁ、誓おう。この名にかけて」


 その瞬間、歓喜が体中を駆け抜けていった。


(けれど、まだ足りないわ。もっと人を集めなければ……)


 何もかもがまだ遠い。

 これはほんの序の口。

 アスランとの出会いが、神の導いた僥倖(ぎょうこう)とは思わない。

 偶然でもなく、アルフィナ自身が引き寄せた必然の出会いだったと言い切りたい。


(未来を切り開くのはあたし自身。だれにも邪魔させないし、だれの手も借りたくもないわ。だから神よ──貴方は天から見守っていて。あたしが遂げるその日まで)



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