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第四章  気高く儚い月下草

「どうした?」


 部屋へ戻ったアルフィナの異変に気づいてか、起き上がった紫狼の騎士フェゼルが鋭い視線を向けてきた。


「フェゼル……」


 扉を背にずるずると座り込んだアルフィナは、微かに震える声音で通り名ではなく、彼の名を呼んだ。

 とたん弾けるように長いすから立ち上がったフェゼルは、長い足を生かして長いすを軽々と飛び越えると、憔悴した様子のアルフィナを抱きかかえた。


「何があった?」


 彼は、そっとアルフィナの白い頬に触れた。微かに血の滲む傷を見て、表情を険しくさせる。

 アルフィナは答える代わりにフェゼルの背に腕を回し、鍛えられたたくましい胸に顔をうずめた。

 フェゼルもあえて問いただそうとはせず、アルフィナの要望に黙って応えていた。


「───見つけたの」


 しばらくフェゼルの温かさに触れていたアルフィナは、くぐった声でそう告げた。


「捜しに行った子猫のこと?」


 囁くような呟きをしっかり聞いていたフェゼルは、そう尋ねた。


「いいえ、違う。違うの、もっとすごい人よ」


 顔を上げたアルフィナは美しい双眸をきらめかせた。


「孤高の黒騎士を知っていて?」

「それはもちろん。かの者を知らない人はボケた年寄りか子供くらだろ。……まさか、」

「そのまさかよ。ここにいたの。こんな偶然ってあり得る? 九年前忽然と世界から姿を消した孤高の黒騎士があたしの目の前に立っていたのよ! 死んだと噂されてた伝説の人が!」

「人違いの線は?」

「確かにあり得るわね。孤高の黒騎士に関する情報誌は少ないし……。けど、情報通りの長剣を持っていたわ。柄頭(つかがしら)に宝玉を抱いた龍を宿し、透かしの入った美しい鍔に小さなサファイアをちりばめた剣を、あたしはほかに知らない。欲しいわ。孤高の黒騎士。国王でさえ手に入れられなかった騎士が……」


 うっとりと夢見心地で語るアルフィナとは対照的に、フェゼルは切なげな顔をした。

 けれど一瞬でその顔を消し去ると、甘い笑みを浮かべ、アルフィナの耳元に囁いた。


「オレのお姫様。貴女がそれを望むのなら、オレは何も言いません。けれど、忘れないで。貴女の忠実なる(しもべ)はほかにもいるということを」


 夢から覚めたような顔でじっとフェゼルを見つめたアルフィナは、そっと長い睫毛を下に落とした。


「わかってる……わかってるわ。あんたたちの実力は十分すぎるほどね。けど、たった数人で何万もの兵を倒すことができて? 双方に痛みを負うのは愚者のすること。相手に痛手を与え、味方を傷つけないのは有能な指揮官。けれどね、あたし……あたしは、できるならどちらも血を流すことはせずに勝利したい。大勢の死は悲しすぎるわ……。そのためには、優秀な人材が欲しいの。相手を殺さず、また自分も死なずに戦える人が。ほんの一握りしかいない逸材があたしは欲しいの。その数が多いほど流れる血が少なくてすむわ」


 関係のない市民を巻き込みたくない。

 これは、アルフィナと叔父の戦いなのだから。


「……」


 フェゼルはアルフィナを抱きしめる手に力を込めた。

 と、そのとき、甲高い鳴き声がした。


「あ…、月姫?」


 目に飛び込んできたのは、開けられた窓から室内に飛び込んでくる鷹の姿だった。

 鷹は室内を旋回したあと、椅子の縁に()まった。

 フェゼルは、長く美しい翼をたたみ、優雅にくつろぐ鷹に近づいた。

 鷹は鋭い目をフェゼルに向けるが、アルフィナも側に来たのを見届けておとなしくしていた。


「いい子ね。長い道のりお疲れ様」


 白と金がかった茶と黒が混じり合った不思議な色合いの毛を優しく撫でながら、そう労りの言葉をかけると、月姫は嬉しそうに鳴いた。

 月姫は、ナイフのように鋭利なくちばしを軽く開くと、目の前にあったアルフィナの細い指をくわえた。そのまま親愛の情をあらわすかのように甘咬みする月姫に、どう猛そうな鷲の姿はかけらも見えなかった。


「アルフィナ」


 鷲の足にはめられていた金属の中から折りたたまれていたものを取り出したフェゼルは、それを開きもせずアルフィナに渡した。


「ありがとう。何ごともないといいんだけど……」


 憂いを帯びた目がたどるのは、丁寧に開いた紙に書かれている文章だった。


「──主は万人を賛美されたし、ね。とりあえず旦那様に危険はないみたいね」


 それは暗号の一つだった。

 主はこの場合国王を指し、『国王は男爵に危害を加えるために招待したのではなく、その業績を褒め称えただけである』という感じに解釈できる。

 もし鷹を捕らえられたときのためにとアルフィナはちゃんと身元がわからないよう工夫をしていた。


「月姫のために生肉と水をもらってこないとね。おまえもお腹空いたでしょ?」


 その声に応えるかのように月姫が甲高く鳴いた。

 フェゼルは、オレが用意をすると言って室を出て行った。

 残されたアルフィナは、フェゼルと同じ金に輝く月姫の瞳を見ながら言った。


「お腹がいっぱいになって、少し休憩したら手紙をマリー…あぁ、今はマリスだったかしら。彼に届けてね。こちらの状況は……伝えない方がいいわよね」


 きっとのマリスことだ。

 アルフィナが襲われたと知れば己の任務を放棄して駆けつけてくるだろう。

 それではなんのために領主につけたのかわからなくなってしまう。

 筆と紙を机に用意したアルフィナは、言葉を選ぶかのように頭をひねった。


「蕾は朝露に濡れて輝く、でいいかしらね。あたしが無事であることだけ知らせればいいものね。……あぁ、けどこの居場所を一応知らせておいたほうが」


 今は宮殿にいるマリスたちはアルフィナがブシュカという街にいることは知らないだろう。

 そこではたと気がついた。


「おまえ、よくあたしの居場所がわかったわね。風がおまえを運んでくれたのかしら。便りが遅いからてっきり城の方へ行ってると思ってたのよ? 月姫があたしのところにちゃんと来てくれて嬉しいわ。ありがとう、月姫」


 月姫とは長いつき合いだ。

 月姫を育てたのはアルフィナだ。

 だからだろうか、月姫はアルフィナによく懐いた。

 どこに行ってもついてきて、彼女が使えると考えるようになったのはいつからだろう。


「安全で素早く情報を交換する方法を考えていたときよね……」


 叔父の動きを知るに一番いい方法はなんだろう。

 あの頃のアルフィナはそればかり考え込んでいた。

 叔父の下に潜ませた密偵と密に情報を交わすには、手紙でのやりとりしかなかったのだが、しかしそれでは手紙が運ばれるまでの時間があまりにもかかりすぎていた。

 それに危険も伴う。

 馬を操るのが巧みで、信がおける者を運び屋として定めたが、国をまたぎ手紙を運ぶのはやはり相当な負担がかかるようで、半年もした頃には倒れてしまっていた。


 そのときからアルフィナは考えるようになったのだ。

 そしてひらめいたのが鳥を使う方法。

 陸が駄目ならば空をと考えた結果であった。

 昔に思いをはせていたアルフィナは、月姫が突然警告するように羽を動かしたのを見て顔を引き締めた。

 それほど間を置かずにドアがノックされた。


「アルィナ、少しいいか?」

「お医者様……?」


 知り合いの声にアルフィナは緊張を解いた。同時に月姫の翼に触れ、あの人は味方よ、と知らせるように優しく撫でた。


「月姫、悪いけど寝室の方へ行ってくれる?」


 アルフィナは続き扉を開くと月姫を促した。

 賢い月姫はアルフィナの言葉をしっかりと理解したようで、優雅に羽ばたくとすぅっと流れるように寝室に入っていった。

 それを見届けてから寝室の扉を閉め、廊下に面した扉を開けた。


「患者さんはもういいの?」

「あ──あぁ、少し休ませとるよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で答えた老医師は、アルフィナに勧められるまま長いすに腰掛けた。

 アルフィナも向かいに座ると、


「お医者様が来たということは、まだ軟禁状態から抜け出せないのかしら? こう見張られてたら息がつまるんだけど」

「申し訳ない……。わしの説得力不足だ」

「あたしはどうすればいい? いつまでここにいられるの?」


 矢継ぎ早に問えば、ほんの少し表情を硬くした老医師が顔を上げた。


「怪我をしたのか……」


 アルフィナの頬に走ったかすり傷に気づいてか、眉間に深い皺ができた。彼は軟膏を取り出すと、大丈夫よと明るく笑うアルフィナの頬に塗った。


「わしのところへ来た娘さんのことと関係しておるのか?」

「あぁ、ちゃんと行ったのね。よかった……」

「一体、なにがあった? あの娘さんは何も喋ろうとせんし、付き添ってきた若者もしかり」

「……それを訊きに来たのね」


 嘆息したアルフィナは、どう返答したものかと困った。

 軟膏が効いているのか、傷を受けた頬がぴりぴりした。

 その小さな痛みが、あの野蛮な兵士の行為をよみがえらせる。


(あの女性はもっと痛いでしょうね)


 この傷は少年をおとなしくさせるために受けたもの。名誉の負傷といってもいい。

 けれどあの女性は違う。

 あの女性に非はなかった。

 あったとしても度が過ぎていただろう。


「事の次第によってはラゼス様の耳に入れなければなるまい」

「それで改善されるかしら……」


 小さな呟きは幸いにも老医師には届かなかったようだ。

 



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