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その四

 金がかった緑色の瞳がつかのまさまよい、アルフィナに定められた。


「余を迎えに来たのか……? それとも余は死んでしまったのだろうか……」


 ぼんやりと呟かれた言葉の意味を理解する前に、少年が双眸に光りを宿し、激しく体を動かした。


「イヤじゃ、イヤじゃ、死にとうない……! 余はまだ生きなければならぬのだ……!」

「落ち着いて。大丈夫、あんたはまだ死んでない。ちゃんと生きてるわ」


 暴れる子を強く抱きしめた。

 だが思いの外力が強く、振り上げられた手がアルフィナに当たった。


「……っ」


 ぴりっとした痛みが右頬に走った。

 もしかしたら爪がひっかいていったのかもしれない。

 蹴られても、殴られても、アルフィナは平静を失わなかった。


「助けて……、余は…余は……!」

「今はあたしがいる。大丈夫、一人じゃないわ。──我らが主よ、どうかこの御子の心を和らげてください。少しでも心が軽くなるように狂気を取り去り、穏やかな心をお与え下さい。この清らかな、神の…そして自然界の長の聖なる気に満ちたこの場所で、病に冒された小さな神の子に生気をお貸し下さい。すべては偉大なる神々と精霊の導きのままに」


 歌うように紡がれた祈り。

 空気を震わす声は透明感があり、それでいて凜とした響きを乗せていた。

 すぅっと耳に入ってきてしばらく余韻を残して漂っているような美しい祈り声が少年の耳にも届いたのか、暴れていた手足がぴたりと止まった。


「余は……」

「混乱していたのね。かわいそうに……」


 アルフィナは、病的な白さを持つ肌の上にうっすらと浮かんだ汗をハンカチで拭おうとして、ポケットを探っていた手を止めた。

 そういえば、あの非道な仕打ちを受けた憐れな女性にハンカチをあげてしまったのではなかったか。

 これからはいつでもハンカチは二枚必要ねと心中でため息をつきながら、少年と視線を合わせた。


「気分はどう? 動けないようならだれか人を呼んでくるけど」

「お主、見かけぬ顔じゃが、どこの者じゃ? 余に気軽に声をかけるとは無礼じゃ」


 さっきまでの狂乱ぶりが嘘のように生意気な口をきく少年に、アルフィナは怒りもせずただ彼の頭を撫でた。

 とたん、カッと顔を赤らめた少年が、無礼者ッと叫びながらアルフィナの手を叩いた。


「余に触れるな! 余は、お前ごとき下層階級の者がやすやすと触れてよい身分ではないぞ」

「あらあら、ずいぶんといっぱしな口をきく坊やだこと。やんごとない若君様のようだけど、人はだれしも神の(した)では平等なんだってこと忘れないでね。それに、下層階級をあまりなめないほうがいいわよ。いざとなったとき即戦力になるのは、ぐうたらな御貴族様や王族ではなく、国を支える市民なんだから」


 軽やかに諭しながらも、少年を見据える双眸は反論を封じるかのような強さがあった。

 刺すような鋭い眼力に呑まれてか、少年は口をぱくぱくと動かしたあと、黙りこくってしまった。


(可愛い迷い猫は、どうやら相当身分の高いご子息様のようね)


 アルフィナは苦笑した。

 上流階級の貴族にありがちな高慢さと横暴さは、華やかで虚飾に満ちた世界しか知らないからだろう。

 アルフィナもそうだった。


 (げっ)()と讃えられるほどの美姫であった母と癒しの魔術師とうたわれた父を持ち、その家柄は申し分なく、アルフィナの世界はどこまでも明るく、澱みがなかった。

 欲しい物なら望めば大抵手に入る環境で、食べる物さえなく死に絶えていく者たちがいるなんて考えもしなかった。父の治めていた領地が豊かだったせいもある。そこには貧しい者などいなかった。


 だれもがアルフィナに頭を下げ、かしずいた。

 アルフィナもそれを当然と思って受け止めていた。

 けれど、すべてを失い、地の底へ落ちていたあの頃。


 アルフィナは知った。

 真に国を支えていたのはどの階級だったのか。

 アルフィナの国──フィラデルでは、階級は六つに分かれていた。

 三角形の頂点に立つのはもちろん王族と大貴族の神階級。

 その下に栄光ある者たち──つまり聖職者、医師、法曹の聖階級が置かれ、更に下に下級貴族と騎士が列を成す。

 商いをする者たちは上から四つ目にあたり、一般市民や農作業に携わる者たちは小階級と呼ばれる。

 そして最後に、無階級がある。貧しい生活の者たちや汚物処理や煙突の清掃といった仕事を任されている者たちを指す。


 その六階級によって国は動いていたのだ。

 貴族や王侯が中心だと思っていた世界は、実際は、小階級以下の者たちがいてこそ成り立つものだと知ったとき、アルフィナは己が身分を恥じた。

 何も知らず、何もわかろうとせず、のうのうと真綿にくるまれて過ごしていた自分がたまらなく恥ずかしかった。


(あたしはそのことを知れたことだけでも──貴族のままでは味わえなかった人生を与えてくれた叔父に感謝をしないとね)


 不遇を嘆くのではなく、

 それをどう生かすのか。

 プラスであれ、マイナスであれ、人生において無駄なことなどないのだと教えてもらった。


 そう考えにふけっていたアルフィナは、叩きつけられるような強風を全身に浴び、一瞬体を竦めた。そうして腕の中の少年を守るように抱きしめ、護身用にと懐に隠し持っていた短剣の(さや)を外すと相手に気取られないように構えた。五感をとぎすまし、気配を探る。


 ──来た!


 アルフィナは、剣を握った右手を頭上にかざした。

 キィ───ッン、と(けん)()のふれ合う音が思いのほか大きく響いた。

 その独特な音を耳にしてか、少年が震えたのが指先から伝わった。

 大丈夫と安心させるように一度抱きしめてからすっと手を放し、襲いかかってきた者に集中した。思いの外重い剣を久しぶりに受け、ジンッと右腕がしびれていたが、それを悟らせることもせず、微かに笑みを浮かべながら相手を見上げる。


「ずいぶんなご挨拶ね。いきなり斬りかかってくるのは卑怯じゃなくて?」


 表面上は平然と片手一本で奇襲者の剣を受け止めたアルフィナに、相手は予期していなかったとばかりに舌打ちすると、素早く後ろに下がった。

 じりじりと間合いを取られ、そのすきにアルフィナも立ち上がり、短剣を構える。

 長剣と比べれば心持たないが、それほど力のないアルフィナにとって軽い短剣のほうが動きやすかった。


「あんたの目的はなに?」

「……」


 答えはもちろんなかった。

 白い仮面からは表情を読み取れず、気味の悪い者だこと、と呟いた。

 全身白ずくめ中、金に輝く長い髪だけが唯一の色であった。

 アルフィナは注意深く奇襲者を眺めた。


「白……」


 何かが引っかかった。

 記憶の底から断片が浮かび上がってこうようした瞬間、それを妨げるかのように白き奇襲者が動いた。

 狭い空間を難なく飛んだ奇襲者は、細長い剣先をアルフィナに向け突き下ろした。

 背に少年を庇っていなかったら横に飛んでいたが、それができず、アルフィナは惑った。

 一か八かで額に目がけて下ろされた剣先を両手で握った短剣で思い切り振り払う。


「……っく」


 思ったより重い一振りに、アルフィナの額に汗が滲んだ。

 なんとかかわせたが、次をかわす自信はない。

 自分一人だったらもっと戦えたのに……。


(違う。この子のせいじゃない。あたしが鍛錬を怠ったせいよ)


 考えを改めると、剣わぶれさせ、着地がわずかに乱れた奇襲者の懐に素早く入り込み、短剣を滑らせる。

 しかし、相手もさる者で、意図に気づいたらしい奇襲者は、上半身を反らせ、そのまま一回転する。


「あ……」


 奇襲者が回転するとき、つま先がアルフィナの手首を直撃した。

 避けられずもろにくらったアルフィナは、その衝撃に短剣を落としてしまった。

 しまったと顔色を変え、慌てて短剣を手に取ろうとしたときには遅く、すでに体勢を立て直したらしい奇襲者の剣先が目の前に迫っていた。

 腕一本の犠牲はしょうがないと左腕を顔の前にやったそのとき、低音の美声が緊迫した空気を裂いた。


「……くくっ、なるほど。自己犠牲の精神か」


 喉の奥で嗤う声が間近で聞こえたと思った刹那、キンッと金属がふれ合う音がして目の前に影ができた。


「逃げたか……」


 惜しむでもなく、ただ無感情に呟かれた言葉に、ゆっくりとあげていた腕を下げたアルフィナは目の前に立つ人物を見上げた。


 敵か───味方か。


 どちらだろうと探るように見つめていると、青年が振り返った。

 アルフィナは彼の容貌を見て驚いた。

 とても美しかったからだ。

 もちろんアルフィナは美しい人や綺麗な者をいく人も知っている。けれど目の前の人物は、思わず目を奪われるような華があった。青みがかった黒髪に海を映したかのようなアクアマリンの双眸が冷え冷えとした印象を与える。


「怪我はなさそうだな」

「ええ、あんたのおかげでね」


 背の高い彼を見上げたアルフィナは、しばしその美しい瞳に魅入った。


(綺麗な瞳……。宝石みたいだわ)


 いや、宝石よりもずっと美しいかもしれない。

 凍てついた氷のように寒々しく見えるのは、色が薄いからだろう。透き通った湖に青を少し落としたかのような色合いは、溶け消えてしまいそうなほどであった。

 アルフィナは少年のことを思い出し、短剣を拾いきっちりと鞘に収めてから懐にしまうと、少年の元に駆け寄った。

 少年はぺたりと地面に尻をつきながら、大きく目を見開いたまま固まっていた。

 謎の奇襲者がよほど怖かったのだろうと思っていたら、少年は青年を一心に見つめ、驚いたように声を上げた。


「ア、アスラン……! 帰ったのか!」


 興奮に頬を赤くし、目を輝かす。

 しかしアスランと呼ばれた美青年は、少年とは違い嬉しそうな顔はしなかった。薄い色の双眸が少年を捕らえる。


「カシュター」


 咎めように名を呼ばれた少年は、怒られたとばかりにびくりと体を震わし、俯いた。

 二人の間に視線をさまよわせていたアルフィナは少し驚いた。

 貴族とおぼしき少年の名を呼び捨てにしたのもびっくりだが、なによりも少年より優位に立つ青年に目を見張った。


 一体彼は何者だろう。

 兄弟……にしては似ていないし、少年より位の高い貴族にしては、剣を扱う姿が様になりすぎていた。どこかの騎士団に所属する騎士だろうか。それにしては、紋章がない。騎士ならばどこかしらに紋章があって当然のはずだ。


 青年を品定めするかのようにすっと視線を落としたアルフィナの視界に、まるでお飾りのように美しい棹と柄の部分が飛び込んでくる。先ほどまで青年の手に握られていた剣は、今はしっかりと収まっていたが、陽光にきらめいていた刃の部分は青光りをしていた。つかの間、実用的には不向きに見える華美な剣に目を奪われていたアルフィナは、あることに気づいて顔色を微かに変えた。


 まさか──。

 幽霊にでも出会ったかのように不規則な心音をやけに大きく感じながら、顔を上げたアルフィナは、ぽつりと呟いていた。

 かつて世界に名を轟かせた伝説の騎士の名を。


「──孤高の黒騎士」


 その声が聞こえたのか少年に向けられていた視線がアルフィナにひたと据えられた。


「……っ」


 いいようのない重圧感が両肩にのしかかる。

 白ずくめの敵と対してたときは感じなかった恐怖心が足下からじわりと浮き上がってくる。

 その場から逃げ出したくなるような衝動と戦いつつ、すっと一歩後ろに下がった。

 空いた空間がアルフィナに安心感を与える。

 青年が微かに笑った。

 底の見えない笑みに、アルフィナは久しぶりに緊張するのを感じていた。



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