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そのニ

 そのとき。

 ノックのあとに、壮年の男が入ってきた。


「おぉ、ハディル・クロイツ……! 久しいな。待ちこがれたぞ。あれから手紙一つ寄越さず、我々がどんなに心配したか。のたれ死んでいなくてよかった、よかった」


 彫りの深い端正な顔立ちの中に、醜い傷が一本左頬から目元にかけて走っていた。それが凄みを増して、彼の顔を引き立てていた。肌は浅黒く、がっしりとした体躯を見ると、武将という言葉が似合いそうな人だ。


「……二度とお目にかからない決心ではございましたが、恥を忍んで参りました」


 立ち上がった老医師は、深々と頭を下げた。


「なにを言う。……いや、私はなにも言うまい。今はそなたが戻ったことを感謝しよう。それで、そちらのお嬢さんと若者は……?」

「温情に感謝いたします。こちらの娘は、アルフィナと申します。こたびは、わしの助手として連れてきたのです。そして、その隣におるのが……」


 老医師は困ったように言葉尻を濁した。

 彼は紫狼の騎士を知らないのだということを思い出したアルフィナが口を開く前に、紫狼の騎士が言った。


「アルフィナの騎士──フェゼル。以後お見知りおきを」

「騎士……? なぜそのようなお方が」


 不審そうにすがめられた双眸。


「アルフィナを危険から守るため、とでも言っておこうかな。アルフィナに危害が及ばなければ、なにもしないさ」


 優雅に紅茶を飲みながら、紫狼の騎士がしれっと言う。

 思わずアルフィナはその場から逃げ出したくなった。


(なんてことを言ってくれるのかしら……)


 いや、責めるべきは紫狼の騎士ではなく、この受け答えを予期していなかったアルフィナに落ち度があるだろう。

 男の目が一瞬アルフィナに向けられる。

 アルフィナは探るような鋭い視線に気づかぬふりをして、わずかに目線を下に落とし、磨かれた木目の床を見つめた。


「クロイツ老師。現状を把握されているはずのあなたがなぜ……」


 男は、苦渋を滲ませた呟きを老医師にはき出した。

 歯がゆさの中に怒りの色がちらりと見え隠れする。

 けれど老医師は動じたそぶりも見せず、落ち着き払った声音で淡々と告げた。


「なに、この二人は信に(あたい)する者たちじゃ。騎士殿のことは知らぬが、アルフィナが従うのを許した者ならば、危険にあらずといったところか」

「たかが女助手一人に騎士だと? まさか、えらく身分の高いご婦人かなにかか? まさかなぁ。クロイツ老師、私はあなたを買いかぶりすぎていたか。それとも世の中の仕組みが私の知らぬところで変わったというのか。女……しかもこんな小娘に、騎士など……ばかげたことを」


 女を軽んじる侮蔑的な発言に、アルフィナの眉が寄せられる。

 そのわずかな感情の変化に気づいたらしい紫狼の騎士が、長いすを飛び越えると素早く剣を抜き、男の喉元に突きつけた。


「……っ」

「フェゼル!」


 剣先と喉元の間は小指の爪ほどの隙間しかなかった。ほんの少し力を入れれば、柔肌を裂いてしまいそうな位置に、アルフィナが制止の声をかける。

 感情を綺麗に消し去った顔で剣を突きつけていた紫狼の騎士は、一瞬のうちに剣を下ろすと鞘に戻した。


「──オレは謝らない。忠告はしたはずだ。アルフィナに害なす者には容赦しないと。アルフィナを傷つける者はだれであろうとこのオレが許さない」


 すぅっと細められた双眸に宿る剣呑な光。

 その雰囲気に押されてか、やや青ざめた顔の男が一歩身を引いた。

 紫狼の騎士は馬鹿にしたように鼻先で笑うと、アルフィナの元に戻った。


「あたしのために動いてくれたのよね。ありがとう。けど、あんたがそれを望んでも、あたしは望んでないわ。あの人に謝りなさい」

「けどアルフィナ──」


 彼は途中で言葉を飲み込むと、男に向き直り頭を下げた。


「ご無礼をお許し下さい」

「ゆ、許せだと? 貴様など牢屋にいれてくれる! よくも……っ」

「落ち着かれよ、ラゼス様」


 鼻息荒く気色ばんだ男に、老医師が淡々とした口調で言った。その声音には、いくぶんか戸惑った色が含まれていて、それに気づいたアルフィナはわずかに目を光らせた。

 老医師の声が耳に届いたのか、男は、苛立ちをかき消すかのように激しく首を振り、額に手のひらをあてると、小さく呻いた。


「……すまない。少し頭を冷やしてくる」


 男はそう言うと部屋から出て行った。

 老医師はその様子を心配そうに見つめていた。


「お医者様、あたしの助けが必要なのはあの人のこと?」

「あ──いや、ほかの方だが、……」

「あの人にも治療が必要みたいね。もちろん、お医者様のだけど」

「……アルフィナ、騎士殿。不快な思いをさせて申し訳ない。女性を蔑視するような発言はしない方だったのに…時が移ろえば人の心も変わるものか……」


 心なしか寂しそうに呟いた老医師は、憂えた双眸をそっと伏せた。

 



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