C0.3 事の発端 ― 3 ― 本の謎
その本は実に難解であった、というよりは不可解極まりないものであった。
というのも、最初ぱらぱらめくった時は意味不明な何かであったのに、読もうとした途端、ある程度まで何故かすらすら読めてしまった。
が、そこからは何をどう試してみても、一向に読める気配は無くなった。
こういう時は(躍起になる程子供ではないので)別の研究をし、気を紛らわせてから再度取り掛かることにしている。
普段はそうやって気を落ち着かせてから取り掛かるのだが、この本は少し違っていた。
何か研究を挟む度に、不思議とまた何ページか読むことが出来るようになっていたのだ。
ある時、幾つか仮説を立ててみた。
・時間(本に触れていない時間か本に関わってからの時間か?)
・日や場(時や場所か?魔術には関係が深い事柄ではある)
・私の知識量(研究の量か質か?)
これを割合を変えながら色々試し、どうも3つめが原因であるようだったが、質も量も、読み進められるページに変化は無い。
最終的に結論付けたのは・・・私自身の扱えるマナの量だ。
生物が元来持つマナのことをオドというが、濃密にマナの溢れたこの世界に置いて、オドはとても割合が小さい。
毎日、体内に流れ込んでくるマナが、オドとごっそり入れ替わる程である。
オドの観点からすると、毎日生まれ変わっているようなものだ。
魔法使い以上の魔法を扱う者達は、マナをどれだけ体内に取り込み、己がオドとして扱えるかが一つの指標となる。
私が普段行っていた研究は、このマナのことをどれだけ理解できるかという一点にある。
いずれは魔導師の先にある世界へ到達するために。
そのため、研究が進めば私のマナを扱う能力は自ずと上がるし、結果本を読み解く一助になっていた、ということだ。
「しかし・・・扱えるマナの量によるのなら・・・。」
そう・・・扱えるマナの量を増やすのに知識を増やす等という回りくどい方法を取る必要は無い。
手っ取り早く、マナを扱う修行をすればいいのだ。
こうして私は本をほぼ読みきる程度の修行を速やかに終えて、この本の真の価値を知ることとなる。