第三章
筆に呼ばれたから、ただそれだけ
祈りも禍根も許さない城に
辿り着いたから、ただそれだけ
土から離れることはできない
だから、土の真実を解き明かそう
過去に、ダウ群地の王が暴落していったのを風が語っていた。水はその血に汚されて、鉄は雫のように他へ広がっていった。それはカイケ群地でさえ、同様であった。
ティセルマ=マギートレン=セキュラ。彼の死は、カイケの地にさえも衝撃をもたらしていた。あれほど賢明な呪術師が、どうして埋められるものだろうかと。
人々は踵を返して、その時代に生きていたもう一人の呪術師を頼った。かの者は非常に素朴で、ティセルマさえいなければ、カイケの地でも一番の信用を得たとされていた。無論、ティセルマの失脚など願っていなかった。
もう一人の呪術師、ヴィーラノス=マギートレン=サティシュエは、彼の不運を嘆いて、闇に涙を撒いていた。何かがおかしいと感じてはいた。これまで埋められたのは女性ばかりではないか! と。
しかしヴィーラノスはその時点では何も言えなかった。誰かが犠牲にならなければ全員が飢えてしまうから、何も言うことはなかった。
「お父! また溜め息ばかり吐いて! 吐いた息は戻ってこないの知ってるでしょ!?」
鳥の鳴くかのようなけたたましさで囃し立てるのは、ヴィーラノスの娘、ラクシュトである。亡き母親のように気高く、血の上がりやすい性格であった。(ラクシュトの母親は埋められたのでなく、病弱であったがために死んだのだ! )彼女自身も、風習に嘆く者であった。
昔、ラクシュトは海の民であったがために難を逃れたが、陸の民であった友人は埋められてしまった。生まれた時の立場を決めることはできない、という確証を得て。
「ライエ、あまり怒らないで。その血でさえ返ってこないから」
怒り狂うラクシュトを制止したのは弟、ミエシェスである。父親譲りの優しい声、性格。
しかし熱した鉄のようになったラクシュトは、衝動をぶつけてはならない相手を認識できなかった。
「血は帰って来てるよ! 作物という名称で。
だけどもさ、私達の知ってるスルムフェルなら、獲物を狩って、恵みを貰って、その音に感激して結果をもたらすんじゃなかったの?
本当にその作物は、スルムフェルの恵みなの?」
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さて、これは実りも佳境を過ぎた時だ。父は嘆いていた。内容といえば、客が少ない、とか、そのあたりのことだった。
悩む人が少ないならそれが一番のはずなのに、どうしてか人は、長く続けると軸をずらしていくようだった。丹念に嘆くのは、どうも家系への信用?が無くなって来たらしかった。
真実を知ることがどうして悪いこととなりようかと、信じていたのに、民衆は真実を受け入れなかった。確かに私は、少し恥ずかしい行為をしたかもしれない。天に知れたら底に行けなくなるようなことはないが、少なくとも潮風は私を軽蔑するだろう類のこと。
先々週、私は激怒した。また埋められたというのだ! これは易々と埋められようとする民衆も悪いと思った。だから私は「良かれと思って」行ったのだ!
家々を回って窓を割り、石を投げ入れる。石にはこう刻んだのだ、「生贄行為は陰謀」と。これは私が後継候補になる前から行っていた。苛々することがあるといつも窓を割って石を投げ入れた。勿論そのきっかけは、埋められた人のことだ。
そのせいでサティシュエ一族への信用が疑われて堕ちるというのなら、こちらこそ愚かな民衆は願い下げだー!と叫んで窓を割ってやりたかった。私が疑われるのも不思議ではなかった。普段からそういうことばかり言ってるのは自分でもわかっていた。抑えきれないからだ。
亡き母の血が叫んでいた。今のままで良いのかと問いかけて来た。確かに私の行う行為には損害が激しく思う。だけれどそうしなければという思いが大きかった。普通、神性というものは、こんなに頻繁に生贄を求めたりはしない。多くて十年に一度という程度だ。私達の信じるテルサマギアは、百年に一度というぐらいで良いと。しかしスルムフェルは、良くて一年に一度。酷ければ一週間に一度という、まるで貪欲な泥のようにされていた。
本当はそんな神じゃないはずだ。
何か、私達の次元の、汚い企みをもたらした者。傍耳には便利なものと聴こえていただろう、その事自体は事実だ。
本当はそんな神じゃないはずだ。
地に住まう人間に操作されているような違和感。捧げているのが神なるならば、こんなにも反発を食らうことはないのに、何より、父の商敵。最期を聴いたときは、感覚は正しかったのだと思うことができた。
本当はそんな神じゃないはずだ。
スルムフェルはそんな神じゃない。
かの神は、ただそこに在るだけの、私達が離れることのできない場所の、表面層の上に───
「ライエ!! どこへ行く! 父様の手伝いは放り投げるものか!」
私はいてもたってもいられなくなって走り始めた。
~
足はシューステイクに向かっていた。何か目的というものは無かった。ただ行きたかっただけのようだった。この体の前に、潮風と、母のにおい、封じ込められた話の中の海。
そうだ、封じ込められた。テルサマギアとスルムフェル、二柱は仲が良かったはずだ。原初、分離する前に、二柱は接吻を交わしていた。そう聴こえた。海と大地に変わったからといって、何も変わることはないはずだ。
何も変わることはないだろう、私達が生きていられる限り不滅のものだから。地から離れることも、海から離れることも叶わないから。いのちの潮風がどこか軋んでいた。聴こう。
人よ、都合の良い真実よ
殖えたいがために嘘をてらう者よ
彼らに復讐せよ、鍵の少女
扉は開かれた
生殖者の都合の悪い真実を吐き開かせ
悲劇を断絶せよ
潮風すらも知っていた。私の心臓もそれに応じていた。向かわなければならない。
どこへ?
正しいことだけを探す所へ。正しい話がどこかにあるはずだ。向かわなければならない。
そのためには、そのためには準備をしなければならない。なるべく血で育った植物を食さないように、自分で地を歩いて、自分で食糧を集めるのだ。飢えて死んではならない、ならば地を這う者まで狩ればいい。血の上に立つ、その虚構を打ち砕くために、私は潮風のあるシューステイクを去って、家に帰る。
~
「ライエ、触ってごらん。これ全部苦情だよ」
私が割った窓と投げ込まれた石に対する抗議の石だ。弟は少し声に怒りを潜めていた。私はシューステイクで潮風に語ってもらった内容と、旅をしたいという思いを述べた。
「その石を送り返して。みんな嘘に操られてる。血が紛い物だから、紛い物で育って来てるの。ミエシー、私はあなたを信用してるよ。だからあなたは私のことわかってほしい。」と。
弟には神の声は聞こえないらしかった。だから私の言うことも半信半疑であると思う。それでも口だけは賛成してくれるのだ、どう思っているのかは分からないが。私は弟の頭をかち割って、直接声を聞きたいと思った。流石にしなかった。ミエシェスは窓じゃないからだ。
「ライエ、あのね」
弟から出た言葉を聞かされた途端、私は倒れた。
「後継がどうなるか、とお父さんが言ってたよ。お父さんも腕や足が軋み出してるから長くないと思うし、ライエ、ねえ」
やっとの力で起き上がると、現実を聞かされるかのように口細かく音を立てられた。
何を要求しているのだ。私に生殖能力を期待しているのか。心にもない婚姻を交わすのか。地に這う者はそれでもいいと囁くが、私は嫌だった。
私には行わなければいけないことがある。そのためならば子宮すら捨てて構わないとさえ思っている。だから私は、人が立つ土の真実を、植物に流れている血の真実を、解き明かさなければならない。
「ライエ、きみが男を好きにならないのは知ってるよ。でも、せめて跡継ぎぐらいはやって欲しいなって。仮にもお姉ちゃんなんだからさ……」
やめろ。それでもお前弟か。そうやって家族の役割を押し付けるな。いつもそうやってミエシェスは、家族としての役割を盾にする。これと、字が認識できないらしいところだけ欠点なのがまた気に食わない。一生カデュラの足跡でも追ってろ。私は神話の跡を追う。
「ライエ! ねえ! 僕が跡を継げと、君は言うんだね!!? 子供は一生聞かせてやらない!! お姉ちゃんのばーか、ばーか!!」
離反した。
それから私は、どこへ行こうか少しも悩まなかった。向かう先はただ神話の方向にだけ。
私の頭は真実を指す。どうか私だけでもと。足が勝手に進んで、少しだけの痕跡も読み取って、一つの断片を求めてただ歩き続けた。
ふと道中、足に力が入らなくなっている。お腹も空いているらしかった。そうだ、人間は地からも血からも離れることのできない、錘を科せられていることを思い出した。罪の味、だけれどもここで死ぬわけにはいかない! 正しい音を拾うまで死ねないと、決心したなら、もうそれからは一直線だった。
フェウバの群生する場所。私は残った腕の力で一つ、実を取って食べる。すると、足に力が入るようになった。まだ歩ける、まだ探せる、まだ追える、私は生きられる。
このように暮らしていて困るのは、時折集落を通って、私を聞かれた時に、乞食か何かと思われて食糧……血によって育ったものがほとんどだろう、を分け与えられることがある。最初に死にかけてからある程度の量を確保しているフェウバと、聞いたところで問題のないならばキェーンを狩って、それで大体の食事は済んでいる。血によって育ったものを食わされるのは真っ平御免だ。だけれども既に血が通っているのだから、捨てるのはお門違いすぎる。少し悩んで断る。もう幾度となく繰り返していた。
そして倒れるように眠るのに、獣たちは私を食べようとはしないのだ。今起きている、それが生きている証拠になっていた。足の感覚が地面の本来ある音を蘇らせたいと願っていた。自分の感覚を頼りにしなければ、血に堕ちてしまうのだろう。そんな淵の上を渡る気分でいた。
支える杖は、神話だった。
私は見つけることとなった。本来の神の音を。
真実を語るには全てを書き記すほかない、ただそれではあまりに多くなっていくから、必要に応じよう、夜が明ける前に。
分離、伝達。それが神話の全て。それが本来の伝統。
本当は、生贄など無くとも存在できるほどの神。歪められた音が、人に豊かさをもたらしても、そこに犠牲がある限り決して真に豊かにはなれないと────
カイケ神話 分離の章
原初、そこには塊があった
キェーンの産む卵のようだった
はじめに空とそれ以外が分離した
空はレリーク、天空の女神
次にそれ以外の中から分離した
海、大地、そして底
海と大地は分離しきるまで同一だった
底はインケリア、空から隠れた
空と底が対立し、二つ目の対立を生む
海と大地は唇を離して、自分へ戻っていく
海はテルサマギア、生命の母
大地はスルムフェル、生命の父
離れていく前の快楽から命が響き
響いた命が連綿と繋がっていく
ヒトとはその鎖の先に立つ生命である
伝達の章
大地は泣いていた、ただ寂しさに打たれて
海は聞いていた、しかし動けなかった
もう一度接吻ができたというのなら、永遠にしていられるだろうにと、
中間に浜がある
浜は大地と海を仲介している
意思の分断から
海は聞いていた、分断の悲しみを
大地は聞いていた、分断の悲しみを
海は手紙を送る 意思の波となって
波の子が浜に打ち上げられて大地へ響くよ
大地はそれに対して自分の肉を差し出すのだ
間接的な接吻が、今も彼らにとって
地を作る衝動とさせている
本当にただこれだけであったのだ! 「これだけ」という事実のために、私は自身の子宮でさえ捧げることとなった! 意思は実現した。そして後悔することは何もない。これこそが真実で、割り出すことのできた体制への抜け道……しかしもし後悔するならば、伝える相手がいないということだ。
ふと、弟のことが気にかかる。もしサティシュエの看板を提げた家があるなら、確実にそれがミエシェスの居場所なのだが、彼は家業を継ぐだろうか。憶測であっても、あまり大きく動くようなことはないだろう。海の民は、海の近くからも地からも逃れられないからだ。ミエシェスならば、弟のことだから、彼は、きっと血統を絶やさないでくれるだろう。期待だけが胸に響いていた。
荷物を軽くするために自分の体を重くしていく。得た結果は大事にして。少しずつ力がなくなっていく。まるでこれまで使命に燃えていた魂が、急に消えるかのような。空っぽの卵の中で、誰か理解者に結果を伝えなければならないと、伝えるまでが話なのだと、最期の力を振り絞って、生まれた所へ帰る。
ミエシェスがいた。随分と大きくなっているようだった。私の背よりも大きくなっていた。そして傍らには誰か女性がいた。聞くに、妊娠しているようだった。
ここを出てから幾年経ったであろうか。実りを32回ほど経験した。だから、もう32年ぐらいは経っているだろう、ミエシェスも、もう姉を覚えていないのかもしれない。
脈の途切れるような無音の中、私は一つの希望を知り、ミエシェスに声をかけた。
「ミエシェス、私のこと覚えてる? ラクシュト=マギートレン=サティシュエ。あなたのお姉ちゃんだよ」
「ライエ!!! 帰って来たというのかい!!!
……本当はね、ずっと心配してた。でも、今ここに立っている、それだけで充分だよ、
帰って来てくれてありがとう」
求めてなんかいない暖かさだった。しかしもう、私の体も心も冷え切っていて、暖められてもすぐに冷えていく、氷のようになっていたのだった。私はその場に倒れる。もう、足が支えられない。
「ライエ!! ……その鞄、もしかして……」
そのもしかして、だ。
もし、私の望みが叶うなら、私がこうして、子宮すら置き去りにして集めた真実を、サティシュエ一族に限らず、誰も彼もに知れて、わがままなんて言えないけど、せめて一家の中では語り継がれてくれますように。
私の、この肉体から生えてくる植物が、血で育ったものではなく、思想により育ったものでありますように。実ったものが、どうか命を救えますように。
体も何もかもが冷え切った。しかしどこか、満足感のようなものが芽を出していた。
私は成し遂げた。この戦いは、終わった。
~
夫の姉が帰ってくるなり、木の音を立てて倒れていた。ずっと話に聞かされていて、不思議なお姉さんだと思った。そして、その想いが真実のものであるとすぐに分かった。
あれから、夫はずっと地元の言葉を勉強していた。話すことはいいのだが、全く読むことができない。彼のことを支えて来た。時に文を読み上げた。彼は少しずつ理解していった。おそらくここにある、この文献が、最も情報の多いものではないかとも感じた。この体制を乗り越えるための情報として必要なのはたった二つの章だけだ。だけれども、お姉さんは、この地に広がった全ての物語を集めていた。不測の事態があってはならないから、ということだろうか、聞いたよりも、ずっと真面目なお姉さんではないか──
彼が文字の全てを読めるようになるまで支えた結果が、もうそろそろ生まれ落ちる。
筆に呼ばれたから、ただそれだけ
本当は意図なんて何もなくて
辿り着いたから、ただそれだけ
土から離れることはできない
だから、真実を育める土を




