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第五章 第一節

水の音立つ川の端

風だけがそれを知っている

霊魂は死しても消えず

土から離れることはできない

火が燃やすのは歴史か神話か

 最早誰もその風習を疑う者などいなかった。最早誰も本当を知る者などいなかった。

 今まで通りのように人は埋められて、その上で植物は育てられる。それに加えてロムフォス……養分を含んだ雨が降ったとしても、最早誰も風習を疑えなかった。

 60年前の刑罰から、サティシュエ家に調査がかかった。しかし、刑を受けた女性エルミセナの供述していた思想板は存在しておらず、在るのはただ木の板だけだった。よってエルミセナは最も重い刑に処せられたのだが、その木の板というのが、カイケでもダウでも使われていない文字が刻まれていたのだ。当時のカイケ群地では識字率がほぼ無いに等しかったのに、そこまで用心したのだろうか。


 この識字率の問題を経て、カイケの地に教育施設が登場する。実態としては、思想洗脳のための施設であったのだが、知ってか知らずかカイケの民は珍しがり喜んだ。その代わり寂れるのも早かったが。カイケの民は飽き性とは聞いたが、よもやここまでとは思いもしなかった。

 この60年の間で何が変わったかと聞かれると、例えば、貿易関係や、外交関係など、対外の処遇と答えるだろう。では、どのように変わったかの説明をしよう。

 以前のカイケ群地での貿易先は、隣のヴェルナ群地、ダウ群地、少し羽を伸ばしてへーロン群地と、その程度であった。現在のカイケ群地の貿易先は、そこから西へ行ったプリエステ群地に及ぶ。それだけ大きくなったといえば聞こえは良いが、同時にダウ群地の行いが正しかったのだと証明してしまう刃になってしまっていたのだ。



「最近、色々なところから人が来るのね」

「カイケも世界になったの?」

「いいえ、きっと見つかっただけよ」

 子供と母親が言う。その様子を、遠方から来た交易官たちが聴いている。カイケは良い土地だと、口を揃えて言うのだ。

 ここまで来るのに通ったダウの地よりも安定した気候、暖かく寒すぎない絶妙に構成された気温、料理も美味しく、人々も暖かく、実りも大きく、そして──人民が愚かだ。

 つまりは植民地になりやすい土地であると言う。ダウからカイケに通づる、一つ大きな山の連なり、スィダラス山脈の一番低いところを迂回して行く時に、関門で厳しく確かめられた。その言葉たちの中に、「思想的な物を持ち込んでいないか」などの、所謂革命を起こさないようにと画策しているように思えた。


 そして私自身も、遠方から来た交易官。プリエステの地から、ぺぺリーの実や、最近栽培の始まった香辛料たちと引き換えに、キェーンの肉や卵や骨や……を提供する。一つ困ったのが、キェーンの糞は対応していないということだった。

 プリエステの地では、キェーンやカデュラを育てているが、人口が増えるにつれ、どこの一派も飼育に困り、最終的にはダウの地へ輸入する、といった事を続けて73年は経った。

 特に糞尿は、発酵させて山に埋めて山菜の足しにしてやっていたが、人間も生き物だから糞尿を垂らす。糞尿が増える。糞尿を発酵させる。また糞尿が増える。山菜には少し負荷のある量になって、エウラやフェウバにもあげてやった。そしてそれらも負荷になる量になる。

 近所に糞の臭いが撒き散らされて狩りも工芸も出来やしない。キェーンの鳴き声があまりにも煩いので寝ることもできない。プリエステの地は傾斜が激しいので農業もあまりできない。糞尿を発酵するのに使う土地も勿体ない。特に制圧一派の人民が隣のアル群地に流れて行く。その分土地が増えるかと思ったらそうでもない。今度はその中の人民が元気になり、人民が増える。糞も増える。もうこりごりだ。


 せめて糞だけでもどこかに投げ込めないかと思い、カイケ群地に持ち込もうとしたが、結果から言えば、不可能であった。これもどうやら思想的な物に入るらしい。


 何故だ。何故糞尿を使わない。

 農業をやるなら汚いものを聞いても受け流す技量が必要なのに、潔癖症の如く糞は受け入れず、他の綺麗なもの(ただし、血は通っていた)ばかり受け取るのだ。お前らそれでも農民なのか?ダウの民が何の権限があってここを支配しているんだ?


 と思いながら今日を過ごした私はアウグイシュ=ストリェケン。プリエステの月一派。貿易人をやっております。私と会いたいなら以下の場所へどうぞ! できれば若い女性が良いですね。少し太ったぐらいが好きです。カンプの葉が開いて閉じるまで立ってます。期間は6月27日〜7月51日まで!

 場所はカイケ群地北部の第10区、橋の近くに生えているアルの下で待ってます。


 長く駐留することになったので、当地の女性でもプリエステに持って帰ろうと思っていた。けれども厄介なもので、口々に

「私はスルムフェルにこの身を捧げるので」

「私も同じく」

「わてもそうする」

 と言う。捧げるというのはどのようなことか、と引き留めても、「捧げるものは捧げます。それ以外にないです」と黙秘された。

 となったなら、私にはもう何もできることはなかった。

 あるのはただ勧誘のみ。まずいことを聞いたね、と話題を逸らして、カイケの地を集める長はどこかと尋ねた。先程の問いよりもすぐに答えを出された。その言葉たちは全て同じ方向を向いていた。


「あなたが、カイケの地の長ですか?」

「そうです、遥々遠くから良くおいでました。アウグイシュ=ストリェケン殿」

 長は落ち着いた息で私の話を聴いていた。私が話したのは以下の3点についてだ。


・現在、プリエステ群地では動物の糞尿の処理に大変困っており、匂いに耐えきれず人民が他の群地に流れる程である。農業を営むそちらに譲渡することはできないか

・また、キェーンやカデュラの安定した飼育法があり、それがあればカイケ群地は更に繁栄できる。今ですらまだ狩りをしている状況である。非効率であるため、法を教えることはできないだろうか

・以上の2点と引き換えに、プリエステの隣の、アル群地と同じ、アルディーン同盟に参加しないか、参加すればもっと進んだ文明になれる


 と持ち掛けた。それらに対する回答は、


・当群地では糞尿ではなく別の栄養分を用いているため不要です

・キェーン狩りは運動になるので良い傾向ではないでしょうか。

・以上2点を断っているので参加はしません


 とのことだった。私はそのうちの、「別の栄養分」という表現が気になった。


「あの、先程仰いました別の栄養分について、詳しく教えて頂けますでしょうか?」

「ああ、それなら」



「若い女を土に埋めてるんですよ」

「それは何故に?」

「古い伝承で言い伝えられているとは聞きましたが、実際それでこの土地は毎日の食事をすることができています。一日三食だってです。その中で、効果のあるものを捨て置いて、全て新しいものにしようだなんて、この土地の人間は思いませんよ」

「では、何故その伝統を疑わないのですか?」

「あなた方だって確立された飼育法と新しい飼育法だったら既にある方を選ぶでしょう? それと全く同じなんですよ。あとそれと、


ここだけの話、戸籍の管理が楽になるんです。少なくなるからね、女を埋めれば」


 私は耳を疑った。これだけのことを、長は会った時と同じような、落ち着いた息で言ったのだ。正直に表現するなら、この長を殴って、この地に住む若い女性たちを連れてプリエステまで連れて行きたかった。しかし関門で私は大罪人になるだろう。滞在人が大罪人へ変わるのだ!下手な手を打つこともできなかった。

 長の部屋を出て、外へ出ると共に、私の古い記憶も一緒に知識格納庫から飛び出して来た。思い出したのだ。


 5代ぐらい前、およそ三百年余り前に、私の先祖はヴェルナの地に向かっていた。今よりも糞まみれじゃないプリエステはどれだけ綺麗な土地だっただろうか。そんなことは割とどうでもいいが。

 ヴェルナの地ではレチアという木の、香る葉の生産が盛んであった。それでキェーンの肉を巻いて食べるととても美味しいので、誰もがレチアを欲しがっていた。ヴェルナが大きな栽培地だと知る以前は、アル群地のレチアを奪うために戦争を起こす程であった。血を流して得た料理は美味しいが、血を流さずに食べる料理もきっと美味しいはずだ。私の先祖はヴェルナに向かうためにスィダラス山脈を越えているところであった。


 その中、貰った水分が無くなって、先祖は倒れていたという。その中で、起こしてくれる男性がいた。彼のことは何も知らなかったが、声の色からヴェルナでもダウでもプリエステでもアルでもへーロンでもない、暖かな気候の群地の出身の人間だと思ったという。復讐を声に濁しながら、「大丈夫か」「もう少し行ったら歩けるか」などと、しきりに先祖を心配していたと言うのだ。その男性のおかげで、あの山脈の中で死ぬと思っていた私の先祖は生きて、5代程後の私まで命が繋がっている。


 お父さんはこの話の最後に「その男性に会ったら、お礼を言って欲しい。覚えていないだろうけど……」と話した。

 いや、流石に死んでるとは思うけど……子孫がいたなら生きていると思っていいんだろうか。

 彼の家はどこだ。そして、彼は誰だ。

 今度は三百年前死んだ人という題目でカイケ中を聞き回った。交易物の交換が行われ、検品や検閲などが行われるのだが、今はその期間中であった。死亡者のことは流石に長も分からない様子だった。それもそのはず、死んだ人に対して「管理が楽」とまで言い放つから。そうして聞き出す中で、カイケには一つだけ封鎖された住宅があって、三百年ぐらい前から弄っていないとのことだった。僅かな希望を聴いた気がした。

 なぜ誰も手を付けようとしないのか、その理由を聞くことはできなかった。きっと誰も知らないのだ。けれども私には、砂漠の中で区別のつかない砂を一粒探すような気分で、箱の中に一粒砂があったなら、それすらも確かめなければならなくて、けれどもその方が楽なように思えた。すがるしかなかった。


 私はそこへ向かった。草が茂って耳が煩い。本当に誰も手を入れていないのか。そして立札にはこうあった。

「ティセルマ=マギートレン=セキュラ宅

現在思想的排除区域により侵入禁止」

胎の音さえ封鎖され

臓だけが形成されている

雷、全てを破壊しようか

闇から離れることはできない

光は温度として存在する

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