8、ヤンキー娘、釣り糸を垂らす
志稀と二手に別れた凛は、それぞれに調査を開始した。凛はまず友人の辰己に電話をかけることにした。
旅館の非常階段でスマホを使うと、二回のコールで声が返る。
「へい、どちらさん?」
「あたし。あのさ、急で悪いんだけど、あんたにちょっと頼みがあるの」
「凛か。お前バイトしてる時間じゃないの?」
「今は手が空いてるの。それよりも、あんたにあたしが今バイトしてる【色谷】って旅館で事故死した子の情報をネットで拾って欲しいんだよ。あたしより、あんたの方がパソコンには強いでしょ? 事件当時のことと、もし幽霊とか怪しそうな噂があったらそっちも。十分な情報を集めてくれたら、バイト代が出た時に飯驕るからさ」
「引き受けた!」
ただ飯の下りで即答が返る。万年金欠の男子高校生には拝みたくなる話なだけに、気持ちはわかるが。詳しく理由を聞いてこないので助かった。
「頼むね。なんかわかったら連絡して」
「あぁ、この辰己君に任せとけ」
頼もしい言葉で電話が切られた。ネットに詳しい辰己ならば、それほど時間もかけずに情報を集められるだろう。その間に、凛も自分の仕事をすることにした。
事件当時の話を聞くのならやはり、噂話が好きそうなおばさん達がいいか。初めの相手はやはり。
「叔母さんからだよな」
凛はスマホを尻ポケットに突っ込むと、さっそく叔母の貴子を探すことにした。
非常階段を下まで下って一階のドアから旅館内に戻ると、人気のない廊下を進む。フロントに突き当たるれば、道もわかる。宴会場までは、そのまま道なりに進んでいくとすぐに着いた。靴脱ぎ場で靴を脱いで襖を開く。
中には百人は入りそうな広い畳部屋の宴会場が広がっていた。仲居さんが三人、客の使った食器を片付けていた。カラオケセットがついた壇上側でふくよかな背中が腰をかがめていた。
「あたたたた……嫌だ、腰が痛いわ。マッサージに行こうかしら」
痛そうに太い腰を抑えた叔母に、凛は声をかける。
「叔母さん!」
「あら、なにあんた、頼まれた手伝いは終わったの?」
「いや、まだ途中。あのさ、叔母さん、ここの旅館長いよね? 他の人にここで昔事故があって子供が死んでるって聞いたんだけど。それってマジな話?」
「……あんた、どこで聞いたのよ? その話はこの旅館では口に出さないのが暗黙の了解になってるわ。軽々しく話せることじゃないの」
「あたしだって別に興味本位で聞いてるわけじゃないよ。ただ、なんか変なもん見ちゃったから、気になって」
「えっ!?」
嘘と本当のことを半々くらいに混ぜて、上手く話しを誘導する。相手の好奇心をくすぐる様な話を振れば、おしゃべり好きな叔母のようなタイプは必ず食いつくはずだと睨んでいたのだ。
たらされた釣り糸に気付かず、魚はすぐに食いついてきた。傍に寄って来たのは、叔母と同じ年代の仲居達だった。
「聞こえちゃったんだけど、あなた最近入った子でしょ? もしかしてあの部屋に行ったんじゃない?」
「あれでしょ。あの立ち入り禁止になってる部屋」
「あそこって昼間でも暗くって気味が悪いのよねぇ。やっぱり死人が出てるせいじゃない?」
「えっ、やっぱり死んでるすか?」
ここだというタイミングで相打ちを入れて、詳しく話してくれるように促す。凛から大きなリアクションが返ったのに気分がよくなったのか、仲居達の口は油を塗ったように滑らかになる。
「えぇ、そうなのよ。男の子がね。いつもニコニコしてる愛想のいい子だったのに、最後は可哀想でねぇ」
「当時は改装工事をしていて、あのフロアも立ち入り禁止になっていたの。けれど子供にとっては物珍しかったんでしょうね。こっそり遊びに入ったようよ。それであの部屋の窓から落ちたって。それからよね、あの部屋でおかしいことが起こるようになったのは」
「上田さん、詳しいわねぇ」
「そりゃ、あれだけ大ごとになってたんだから気にもなるわよ。当時は事件と事故の両方で調べられてたみたいだしね」
ほぼ、大女将から聞いたことと同じ内容だ。しかし、その中で凛には気になることがあった。亡くなった武の性格である。それが、やんちゃな男の子だったというのなら、行ってはいけないと言われた部屋に興味を持って入ってしまったことにも納得が出来る。しかし、いつもニコニコしている、そんな性格の子供が、自らその部屋に行くだろうか?
「その子は一人で遊んでいたんすかね?」
「そうじゃない? 武君が入っていくところを見た人が居るらしいわよ」
「へぇ、誰が見たんすか?」
「えーっと、誰だったかしら?」
「料理長の宇野さんよ。ほら、あの時警察にも随分詳しく聞かれていたじゃないの」
「あぁ、そうだったわねぇ。そういえば、あの事件の時、武君が誰かと遊ぶ約束をしてたのを聞いたって人も居たわね」
「叔母さん、それってマジ?」
凛は叔母の言葉に思わず聞き返した。
「えぇ。確か、仲居の人だったはずだけど……駄目ね、誰かまでは思い出せないわ」
記憶をたどるように額を抑えた叔母は残念そうに首を振る。凛はもっとその話を掘り下げて聞きたかった。しかし、口を挟む前に他の仲居が違う話題を振ってしまう。
「それじゃあしょうがないわね。実は私、あの部屋の掃除を頼まれたことがあるから、中に入ったことがあるのよ」
「ウッソ、そうなの? それで、何か起こったわけ?」
「今まで言えなかったけど、噂の足音を聞いちゃったのよー」
「ほんと? やぁだ、高木さんも立派に心霊体験しちゃってたの」
「そうなのよ! 掃除を頼んできたのが大女将だったから、あの人の手前そんなこと言えないじゃない? だから今までずーっと黙ってたの」
「あの人じゃあねぇ。大女将も昔はもう少し丸い性格だったんだけど」
「今じゃひねくれ者のおばあさんで従業員にも若旦那にも嫌われてるものね」
「ほんとそうよね!」
口を挟む間もなく、話がどんどん進んで行く。さっきの話をここで叔母に振り直すのは不自然だろう。凛はこの場で聞くことを諦めた。
しかし、今回の話で、重要なキーワードはいくつか拾えた。事故当時に武と話しただろう仲居を探し出せば、更に詳しいことがわかりそうだ。
凛は適当なところで話を切り上げにかかる。
「あたしだけじゃないって話を聞けたんで、少し安心出来ました。もしなんか新しいことわかったらあたしにも教えてくださいよ。あの部屋の掃除を頼まれるかもしれないから、そん時のために心構えをしときたいんで」
「あらそーお? じゃあ、またネタを仕入れとくわね」
「おばさん達も若い貴方と話すのは楽しかったわ」
「凛、しっかりね」
宴会部屋から離れながら凛は考えてる。さっきの話で重要な手がかりを一つ手に入れた。これは必ず明日、志稀に伝えないと。
「とりあえず、今は洗い場に戻っとくかな」
上手くいけば、さっきの話に出ていた宇野にもなにか聞けるかもしれない。凛はそう思いながら裏方に向かって歩き出した。