7、ヤンキー娘、十字を切る 後編
「お前の名は?」
……タケ……シ…………
黒い人型から声が答える。志稀は淡々と質問を続ける。
「武か。この旅館の子供だな? 何故この場所に留まっている?」
……シテ……カエシ…………
「何を返してほしい?」
……モノ……カクシ……カエ……シテ……!
部屋の中に一際大きなラップ音が響くと、黒い人型はすぅーっと消えていった。途端に冷えた空気が霧散する。凛は大きく息を吸う。自分がこの世のものではないものと対峙したわけでもないのに、緊張で身体が強張っていた。
「消えた……」
「力のない子供の魂だ。穢れを全て払うと消滅するほど弱っている。だが、十分な収穫はあった」
「あの子は返してほしいものがあって、成仏出来なかったってこと? それほど執着するって、よっぽど大事なものなんだろうね」
「あぁ。それともう一つ、耳についた単語がある」
「《カクシ》って言葉でしょ? 漢字でぱっと思いつくのは《隠し》かな。子供の遊びなら、かくれんぼとか、隠れ鬼とか」
「普通に考えればそれが妥当だろう。やはり当時を知る者に詳しい話を聞くべきだろう。凛、これからお前には従業員に対しての聞き込みを頼みたい。オレは外側から調べる。明日のこの時刻に、ここに来てくれ。依頼人と若頭にもう一度話を聞く。まずはそこから探るぞ」
「うぃっす。じゃあ、あたしは叔母に話を聞いてくる。ここで長く働いてるから、もしかしたら当時のことも知ってるかもしれないし」
「なんだ、身内がいるのか?」
「この旅館には叔母に誘われて来たからさ」
「それは上々。雪丸、匂いは覚えたな?」
キャンッ
志稀の傍で大人しくお座りしていた雪丸は、元気よく返事をすると心なしか胸を張っている。本当に言葉がわかっているようだ。
「よし、よくやった。今日はもう出くわさないだろう。戻っていろ」
雪丸は小さく頷くと、短い良足を踏ん張った。途端に姿形がぼやけていき点滅する白い光になった。その光はあっという間に志稀のピアスに飛び込んでいった。
「すっげぇ、SFの世界だわ」
「オレには普通のことだ。──死が終わりだと思う人間は多いようだが、死んだ記憶もないのに何故そこで終わりだと思い込むのだろうな。人が考えるより世界はもっと単純で複雑だ。この世があるのだから、違う世も存在する可能性を想像すればいいものを」
志稀の言葉は誰に問うものでもなかった。ただ内心に浮かんだ疑問が口をついて出た様子だった。だが、その考え方は異質だ。そして、異質と認識出来る凛もまた、志稀と同じ側の人間なのだろう。
「それは、あたしもあんたも見えるからじゃない? 目に見えないものを信じろって言うのは難しいでしょ。あたしだって実際、人と違うもんが見えてるって自覚した時は、けっこう悩んだよ」
凛が幸運だったのは、祖父が見える人であったことだ。
人には言わないようにと教えられてきたため、クラスで浮くこともなく普通に生きてこれた。
だが、それでも見えるなりの苦労はあった。凛には見えすぎて、生きてるものと霊の区別がつかない時があるのだ。駅で肩がぶつかった相手に謝ったら相手が消えていた、なんてことも実際にある。
けれど、凛は祖父の教えから、見えない周りに理解を求めようと思わなかった。別に周囲は知らなくても普通に生きていけるのだから。
もしかして、志稀は誰かに理解を求めたことがあるのだろうか。ふと、そんなことが気になった。
「あんたは信じてほしい人がいるの?」
「いいや。ただ、想像力が欠落している人間が多いと思っただけだ。ここの若頭を含めてな」
なるほど。若頭の態度には、志稀も多少頭に来ていたということか。表情も変えずに冷静に切り返していたからわからなかったが、こういう皮肉を言うところがあるとは面白い。
「意外と根に持ってたんだ?」
「オレは一度された無礼はけして忘れない」
「若旦那よ、安らかに。あーめん」
志稀の凄みのある薄笑いに、凛はふざけて胸の前で十字を切ってみせた。




