5、ヤンキー娘、十字を切る 前編
エレベーターで三階まで登ると、暖色の廊下が直線に伸びていた。右側に休憩所が設置されており、人で賑わっている。卓球台には浴衣姿の年配の男女が楽しそうに打ち合っており、一昔前のレトロなゲーム台の前には、数人の中学生くらいの男の子が群がって遊んでいる。そのゲーム台は大事にされてきたのが一目でわかるほど綺麗なものだった。これも旅館と共に同じ年数を歩んできたものなのだろう。
「東間様のお部屋は三○五号室です」
差し出された鍵を受け取り、志稀は鉄のドアを開いて中に入って行く。ちらりと見えたのは障子だった。どうやら和室のようだ。
ボストンバックを置いて戻ってきた志稀は、この暑いのにわざわざ半袖の上着を羽織ってきたようだ。胸ポケットのついた黒と白のストライプの半袖からは、がっしりした二の腕が悠々と伸びている。
「次の案内を頼む」
「お任せ下さい。例のお部屋はこの階の奥になります」
廊下を擦れ違う若い女性が、志稀の顔を見るとうっとりした顔になる。派手な顔立ちに見とれているのだ。まぁ、気持ちはわからなくもない。この男は無駄なほど顔がいいのだ。なんとなく悔しいが、正直言って、下手なモデルと並んでも見劣りしないほど吸引力のある美貌の持ち主だ。
凛も顔立ち自体はそう悪くない。大きな目ときつめの顔立ちにメイクをしてるため、傍からは少し大人っぽく見えるかもしれない。まだ発展途上で頬に柔らかさが残っているが、最近まで彼氏もいた。時々授業をサボって友達とラーメンを食べに行ったり、ボーリングで遊んだりすることはあるが、喫煙や禁酒はしない。素行はちょっとばかり悪いが、それ以外はどこにでもいる女子高生だ。
しかし真っ赤な頭の凛と、美形な志稀が並んで歩いているとやはり目立つようで時折こっちにも視線を向けられている。愛想を振りまく気もないので、気付かない振りをして隣を見れば、男も慣れているのか平然と歩いている。
凛がそんなことを考えている間に突き当たりの手前まで来ていた。奥から二部屋目が子供の亡くなった部屋だろう。関係者以外立ち入り禁止とドアに張り紙がされていた。
「三〇一三号室のカギをお渡ししておきますね。私がご案内出来るのはここまでですので、後はご自由に御覧になってください」
「久木さんは一緒に入らないんすか?」
「えぇ。お邪魔になりそうだから、私は業務に戻るわ。では、東間様、失礼いたします。御用の際は、内線でカウンターにお電話いただくか、ご足労をおかけすることになりますが、直接お越し下さい」
それだけ言い残すとあっさりと踵を返していく。志稀に気のある様子を見せていた割には、簡単に離れていった。意外に思って隣を見上げると、男は片眉を上げて鍵穴に渡された鍵を指す。
──ガチャリ。解錠の音がいやにはっきりと耳に届いた。志稀がドアノブを回して、開く。
開かれた襖の奥は暗闇が待ち構えていた。凛はその一瞬、喉の奥で息を詰める。先に志稀が中に入っていき、壁を探って電気のスイッチを入れた。
明かりがつくと、内側がどうしてこんなに暗かったのか理由がわかった。内側から二つの窓を覆う分厚いカーテンが暗幕の役割を果たしていたようだ。
「使わない部屋なのに綺麗にしてるんだね。アタシには普通の部屋に見えるけど、あんたはどう?」
「お前とそれほど変わりはない」
六畳ほどの畳の上には大きな机とテレビ、そして隅には鏡台も設置されていた。
窓側には、座椅子が二組置かれ、コンセントが抜かれた小型の古い冷蔵庫もある。当時のまま保存していたのだろう、室内は奇麗に掃除され、埃一つ落ちていなかった。
「それで、これからどうするわけ?」
「先に雇い主らしく、お前の名前を教えてもらおうか」
「葛切凛。あんたは東間志稀でしょ?」
「覚えていたか。そうだ。お前に見えたものを払うのを生業にしている」
当たり前のように続けられた言葉に、凛は驚いた。この部屋に入る瞬間、思わず息を詰めたのは、この部屋で動く影を目撃していたからだ。それに気付いたということは、志稀も同じものが見えていたということになる。つまり、生まれて初めてお目にかかる同類というわけだ。




