2、ヤンキー娘、オレ様な祓い屋に出会う 後編
「あぁ、あそこか。大丈夫。必要な部屋はあらかた覚えたから」
「あら、物覚えがいいわね。さすが若いだけあるわ。それじゃあ、お願いね」
叔母は感心したように頷くと、再び新たな料理を運んでいく。
さっそく力仕事だ。凛は洗い物をきりのいいところで止めると、手を洗って黒いエプロンを身に付ける。その胸元には研修中のプレートがつけられていた。これは客に捕まらないための防止策でもあるのだ。一週間限定のバイトが客に何かを尋ねられても答えられるはずもない。だから、あらかじめ聞くなという遠まわしのアピールでもあるのだ。
「おやっさん、おばさんに頼まれたんで、食器の回収に行ってきます」
「おう。落とすんじゃねぇぞ」
「凛ちゃん、急がなくていいからね。皿の中には高級なのもあるから、ほんと気をつけて」
心配そうに声をかけてくれたのは、旅館のもう一人の板前、笹山だ。眼鏡の奥で細い目が心配で糸のようになっている。優しさを表すように温和な顔立ちをしており、おやっさんと呼ばれる宇野とは親子ほど年の差があった。しかし、その腕前は十分で、いつも昼に食べさせてもらう賄いを、凛は内心楽しみにしていた。
「はい。気をつけます」
凛は素直に頷くと裏方を出て、旅館の内部に続く敷居を跨いだ。
廊下には仲居姿の従業員やのんびりと歩く宿泊客の姿がある。凛は邪魔にならないように廊下の端を足早に急ぐ。
その時、空気が変わった気がして、凛は足を止めた。感じたことのない気配が近づいてくるのがはっきりと感じ取れた。
まるでビールを頭からぶっかけられたように、全身が粟立ちぴりついてくる。その独特の感覚は、自分の第六感が反応している時特有のものだ。いつものあれではなさそうだが、種類の違う何かがやってくる気がした。
闇に身を潜める獣のように、凛は前方に見える曲がり角を強く直視して、それが現れる瞬間を息をひそめて待つ。
仲居に先導されるように現れたのは、作りものめいて造作の整った顔立ちとは裏腹に、目力がとても強い男だった。運動をやっていそうな体格を持ち、頭は金髪で側面を短く前髪を左側によせて垂らすように整えている。
耳には左だけカフスとリングがついており、服装は柄物の赤いシャツと黒いジーンズをはいていた。見た目からしてど派手だ。これで持っているのがボストンバックではなくギターであれば、間違いなくロックミュージシャンだと判断しただろう。
男は足を進めているが、その視線は凛から逸らされない。凛も男から目が放せない。引力に引かれるような強制力さえ、そこにはあった。
凛の前で足を止めた男は、上から睨み下ろすように目を細めた。
「お前……」
「……なんすか」
二人はまるで睨み合うように見つめ合う。一瞬でも目を逸らせば負けるような気がして、凛は半ば意地のように男の目だけを見た。そこに、ようやく己の先導について来ていないことに気付いた仲居が足早に戻ってきた。二十代半ばの仲居は、男に頬を染めて躊躇いがちに尋ねる。
「あの、お客さま、いかがなさいました? この子が何かいたしましたか?」
「こいつを少し借りたい」
「え? ですが、この子はただの研修生ですよ? 申し訳ございませんが、私の一存ではお答えしかねます」
「ここの経営者とはこれから会うから、オレが直接話はつける。──お前にオレの手伝いを頼みたい」
傲岸に言い放つ男に凛は従うべきか逡巡して、自分より五歳ほど年上だろう仲居を仰ぐ。
「お客様のご要望だし、あなたもいらっしゃいな」
「わかりました。あの、戻った時に叔母にあたしのこと伝えてもらえますか? 仕事途中だったんで」
「えぇ。しっかり伝えるわ」
これでサボりの冤罪は避けられそうだ。凛は安心して男を振り返る。
「労働条件等々、聞いていいっすか?」
「あぁ。場合によっては労働分の+αは給料としてオレからも出す」
特別手当に釣られたわけではないが、凛は軽く頷くことで返事を返した。




