10、ヤンキー娘、一日の成果を伝える
相変わらず太陽が張り切って仕事をしている中、赤いハーフヘルメットを被った凛は黒い原付で走っていた。
十六になってすぐ免許を取って正解だった。父親の知り合いにタダ同然でもらった愛車は、命綱だ。なにしろ今回のバイト先は心臓破裂必須の坂の上にある。急勾配の坂を駆け上がるのは自転車ではきつい。挑戦者には声援を送ってやってもいいが、凛はバイトに行く前から激しい運動は避けたかった。
公道から脇道に逸れると橋を渡り、山道を登っていく。曲がりくねった道を五分ほどかけて登っていけば広い駐車場と旅館が現れる。入口付近には従業員の車やバイクが並んでいた。凛も旅館の脇の駐輪場に原付を置くと、メットを外してハンドルにかける。
「さーて、今日も働くか」
肩を回して身体をほぐすと、裏口に向かう。従業員の出入りは基本裏口からと決まっている。足早に進んで行くと、しゃがみ込む人影を見つけて心臓が飛び跳ねることになった。思わず左胸を押さえて正体を確認すれば、それが昨日知り合った相手だとわかる。
「マジで驚いたし。なんだ、志稀さんか……心臓に悪い登場をしてくれるじゃん。こんなとこで朝っぱらからなにしてんの?」
砂利の敷き詰められた裏道にしゃがんいたのは志稀だった。もしやあれに遭遇したのかと気を張っていた凛は、脱力して尋ねる。志稀はちらりと視線をこちらに寄こすと、再び砂利を触って何かを確かめるような仕草を繰り返す。
「凛か。ここの石は土地の気を吸ってよく馴染んでいる。だから使えそうなのを探しているんだ」
「どんな使い方すんの?」
「すぐにわかる。生物に限らず、土地には気の流れというものが存在する。五行の属性に沿って、木火土金水に当てはめて考えると、ここは火の気が強い。おそらく、旅館が建つより以前に火を多く使うような生業をしていたんだろう」
「はぁー、そんなことまでわかるんだ」
「お前にもわかると思うぞ。これを持ってみろ」
差し出された小石を掌に落とされた。小石はホッカイロのような熱をもっていた。
「意外と熱いね」
「その熱が火の気と呼ばれるものだ」
「えっ、太陽のせいじゃないの?」
「夏とはいえ、朝の太陽にそこまでの力はない。その辺に落ちている石と比べてみろ」
凛は言われるままに足元の小石を拾ってみる。触れた瞬間に違いが浮き彫りになった。あからさまに温く、温度の差がある。凛は思わず志稀の隣にしゃがみ込んだ。
「本当だ、こっちの方が熱くない。へぇー、不思議だわ」
「お前なら少し練習すれば意識しなくても簡単にわかるようになるだろう」
「ふーん、それってあたしにも志稀さんみたいな才能があるってこと?」
「オレほどではないだろうが素質はある」
「そこで自分を出すとこが、一言余計だって!」
自信満々な言葉に笑い交じりの返事を返して、凛は手の中で小石を転がした。最初からそんな気はない。志稀の世界に足を踏み入れるということは、普通の日常から遠ざかることに繋がっていく。時々、欠伸が出るほど退屈な毎日を、凛は楽しんでいるのだから。
凛の返事に志稀が一瞬だけ口端を上げた。瞬く間に消えたそれはまるで幻でも見た気分になる。けれど、凛は志稀の穏やかな笑みを確かにこの目で見た。悔しいが美形の笑みに心臓が一瞬跳ねた。凛は照れ臭さを隠して目を逸らして立ち上がる。
「あ、あー、昨日聞いたことをあんたに伝えようと思ってたんだっけ」
「あぁ、それでは昨日の成果を聞くとしよう。新しい情報は手に入ったか?」
「仲居の人達からは事故当時の話を聞き出せたよ。武は工事中のフロアに入ってあの部屋の窓から外に出た。そして工事中の足場から落ちて死んだんだ。武は誰かと遊ぶ約束をしてたみたい。事故当時、叔母さんがそれを他の仲居から聞いたんだって。でも、叔母さんの記憶が曖昧だから相手が誰かってことまではわからなかった」
「……事故のことは依頼人の話と合致するな。他には? お前が気になったことでもいい。なにか気付いたことはないか?」
「仲居のおばさん達が武をいい子だったって言ったのが気になる。そんな子が一人で立ち入り禁止になってた部屋に入ると思う? それに、これはあたしが友達に調べてもらったんだけど、落ちた武はその直後は生きてたみたいだよ。たまたま工事現場の人達が昼食で離れてたタイミングで落ちたから、シートの内側に身体が隠れてて誰も見つけることが出来なかったんじゃないかって」
「事故の日、あの部屋に居たのは武だけではなかった可能性があるということか」
「やっぱ、そういうことだよね? 武と会話をしたって仲居が誰なのか、それがわかればはっきりするんだけど」
「いや、十分な収穫だ。こちらも当時雑誌に載った記事と、事故当時この旅館に勤めていたという元従業員に話を聞いた」
「十年以上前に働いてた人? よく見つけられたね」
「ツテを使った。当時の雑誌には旅館の従業員の話として、武が誰かと遊ぶ約束をしていたという証言が載っていた。つまり、お前が叔母から聞き出したことは実際にあった可能性が高い。元従業員によると、大女将と娘婿の仲は婚姻前から良くなかったそうだ。娘が婿を御しきれず、旅館経営に口を出すようになったために、かなり揉めていた」
「あー、シロートが口を出すなってやつか」
「だろうな。そういう経緯があったためか、娘と実孫が亡くなった時に婿の方は旅館から叩き出されている。だが、若旦那は父親に置いて行かれたんだ。父親は天涯孤独の身だったため、他に引き取り手がいなかったようだ。客商売の家が子供を施設にやるというのは外聞が悪い。そこで若旦那は大女将達に引き取られることになった、というわけだ」
「そこまで不幸が続くと若旦那に同情したくなるな」
十歳前後の子供が味わった孤独と苦痛はどれほどのものだったのだろうか。大女将と若旦那の間にあった重い空気は当時のことが関係しているのかもしれない。
「あの婆さん、自分と血の繋がらない孫は孫とは認めないって感じだし」
「依頼人の本心が若旦那にどう向けられていようと、こちらには関係ない。問題は、武と話した従業員の話が本当だった場合、約束していた相手が誰だったのかということだ。もしかしたら、事件当時その場にいた可能性がある」
「叔母さんが思い出してくれたらいいんだけど、あんまり期待は出来そうにないよ」
「わかっている。ひとまずは、ここまでの調査結果を依頼人に報告するとしよう」
志稀は眉をひそめながら、小石を黒い上着のポケットに入れた。真実に迫るキーワードらしきものは増えたが、決定的なものにかけている。そのことに二人は気づいていた。
凛は旅館を見上げた。朝の太陽を浴びて、朱塗りの屋根が輝くように光っている。しかし、綺麗な外観の中には暗い闇がひっそりと根を下ろし、脈動しているのだ。まるで、悪意という血液を全身に巡らせる心臓のように。




